第18回

「RIETIという実験」を振り返って

青木 昌彦
所長・CRO

2001年4月以来3年間にわたり、RIETIの研究活動を支えた所長兼CROの青木昌彦が、2004年3月31日をもって退任します。「フェローに聞く」では、青木所長の3年間の研究活動、「RIETIという実験」の総括インタビューをお届けします。

RIETI編集部:
青木先生、まずは3年間お疲れさまでした。今日は青木先生が行ったこの3年間の「RIETIという実験」を総括したいと思っております。まずは、いろいろなところで執筆されたり、お話されているので重複になるかとは思いますが、先生がRIETIをどのように設計し、どういった事を目指されたのかについて教えて下さい。

青木:
基本的に目指したことは、折に触れこれまでも述べてきたことですが、官民学の知恵を持ち寄って、その自由なインタラクションの中から、日本の中長期の制度・構造改革に関する斬新な政策提言が行えるような「場」を作りたいということでした。RIETI設立の時には、関さんのような香港出身の在野の研究員や池田さんのように個性あふれる研究者、NGOをやってきた菅谷さん目加田さん、30年あまりのビジネスコンサルタント生活を引退した横山さんといったように、行政の外から研究者をリクルートすることに意をもちいました。これらの方々の中には、私と同時に退任される方も多く、残念の極みですが。また、経済産業省からも優秀な研究者がこられ、コンサルティングフェローという形で財務省や外務省の方にも来ていただき、いろんなノウハウを持っている人が集まって議論できたことは私自身楽しかったし、すごく勉強になりました。これからまた研究生活に帰ろうと思っていますが、この3年間の経験は学界では得られないものでした。

それから「RIETIという実験」にも書いたことですが、逆に言えば、2つのことを避けようと思いました。1つはRIETIという研究者の顔の見えない集団名で研究発表をするのではなく、研究員には個人の責任に基づいて個性のある研究を模索してもらいたいと考えました。そうすることによって、研究のテーマや内容について政治的干渉を避けることができたし、質の高い、個性的な研究が出来たと思います。またそういうプラクティスを経て、霞ヶ関に於ける行政官の方たちの新しいキャリアパスの磨き方のお役にも立つのではないかと考えました。
もう1つは、所長が一枚看板になってはいけないということです。私自身も、自分が関心を持った研究プロジェクトは積極的に参加しましたが、それはあくまでも沢山あるプロジェクトの1つです。所長は全知全能ではないし、研究プログラムに多様性を持たせるためにも、できるだけ沢山のスターがそれぞれの分野にいることが重要だと考えたのです。ですから、私の役割は、むしろお茶の世界で言うような「しつらい」にあると思っていました。ウェブでのヒット数のランキングを見ても多彩な人たちが上位を占めています。

RIETI編集部:
そういった設計のもとにあらわれた成功例についてお伺いします。たとえば官民学のシナジー効果がよく表れた例として、先日行われた財政シンポジウムなどが挙げられますが。

青木:
官民学のシナジー効果として財政シンポジウムは非常にうまくいった例だと思います。現在の財政危機は、もはや予算のプライマリーバランスをどうするかとか、構造改革が先か景気が先か、税との関連抜きで社会保障制度をいかに改革するか、などといった次元では解決できない問題になっています。なぜ予算膨張がとめどないのかということを考えると、官僚組織における予算獲得インセンティブはなぜ強いのか、族議員というものがなぜ出てくるのかという政治経済学的なコンテキストを考える必要があるし、あるいは予算を一種のマネジメントシステムとして考えると、ビジネスマネジメントのノウハウから学びうることもあるのでないか、などなど、多様な角度から考える必要性があります。しかも、予算、税、国債、地方財政、社会保障などの諸制度は相互連関、相互補強しています。私の専門である比較制度分析ではこういうことを制度的補完性といいますが、いろんな制度が相互連関しているとすると、単に個々の分野で改革を独立して設計することの意味はあまり無い。財政のプロジェクトでは、相互連関の構造を1年以上かけて議論していく中で、さまざまな分野の研究者のあいだで、問題を共有していくことができた。その中からシナジー効果が自然と成長してきた。以前から私は研究活動には個人の顔が重要だと申し上げてきましたが、3年目になってようやくグループとしての成果も出てきた。今後はこういう研究のやり方も発展させたらいいと思います。

それからANEPRという試みもよかったと思います。アジアに於ける行政官や研究者、それにテーマによっては必ずしもアジア専門家ではないアメリカやヨーロッパの研究者を招いて議論する場を提供し、出来るだけ恒常的なネットワークを作っていこうという試みです。これはきちっとした学術的なペーパーに基づいた一回限りのアカデミックコンファランスというよりも、アジアにおいてこれから重要になるだろうという問題をアイデンティファイし、これからも議論を続けていく人的なネットワークを作っていくことをねらったものです。最近では北朝鮮問題や台湾海峡問題をアメリカの世界政策の文脈の中で議論しましたし、IT革命の様々なインパクトについても議論しました。たとえば、文化産業の生産物がインターネットを通じてアジアの若い人たちで共有されているが、それは市場統合でどのような含みを持つのか。SARSの時もインターネットで中国政府に対して情報公開を迫る動きがましたが、最近では、反日の世論などインターネットでの動きに政府は無関心でいられなくなった。またグロ-バル化は、軍事、経済、犯罪などのいろんな側面でセキュリティということを主要課題としましたが、それとプライバシーとのつりあいをどうとるか。いろんな未解決の問題をアジアで国境を越えて議論していこう、その場を積極的に提供していこうということです。今年の1月に行われたANEPRでは経済や政治学の研究者だけではなく哲学者や編集者、インターネットガバナンスのNGOの活動家といった人たちにも参加してもらって幅広い議論ができました。

それから成功例といえば、スタッフの充実ということがあります。通産研の時代は研究サポートの仕事と研究者の分離がきちっとしていなかったから、研究者が研究をやりながら国際コンファランスのロジをやるといった状況でした。このため、職業的なスタッフをきちっと分離して作っていく必要があると考え、コンファランス、国際、ウェブ担当というような専門的なスタッフを外部のマーケットからリクルートしてきました。この3年間のスタッフのスキルの蓄積は素晴らしかったと思います。そういえば、昨日ホームページのヒット数が、100万を超えましたね。これは谷本さん初め、ウェブチームの方達の努力の結果です。おめでとうございます。

RIETI編集部:
霞ヶ関の中で政策提言を行うにあたり、苦労はありましたでしょうか?

青木:
外部の人からは政府の研究機関だから大胆な政策提言は難しいんじゃないかと質問されることも多かったですが、この3年間、経済産業省からこういう研究はやってはいけないといったような干渉はまったくなかったですね。もちろん経済産業省だって人の集まりですから、積極的に研究所のプロジェクトに関心を持って参加してくださった官僚の方もいれば、あまりインタラクションのない人たちの中には、あの研究所は予算を使って役に立たない研究をなぜやっているんだと文句をいう人もいたでしょうが、全体として経済産業省から研究に具体的な枠をはめられたことはありません。もっとも、私の考えでは、霞ヶ関はいま制度改革の分岐点にさしかかっているので、RIETIのような実験に対する評価には、まだ文化的なせめぎ合いが続くと思います。

独立行政法人としてこの3年間を顧みて、一番もやもやしたままになっている基本問題は評価の問題だと思います。ここの研究所の独立行政法人評価委員会分科会には、委員長の宮内さん(宮内義彦オリックス(株)代表取締役会長)をはじめとして、多忙ながらも大変しっかりした見識を持っている方々がおられるので、貴重なご意見や支持をいただきたき、大変感謝しております。しかし、その専門的な分科会の上に省レベルでもう1つ本委員会があり、さらにその上に総務省の親委員会があるというヒエラルキーの構造にある。上に行くほど専門性は薄れる。そういうヒエラルキー体制で、本当に研究所のようなソフトな生産物を評価できるのかという問題が出てきます。結果として、ディスカッションペーパーや研究所固有の出版物の点数というようなわかりやすい数値目標が全面に出てくる。あるいは、ファカルティフェローなどは本当に研究所固有の研究をしているのか、という質問がでてくる。もちろん、出来るだけそういう風に厳密に運用すればよいわけで、実際そうしているわけですが、それが官僚機構を通してくると、出版物の点数数えというような研究社会主義、ファカルティフェローという制度自体をうさんくさいように見る身内閉鎖主義という無形の圧力となってくる。具体的な研究テーマに対する干渉と言うより、こうした無形の官僚的圧力のほうが、独立行政法人としての研究所の自立性にとっては大きな問題です。

私は他の独立行政法人の研究機関の方などとも話をする機会がありますが、評価のメカニズムについてはみな同じように悩んでおられるし、これは独立行政法人の仕組みにとっての共通の問題でもあります。今度新たに発足する国立大学法人の評価にしても、大学評価・学位授与機構によって87の大学法人を一元的に評価しようとすると、数値目標などに偏りがちになってしまう。しかし、芸大や工大や地方に根付いた大学を一様に数値目標で評価できるのかという問題がある。もし質を考えるとすれば、評価メカニズムは、独立行政法人ごとに専門化、分権化し、上部機構はそうした委員会の構成が妥当であるのか、などの評価に限定すべきではないかと思います。

数値目標という関連で言うと、RIETIでは研究評価を客観的にするという目的で3年目に成果進行基準を導入しましたが、十分な議論がなかったので、個人プロジェクトひとつひとつにもこの基準が適用されることになった。しかし、ある研究者が、たとえばプロジェクトの予算に比して80%しか予算を使わなかったとすると、これははたしてもともとの予算の請求が過大であったのか、あるいは効率良く研究したから80%の消費で済んだのか、あるいは研究が順調に進行しなかったから80%だったのか、いろんな理由が考えられます。予算の執行状況だけみて研究のクオリティと達成度を判断することはできないわけです。特に、研究というものは、なにも製品開発のように、何かターゲットを定めてそこに最小費用で、最短時間でたどり着けばいい、というものではありません。研究のプロセスそのものを通じて、研究の視野や目的も替わり行くことがあるし、そこに創造的研究の真髄があるともいえます。

数値目標を厳密にやりすぎると研究者に対する裁量的な管理が強まってしまうし、せっかく独法化して単年度主義ではなくするなど、フレキシビリティがあったはずなのが、成果進行基準の導入によって単年度主義に逆戻りした感があるなど、正直言って3年度目はいろいろ問題含みであったのは、残念です。

RIETI編集部:
日本の今の状況は失われた10年ではなく、大きな制度変換の時代だというのが青木先生の持論ですが、日本の歴史的な文脈の中でのRIETIの位置付けをどうお考えになりますか?

青木:
日本の古い制度の一番の核になっているのは縦割り組織だと思っています。銀行業界があり、そこにA銀行B銀行があり、官僚制度の中でもその中にA省B省があり、みな終身雇用で雇われ、そこで一生をすごし、カルチャーを共有し、組織の存続が一番の重要なテーマになっている。そこではある意味で阿吽の呼吸でお互いに組織に貢献することが暗黙の前提になっていた。これからは縦割りの仕切りを崩していくような新しいカルチャーの創生が必要だと思います。技術の支えもあることだし、組織の仕切りを越えて、同じような関心やスキルを持っている人が交流してシナジー効果をだしていく、縦横の折りをどうやって作り上げていくのかが日本にとって大きな問題です。僕がみるところ、やはりジェネレーションの問題があって、若い人たちには組織に対する無内容な忠誠心はあまりない。組織を移ることもいとわないし、組織外のこともよく知っている。これには携帯やインターネット、メールといった新しい技術が重要な役割を果していると思うのですが、自分の勤めている組織だけが世界じゃない世代になってきている。この研究所もそうした世の中の流れの中で、いろんなところから人をリクルートしてきて、多様な人たちのインタラクションの場のひとつとして機能してきました。いい意味でも、悪い意味でもRIETIを霞ヶ関の梁山泊だという人達がいますが、RIETIにそうした特色があったことを僕は誇りに思っています。

RIETI編集部:
最後に、青木先生の今後のご計画についてお聞かせ下さい。

青木:
この3月で、経済産業研究所だけでなく、スタンフォード大学の教授職からもリタイアすることにしました。しかし、私の前後にリタイアする人たちも皆そうですが、研究にかんしてはまだ現役を自負しています。ですから毎年、一学期だけ大学院の専門科目を教えるという権利を名誉教授席として保持しながら、残りの時間を研究に集中したいとおもっています。年をとってくると、時間生産性が落ちるのは避けがたいですから。私個人は、ライフワークとして自らに課した比較制度分析の発展に力を捧げたいと思っています。3年前、霞ヶ関に来るとき、ノースやグライフなどという制度分析の同僚に、「制度変化のフィールドワークをしに行く」、と半分冗談交じりにいいましたが、この3年の経験は本当に貴重なものでした。これからそういう経験を理論化しながら、考えていける時間の持てることを楽しみにしています。しばらくの間は日本とアメリカ、アジアと西洋のあいだを動き回る生活になると思います。

最後に、私の能力不足と言うこともあってこの3年間の研究所での実験で達成できたことはそんなに大きくはなかったですが、相互信頼と敬意と夢とを共有していただいた研究員の方々、研究スタッフの方々に深く感謝したいと思います。皆さん、ありがとうございました。

取材・文/RIETIウェブ編集部 谷本桐子 2004年3月30日

2004年3月30日掲載

この著者の記事