宮島:各国が抱える企業統治の主要課題は実にさまざまです。たとえば米国では、経営陣に対する過大なインセンティブが過度のリスクテイクの誘因となる可能性があるとして問題視されているのに対して、大陸欧州では同族株主の支配力が強く、少数株主利益がしばしば損なわれるという問題があります。日本の企業統治問題については、どういう特徴があるとお考えですか。
メイヤー:日本の企業統治については、従来、銀行や企業によるインサイダー支配が強すぎることが問題となっていました。海外機関投資家の株主としての存在感が増したことにともない、日本企業の関心はいかにして安定株主を維持するかという方向に移っています。しかし、経営の失敗に対する制裁が不十分なものにとどまったオリンパス事件や東芝事件から明らかなように、海外投資家の存在感が増してもなお、日本企業は相変わらずインサイダー支配が優勢であるとの懸念は依然として残っています。
宮島:日本の企業統治改革は、安倍晋三内閣がこれを成長戦略(いわゆる「第三の矢」)の重要項目に位置づけたことで、弾みがつきました。企業にリスクをとらせる、つまり、投資や借り入れを促し、イノベーションの拡大を図らせるための現実的な方策として、どんなことが考えられるでしょうか。図1をみると、石油危機以降、日本企業のレバレッジ比率は一貫して低下傾向にありますが、1997年の金融危機以降はその傾向がさらに強まりました。これは、1990年代から2000年代にレバレッジ比率が上昇した米国と対照的な動きですが、米国企業は株式による資金調達割合が高いのに対して、日本企業は銀行借り入れが多くレバレッジ比率が高いという従来の見方とは逆の現象です。なぜそうなったのでしょうか? これは企業がリスクに対して慎重になっているという問題なのでしょうか。そうであるとすれば、どうやってその慎重な姿勢を転換させるべきなのでしょうか。強力なインセンティブを与えればうまくいくのでしょうか。
メイヤー:高度成長期における日本企業の成長は、銀行からの借り入れに依存していていました。そのためデットファイナンス(負債による資金調達)の割合がきわめて高く、結果として、レバレッジ比率が押し上げられました。しかし、日本の銀行システムが崩壊すると、レバレッジ比率は大幅に低下し、エクイティファイナンス(株式による資金調達)が増加しました。日本企業は長らく銀行と緊密な関係を維持してきましたが、資金調達行動の変化はそうした伝統的な関係が弱まったことを背景として出てきた動きです。
これに対して、米国におけるデットファイナンスへの依存の高まりは、投資銀行業の発達と債券市場の拡大を背景とするものです。こうしたデットファイナンスへの依存度の高さは、金融危機時の銀行破綻と関連していました。デットファイナンスは企業統治を促す機能として利用できますが、債務不履行リスクを伴います。日本におけるレバレッジ比率の低下は、株主による適切な統治が行われるのであれば、有害なものとみなされるべきではありません。要するに、米国が伝統的なエクイティガバナンス(株主による統治)からデットガバナンス(債権者による統治)へと移行したのと同時に、日本はデットガバナンスからエクイティガバナンスに移行したと特徴づけることができます。
以上の変化は、日本企業にとって、比較的リスクに慎重な銀行に代わり、リスクに寛容な外部の機関投資家が株主になったことを意味します。その結果、日本企業の投資が促され、リスクを伴うものの、将来、高い成長率と収益増加を期待できるような革新的な経営方針の採用も進むことでしょう。
宮島:日本の企業統治におけるもう1つの最近の動きとして、所有構造の劇的な変化があります。少なくとも大手企業に関する限り、銀行と企業の株式持ち合いを特徴とするインサイダー株主支配はもはや主流ではなくなり、海外機関投資家を中心とするアウトサイダー株主の保有比率が拡大しています。しかし、海外機関投資家の役割は諸刃の剣だと考えられています。国内投資家(系列企業など)が投資先企業と長期的な関係を持ち、経営に口出ししない受け身の投資家であるのに対し、外国人投資家は投資先である日本企業から独立した存在であり、したがって適切な監視機能を果たすことができるかもしれません。一方、海外機関投資家は所詮ポートフォリオ投資家に過ぎず、投資先企業に関する情報も十分に持っていないため企業へのコミットメントがなく、適切な監督機能を果たすことはできないとする反対意見もあります。こうした相反する意見も踏まえて、日本の企業統治の現状と将来目指すべき適切な所有構造についてご意見をお聞かせください。
メイヤー:海外機関投資家は独立した立場から投資先企業を監視するという重要な役割を果たします。海外機関投資家の場合、国内機関投資家にありがちな一般株主との利益相反の問題もそれほど多くありません。投資先企業から離れた立場にある海外機関投資家は、投資先企業の影響を受けにくいからです。しかし、離れているということは、海外機関投資家による企業統治が国内企業による企業統治より弱いということでもあります。また、所有構造が分散化しているため、業績不振企業の株式を売却して株価に下方圧力をかける以外に、実効的な統治機能を発揮するのは困難です。さらに、海外機関投資家は気まぐれで、投資先の国内市場が悪化するとすぐに逃避してしまいます。したがって、海外機関投資家は企業の安定的な株主基盤とはなり得ず、過度の短期的な思考を助長する恐れがあります。そのため、国内の安定株主と海外機関投資家を組み合わせて、インサイダーとアウトサイダーによる監視と支配の適切なバランスをとる必要があります。
宮島:日本では、2014年に「『責任ある投資家』の諸原則」(スチュワードシップコード)が、続いて2015年には「コーポレート・ガバナンス・コード」が導入され、企業統治の新時代を迎えました。いずれも英国の同様の規範をモデルにしたものですが、その実施にあたっては、企業および政策担当者の大きな関心事項がいくつかありました。1つは社外取締役の役割です。社外取締役が社長人事に影響を与えた事例(セブン&アイ・ホールディングス、スズキ株式会社、セコム株式会社など大手企業におけるCEOの突然の辞任)が相次ぎましたが、これらの出来事については、独立社外取締役がその重要な使命において大きな役割を果たしたと前向きに受け止める意見がある一方、業績に問題のない企業に社外取締役が介入したことによって、意図的か否かはさておき、結果的に経営内部の対立が助長され、企業に悪影響を与えることになったとする懐疑的な見方もあります。この点についてご意見があればお伺いしたいと思います。
メイヤー:英国や米国のような株式所有構造の下における独立社外取締役は、企業経営に外部の視点をもたらし、独立した立場から助言を提供するという意味において、きわめて重要な役割を果たしています。株主と経営陣の間の利益相反(エージェンシー問題)を回避する上で、社外取締役の存在は不可欠であると考えられているのです。また、大陸欧州や韓国のように大株主による集中的な所有構造の下においては、社外取締役は、同族経営者などの支配株主から少数株主を保護するという別の役割を果たしています。日本では、外部(海外)の機関投資家の利害を反映することが社外取締役の主な役割となっています。そのための権限行使方法の1つが取締役や経営者の指名プロセスへの関与なのです。日本で先ごろ起きた対立事例は、伝統的インサイダーの事業継承者としての利害と社外取締役を代弁者とするアウトサイダーの利害の対立です。内部利害者の利益と外部利害者である機関投資家を組み合わせたハイブリッド型の企業統治において、適切なバランスをとるのは困難だろうと思いますが、その緊張関係によっていくつかの好ましい効果がもたらされる可能性もあります。
宮島:2つ目は、日本のコーポレート・ガバナンス・コードの最も重要な原則の1つとして、株式保有の方針説明が企業に義務づけられていることです。この原則は日本企業の所有構造に変化をもたらす上で大きな一歩になると思いますが、株式の持ち合いはかなり解消されてきたとはいえ(図2参照)、依然として日本企業の特徴となっています。将来、日本企業の所有構造はどのようになるべきだと思いますか。
メイヤー:日本では、銀行による株式保有は解消されつつあるものの、企業間の株式の持ち合いは依然として大きな存在となっています。同様にドイツでも、銀行による株式保有は解消されつつあるものの、同族企業による株式保有は依然として大きな存在となっています。株式持ち合いの正当な理由を説明するよう企業に求めることはいいことかもしれません。しかし、結局のところ、株式の持ち合いが長期的利益の実現に必要であると日本企業が判断すれば、この慣行は続けられることになるでしょう。
日本のコーポレート・ガバナンス・コードで長期的な企業業績に力点が置かれているのは適切なことだと思います。企業の長期的繁栄を重視する日本(および他のアジア諸国)の姿勢に合致しているからです。特に企業間における株式持ち合いについては、長期的繁栄を達成するための重要な要素であり続けるだろうと思います。
宮島:次に、「コンプライ・オア・エクスプレイン(遵守せよ、しない場合は理由を説明せよ)」という原則が有効に機能するかという問題についてお伺いします。仮に、すべての企業が自社の特性を無視して、コードに定められたことに従った(コードを遵守した)場合、この原則は生かされない可能性があります。しかし、その一方で、このコードに定められた規則は強制力を持たないので、どの程度実施されるかは、各企業が実施した場合に市場がどう反応するかにかかっています。つまり、改革が期待通り実現される保証はないということです。改革されるべき企業は、機関投資家から圧力をかけられない限り、コードを遵守しようとしないだろうと思われ、このコードの根本的なジレンマになっています。「コンプライ・オア・エクスプレイン」について、日本は英国の経験からどんな教訓を学べるでしょうか。
メイヤー:「コンプライ・オア・エクスプレイン」は、英国コーポレート・ガバナンス・コードの中心的な構成要素と考えられています。これは、規制当局の規則にありがちな指図がましさを回避し、正当な理由がある限りにおいてベストプラクティスとされるものから逸脱する自由を企業に与えようというものです。この原則にはいくつかの懸念事項があります。第1に、逸脱できることになってはいるものの、実際には企業が逸脱しようとせず、結果として、企業が逸脱したがらない規範が確立されてしまう可能性があります。
第2に、「コンプライ・オア・エクスプレイン」は、企業が経営陣に法外な報酬を与えることや、銀行が金融危機時に金融システムを脅かすことになるほどの過大なリスクをとることを阻止することができませんでした。第3に、この原則は、各企業がそれぞれの企業目的の達成に資する企業統治の仕組みを構築する助けにはなっていません。したがって、「コンプライ・オア・エクスプレイン」に関するさまざまな記述を見ても、たとえば、コードの遵守もしくは逸脱が基本的な企業目的の達成にどのように貢献したかを示すようなものはほとんど見当たりません。
このことは日本の状況において特に重要です。企業の長期的発展を追求するためには、株主価値の実現と一見相反する企業統治慣行を採用する必要があるかもしれないからです。株主利益のことしか考えていないアウトサイダー株主の目には、株主利益に著しく反する慣行と映るかもしれません。したがって、「コンプライ・オア・エクスプレイン」の原則は、株主構成が比較的均質な英国のようなアウトサイダー・システムにはふさわしいかもしれませんが、日本のきわめて不均一な企業所有構造にはあまりなじまないかもしれません。
むしろ日本では、企業目的に焦点を絞ったコーポレート・ガバナンス・コードを策定し、企業統治の仕組みがいかに企業目的の達成に実質的に役立っているかを説明するほうが上手くいくかもしれません。先ほど説明したとおり、そのためには、外部から独立した立場で監視と評価を行うアウトサイダー株主の視点と、より長期的な安定をもたらし、内部から監督するインサイダー株主の視点を組み合わせる必要があります。
宮島:アベノミクス導入以降、ここ数年間、成長推進、景気停滞回避、生産性向上を主眼とする経済政策が講じられてきており、企業統治改革も重要政策の1つと位置付けられています。力強い経済の実現に向けて、企業統治はどのような役割を果たすべきでしょうか。
メイヤー:まさにそれこそが企業統治の果たすべき役割です。企業統治に関する議論は、英国や米国に見られるような分散化した株式所有構造の下でのエージェンシー問題や大陸欧州およびアジアに特徴的な株式所有構造の下におけるインサイダー株主とアウトサイダー株主の利害対立をどう回避するかといった株主と企業の関係に関する問題に偏りすぎていたように思います。しかし、株主と企業の関係は企業統治が主要な論点であってはなりません。
むしろ、企業統治が関心事とすべきは、成長、発展、投資、イノベーション、生産性向上をいかに実現し、不平等、貧困、環境問題をいかに回避するかといったことなのです。こうした企業統治本来の目標は、各企業がそれぞれの企業目的を確実に実現できるようにすることによって達成されます。ここで私が「企業目的」と呼んでいるのは、企業が顧客や事業活動を行っている地域のコミュニティの利益を推進する上で成し遂げようとしていることです。顧客とコミュニティに有益な存在であるために、企業は従業員、投資家、サプライヤー、地方および国レベルの公共機関などさまざまな関係者の力を束ねる必要があります。企業が確実にこれを行えるようにすることが企業統治の役目なのです。そして、その過程で、企業統治は、各国のマクロ経済と個々の企業の業績を左右するきわめて重要な役割を果たすのです。
政策担当者は、企業統治と企業レベルおよびマクロ経済レベルのパフォーマンスの間のこうした関係を十分認識してきませんでした。世界各地で企業部門や金融部門の業績が振るわず、企業が環境問題や、格差、貧困といった社会問題に対する配慮に欠けているのは、それが大きな原因です。企業は私たちの生活において最も重要な組織です。それはとりもなおさず、21世紀の技術進歩がもたらす問題を解決し、機会を生かす上で、頼るべきは企業であるということです。
企業統治は、企業と投資家の間をつなぐだけの存在ではなく、企業と経済、社会をつなぐ橋渡し役なのです。企業と投資家をつなぐ役割にばかり目を向けることによって、企業と経済、社会をつなぐ役割を忘れ、企業が経済や社会のために本来果たすべき役割を損ねてきました。私たちはこの失敗を認め、日本をはじめとする国民国家が近い将来に直面する根元的な問題に対し、企業統治が解決の手助けとなるようにしなければなりません。