(RIETIコンサルティングフェロー・西村あさひ法律事務所・外国法共同事業 弁護士。本稿は、所属するいずれの組織の意見を代表するものでなく、個人の意見を述べるものである。)
1 はじめに~トランプ政権の関税政策の衝撃
”Tariffman”を自称するトランプ大統領の関税政策が具体化され、世界を揺るがしている。任期開始早々、カナダ等に対する関税措置に続き、2月10日、第1次政権時における通商拡大法232条に基づく鉄鋼・アルミ製品に対する関税引き上げについて税率引き上げ・適用除外停止といった徹底・強化を布告し(注1)、さらに同月13日、貿易に対する”Fair and Reciprocal Plan”の作成を指示した(注2)。「相互主義的(reciprocal)」はさまざまな意味になり得るが、輸出国の同じ産品に対する輸入関税、非関税障壁を含む貿易障壁に対応する関税率まで引き上げる意図の可能性が指摘されている(注3)。また同大統領は、自動車に対する25%前後への関税の引き上げを4月2日に発表すると予告し、また半導体や医薬品に対する関税引き上げにも言及している(注4)。さらに、2月25日には、232条措置の発動を視野に、銅の輸入が米国の安全保障に及ぼす影響について調査を命ずる大統領令を発出した(注5)。
こうした矢継ぎ早に打ち出された保護主義的関税措置に対して、各国の政府・企業は、関税引き上げの阻止、適用除外その他を求めて対応に追われている(注6)。交渉の結果を予想するならば、かつて、2018年に第1次トランプ政権が通商拡大法232条に基づいて採用した鉄鋼・アルミ製品に対する関税引き上げ(注7)が材料になろう。EUその他が、関税引き上げをセーフガード措置と看做し、セーフガード措置に対して認められる代償措置として、米国からの輸入に対して等価値の関税を引き上げた(注8)。カナダ・メキシコに対しては、NAFTA再交渉の梃子として発動を猶予された(注9)が、発動されたEU等は、232条措置がWTO協定違反であるとしてWTOの紛争解決手続に持ち込み(注10)、また一定の除外も得られたものの、トランプ政権下では解決せず、たとえばEUは、バイデン政権に代わった後の2021年にようやく、関税割当とすることで全体の適用除外を得たと報じられている(注11)。日本に対する関税賦課についても、2022年2月に関税割当への置き換えが合意された(注12)。
今回予告された関税引き上げについて、各国政府・企業が撤回ないし自らの除外を求めて個別に交渉するのは自然な反応である。その梃子として、前回同様の対抗措置を執ることも考えられる。ただ、米国内において雇用の維持・確保に対する関心が高まっており、反貿易自由化的言説が受け入れられやすくなっている現状においては、どれほどの効果があるか疑問であるし、また理論的にも、予告されている関税引き上げを貿易自由化の例外であって、有効期間の定めがあるセーフガード措置(セーフガード協定7条3項)と看做してその対応を考えることに無理はないだろうか。欧米以外の経済力が向上した結果自由貿易体制内の均質性が低下し、貿易自由化の旗振り役であった米国が国内産業保護に傾くなど、自由貿易体制に大きな構造変化が生じていると認識せざるを得ない。さらに「米国第一主義」に象徴される大国の自国優先傾向が顕著となってもいる。かかる現状に鑑みると、大国以外の加盟国とくに秩序形成・維持に対して一定の影響力を有するミドルパワーの国々は、トランプ政権の関税政策への対応を考える上で、構造変化に対する長期的方針を明らかにし、これを踏まえたものとする必要もあるのではないか。本稿は、かかる問題意識に基づくものである。
2 ミドルパワーとしてのあり得る対応
(1)関税譲許の再交渉の申し出と捉えること
こうした自由貿易体制の構造変化等を前提としてミドルパワーの立ち位置を考えると、自動車関税引き上げや相互関税等のアナウンスについて、WTO体制と無関係に実利を求めてそれぞれ交渉するのでなく、逆に、WTO協定上の関税譲許違反と捉えて非を咎めるのでもなく、そうした変化に適応して進化する柔軟性をWTO協定に求め、その方向で対応を探ることが考えられる。具体的には、関税引き上げのアナウンスを、GATT28条に基づく、関税譲許の撤回・修正を目的とする再交渉の申し出と捉え、そのルールに沿った解決を追求することが考えられる。GATT28条はあまり言及されない条文である(注13)が、ジョージタウン大学のヒルマン教授等著名な通商法専門家も同条の利用を推奨している(注14)。同条は、かかる再交渉を認め、自由化の一般的水準を維持するような補償的調整の交渉を条件とするも、合意が成立しない場合にも、加盟国は申し出た修正・撤回を実施できるとする(同3項(a)一文)。ただし、関税譲許の修正・撤回については、その後に行う関税引き上げが最恵国待遇義務に従い、すべての加盟国について平等でなければならず、かつ、一定の利害関係を有する他の加盟国の対抗措置として、同じく最恵国待遇義務に従った実質的に等価値の関税譲許の修正・撤回を甘受しなければならない(同二文)。また、いつでも関税引き上げが可能なわけではなく、原則として「1958年1月1日から始まる各3年の期間の最初の日」にのみ可能である(同(a)一文)(注15)。計算上直近の応当日は、2027年1月1日であり、トランプ大統領の任期の折り返し点に当たる(注16)。
要するに、これまで積み重ねられたラウンド合意の一部の巻き戻しを容認するわけであり(注17)、貿易自由化の否定につながりかねないリスクを感じさせることは否定し難い。確かに、これまでGATT28条に基づく譲許表の修正は、関税分類の変更に伴う技術的な修正であるか、関税同盟組成に伴う対外共通関税の水準まで構成国の譲許関税の水準を引き上げる(GATT24条6項)ためである場合に認められるものであって(注18)、国内産業保護のために一旦行った関税譲許を撤回・修正するために使われることが実務上想定されているとはいえない。いわばパンドラの箱として扱われてきたように思われる。
しかし、GATT28条は、本格的な条約となったWTO協定においても削除されず否定も制限も合意されず、現に存在している。同条は、上記3年ごとの機会以外にも関税譲許の撤回・修正を一定の条件の下で可能としているが、条件の一つとして、「適当な補償を提案しなかつたことが不当であると締約国団により決定されない」ことを明示している(同4項)ところ、3年ごとの撤回・修正にはかかる制約が規定されていない。加盟国には「譲許の一般的水準を維持するように努める」義務がある(同2項)が、努力義務に止まる。国内産業保護のための関税引き上げが許されていない(そうした目的には利用できない)と解すべきかどうかを問うならば、GATTが、国内産業保護のための関税譲許の撤回・修正を必要とする事態にならないような仕組みとなっているかどうかを考えてみるべきであろう。このためには、以下に見るように、第二次世界大戦の原因の1つとなったブロック経済化の再興を防止すべく戦後国連において米国主導で交渉された「国際貿易機関憲章」(ITO憲章)との比較が有用である。
まず押さえておくべきは、GATTが、元々本格的な国際合意として形成されたものでなく、ITO憲章が批准されて発効に至るまでの間の暫定的な取り決めとして合意されたことである。同憲章は合意されたものの、主導者の米国すら批准せず、発効しなかったため、1995年にWTOが成立するまでの半世紀近くの間、GATTが自由貿易体制のバックボーンとしての役割を引き受けていた。ITO憲章も関税譲許の仕組みを採用しているが、GATT28条に相当する撤回・修正の規定は存在しない(注19)。ITO憲章は、GATTと異なり、雇用確保・労働者保護、環境保護もカバーし得る資源の効率的利用を進める政策、競争政策についても規律を有し、これを具体化し実施を確保する紛争解決メカニズムも備えている(注20)。他の加盟国が経済体制や運営方針を自国から見て不適切に変更したり、その他経済運営において重大な誤りを犯したりしたために、貿易自由化によって生じた経済的相互依存関係を解消・緩和したくなった場合に全加盟国の協力の下で問題を是正し、あるべき経済運営が実現されるよう確保する仕組みを用意する故に、一旦約束した関税譲許の撤回・修正を認める必要がなかったものと考えるのが自然である。そうした国内政策に対する介入メカニズムが弱いGATTにおいては、脱退までしなくても済むように、経済的依存の緩和・縮小が可能となるように関税譲許を撤回・修正する余地を明文で残さざるを得なかったと推察される。経済体制その他が異なる国々が共存するために、現在の関税水準では距離が近すぎるとして、適切な距離が確保されるまで、すなわちそうした国々への経済的依存を縮小すべく国内産業を保護することを企図して、関税を引き上げるためにGATT28条を利用することは、同条の趣旨に反すると言えないのではないか(注21)。
(2)関税譲許の再交渉を認める功罪
国内産業保護のための関税譲許の再交渉を認めることについては、先に述べたように、貿易自由化の否定につながらないか、より具体的には、保護を求める国内産業の声に押されて関税譲許の撤回・修正を求める加盟国が殺到しないか、という懸念があろう。そうしたリスクを否定することはできない。しかし、貿易自由化を維持するほうが自国経済にとって望ましいと考える加盟国は少なくないであろうし、また逆に国内産業保護を増やしたい加盟国、とくに紛争解決手続へのコミットを低下させている加盟国は、貿易救済法の濫用的発動、ローカルコンテント的な要求を含む補助金の付与その他グレーな措置を執っていることが想定される。そうした内容も発動のタイミングも不透明な措置が執られている状況と、関税という内容が明確な措置に限定され(注22)、発動のタイミングも3年に一度に限定されている状況と、いずれがよいか自明ではなかろう。また、主要な貿易相手国と経済連携協定をすでに締結している日本についていえば、WTO協定上の関税譲許が撤回されても経済連携協定上の特恵関税制度を利用できるし、不透明な国内産業保護措置を非難する正当性が高くなるメリットもあるかもしれない。
また国内産業保護措置に対する制約として以下のようなメリットもあるのではないか。まず、通商拡大法232条に基づく鉄鋼・アルミ製品に対する関税引き上げのような経済安全保障を理由とする関税措置をGATT21条が規定する安全保障例外によって正当化する必要がないことが一層明らかになる。もともと、時期に制限があっても、鉄鋼・アルミの国内産業を保護する必要があればGATT28条に基づいて関税譲許の撤回・修正をすれば足りる、と言えるからである。GATT21条は、軍需品の貿易管理を行うために貿易自由化の対象から除外すること(同条(b)(i)及び(ii)号)、復仇などの慣習国際法上の権利を制限しつつ、無差別戦争観が採用されなくなった戦後の国際法の発展を反映して戦争当事国の一方を支援することの許容を企図する(同(b)(iii)号及び(c))ものと限定的に理解することが文言にもITO憲章を含めた広義の文脈にも適うと考える(注23)。「(戦時)その他の国際関係の緊急時」(同(b)(iii))を広く解し、軍事力行使がない状態も含むとする先例もある(注24)が、「戦時」に匹敵する事態であるべきとして、232条措置について適用を否定した先例もある(注25) 。上記からは、後者の解釈が支持される(注26)。言うまでもなく、安全保障例外によって正当化されるのでなければ、輸出国を区別することは許されない。
そのほかにもGATT28条に基づく関税譲許の撤回等の余地があることは、貿易制限を国際交渉の梃子として用いることの制限強化に資すると考える。たとえば、他国の外交その他の政策対応に不満がある場合にその要求に応じさせようとして行う関税引き上げその他の経済的威圧行為については、それ自体が協定上の義務のいずれかに反すればこれを正当化する規定は見当たらないが、政策上も認める必要がないことが明らかになる。また、環境保護その他の国内政策が輸入国の基準に照らして不完全であるとして貿易を制限することを認める必要もない(注27)。不満があれば関税譲許をすべての輸出国に対して平等に撤回して等しく距離を置くことができ、それで十分とする合意であると説明できるからである。逆に、他の加盟国の国内政策その他の改善を求めるために、GATT28条に従って関税譲許の撤回を予告して圧力をかけることが許されていると理解すべきかもしれない。したがって、外国政府の関税政策を問題視するトランプ政権の「相互主義的な」関税の引き上げも、GATT28条に基づいて行うことができ、同時に、GATT28条の制約の下でのみ行い得る、すなわち、関税を引き上げる場合、2027年1月1日を発効日とし、かつ、最恵国待遇義務すなわちすべての加盟国に対して同一の関税率まで引き上げることが求められることになる。
貿易措置を外交手段として使うことに対するこのような制約、とくに最恵国待遇義務による縛りは、経済的相互依存関係が不可避である今日において、ミドルパワー又はより小国である加盟国が米中のような大国との関係で過度に不利にならないためにきわめて重要である。そうした制約がなければ、大国は、自国市場に依存している中小国に対して、個別に、関税引き上げを梃子として国内政策その他の変更を強いることが容易にできてしまう。最恵国待遇義務に沿った関税引き上げであれば他の中小国が連帯して反対の声を上げるインセンティブがあるが、特定国に向けられた関税引き上げに対して反対の声を結集することは難しい。上級委員会が機能停止している今日、協定のエンフォースメントとして、司法的な手段は機能せず、政治的手段に頼らざるを得ないが、最恵国待遇義務はその政治的手段を機能させる要石ではなかろうか。
米中あるいはこれらに伍する大国にとって、そうした制約はむしろ外したい足枷かもしれないが、それ以外の加盟国は協力して、大国の恣意を掣肘し、加盟国全体の公益に合致する規範に従った行動を確保する法の支配の確立に努めるべきであろう。大国としても恣意を通せることにメリットのみ見出すとは限らない。中小国の交渉力が弱くなり過ぎ、大国の言いなりにならざるを得ない状況では、大国間の勢力均衡が崩れかけたときに優勢になった大国に追随する国が続出し、中小国が勢力均衡の復元力・バッファとして機能せず、むしろ崩壊を加速することになりかねない。大国に対しても一定の交渉力を有し、法の支配を重んじて自律的に行動する中小国を残しておくことに大国自身がメリットを見出す可能性もあるのではないか。ミドルパワーが結集すればすべてではなくても大国を説得できる余地がないとは言えないと考える。
(3)補完的対応~経済連携協定の積極的活用
さらにミドルパワーがそれなりの交渉力を維持し、大国間の勢力均衡のバッファとしての機能を果たす自律的存在となるためには、原則としての最恵国待遇義務の尊重を協力して求めるだけでは十分でない。すべての必要なモノ・サービスについて自給自足できない以上、最恵国待遇義務の例外として許容されている関税同盟・自由貿易地域の組成という手段をも駆使することが必要であろう。自国のみで経済安全保障を確保できないのであるから、他の信頼できる加盟国と高度の協力関係を構築し、安定した経済的相互依存関係を確立し、大国への経済的依存状態を緩和することを同時に追求するわけである。ミドルパワー間でこうした関係を確立できれば、大国との関係での交渉力も増えるであろうし、大国間でそれぞれの勢力圏を分け合うような合意を試しにくくするのでないか。かかる使い方は、いわゆるメガFTAを想定しない、自由貿易地域例外の元々の趣旨理解(注28)にも適う。いわば、GATT/WTO協定の綻びに中小国間の経済連携協定でつぎを当てて補強するわけである。GATT/WTO協定に欠けている国内政策の最適化を相互に促す仕組みのモデルを提供することもその役割とし得る(注29)。
この点では、たとえば、先ごろ発表された財務省関税局が公表した経済連携協定に関する勉強会報告書(注30) が注目される。既存の経済連携協定において合意された関税撤廃の対象範囲を画する特恵原産地規則の利用度が低いという課題に応じ、企業に対して戦略的利用を助言できる通関士を育成する方策が提言されている。特恵原産地規則の利用円滑化は、直接には、関税削減を通じて輸出者の事業拡大に資するものであるが、それに止まらず、既存の締約国間で安定した経済パートナー関係を構築するという経済安全保障政策を追求する施策の一つとして位置付けるべきであろう。上記報告書は、そうした政策の方向性を追求したものとして評価されるべきである。すでに述べたとおり、WTO協定上の関税譲許がもし撤回されれば、経済連携協定上の特恵関税制度を利用する必要性が高まることにも注目したい。
3 まとめ~多角的自由貿易体制の守るべき要石は何か
多角的自由貿易体制が危殆に瀕している今日、譲れない要が何であるのかを慎重に考察する必要がある。それは、自由化の貫徹、すなわち関税引き上げを抑制することか、多角性、すなわち加盟国が最恵国待遇義務を一般的に引き受けることであるのか、いずれが自由貿易体制の復元力の鍵かを問うべき、というのが本稿の底流にある問題提起である。本稿は、後者と考える。関税を引き上げるだけならそのうち経済状況が好転して再び自由化に向くかもしれない。しかし、差別的な関税引き上げが行われると、差別された側の感情が悪化して関係修復が困難になる可能性がある。現時点で利害が対立しているとしても、将来の協力の余地を残すために一定の距離、他との等距離を置いた共存関係への格下げに止めるほうが穏やかであろう。そこで一旦息を継ぎ、異なる経済体制・国内政策等への信頼関係を構築するための合意・ルール形成のための時間を稼ぐこともできる(注31)。
経済ブロック化の防止が戦後の経済体制の構築における最大の関心事であり、条文としても、関税譲許が結局のところ一方的に撤回可能である(GATT28条)のに対して、最恵国待遇義務を規定するGATT1条が全加盟国の同意がない限り変更できない(WTO設立協定10条2項)と規定されていることに鑑みると、GATT/WTO協定は、関税削減よりも最恵国待遇義務に重きを置いていると考える根拠があろう。
そうした視点からは、国内政策に関する規律を十分に発達させないままに、各加盟国が貿易自由化を急いだこと、民主化・自由経済化が進む(注32)「であろう」という見込みの下中国等の加盟を認めたことこそが自由貿易体制が危殆に瀕している原因であるように見える。それならば、自由貿易体制の根腐れを防ぎ、再生の余地を確保するために、トランプ政権の関税政策について阻止する必要性が高いのは、関税引き上げそのものよりも、最恵国待遇義務に違反して国ごとに異なる税率に関税を引き上げることであるという認識になる。通関実務等の複雑性が増大するとして、国ごとに関税率を変えることを控える可能性もあるが、相互主義を掲げていることに鑑みると、国ごとに異なる税率を適用しようとする可能性は小さくないように思われる。その意味で、関税引き上げを拒否せず、むしろ関税譲許の再交渉の申し出と捉えてGATT28条のルートに乗せるべく努力する意義は小さくないと考える。