近年、社会に出た後の学び直しについての関心が高まっている(注1)。しかし、OECD(2014)によれば、日本は成人の教育参加率が低く(OECD平均の51%に対して、日本は41%)、特に公的教育機関を通じたformal educationの参加率が極めて低い(pp.399-404)。以下では,生涯学習やリカレント教育がその後の所得や賃金率に与える影響について分析した研究を紹介する。
まず、Blanden et al. (2012) は、社会人になった後の資格の獲得が賃金率に与える影響を、英国の家計パネル調査(1991-2006年)を用い、固定効果モデルによって分析した研究である。ここでいう資格とは、義務教育レベルから大学院卒レベルまでを1-5で表したNational Qualifications Framework (NQF) と、職業に関する資格であるNational Vocational Qualifications (NVQ) のことである。すなわち、社会人として働き始めた後に、学業や職業に関する資格を獲得することが、その後の賃金率を上昇させるかを検証している(注2)。ここで注意が必要なのは、資格獲得後に賃金率が上昇していたとしても、それが必ずしも資格獲得による効果とは限らないということである。たとえ資格を獲得していなくても、その後の賃金率は上昇していたかもしれない。彼らは、資格を獲得する前の収入パターンをコントロールすることで、この問題に対処している。分析の結果、まず男性については、資格の獲得後に賃金率は上昇しているが、それはもともと賃金率が上昇している経路の最中に資格を獲得したに過ぎず、因果効果は確認されなかった。一方、女性については、資格を獲得する前の収入パターンをコントロールしてもなお、賃金率の上昇が確認された。特に資格を獲得して4-5年後の増加が大きく、5年後までの効果を足し合わせると、10.3%の賃金率の上昇効果があった(注3)。男性よりも女性の方が学習の効果が大きいという結果は、先行研究にも一致するものであった。彼らは、男女によって効果が異なっていた要因として、女性の方が、資格が求められる職業に就いている割合が高いことや、より低技能の状態から学習を始めることなどが挙げられるのではないかと考察している。
高等教育機関によるリカレント教育の効果については、米国のコミュニティカレッジの教育効果を分析したJepsen, Troske and Coomes (2014) が参考になる。米国におけるコミュニティカレッジとは、その地方の住民に対して、安い学費で高等教育や職業訓練を提供する2年制大学であり、生涯教育を提供する場としても機能している。彼らは、2002年夏から2004年春にコミュニティカレッジに入学した学生のパネルデータを用いて、修了証明書の取得が所得に与える影響を分析している(注4)。その際、最初の学期の時点で20-60歳であった学生を対象にし、さらに、卒業後に4年制大学にそのまま編入した者を除いている。これは、コミュニティカレッジに入学する前の期間も卒業後も働いていた者を主な対象にするためである。これにより、分析結果はリカレント教育の効果であると解釈できる。基本的な枠組みは、いずれかの修了証明書の取得者と、入学はしたがいずれの修了証明書も取得せずに学校を離れた者とを、さまざまな要因をコントロールした上で比較する、差の差分析である。また、モデルには、個人の固定効果を表すダミー変数を含めている。分析の結果、1年以上の履修を必要とするコースの修了証明書を取得することで、四半期の収入(2008年換算)が、男性で約1200-1500ドル、女性で約1900-2400ドル上昇すると推定された。
コミュニティカレッジは高等教育レベルのリカレント教育であるが、スウェーデンでは1997年から2002年にかけて、失業者に対する義務教育から中等教育レベルのリカレント教育が、政府主導のプログラムとして提供された。Stenberg and Westerlund (2008) は、このプログラムにおいて、後期中等教育が長期間失業者のその後の所得に与えた影響を、傾向スコアマッチングによる差の差分析を用いて分析した。これは、プログラム参加者のグループと非参加者のグループの間で、統計的に属性の似通ったサンプルを集め、その比較を行うという手法である。ここで推定されているのは、プログラム参加者のグループにおける参加後の平均所得が、もし参加していなかったと仮定した場合に比べてどれだけ上昇したか、という数値である(注5)。分析の結果、男性で約14%、女性で約23%の年収の上昇が確認された。また、女性は年齢による効果の違いは確認されなかったが、男性は高齢層に対してより大きな効果が確認された。この研究では、リカレント教育プログラムが所得に正の効果を与えたという分析結果が得られた一方で、同じプログラムについて、効果が確認できなかった、あるいは小さな負の効果が確認された、とする先行研究がある。彼らはこの違いについて、この分析では長期間の失業者に対象を絞ったことが要因ではないかと推察している(注6)。
日本では、学び直しの効果を分析した上述のような研究はほとんど行われておらず、実証分析が進むことが望まれる。また、リカレント教育や生涯学習に関する政策について議論するに当たっては、このような定量的な分析では不十分であることにも注意が必要である。今回取り上げたBlanden et al. (2012) やJepsen, Troske and Coomes (2014) は、資格や学位と言った目に見える形での教育や学習が、その後の賃金率や所得に与える影響を分析したものである。しかし、リカレント教育や生涯学習において、このような資格や学位の獲得はその一部分に過ぎない。また、リカレント教育や学び直しを経済産業政策として取り上げる場合、期待されるアウトカムとしては、生産性の向上やイノベーションの創出が挙げられる。従って、アウトカムとして賃金率や所得を用いるだけでは、政策の根拠としては不十分である。このように、リカレント教育や生涯学習に関する政策の効果を、定量的な分析のみによって評価するのは難しい。上述のような実証分析に加えて、例えば事例研究を行うなど、他の手法を用いた政策の評価も求められる。