コラム

002: グローバル市場と国内制度:国際取引新時代における企業法とガバナンス

MILHAUPT, Curtis J.
RIETI客員研究員

コロンビア大学法律大学院教授

コーポレートガバナンス(企業統治)の分野においては現在大きなテンションが生じていると考えられる。資本、製品、有能な経営者の市場が国境を越えて急拡大しつつある一方で、国内の法律や商慣習が企業構造や国際取引に与える影響もかつてないほど大きい。

グローバル市場と国内制度の間に生じるこの大きなテンションを背景に、今や世界中のほぼいたる地域でコーポレートガバナンスの改革論議が繰り広げられている。そしてこの「テンション」こそ、コロンビア大学法律大学院で私が主導し、複数の研究者が1年かけて取組んだ比較企業統治プロジェクトの主題である。その成果は、 "Global Markets, Domestic Institutions: Corporate Law and Governance in a New Era of Cross-Border Deals"(グローバル市場と国内制度:国際取引新時代における企業法とガバナンス)という題の文献として、コロンビアユニバーシティプレスから2003年に出版される。

本コラムでは、今回の研究によって得られた2つの重要な洞察を取り上げたい。

まず、「グローバリゼーション」や「グローバル市場」という言葉が誤解を招く表現であることを指摘したい。その題目の下に、企業行動の地域的な特性が覆い隠されてしまうからだ。イタリア、韓国、東欧にいたるまで多様な制度を議論する中、有意義なコーポレートガバナンス改革が極めて複雑性に富んでいること、そしてその複雑性は国内の政治経済状況における企業行動に深く根ざしていることがプロジェクトに参加した多くの研究者によって指摘された。逆説的に言えば、グローバル市場が国内レベルで「制度をきちんとする」ことの重要性を高めたことになる。

「制度をきちんとする」ということは、コーポレートガバナンスにおいてどのような意味を持つのだろうか。企業関連法制度がコーポレートガバナンスにおいてどのような重要性を有するかについては文献で活発に議論されているが、裁判所の役割の重要性については議論の余地がないようである。コロンビア大学のプロジェクトに参加した多くの研究者も、私が過去数年間にわたり(先進国である日本を含む)東アジア諸国で取材した多くの人々も、それぞれ自国の裁判官が企業金融やコーポレートガバナンスについて、訓練や経験を欠くばかりでなく興味すら持ち合わせていないことを嘆いている。この状況は憂慮すべき事態であるが、同時に、少々楽観的にとらえることもできよう。

まず、資産や企業の評価といったコーポレートガバナンスに関する基本的な概念について裁判官が無知であり続ける限り、すぐれたコーポレートガバナンスの実現に向けて裁判所が有意義な貢献をすることはできない。

一方で、明るい側面としては、企業価値の定量化(および最大化)が今や国家や文化の境を超越して、国際的に通用する概念になっているということがあげられる。すなわち、利益相反行為やその他の搾取を見抜き、世界共通の資産評価の尺度に基づいて判断を下す「すべ」を裁判官に習得させることによって、コーポレートガバナンスにおける重要な手段としての司法審査を強化することができる。こうした司法機能改善はそれほど現実離れしたものではない。私は、この問題を具体的に解決すべく、社会主義経済から資本主義経済に移行する経済圏などの裁判官のためのプログラムをコロンビア大学法科大学院に立ち上げたいと思っている。

今回のコロンビア大学でのプロジェクトで得たもう1つの重要な示唆は、企業関連の法制度の発展が不確実性を有するという点である。

ある特定の国で、何十年あるいは何百年もかけて他の制度を少しずつ取り入れながら成文化された企業関連法制や証券取引法制が、他の経済・法制度にどのように根付いていくかについて我々はまだ断片的な知識しか持ち合わせていない。米国において企業関連法の根幹を成す「受託者責任ルール」はその好例である。受託者責任ルールのうち、忠実義務は、企業経営者の利己的な行動を防ぐための漠然とした基準であるが、この義務は米国の企業法制の広範な領域を網羅する概念である。また、その概念は、予期されなかった事態に対応して裁判官が判断を下す際にも用いられることで、企業法制の進化においても大きな役割を果たしている。もっとも、米国においても受託者義務をコーポレートガバナンスの中心的な理念とすることの是非については意見が一致していないという点については留意しておく必要があろう。さらに率直に言うならば、忠実義務という概念は、エンロンやワールドコムにおける大失態を防げるほど米国の企業経営者に浸透してはいなかった。

一方、東アジア地域の3大主要経済である日本、韓国、台湾はいずれも、コーポレートガバナンス改革の手段として、米国における受託者の忠実義務という概念を商法に取り入れた。日本は1950年代の米軍占領下において、韓国はアジア金融危機の最中にこの概念を導入した。台湾では、アジアの金融危機の際には、台湾はアジア地域に生ずる問題とは無縁であるという幻想を抱くことができたが、昨年、一連の国内企業・証券スキャンダルが発覚し、他国にならってこういった忠実義務の概念が取り入れられた。しかし、この原則に基づいて企業経営者によるさまざまな「搾取」が実際に罰せられたのは、今のところ、日本の裁判所においてだけである。その日本においても、これまでの類型化された範疇にうまくあてはまらないような新たな事態について忠実義務が積極的に適用されるようになるまで、40年近くかかった。(なお、このことは、特定の条項、たとえば商法の経営者の利益相反に関する条項などの適用を、忠実義務などの一般条項の適用よりも優先するという裁判官の考え方も一因となっている。)日本、韓国、台湾いずれの制度下においても、機敏性にかける司法手続き、民事における証拠開示メカニズムの欠如、高額な裁判費用、弁護士が原告を探し出して訴訟を起こすインセンティブのなさなど、数々の障害要因が存在し、この忠実義務の原則がなかなか積極的に適用されない。

法律の他国への「移植」は、法制度発展をもたらす主要なプロセスであるが、「法制度の移植は社会的に容易である」という法律文献によく見られる主張はいくつかの重要な前提抜きには成り立たない。

まず、移植された法制度を受け入れ国において元の運用と違った形で運用することは容易であるという前提である。

第二に、法律は個々人の行動にほとんど影響を及ぼさないという前提である。

第三に、特定の国に適用するための法律を作ることよりもすでにあるルールを導入する方がはるかに重要であるという前提である。

これらの仮定は、特定の国の、ある時点におけるある種の法制度の移植についてはあてはまるかも知れない。しかし、今日のように国際取引が活発に行われる時代の企業関連法制については当てはまらないように思われる。忠実義務という概念を導入した日本、韓国、台湾の例が示すように、「質の高い」法そのものを制定することは比較的容易である。しかし、その制度を機能させ、その制度が企業の組織・行動にとっていかに重要かを理解するには、多くの知性と年月を要する。

コーポレートガバナンスに生じているテンションは本来、異なる資本主義システムの競争ではない。これは、何にもまして、各国が自らの経済制度の強さと柔軟性を再評価する機会なのであるということを再度強調しておきたい。

2002年11月29日

2002年11月29日掲載

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