景気後退は不確実性の原因であり、結果でもある。本稿では、不確実性は世界中に波及するが、北米自由貿易協定(NAFTA)など信頼性の高い国際貿易協定によってその影響を緩和できると述べる。NAFTAは2008年の金融危機当時、世界的な貿易戦争の脅威の広がりに対して、米国企業を保護する貴重な手段としての役割を果たした。しかし、こうした協定の信頼性と保護手段としての価値は、英国のEU離脱(Brexit)、NAFTA再交渉、「貿易冷戦」勃発の先駆けとなる米国の貿易戦争の脅しといった事例によって危機にさらされている。
保護主義は経済・政治的ショックに反応するというエビデンスは数多くある(Bown and Crowley 2013)。また、関税引き上げの脅威は通商政策の不確実性を高め、貿易量が減少する(Crowley et al. 2016)。世界貿易機関(WTO)加盟によって通商政策の不確実性が低下すると、企業は新規市場開拓と輸出拡大のため投資を行い(Handley 2014)、中国のWTO加盟後の米国のように価格は低下し、消費者厚生は拡大する(Handley and Limão 2017a)。さらに、Handley and Limão(2015)がポルトガルのEU加盟を例に示しているように、信頼性の高い特恵貿易協定(PTA)に加盟することによって政策へのコミットメントを強化し、通商政策の不確実性を低減し、輸出の拡大を促す。
貿易戦争の開始、国際公約の見直しや無視も辞さないという脅しは貿易協定の有効性を損なう。2016年には2つの出来事、すなわち6月に行われたEU離脱に関する英国の国民投票と7月にドナルド・トランプ氏が共和党の大統領候補に指名されたことを受け、通商政策の不確実性が著しく高まった。図1にトランプ政権の通商政策の不確実性を表す指標として、国際貿易や通商政策に関する記事の中で、「不確実な」あるいは「不確実性」といったキーワードを含むものの割合を示した。選挙キャンペーンの発表、大統領候補指名、その後の選挙戦でこの指標は上昇し、大統領就任時には通商政策の不確実性が過去10年間の最高水準に達した(注1)。Handley and Limão(2017b)では、通商政策の不確実性の原因になると思われるトランプ新政権の施策を列挙しているが、米国が環太平洋パートナーシップ(TPP)交渉から離脱し、PTAの再交渉に乗り出すなど、いくつかは現実のものとなっている。2018年3月、トランプ大統領はすべての貿易相手国を対象に、鉄鋼25%、アルミニウム10%の関税を課すとの声明を出し、諸外国が報復関税措置を打ち出す姿勢を見せると「貿易戦争は良いことであり…、楽勝だ」と発言した(New York Times 2018)(注2)。注目すべきなのは、米国の鉄鋼輸入先上位4カ国のうちカナダ、韓国、メキシコの3カ国は米国とPTAを締結している。カナダとメキシコを課税対象から除外するという3月9日の発表は歓迎されたが、NAFTA再交渉に関する両国の譲歩が条件であり、かつ一時的な措置にすぎない。特に今回のような戦術が常態化するならば、この2つの要因は不確実な期間を長引かせ、NAFTAやその他のPTAが米国企業にもたらす価値と安定性を損なわせてしまうだろう。
貿易戦争勃発の可能性は当初、株式市場下落という目に見える形となって現れた。しかし、米国が一触即発の状態から後退した場合でも、新たな貿易冷戦(つまり、貿易協定が崩壊し、「熱い」貿易戦争に突入する確率の高まり)はすでに世界貿易体制の信頼性を弱めている(注3)。本稿では、特に経済危機局面における不確実性が米国の輸出企業(ひいては、そのサプライヤーや従業員)にどのような損害を及ぼすかに注目する(Carballo et al. 2018)。分析の結果、2008年の世界金融危機の際、経済・政策の不確実性の相互作用が貿易の縮小に拍車をかけていたが(注4)、需要ボラティリティが上昇した際、米国のPTAは保護主義に対する保険の役割を果たし、貿易の落ち込みを一部緩和したというエビデンスを得ている。
輸出のダイナミクスと貿易協定の価値
ルールに基づく貿易体制を揺るがせる最近の動きは、政策と経済の不確実性の相互作用をより広く検証する上で国際貿易を取り上げることがなぜ有意義であるかを明確に示している。輸出による海外市場への参入には、埋没費用となる投資が必要だが、為替や政策の動きなど、企業にとって不利になるショックによって需要ボラティリティやリスクが高まるとみれば、企業は埋没費用を伴う投資を実行しない可能性がある。経済の不確実性が大きい、低迷時期にとられる可能性のある政策対応は、たとえそれが善意に基づくものであっても、輸出企業の抱えるリスクを増幅させてしまう場合が多い。G20諸国が世界金融危機と世界貿易の急激な落ち込みの際に懸念したのはこのことであった。これに対応して、G20諸国は「過去に起きた保護主義という過ちを2度と繰り返さない」という主旨の声明を再三発表し、世界大恐慌が引き金となって起こしたような報復的な貿易戦争に対する不安を抑えようとした。2016年までに、G20諸国は政策の不確実性とその波及効果についてはっきりと懸念を表明し、「われわれは、政策に関する不確実性を軽減し、負の波及効果を最小化し、透明性を向上させるべく、マクロ経済および構造問題に関するわれわれの政策行動を[…]、明確に伝えていく」と述べた(注5)。しかし、2017年にハンブルクで開催されたG20サミットの首脳宣言にこの文言が含まれていなかったことは留意に値する。
2008年第3四半期〜2009年第2四半期に米国の輸出は22%減少したが、通商政策レジームによって減少の規模と回復のペースは一様ではなかった。図2は、世界金融危機時にPTA締結国向けの米国の輸出の増加は、PTA非締結国向けよりも減速が緩やかで、回復ペースは速いことを示している。われわれの推計では、PTA締結国向けとそれ以外の国への輸出増加率の当時の差は他の標準的な貿易の需給要因をコントロールした後であっても、10%程度である。さらに重要なことに、GDPリスクがより高い国ほどこのPTA締結の有無の差が最も大きいということがわかった。世界金融危機以前の2002〜2008年第3四半期には、PTA締結の有無とリスクの間に同様の差はみられないことから、PTAが危機時に不確実性を緩和する役割を果たしていたことがうかがわれる。
われわれはこうした総合的なエビデンスと整合的なモデルを構築し、詳細な企業レベルデータを使用してその予測可能性を検証した。この枠組みにおいては、総需要の不確実性が低下すれば、輸出市場への参入と輸出は必ず増加する。しかし、通商政策の負のショック(すなわち保護主義)が所得の負のショックと並行して起こりやすいのであれば、危機局面における高いボラティリティがもたらす貿易縮小効果は経済と政治の不確実性の相互作用によって増幅される可能性がある。好況・不況にかかわらず、貿易障壁を低い状態に維持するため、長期的かつ信頼性の高い政策コミットメントを通じ、貿易協定が政府に制約を課しているとすれば、特に景気後退期において輸出企業と政府にとって協定の価値は大きいといえる。
米国センサス局の2003〜2011年(世界危機前の拡大期、世界危機、世界危機後)のデータを用いて、こうした効果を推定し、数値化した。企業レベルのデータを使い、潜在的な複数の交絡因子をコントロールした上で、PTA締結国と非締結国に関する所得の不確実性が輸出に及ぼす影響の違いを推計した。また、輸出を外延(1企業当たりの新製品数、つまり製品の種類)と内延(既存製品の価額)に区別した推計も行った。主要な研究結果の一部を以下で紹介する。
まず、特に所得の不確実性が高い場合には、米国製品の品目数の純増加率はPTA締結国の方が非締結国市場よりも高かった。図3右は、図2に示したPTA締結国向け輸出がそれ以外の国に向けた輸出より増加しているのは、金融危機後の輸出の外延の急拡大によってもたらされていたことを示している(図3左パネルが示すように、金融危機前には存在しなかった)。
次にPTAを締結していない貿易相手国のサンプルを用い、金融危機がなかった反事実とPTAを締結していた反事実における品目数の純増減率と輸出増加率のそれぞれの経路を調べている。図4の実線は、PTA非締結国向けの平均の品目数の純減少率が、2011年の第4四半期までに「危機なし」の経路より15%下回ったことを示している。こうした国がPTAを締結していれば、この影響分はほとんど消失する(破線は反実仮想シナリオを示す)。輸出への影響も大きい。図5は、データに含まれるPTA非締結国向け総輸出が累計で大幅に減少していることを示している(実線)。仮にPTAが締結されていれば、輸出の外延の減少幅に関しては約3分の1、つまり約8ポイント分抑えることができただろう。
さらに、輸入市場における支配力に応じて、貿易戦争が起こった場合に高い関税もしくは低い関税が課されると想定される産業別にサンプルを分割した(注6)。図6は、手厚い保護政策が想定される産業ではPTA締結国に対する輸出増加率の差が大きく、そうでない場合は小さいことを示している。
貿易協定の価値を広い視野でとらえた要約統計量の1つは、外国GDP成長率であり、それは米国のPTA締結国と非締結国の間の輸出の差を相殺するためにどれだけ必要かを示す。2011年の時点では、実際の輸出増加と図5で示したPTAを締結していると仮定した場合の輸出増加の差を埋めるには、総輸出については2008〜2011年の間で外国の累計GDP成長率が5%、輸出の外延については外国の累計GDP成長率が8%必要となる。
より広い意味合い:昔とは異なる現状
われわれの研究結果は、現在の貿易協定のネットワークによって、特に手厚く保護されている産業において、政策と経済の同時不確実性が低下したことを示している。2008年当時のWTO事務局長は、WTOが「[...]明示的、暗示的を問わず一方的な行動が招く混乱に際し、実体経済にとって危機的な状況に対応する団体保険の役割を果たす。これは、安定した取引を保証するもので、今後はグローバル化が進む世界経済の運営上、不可欠な強靱化要素となる。要するに、グローバルな実体経済にとってのグローバルな保険証書の役割を担っていく」という主旨の発言をした。われわれの研究結果は、前回の経済危機におけるPTAの保険という価値を浮き彫りに示しており、最近の米国における保護主義の台頭、NAFTA再交渉、英国のEU離脱などを踏まえると、このようなPTAによる便益は無視できない。WTO加盟の重要性は薄れてきており、また脅かされている状況でもある。ただし一部のPTAが弱体化、あるいは解消されるようであれば、WTO加盟国であることの重要性はますます高まるかもしれない。協定の見直しは必ずしも悪いことではないが、国際政策の交渉が強制的に行われたり、まずは離脱してから詳細が自国に有利にまとまるまで待ったりするという姿勢が常態化すれば、次に経済危機が起こった際に貿易協定の価値は大幅に低下するかもしれない。
本稿は、2018年3月16日にwww.VoxEU.orgにて掲載されたものを、VoxEUの許可を得て、翻訳、転載したものです。