はじめに
「産業政策」という言葉は、使う人によって解釈が異なることが多い。産業政策が、イノベーションプログラム、税制、貿易や海外直接投資(FDI)といったさまざまな経済政策ツールを包括することが、この問題をさらに複雑にし、誤解を招いている。産業政策の核心は、「政府が介入しない場合より介入した方が成長するであろう産業に対し、その構造を変えようとするあらゆる種類の選択的介入や政府政策」(Pack and Saggi, 2006, p.268)を指す。これには、地政学、安全保障、軍事的な意味を持つ可能性のある分野や技術が含まれる場合もあるし、そうでない場合もある。産業政策の概念は以下の2つの基本原則に基づいている。(i)ある部門における生産は、他の部門における生産よりも望ましいものであり(Hausmann et al., 2007)、このため、(ii) 政府は生産構造をその方向に導くための積極的な努力をすべきである。
資本主義VS社会主義といった単純なレッテルや、完全競争市場での標準的な経済モデルとは関係なく、米国、英国、フランス、シンガポール、中国、台湾、韓国など事実上すべての国がさまざまな形で産業政策を用いていることは特筆に値する。(Rodrik, 2009; Terzi et al., 2023, 2022)。日本は、少なくとも第二次世界大戦後に、産業政策を利用して急速な工業化と成長促進をしてきた長い歴史があり、”Notorious”(悪名高い)である(Okazaki,2017)。
産業政策の歴史的サイクル
過去数十年の間に、産業政策の利用は全般的に減少し、主流派経済学の片隅に追いやられた。この原則が政策立案者の心に刻み込まれるにつれ、市場経済の勝者を政府が選ぶことはできず、産業政策は利益団体に取り込まれるリスクが比較的高いという説(narrative)が受け入れられるようになった(Rodrik, 2014)。そしてもちろん、そうした説を基に最終的に政策が形成される(Shiller, 2019)。
世界経済のグローバル化の追求それ自体が主要な目的となったという点からも産業政策は有害であるとみなされた(Rodrik, 2011)。ルールに基づく世界貿易秩序を実現するため、西側先進国は、生産を特定の方向に変えるという政府の役割に反対し、各国の産業が比較優位を自由に発揮されることを選んだ。
産業政策は役に立たないという考え方は、いわゆる「ワシントン・コンセンサス」にある程度成文化されており、そこでは(オープンな貿易および資本移動を認める)小さな政府が急速な経済発展を達成するのに役立つとされた。こうして、産業政策への抵抗は、特にIMFのマクロ経済調整プログラムを通じてグローバル・サウスにも輸出された(Irwin, 2022)。日本の場合、1983年から1984年にかけて米国との間で行われた産業政策対話での米国からの批判を受け、産業政策は縮小され、その代わりにより広範にわたる構造改革が推進されるようになった(Okazaki, 2017)。
しかしここ数年、私たちは「名前を言ってはいけない政策」と皮肉交じりに呼ばれてきた政策が、経済政策の表舞台に戻ってくるという状況を目の当たりにしている(Cherif and Hasanov, 2019)。これにはいくつかの理由がある。まず、最も顕著なのは、中国が産業政策を広範に利用し、急激な経済成長を遂げているという事実である。さらに、中国が2001年にWTOに加盟した後も、そうした政策を放棄するように奨励されなかったという事実は、世界レベルでの公平な競争条件の確保を支持する他の国々の主張を事実上無効にしてしまった。第二に、コロナ禍においては、個人用防護具(PPE)の備蓄や提供、あるいはワクチンの迅速な開発・製造など、政府の経済への大規模な介入を必要とした。そしてもちろん、コロナ関連の制限によりグローバル・サプライチェーンが停止したことで、自動車から軍事用途に至るまで、今日の経済において半導体が果たす中心的な役割が突如として認識されることになった。AIとデジタル経済は21世紀の軍事的優位性を定義する上で重要な役割を果たすため、半導体へのアクセスの欠如が「兵器化」されてしまう可能性がある(Terzi, 2023)。
最後に、産業政策の魅力が戻ってきた理由は、気候変動である。気候変動は、世界がこれまでに経験した中で最大の市場の失敗と定義されており(Stern, 2006)、このこと自体が、市場原理をほぼ自由に認めるべきだという説に疑問を投げかけている(Terzi, 2022)。
効果的な産業政策のための指針
Terzi et al (2023)は、欧米、中国、日本における過去の最も関連性の高い産業政策介入について、成功例と失敗例の両方を検証し、最近の関連文献と照合した結果、6つの基本的な設計上の特性が必要であると結論付けている。産業政策を策定し成功に導くに当たっては、その効果を最大化し、リスクを最小限に抑えるため、以下が必要となる。
- 未来志向であること 産業政策は、現在(あるいは過去)ではなく、未来に焦点を当てたときに最も効果的であることが証明されている。つまり、現在の自国の競争優位性を見て戦略的部門を特定することはできないということである。産業政策は未来志向、つまりイノベーション志向でなければならない。その目的は、世界的な構造変化の風に身を任せるのではなく、市場の失敗によって望ましい均衡が妨げられている部門を活性化させることである。
- 分野と技術に焦点を 企業ではなく、分野や技術に焦点を当てるべきである。特に「勝者を選ぶ」こと、つまり戦略的資産とみなされる単一の企業を中心に政策を設計することは控えるべきである。これはゆがんだインセンティブにつながり、「チャンピオン」のイノベーションを低下させ、最終的には産業政策の目的である長期的な競争力の育成と持続的な成長の促進に逆行し、消費者に損害を及ぼす可能性が高いからである。一方、効果的な産業政策の目標は、高度な能力が望まれる分野や技術を中心に構築されなければならない。
- 競争は強みである 効果的な産業政策とは、既存企業をさらに大きくすることではないはずだ。企業が世界的なリーダーに成長することは、特定の分野における競争力の表れであることは明らかだが、世界ランキングにおける自国企業の数を増やすために人為的に規模を拡大することは、原因療法ではなく対症療法にほかならない。
- トップダウンだがボトムアップで 定義上、産業政策はトップダウンで経済発展の方向性を定めることに等しい。しかし、どのような形であれ、計画通りに産業の形を変えようとしてはならず、さもなくば生産性を低下させる恐れがある。言い換えれば、産業政策は試行とボトムアップによるイノベーションと創造を奨励する必要があるということだ。このため、政策目標は、十分具体的でありながら、その達成に向けて創造性を発揮できる十分な幅を持つ、バランスの取れた方法で定義される必要がある。産業政策は、従って、起業家のエコシステムを損なうものであってはならない。こうした政策は、上記IIIで説明した厳格な競争政策の重要な役割を補完し、おそらくは強化するものとなる。
- 説明責任を果たし、党派に属さず、順応性を持つこと 透明性は、利益団体による恣意的な政治経済的リスクを回避・軽減する鍵である。さらに、政治家は自らの政治的成功(あるいは失敗)を特定の国内企業の成功と結び付ける傾向を避けるべきである。そうしないと、客観的な評価からはそうすべきではないと示唆される場合でも、当該企業への資金の流れを維持しようとする強いインセンティブが生じる。従って、効果的な産業政策は、可能な限り独立性を保ち、明確な目標に基づいて評価されるべきであり、かつ柔軟に対応できるようにする必要がある。このことは、政策、結果、仮定を常に監視し、疑問を投げかけ、必要であれば迅速に対応させる必要があることを意味する。
- 総合的なアプローチを 産業政策は、需給に配慮しつつ、攻めと守りのツールとともに、支援的な規制環境と連携して一貫性を持って設計する必要がある。産業政策を成功させるには、重要な技術分野におけるイノベーションの発展を促進するだけでなく(例えば、対象を絞った研究開発を通じて)、そうした分野の需要の増加を確実にするためのツールも使用する必要がある。
日本の展望
産業政策復活の時代にあって、日本はいくつかの有利な要素で際立っている。第一に、経済産業省をはじめとする有能な官僚組織に支えられ、産業政策ツールを活用した豊富な経験がある。こうした専門知識は、効果的な政策実施のための強固な基盤となる。第二に、日本の金融市場への強力なアクセスは、グローバルな舞台での大きな優位性をもたらし、産業政策イニシアチブの成功に不可欠な多額の財源の動員を可能にする。さらに、日本は強固な産業基盤と、最先端のデジタル・アプリケーションを含むさまざまな分野における高度な技術進歩の恩恵を受けている。これらの有利な条件により、日本は将来の主要産業を育成する際に、ゼロから始めるのではなく、既存のダイナミックなエコシステムを活用することができる。
マイナス面としては、21世紀の産業政策は経済と安全保障分野の統合に強く依存していることが挙げられる。第二次世界大戦後の日本は、地政学的・軍事的対立からかなり距離を置き、ルールに基づいた開かれた世界貿易秩序の恩恵を受け、主として経済発展を追求してきた。こうした秩序が終焉を迎えるにつれ、地政学的緊張が高まる世界に向けて産業政策を含む経済政策立案を調整することが日本にとっての課題となるだろう。多くの点で、この課題は欧州連合(EU)諸国と共通している。EUも同様に、平和的原則に基づいて政策立案を行ってきた。従って、欧州と日本が志を同じくするパートナーと協力し、21世紀にふさわしい新しい産業政策を再調整し、設計する中で、今後、実りのあるベストプラクティスの交流が行われることであろう。