ブレイン・ストーミング最前線 (2008年8月号)

日本外交の戦略的課題

竹内 行夫
外務省顧問

戦略論議

「国家戦略」とは一般に「国の安全と繁栄を確保する方策」と定義されますが、私はそこに国民が誇り得るような国際社会で名誉ある地位を得ることを加えたい。「国益」である国の安全・繁栄に加えて、「国徳」を追求するという考えです。

国家戦略を考える際には、求める国家像について国民の間でおおよその合意が形成されていることが前提で、それが無ければ進むべき道が定まりません。逆に、望ましい国家像について共通の認識があれば、政策の優先順位も国家資源の使い方も決まってくると思います。

戦後当初は経済重視、平和主義、その後は国際貢献にも力を入れるシビリアン・グローバル・パワーという国家像について国民的な合意が存在し、民主主義のプロセスで具現化されてきました。日本に戦略はなかったという自虐的議論がありますが、日本ほど短期間で安全と繁栄を達成した国は他になく、「戦略」と銘打つことなくとも、吉田ドクトリン、日米安保、高度成長政策、省エネ、国際貢献、政府開発援助(ODA)、国連平和維持活動(PKO)といった戦略的決定を積み重ねてきたと思います。

「世界のフロントランナー」から「どうでもよい日本」へか?

日本はさまざまな国際問題への取り組みで先頭集団に属してきました。BBCとメリーランド大学が行なった国際世論調査では、日本は「ポジティブな影響を与える国」として過去3年連続して1位で、これは、一種の国徳の表れといってよいでしょう。一方、近年の日本外交の国際的なエンゲージメントの縮小を指摘する声もあります。ODAやPKOへの参加実績の低迷がその例です。

戦略的思考からみた課題

日本外交に必要な戦略的思考という視点から見ると、以下の5つの課題があります。

【あるべき国家像についての国民的合意が存在することが戦略の前提】

かつて日本が高度経済成長の道を歩み、世界からの評価が高まった時期、日本国内では非軍事的な国力で国際社会に貢献すべきだとの意識が強まりました。ODAが急増した背景にも、そうした国民の意識がありました。その後、国民の描く国家像が変化し始め、ODAの優先順位も低くなり、シビリアン・グローバル・パワーとしての日本の国家像はODAの面からは崩れてきました。同様に、PKO参加も停滞しています。また、核武装があたかも有り得るかのように対外発信されると、外国における日本の国家像も変わってしまいかねません。

【点と線だけでなく、面と時間の視点が必要】

歴史問題を例に考えてみると、靖国問題の場合「点」の議論とは国内での議論ですが、外国との関係では日中・日韓という「線」だけではなく講和条約の相手、即ち当時の連合国という「面」の国際世論の問題があります。従軍慰安婦問題では、米国のみならずカナダ、オランダの議会で決議が採択されましたが、日本では殆ど報じられませんでした。

【自己中心の問題意識や感情論は戦略となりえない】

「主張する外交」や「毅然とした外交」、「凛とした国家」はいずれも外交のスタイルに関する「標語」で、そのこと自体に政策理念や戦略はなく、毅然だけでは国益も守れません。大切なのは何を主張するかで、自己主張は国際社会に通用する理念にする必要があります。「毅然」と「独善」は紙一重です。安保理の機能を現代に適合させるという国際社会の問題を、「日本の常任入り」要求にしてしまうのでは、問題意識が自己中心に映ります。

【正確な時代認識・歴史感覚・国際情勢認識が必要】

1989年、ベルリンの壁が崩れた直後のポスト冷戦期では米国の一極支配が可能という幻想を多くの人が持ちました。しかし2005年頃を境に、イラク問題が混迷し、また中国等の新興国が実力を示し始め、「ポスト・ポスト冷戦(以下「PP期」)」が始まりました。

価値観や行動主体の多様化
ポスト冷戦期には、自由・人権といった欧米的価値観が普遍的という見方が強くなる一方、価値観の多様化や国家以外の行動主体の多様化と自己主張の顕在化が進行しましたが、PP期においてこの傾向はさらに強まり、グローバルに見れば、欧米的な自由・人権が世界中で絶対視されているわけではありません。チベット問題は西洋からみれば少数民族の自決、人権の問題ですが、中国や途上国からみれば国家統一の問題であり、伝統的な内政不干渉の原則が適用される「国内問題」なのです。

PP期のパワー構造
米国一極の世界というのは幻想でしたが、PP期においても米国が唯一の超大国というパワー構造は当分変わらないと思います。中東和平、WTO、地球温暖化問題、テロとの戦いや不拡散問題にしても、米国抜きの国際秩序はありえず、米国を同盟国に抱える日本は戦略的に優位な立場にあります。日米同盟を国際秩序構築に活用することが日本の利益となります。

国際社会における力の相対化
パワー構造をみるには、国際社会における力の相対化に留意すべきです。現在の国際社会では軍事力や政治力といった強制力だけがパワーの要素となっている訳ではなく、資源や生産力、金融力、文化力、国民の求心力といった要素も国家の力を構成しているのです。経済力の政治力への転換が安全保障上戦略的意味を持つようになり、BRICSの経済力はパワー・バランスにも構造変化をもたらしています。

グローバル化した世界における相互依存関係と競争の激化
ソブリン・ウェルス・ファンドに関する議論は、金融と安全保障のジレンマに関する問題を提起しましたが、多少の安全保障上のジレンマがあっても、経済・金融の関係を進めるのが、グローバル化と相互依存関係の進んだ世界の現実といえます。そうした中、中国の重要性は所与の事実であり、多くの国が中国との相互利益の関係構築・強化を志向しています。日本も中国とは価値観が異なることを前提とした上でしたたかな外交が必要です。中国異質論を声高に唱えることは得になりません。日本は、かって世界に先駆けて中国の改革開放を支援し、今日の中国の発展に一役買いました。中国の更なる発展と国際社会との調和を促す役割を日本が果たせるかが課題です。

【国際秩序構築・維持への参画という意識が必要】

湾岸戦争当時に欠けていたのは、日本と直接には関係ないと思われるような問題にもエンゲージして国際秩序の構築・維持に参加するという意識でした。日本の国益は国際公益と合致します。テロ撲滅、大量破壊兵器拡散防止、地球温暖化対策、自由貿易促進、途上国の経済成長、大災害時協力、感染症阻止―世界が抱える諸問題の解決にフロントランナーとして取り組み、国際秩序の構築・維持のためのルールメーキングに参加し、日本の国家資源を投入するということが実は日本の国益につながるのです。

結論 国家像の再構築が必要

今、必要なのは、国民がどのような日本を目指すのか、国家像を改めて再構築することでしょう。福田総理は「平和協力国家」構想を打ち出されました。私自身はそういったシビリアン・グローバル・パワーこそが、国益にかなう国家像だと思っています。この点でコンセンサスができれば、政策の優先順位―たとえばODA政策の位置付けや一般法の問題等―も定まり、外交戦略も自ずと導きだされるのだと思います。

※本稿は5月27日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

2008年8月21日掲載

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