要旨
WTO(世界貿易機関)は、ある国の工場で作られた製品を海外の顧客に売るという、いわゆる20世紀型貿易の機関としては成果を上げている。しかしながらWTOは現在、「21世紀型貿易」(サプライチェーンの国際化から生じる国境を越えた複雑な流れ)の出現と、これに伴い必要とされる、WTOの枠を超えた規律への対応に苦慮している。地域貿易協定においてこのような規律が出現したことでWTOの求心力は低下した。WTOの将来像は、多元的な世界貿易ガバナンスにあって20世紀型貿易の柱としてとどまるのか、もしくは21世紀型貿易の問題に創造的かつ建設的に取り組む機関になるかのいずれかであろう。
1. はじめに
WTOは、深刻な停滞に陥っているというのが大方の見方である。その証拠に、WTOはドーハ・ラウンドとして知られる多角的貿易交渉の協議を10年も続けながら、妥結に至っていない。しかも、反自由化の流れを全く反映するどころか真逆の方向にあり、深刻な状況といえる。21世紀に入り、それまで何十年も自由化に抵抗してきたインドやブラジル、中国なども含め、WTO加盟国は貿易、投資、サービスの大規模な自由化を進めている。WTOの加盟国は単独で、あるいは二国間、地域レベルでWTOの自由化目標を推進しており、実際のところ推進していないのはWTO内部だけという状況である(図1参照)。
本稿においては、設立当時の貿易に対応するという点においてWTOは成果を上げていると述べたい。現在もWTOへの加盟を希望する国が多いのはこのためである(1995年以降の新規加盟国は29に上る)。しかし、WTOは新しいタイプの貿易、すなわち21世紀型貿易の出現に苦慮している。新しいタイプの貿易は、生産の切り離し(アンバンドリング)と密接に結び付いており、従来のWTOルールをはるかに超えた規律を必要としている。これまで、必要なガバナンスのほとんどは地域貿易協定か、途上国の一方的な「企業優遇」の政策改革を通じて自然発生的に出現している。このため、本当に脅威なのはWTOの破綻ではなく、世界貿易システムにおける求心力の低下と言える。
1)WTOは20世紀型貿易とその基本原則の面では引き続き重要な存在だが、21世紀型貿易にとっては意味を持たない。「次世代」の問題はすべて他に委ねる。
このシナリオの楽観バージョンでは、WTOは引き続き、世界の貿易ガバナンスの複数の柱の1つとしての役割を担い、現状ではその方向に進んでいるように見える。1本目の柱(基本的に1992年のマーストリヒト条約までの協定で合意された規律)を2本の新しい柱が補完し、新しい協力分野をカバーしたEUの3本柱構造はよく知られた成果である(注1)。一方、悲観バージョンでは、進展不足によって政治的な支持を失い、WTOの規律が広い範囲で軽視され始め、いわば前に進まない自転車が転ぶような状況に陥る。
2)WTOは、投資保証などの問題について新たな多国間の規律を提案するか、少なくとも一般的なガイドラインを作成し、地域貿易協定発の新しい規律の一部を多国間に適用することにより、21世紀型貿易の抱える問題に取り組む。
このシナリオには幾つものバリエーションがある。関与の形態として、「情報技術協定」「政府調達協定」等の協定(WTOの一部加盟国のみが規律に調印)に続き、複数国間形式をとる可能性もある。また、ドーハ・ラウンドの政策課題を広げ、地域貿易協定で日常的に検討されている新しい課題を一部取り込むことも考えられる。
本稿では最初に、GATT(関税と貿易に関する一般協定)が多くの成果を上げた一方で、WTOが多くの困難に直面した理由を検証し、次に、21世紀型貿易が出現した理由とその特徴を説明して以上の推論の裏付けを行い、最後にまとめたい。
本稿では、WTOの将来に関する論文によく登場する一般的な問題、すなわち、加盟国の増加と合意に基づく意思決定や、特に中国などのように途上国でありながら大き過ぎて無視できない新興貿易大国の台頭、既存システムにおける農業と製造業の不均衡といった問題の多くを、あえて取り扱っていない。もちろん、どの問題も重要であり、実際、WTOがどのように求心力を維持すべきか考える際には重要だが、WTO問題の根本原因と将来の選択肢を理解する上ではそれほど重要でないと考える。
2. なぜGATTは関税の壁を打ち破れたのか
GATTは世界的な関税引き下げに大きな成果を上げた。これには2つの政治経済学的メカニズムが働いた。「ジャガノート(juggernaut、抗うことのできない力)効果」と「従わず、反対せず(don't obey, don't object)」の原則である。ジャガノート作用は、政治経済学的な関税の考え方に基づく。極端に言うと、GATTは国際協調を通じて機能したのではなく、各国の政治経済学的な影響力を再編成し、関税引き下げが政治的に有利だと各国政府に納得させることによって機能したのである。「相手国が関税を引き下げるなら、自国も引き下げる」というGATTの互恵原則が極めて重要である。これによって政府は、輸入競争産業(保護貿易主義者)と、輸出産業(国内関税に直接関心はないが、海外市場アクセスの向上を図るため、国内の保護貿易主義者と戦う必要性を理解している)の釣り合いをとることができた。つまり、互恵主義によって各国の輸出産業は傍観者から貿易推進派へと変貌を遂げたのである。こうして各国政府は、互恵的な協議が始まる以前よりも関税の引き下げに関心を持つようになった。
一連の互恵的関税引き下げによって政治経済学的な弾みがもたらされ、自由化は数十年間続いた。すなわち、ある国が関税を引き下げると、その国の輸入競争産業は縮小し(保護貿易主義勢力の影響を弱体化)、海外で関税が引き下げられると輸出産業が拡大した(自由化促進主義勢力の増大)。このようにして、各国政府はGATTの次のラウンド(産業構造再編によって政治経済学的な状況が自由化促進の方向へとシフトして5-10年後に開催)でさらに関税を引き下げることが政治的に有利であると理解した。
2つ目の政治経済学的メカニズムは、途上国が先進国の関税引き下げに便乗できたことである(注2)。これはまるで、コンセンサスに基づく多様な巨大組織を、自称「同じ目的を共有する少数の経済大国グループ」が運営するような仕組みである。主にGATT時代の途上国など、市場が小さく、世界的には重要視されない国々はラウンド中に自国の関税引き下げを期待されなかった(注3)。にもかかわらず、GATTの「最恵国(MFN)」待遇の原則によって途上国の輸出産業は大国の関税引き下げの恩恵を受けた。途上国はGATTラウンドの成功に関心を寄せていたが、ラウンドが失敗から得るものは何もなかった。途上国はGATTに対して「従わず、反対せず」のスタンスをとった。もちろん、これはコンセンサス問題を解決せず、回避したに過ぎない。
3. なぜGATTの魔法はWTOに効かないのか?
ジャガノート効果は、20世紀の貿易システムにおいて優位に立っていた国(いわゆるQuadと呼ばれる米国、EU、日本、カナダ)、およびQuadの輸出産業(主として製造業)が関心を持つ製品にはきわめて有効に作用した。1995年のWTO設立までに、Quadの関税率はごく一部の品目(特に農業分野)を除いてかなり低くなった。しかし、Quadの関税率低下とともに熱意も冷めた。GATTは、輸出業界が自国の保護貿易主義圧力と戦う意欲を維持するよう、ウルグアイ・ラウンド(1986年に開始)の交渉議題を拡大した。知的所有権(IP)の保証、投資規制の使用に関する規律、サービス市場の自由化といった議題が追加された(それぞれTRIPs協定、TRIMs協定、サービス協定として知られる)(注4)。交渉議題のバランスをとるため、途上国が関心を持つと考えられていた農業・繊維分野の障壁問題も議題に追加された。
交渉議題の拡大によって問題が生じた。途上国がTRIPs協定、TRIMs協定、サービス協定の規律を受けずに、MFNによる農業・繊維分野の関税引き下げの恩恵を受けられたはずの「従わず、反対せず」原則の適用との間に矛盾が生じたのである。つまり、コンセンサス問題はもはや避けられず、直接解決せざるを得なくなったのである。
ウルグアイ・ラウンド終盤の戦術により、「従わず、反対せず」という「アメ」は「一括受諾方式(シングル・アンダーテイキング)」の「ムチ」に取って替わった。すなわち、ウルグアイ・ラウンド最終パッケージでは新機関であるWTOが設立され、「交渉の余地の無い(take-it-or-leave-it)」加盟原則が提案された。先進国も途上国も、交渉に積極的に参加しなかった国も含め、すべての加盟国がウルグアイ・ラウンドの合意すべてを一括パッケージとして受け入れることが義務づけられた(注5)。途上国がただ乗りできる時代は終わった。一括受諾方式を執行するため、GATTの紛争処理手続きの柔軟性は大幅に低下した。「紛争解決に係る規則および手続きに関する了解(DSU)」として知られる新しい裁定手続きは、全加盟国に適用された。
端的にいって、ウルグアイ・ラウンドの最終戦術はGATTの勝利の方程式を不安定にしてしまった。途上国も「従わなければならなくなった」ため、自国の利益を脅かす事案には反対するようになった。一括受諾方式と紛争処理手続きの厳格化により、WTOの意思決定は、コンセンサス、普遍的ルール、厳格な執行という「不可能の三位一体」を抱えることになってしまった(注6)。WTOのドーハ・ラウンドの交渉がGATTのラウンドよりはるかに困難な一因といえる。
4. 国際貿易の性格の変化:生産のアンバンドリング
GATTの勝利の方程式が無くなり、貿易自由化の流れに急ブレーキがかかったと思われるかもしれないが、そうではなかった。1990年代、世界貿易と自由化の政治学が劇的に変化したからである。その原因は情報通信技術(ICT)革命であるが、分かり易くするため、若干の背景説明をしたい。
4.1 2つのアンバンドリングによるグローバル化
自然な貿易障壁、また人為的な貿易障壁が段階的に削減することによってグローバル化が進展するという向きがあるが、大きな誤解である。グローバル化は、蒸気機関によって輸送費が大幅に引き下げられた時点で一足飛びに進んだ。ICTによって組織化のコストが激減したときも、大きく前進した。この2つをグローバル化の第1次アンバンドリング、第2次アンバンドリング(切り離し)と呼ぶ。まず、第1のアンバンドリングをみてみよう。
大型帆船と駅馬車が最先端だった時代、海外に輸送して利益を得られる品目はわずかだった。生産地は消費地の近くである必要があった。どの村も地産地消が基本だった。蒸気機関の登場は輸送費を劇的に削減し、この状況を一変させた。その結果、「第1次アンバンドリング」、すなわち生産と消費の空間的切り離しが生じた。GATTのルールはこのタイプの貿易、すなわち、ある国で生産され、海外の顧客に販売される財の貿易に必要な国際的規律を提供しようというものだった。
しかしながら、第1次アンバンドリングは矛盾を生んだ。生産が国際的に分散しても、結局は工場への集約化、すなわちクラスタリングが生じたからである。矛盾の解消には3つのポイントがある。(1)安い輸送は大量生産に有利である、(2)このような生産はかなり複雑な場合が多い、(3)距離が近くなれば複雑な調整コストは低くなる。複数の生産区画を持つ定型的な工場を考えるとよい。製造工程の調整には、モノ、人、研修、投資、情報という生産区画間の継続的で双方向の流れが必要になる。生産性を向上させる変革は製造工程の流動性を維持し、この流れを途絶えさせない。
近接性によるコスト削減は通信にも関係する。ICT革命によって「組織化の足かせ(coordination glue)」が弱まり、生産工程の一部を空間的に分離、つまり工場の空間的アンバンドリングが可能となった。生産工程の一部は労働集約型であったが、先進国の企業はその工程を低賃金国に移転し、コストを削減した。これが第2次アンバンドリングである(注7)。
第2次アンバンドリングは、かなり単純な理由で国際貿易を変貌させた。海外移転は、上述したモノ、人、研修、投資、情報という生産区画間の双方向の流れを国際化したのである。つまり、国際貿易は以前よりはるかに複雑で多様な21世紀型貿易を出現させたのである。この新しい貿易の核心を、私は「貿易・投資・サービス・知的財産(IP)結合体」と呼んでいる(注7)。具体的にこの結合体は次に挙げる結びつきを反映している。(1)部品の貿易、(2)生産施設、主要な技術者・管理職、研修、技術、長期的取引関係などの国際的な投資の移動、(3)生産分散化を調整するためのサービス需要。
20世紀において貿易システムは主に「需要サイド」にとって重要な意味を持っていた。つまり自国企業が国内で生産した製品を海外で売ることを促進した。21世紀においては「供給サイド」にとっても重要な意味を持つ。国際的なサプライチェーンを通じ、企業が迅速かつ低コストに製品を生産できるようにする。
4.2 貿易障壁の本質と貿易政策の変化
貿易・投資・サービス・IP結合体が出現し、貿易において新しい2つのことに関わる必要性が生じた。つまり、工場間のつながりと海外での事業展開である。このため、GATT時代には貿易問題と考えられていなかった状況に関するルールが必要となった。
- 工場間を結ぶには、事業に関わる資本フローの確保、世界クラスの通信、空輸、翌日配達便、通関業務、経営者と技術者への短期ビザ、インフラ(港湾、道路、鉄道、電力の安定供給など)が関わってくる。もちろん、関税その他の国境措置も重要である。
- 海外での事業展開にはかつての国内政策、つまり、あらゆる種類の国境内の障壁が関係してくる。たとえば競争政策や財産権、居住権、国有企業の活動、知的財産の保護、投資家の権利の保証など、海外での事業展開において重要である。
この新たな世界では、結びつきを妨げる政策はすべて貿易障壁なのである。
第2次アンバンドリングは、自由化に新しい命を吹き込んだ。途上国は産業の海外移転による雇用と技術を必要とし先進国の企業は低コストの労働力を求めていた。両者はともに、貿易・投資・サービス・IP結合体を下支えする規律を強く求めた。その結果、「奥行きのある」地域貿易協定と途上国による一方的な企業優遇の改革が進んだ。図1にその結果を示す。WTOのドーハ・ラウンドの停滞が、世界の貿易自由化を遅らせることはなかったのだ。
自由化の政治経済学も変化した。それは、「相手国が市場を開放するなら、自国の市場を開放する」という(互いの市場へのアクセスの交換)ジャガノート作用ではなく、「外国の工場と国内の改革」の交換を基本とする互恵的取引である。途上国は、先進国のサプライチェーンに加わり、工場と雇用を確保することの引き替えに、あらゆる種類の国境内障壁を改革しようとしている。
WTOの求心力は低下した。新しいルール作りは、WTOを素通りして二国間取引に移行した。途上国が米国やEU、日本の工場を誘致したければ、各国政府・機関と直接協議をすればよいからだ。
もちろん、今でも20世紀型貿易は存在しており、一部の物品(一次産品など)と一部の国(中南米とアフリカでは国際的なサプライチェーンは依然、一般的ではない)では重要である。しかし、今日の貿易で最もダイナミックな側面は、国際的なバリュー・チェーンの発展である。
5. まとめ
20世紀型の貿易と貿易問題については、WTOは健在である。
- 基本的なWTOのルールは概ねどこでも高い評価を受けている。
- WTOの裁定は概ねどこでも受け入れられている。
- ロシアのような強大国でさえ、WTO加盟のために高い政治的代償を支払う意欲があるようだ。
- 世界金融危機は保護貿易主義の圧力を生んだが、新たな保護の大半はWTO規範の文言に一致していた(Evenett 2011年)。
一言でいうと、WTOは健在であり、WTOが対応すべく設計された貿易と貿易障壁、いわゆる20世紀型貿易(ある国の工場で生産された製品を外国の顧客に販売)に関しては成果を上げている。
しかし、21世紀型貿易については、WTOの未来は明るいとは言えない。貿易・投資・サービス・IP結合体を統治する新しいルールと規律を求める声は、WTOの外で形成されつつある。途上国は、一方的な関税の引き下げと(特に中間財)、貿易・投資・サービス・IP結合体に対する国境内障壁の一方的な削減を急ピッチで進めている。こうしたことはすべて、世界貿易システムにおけるWTOの求心力を大幅に低下させてしまった。
示唆するところは明白だ。WTOの未来は、20世紀型貿易という脇道に逸れたまま主役の座から下りるか、21世紀型貿易の下支えに必要な新しい規律作りに建設的、創造的に関わっていくかのいずれかである。