第6回

国立大学教官の発明に対する補償金の上限額撤廃について

中山 一郎
研究員

1月29日、文部科学省は、国立大学教官等の職員がした発明を国が承継した場合における補償金の支払要領を定め、従来は年間600万円とされていた上限額を設けないとする方針を発表した。文部科学省の審議会は既に約2年前からかかる方針を表明していたし(今後の産学連携の在り方に関する調査研究協力者会議「『知の時代』にふさわしい技術移転システムの在り方について」 平成12年12月27日 文部科学省ホームページ)、特許庁は、国有発明全般についてこれまで一律に補償金額の上限を年間600万円と定めていた「国家公務員の職務発明等に対する補償金支払要領」を13年度をもって廃止し、新たに産業技術総合研究所が作成した基準(今回の文部科学省の方針と同一内容)をモデル的規程として示していた(「国家公務員の職務発明に対する補償金支払限度額の撤廃について」 平成14年2月1日特許庁発表 特許庁ホームページ)。さらに、平成14年7月の知的財産戦略大綱でも、本年度中の国立大学における補償金の上限額撤廃は行動計画に盛り込まれている。したがって、今般の文部科学省の発表は、既定路線であって、その限りでは何ら目新しいものではないが、この機会にその意味するところを少しばかり考えてみることとしたい。

最初に、多少の背景説明から始めたい。国立大学の教官に限らず、我が国では、特許を受ける権利は発明者に原始的に帰属する。ただし、従業者たる発明者による職務発明については、使用者が権利を承継することを予め定めておくことができ、そしてそのような場合、発明者は、使用者に「相当の対価」を請求することができる(特許法第35条)。実際、多くの企業が、権利を承継するかわりに補償金を支払うことを予め社内の規程等で定めている。
しかし、国家公務員たる国立大学教官の場合は多少事情が異なり、国が権利を承継することはそれほど多くない。国立大学教官については、発明することが「職務」に含まれるのかが必ずしも定かでなく、また、国に権利の取得・管理・活用を適切に行う能力があるかどうか疑問視されたために、原則として教官の発明に関する権利は教官個人に帰属させたままとし、国は特別な場合に限って権利を承継することとされている(「国立大学等の教官等の発明に係る特許等の取り扱いについて」昭和53年3月25日文学術第117号学術国際局長、会計課長通知 文部科学省ホームページ)。この結果、教官の発明のうち実際に国が権利を承継するのは約2割弱にすぎず、残る8割強は、教官個人が権利を有している(平成11年度。上述調査研究協力者会議報告書に基づく)。
今般の新たな補償金支払要領は、国が権利を承継して国有発明となった2割の発明について適用されるものであることから、現時点で見る限り、その影響は限られている。むしろ今般の文部科学省の決定は、以下のような文脈の中で捉える必要があると筆者は考えている。

○国立大学の法人化との関連
ひとつは、国立大学の法人化に伴って、教官の発明に関する権利の帰属ルールが変更されようとしていることとの関連である。教官個人に権利を帰属させる現行ルールの下では、教官個人が出願やライセンス等を行うことは容易ではないため、結果的に発明が死蔵されたり、あるいは古くからつきあいのある企業等へインフォーマルに譲渡されたりして、大学発明が有効に活用されないという問題がある。他方、米国の有力研究大学等では、大学が権利を承継しTLO等が一元的に維持・管理・ライセンスを行うことによって、技術移転が進んでいる。このような背景から、文部科学省は、既に平成12年末、国立大学が法人化した暁には、大学が原則として権利を承継すべきだとの考え方を打ち出している(上述調査研究協力者会議)。その場合、教官個人は、使用者たる将来の国立大学法人に対して「相当の対価」を請求できるにとどまるので、使用者側が教官に支払う補償金の問題がよりクローズアップされることになる。今般の文部科学省の決定は、今のところ現在の国立大学に対するルールではあるが、法人化後の各大学が作成するであろうルールにも少なからぬ影響を与えるであろう。米国の研究大学では、ライセンス収入から経費を差し引いた後の金額の約1/3程度が、発明者たる教官に支払われるケースが多いようである。また、教官の受け取る額に特に上限は定められていない。したがって、国立大学教官への補償金をライセンス収入の25%(100万円以下は50%)、上限なしと定めた新補償金支払要領は、米国の研究大学のポリシーとほぼ一致する。個人的には、大学教官に対して金銭的インセンティブを増加させることがどれほど有効かという点について疑問を感じるところがないわけではないが、大学教官だからといって補償金が低く抑えられてよいとする理由もない。そのような意味では、今般の上限額の撤廃は、国立大学法人化を睨んだ自然な流れであるといえるかもしれない。

○職務発明に対する「相当の対価」の在り方との関連
周知の通り、昨今、民間企業とその(元)従業員との間で、職務発明に関する紛争が多発している。権利の帰属自身を巡る争いもあるが、紛争の中心は、使用者が権利を承継した場合に従業員が請求できる「相当の対価」を巡ってである。
現在、かなりの紛争はなお継続中であり、また政府も特許法の職務発明に関する規定を見直すかどうか検討中であるので、この問題がどのように決着していくのかは全く予断を許さないが、そのような司法判断や法律改正を待つまでもなく、一部の企業は補償金(報奨金)の見直しに動いている。企業によって見直し内容は異なろうが、基本的には、従業者たる発明者への補償金を引き上げるというものであり、上限額についても、大幅に引き上げられたり、撤廃されたりしている。
そのような状況の中で、国が国家公務員の発明をどう扱うかは、民間企業の動向にも影響を与え得る。今般の国立大学教官への補償金上限額撤廃は、民間企業において既に始まっている補償金の見直しの方向と軌を一にするものであり、さらにその流れが加速されることになるのかどうか、興味深いところである。
かつて筆者は、経済的価値の高いごくわずかな発明に対してはより多くの報酬を認めることがインセンティブとして重要であると論じたことがある(注1)。そのような観点からすれば、今回の文部科学省の決定には、細かい点に多少の疑問も残らないわけではないが(注2)、経済的価値の高い「大ヒット」発明を生み出せば、その価値に応じて発明者は多額の報酬を受け取ることができる可能性を示したことは、国立大学教官もさることながら民間も含めた研究者一般にとってより大きな含意をもつように思われる。その意味で、昨年の産総研に続く国立大学等の補償金上限額の撤廃が、職務発明見直しを巡る現在の論議に一石を投じるものであることは確かであろう(注3)

2003年2月6日
脚注
  • 注1) 発明の経済的価値の分布を調査して、一握りの発明が莫大な利益をもたらす一方で、多くの発明がもたらす利益はそれほど大きくないことを発見したSchererは、これを宝くじにたとえて、宝くじの賞金額が大きいほど購入人気が高まるように、「大ヒット」発明に対する報酬の高さこそが、結果が不確実な研究活動へのインセンティブになるとの議論(「イノベーション宝くじ論」)を展開している。この考え方を職務発明の補償金に適用すると、売上への貢献度が高い発明やライセンス収入が高い発明こそ優遇すべきで、そのような発明に対する補償金は高くすべきこととなる(もっとも発明者への報酬は補償金に限られるものではないので、給料等も含めた全体の処遇の中で「大ヒット」発明への報酬を実現してもよいが、全体の処遇に発明者が満足しているのであれば、そもそも補償金を巡る紛争は生じないであろう)。詳しくは拙稿「職務発明に対する補償金の設計思想に関する一考察-イノベーション宝くじ論を手がかりに-」『特許研究』33号 pp.28-45(2002)参照。
  • 注2) 国の収入実績が100万円以下の場合の補償金額の割合は50%と、100万円以上の場合の25%に比べて高く設定されているが(この点は、先の産総研のケースも同様である。)、(注1)のような考え方に立つならば、収入実績が低い発明を収入実績が高い発明より優遇する必要はない。もっとも収入実績が100万円以下という限られた場合の話なので、それほど大きな問題ではないかもしれない。
  • 注3) 現在の職務発明関連規定の見直し論議に関する私見については、RIETIコラム(「ノーベル賞を機に職務発明規定の見直し論議について考える」)を参照されたい。

2003年2月6日掲載