インド・中国への高まる関心
多くのグローバル企業がR&D活動をアジア新興諸国に展開している。なかでもインド・中国への関心が特に高い。2004年に行われたEconomist Intelligence Unitの調査では、今日のR&Dホットスポットとして中国、インドが米国と並んで筆頭に挙げられている。また、McKinsey & Company, Inc.が2004年に世界企業の上級管理職対象に行った調査では、欧米企業の上級管理職の間ではR&D投資先としてインドの評価が高いのに対し、アジア太平洋地域の企業に限定すると逆に中国人気が上回っている。概して欧米企業の方が日本企業よりもインド・中国での高度な研究開発活動の展開に意欲的だ。
先進国のR&D投資が多いのはインドではIT、通信、自動車、医薬品・バイオなどの業種、中国ではPC、通信業界を中心に化学、石油化学、医薬品・バイオ、自動車、輸送などの業種である。また、投資企業の国籍に関する傾向としては、インドでは欧米企業が多くを占め、アジアでは韓国企業が積極的だ。中国では米国企業を筆頭に欧州、日本と続く(Bowonder and Richardson 2000; Gassmann and Han 2004; von Zedtwitz 2004)。
中国は模造品問題、知的財産権保護の未整備といった問題を抱える一方、単なる低コスト製造から脱し、高度な技術開発とそのビジネスへの応用を志向している。他方インドは高度な科学技術力を背景に単なるITソフト分野の業務委託からより高度な知識業務委託の対象へ急速にシフトしているが、その一方で国家軍制のなごりでR&Dの商業化への関心は薄い一面もある。(注)
先進国における定説とインド・中国の現状
インド・中国へのR&D展開に際し、先進国の企業はこれまでの経験をどの程度活かすことができるのか。我々の調査では、先進国でのR&D投資に関する常識がインド・中国では必ずしも当てはまらないことがわかった(Asakawa and Som 2005)。
第一に、R&D投資はコストと便益を慎重に検討したうえで漸進的に行い、特に知財保護不整備の国を回避する、という通説に対し、多くの欧米企業がすでにインド・中国で大規模R&D投資を行ってきた。知財保護の問題を抱える中国でもHoneywell International Inc.、Dow Chemical Company, Inc.、Nokia Corporation、Siemens AGをはじめ多数企業がR&Dに積極投資してきた。インドでもOracle CorporationやGeneral Electric Companyなどを筆頭に、Texas Instruments Incorporated、Siemens AG、Motorola, Inc.など多数が大規模R&D投資を積極的に行っている。今後の急成長を見込んでここでは明らかに将来の可能性が投資の判断基準となっている。
第二に、海外R&D拠点の役割は一般的には「親会社からの技術の受け皿」から「独自開発拠点」へと進化するが、現地が途上国ほど進化には時間がかかる、という通説がある。しかしインド・中国では、新興国にも拘らず、拠点の役割が極めて短期間に急成長する可能性がある。その背後には、米国からの大量帰国者の採用によるR&Dレベルの向上、欧米企業の本部からの積極的技術支援によるR&D能力の向上、といった特殊事情がある。
第三に、探索型基礎研究は専ら先進諸国で、開発は途上国でも一部可能という通説がある。これはソウル大学のSong教授が最近行った、自国と現地国との相対的技術力の程度が技術ソーシングの重要な決め手であるという実証結果とも一貫している。しかしはるかに技術水準が高い欧米先進国の企業が部分的ではあるがインド・中国でも基礎研究を展開し始めた。
第四に、海外R&D拠点が十分な知識創造を行うためには、本社から高い自律性を与えられ現地コミュニティーとの間の信頼関係をベースに社外とのナレッジ共有をはかる必要がある、という通説がある(Asakawa 2001)。しかし、特に中国の場合、知財権保護の観点から安易な信頼はかえって問題の基となることもある。そこでは「信頼」のもつ意味を再定義せねばならない。
インド・中国に対する固定観念と最近の変化の兆候
インド・中国のR&D環境は急速に改善し、従来からの固定観念も一部見直す必要がある(Asakawa and Som 2005)。しかし多くのアジア企業自身が自ら固定観念の罠にはまり、アジアでの可能性を過小評価することも多い(DeMeyer and Garg 2005)。
たとえば、高度な技術開発は常に海外先進国で行われるといった固定観念がアジア企業内に根強い。しかし実際はインド企業が欧米企業との間のR&D提携で主導的役割を演ずる場面が少なくない。GlaxoSmithKlineはインド最大の医薬品会社Ranbaxy Laboratories Limitedとの提携を通じ共同研究を行っている。同様に中国でもHenkel KGaAをはじめ多くの欧米企業が中国の大学との共同研究を積極展開している。そして現にAdobe Systems Inc.やNokia Corporationはインドや中国で開発したいくつかの製品を世界展開し成功を収めている。
また、アジアのR&D人材は欧米より劣っている、といった偏見もアジア企業内にある(DeMeyer and Garg 2005)。しかし欧米企業側は必ずしもそうは思っていない。インドではAdobe Systems Inc.のインドにおけるトップエンジニアの半数がインド工科大学(IIT)出身であり、その主要製品PageMaker7.0はインドで開発された。また中国でもHoneywell International Inc.が上海ラボにおいて現地R&D人材の積極的登用策を行っている(China Chemical Report、 Feb 16/26:5)。Nokia Corporationは北京に自社内にポスドク・プログラムを立ち上げ、現地人材の発掘と研修に熱心だ。
更に、インド・中国のバイオ・医薬品分野はIT、ソフト、サービスに比べまだ弱いとも言われる。しかし両国のレベルは急上昇中である。インドではNational Chemical Laboratories、DuPont、Dow Chemical Company, Inc.、General Electric Companyなどが積極投資している。中国でもHoffman-La Roche Ltd.が最初の開発センターを上海に(2004年)設立し、GlaxoSmithKlineその他がそれに続いた。経験豊富なDuPont社によれば、中国の化学分野の研究レベルはすでに相当高いという。
特殊性を意識しつつ新興国から学ぶ姿勢
このように、インド・中国でのR&D展開に際しては、1)盲目的にただ先進国流のR&Dマネジメントに関する常識を押し付けても通用しない、2)その反対にインド・中国に対する独特の固定観念も根強く、それらを解凍せねばならない、3)その上でいかに現地の強みを最大限引き出すかが肝心である、という点を再確認することが重要ではないか。最近グローバルR&D展開において欧米からアジアへのシフトがみられる日本企業にとって、このような作業は不可欠であろう。
イノベーションの芽が世界に分散し、流動化する傾向にある今日、先端技術が先進国のみに偏在し続けることはありえない。新たなナレッジがアジア新興国から生じても決して不思議ではない。グローバル企業のこれからのR&D戦略は、単に先進国内の複数拠点で先端研究を行うだけでは不十分だろう。新興国の特殊性を十分に理解しながら、そこからも高度なナレッジを発掘する姿勢と仕組みづくりが重要だ。世界規模で分散傾向にある重要な知的資源を世界中でアクセスし、社内で融合し、戦略的に活用することができる「メタナショナル企業経営」(Doz, et al. 2001)の実現のためには、なによりも企業トップが自国の競争優位のみに立脚した戦略に固執せず、世界中で優位性を確保することの重要性を認識し、知識ブローカーが社内・社外を問わず世界中で十分に活躍しうる企業風土の確立が必要であろう。