第33回──RIETI政策シンポジウム「日本企業のグローバル経営とイノベーション-グローバル経営の強みと今後の課題-」直前企画

国際展開の進みゆく研究開発

浅川 和宏
ファカルティフェロー/慶應義塾大学大学院経営管理研究科教授

経済のグローバル化、知識経済化の進展の中で、世界的な競争を勝ち抜くための日本企業のグローバル経営の在り方が問われています。RIETI政策シンポジウム「日本企業のグローバル経営とイノベーション-グローバル経営の強みと今後の課題-」では、日本企業が業務のグローバル展開にあたり、イノベーションチェーンと供給チェーンの最適地をどこに求め、最適資源を経営プロセス上でどのように組み合わせることで、グローバルにダイナミックな競争力を確保できるかについて、国内外の事例を取り上げ、諸課題について議論します。本コーナーでは、シンポジウム開催直前企画として浅川和宏ファカルティフェローに、R&D国際化の要因、企業の本社と海外のR&D拠点との関係、知的所有権の問題、イノベーション・システム整備のための課題等について伺いました。

RIETI編集部:
研究開発(R&D)の主要拠点を本国・本社だけでなく、海外にも置く企業が近年増加しているのはなぜですか。

浅川:
企業がR&Dを国際展開する背景としては、なによりも近年知識・技術が国際的に分散、流動化してきたことがあります。したがって、企業は既存のイノベーション・クラスター内で安住していられなくなりました。いくら自国に競争力がある分野であっても、国内にあるリソースのみを活用してグローバルな競争優位を構築するという手法に限界が出てきています。それに加えてマーケットの国際化も著しく、産業によっては嗜好の地域分散も進行中です。

そもそも企業がR&Dを国際展開する論理は何でしょうか。第1に、マーケット志向の論理があります。現地マーケット・ニーズへの適応力を高めるためにはR&Dも現地化する必要がある、という考え方です。

第2に、サプライ志向の論理があります。これは現地特有の知識、ノウハウ、優秀な人材、原材料、そして更にはサプライヤー・ネットワークといった、現地ならではのリソースの確保のためです。

第3に、戦略志向の論理があります。つまり、企業としてのコンピタンスを構築するためには、世界中に分散する経営資源を総動員しながら学習、活用することが不可欠となったわけです。

第4に、組織志向の論理です。海外現地国にR&D拠点を置くことにより、その国の現地子会社の従業員のモラール・アップにつながることも指摘されています。また海外企業買収の際、被買収企業にとっての誇りであるラボを不用意に閉鎖することで現地従業員のモラールダウンにつながった事例もあります。

そして最後に対ホスト国政府の論理があります。補助金、節税対策などといった優遇策が現地国政府から提供されることがありますが、そうしたインセンティブはR&D投資先選択の重要な基準となります。

以上、R&D国際化の論理を整理しましたが、このような動きに対しては数々の懸念も提示されてきました。やはり、R&Dを各国分散することにより、R&Dの規模の経済性が失われる、という点、そして各R&D拠点間の調整コストがかさむ点、とくにアジアなど新興地域の海外ラボにおいて機密知識が漏洩するリスクがある点、などです。こうした負の側面も我々は忘れてはならないと思います。

RIETI編集部:
浅川先生の研究ではR&D国際化のケースとして資生堂が挙げられていますが、このケースの主要な成功要因は何でしょうか。香水づくりの地として有名なグラース(Grasse、南仏)ではなく、ジアン(Gien)やバル・ド・ロワール(Val de Loire)に香水工場を設立したのはどのような理由によるのでしょうか。パリから比較的近いという地理的利点とも関連がありますか。

浅川:
このケースは自国に優位性がない分野で企業がグローバルにとるべき戦略を示唆していると思います。また、ここではR&Dといっても製品開発に関する話になります。ここで何が成功かといえば、いわゆる香水後進国日本に文化的基盤を置く資生堂が世界の主要香水メーカーと競える製品を開発し、市場投入したことでしょう。その秘訣は、香水ビジネスにおける自国の環境劣位を克服するため、本場フランスに拠点を置き、現地でインサイダーとして評価を受けることに成功するとともに、それをばねとして更に世界展開を進めたことでしょう。

より具体的にいうと、第1に、資生堂は自国の環境劣位を逆手にとって、優れた香水ビジネスのノウハウを海外から謙虚に学んでいった点。第2に、各機能活動を最適地に配置したこと。たとえば本部、マーケティングはパリ、香水工場はロワール川流域一帯の産業クラスター内にあるジアン、基礎研究は横浜、というように世界最適地を拠点に選んだこと。第3に、デザイナーズブランドをアウト・オブ・資生堂ライン(OSL)として資生堂ブランドから区別し、現地に徹底した自律を与えた点。第4に、現地子会社には権限委譲しつつも、製品開発に必要な社内調整を頻繁に行った点。たとえばOSLの香水製品を扱う現地子会社BPIでは、その製造を担当するロワール川流域の工場や資生堂本社との間のコミュニケーションが重視されています。こうしたことが成功の秘訣と考えます。

ご質問の南仏グラースは香水の調香で有名ですが、資生堂がロワール川流域を香水工場として選んだ理由は、この周辺が香水産業の集積となっていること、そしてBPI社の香水製品の生産を担当していることからも、パリからそう離れていないことのメリットが挙げられるでしょう。

RIETI編集部:
浅川先生の論文Organizational tension in international R&D management: the case of Japanese firms (2001)によると、多国籍企業の本社と海外のラボ(R&D拠点)の間には情報共有についての認識にギャップがあり、その緊張関係はR&Dの国際化が進むにつれて進展するそうですが、海外ラボが最も発展している企業はどのように対処してきたのでしょうか。

浅川:
R&Dの国際化には本社と海外ラボ(R&D拠点)の間の組織緊張が伴うことはこれまであまり注目されてきませんでした。組織緊張には大きく分けて海外ラボに対する自律と統制に関する組織緊張と、本社と海外ラボとの間の情報共有に関する組織緊張がありますが、私が90年代後半に日本企業のR&D国際化に関して行った調査では、とくに情報共有の側面における緊張関係が本社と海外ラボの間で顕著でした。

R&Dの国際化には分散期と統合期の段階があり、特に基礎研究(R)の場合、海外ラボ設立後しばらくは現地特有の創造的活動を推奨されることもあり、多くの場合本社はあまり海外ラボに情報介入しません。この「分散期」段階では現地ラボは自由を満喫できますが、本社からの情報が隔離された状態が続くにつれ現地側からの不満が生じることもあります。やがて「統合期」段階に入り、現地ラボによる成果の本社への貢献が期待されるようになると、現地ラボは本社側のニーズに関する情報不足に、そして本社側は現地ラボによる本社側が期待する成果に対する理解不足に悩まされることがよくあります。「分散期」において長らく情報隔離された自由を享受していた現地ラボにとっては、成果貢献するためには本社からより多くの情報が必要になります。しかしその一方で過度の情報を本社から受けることは、本社による統制が増す危険性も伴い現地側は嫌います。

そこでご質問の点ですが、R&D国際化が進み「統合期」に至った企業の多くは、適度な現地の自律性を保ちつつ最大限の情報共有を実現しうるよう工夫しています。論文では"semi-connected freedom"の状態と呼んでいるのですが、そのような状態にもっていくために日本企業の先進事例においてはいくつかの対処をしています。たとえば第一に、人的交流の頻度を増し、相互理解を促進すること。第2に、一部の人々が本社と海外ラボの仲介役(ブローカー)を演じ、お互いの情報を適切に「翻訳」して伝達すること。第3に、双方への訪問は双方の独自性が失われない程度の短期ベースで行なうこと。第4に、人的交流はできるだけラボ全体というよりプロジェクトベースで行うことにより、ラボ自体の自立性、独自性は保持できるようにすること。このような工夫が多くの企業でみられました。

RIETI編集部:
浅川先生の著書『グローバル経営入門』(日本経済新聞社 2003)で、研究開発のグローバル戦略における重要な経営課題として着目なさっている「知的所有権の問題」について、具体的にご説明ください。

浅川:
企業がR&Dを国際展開するということは、当然知的所有権のリスクにさらされることを意味します。知的所有権の保護といった法的整備なくしてはその国でのR&D活動はできません。R&D投資先決定においては、知的所有権保護不整備の国を回避する、ということは鉄則とされ、こうしたリスクゆえR&Dを国内に集中する例も少なくありません。

この分野の研究者がいろいろな実証研究を行ってきました。これまでの結果を概観しますと、総じて知的所有権保護のしっかりしている国をR&D投資先に選ぶ傾向にあります。中国をはじめとする新興国においてこそ知的所有権保護が不可欠だという意見が大勢を占める一方、途上国においては知的所有権保護のレベルはあまり関係ないという結果も出されています(たとえば最近ではSanyal 2004)。後者の場合、おそらく先進国並みの高度な知識創造を行わない場合にはそれよりもむしろ市場確保の方が重要だという判断もあるのかと思います。

また、進出国の知的所有権の保護体制は、海外R&Dパートナーシップのあり方にも大きく関わっております。世界規模で多様化・加速化する技術革新のもと、どんな企業でもR&Dを自前で行うことはますます困難になりつつあります。とくに不慣れな国では現地パートナーとのR&D提携が重要な場合も多いのですが、問題は知的所有権の保護体制の弱い国ではどのような形がとられるかという点です。Haagedoornを代表とするマーストリヒト大学の研究者グループが最近このあたりの実証研究を行っています(Haagedoorn et al. 2005)。彼らによると、知的所有権保護の弱い国において、企業は現地パートナーと資本関係を結んだR&D合弁を好む傾向にあるそうです。これは資本関係にない契約関係と比べて不確実性をより削減することができるという意味で、今までの内部化理論や取引費用理論の考え方と一貫性があり、理解できます。しかし、このような実証研究は意外に新しく、結論付けるまでには更なる検証が必要となるでしょう。

RIETI編集部:
イノベーションに対するインセンティブを強化するうえで知的所有権の保護は極めて重要であり、中国は外資誘致を促進させるためにもその保護に積極的に取り組んでいます。日本政府がイノベーション・システムを整備するためまず取り組むべきことは何だと思われますか。

浅川:
日本を中国に負けないように外国企業にとって魅力的なR&D投資先とするためには、なによりも日本のイノベーション・システムが海外に対しオープンで参画するチャンスとメリットが大きいことを示す必要があると思います。そのためには、日本から海外に出すと同時に海外から優秀な研究者や学生をたくさん国内に受け入れることが重要でしょう。大学・大学院にも海外からのR&D人材養成のためのプログラムを整備し(あるいはそれを目的とした世界レベルの大学院を国内に設置し)、奨学金制度の充実などをはじめ積極的に支援していくことが求められるでしょう。また企業側にも外国人研究者・エンジニアを受け入れる体制を整備するよう働きかけるべきでしょう。そして、彼らを受け入れるための諸条件(たとえば生活環境、在留資格、在留期間、社会保障など)を整えることが急務でしょう。そうしたインフラ整備が整えば、日本により多くの優秀な研究者やその卵が滞在し、日本企業との特許の共同登録や日本人研究者との学術論文共同執筆などももっと増えるでしょう。さらに、肝心のコミュニケーションがとれなければ何をやっても先には進まないでしょうから、当然R&Dに携わる人々の英語力強化にも力を入れる必要が出てくると思います。

取材・文/RIETIウェブ編集部 木村貴子 2006年1月24日

2006年1月24日掲載

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