ブレイン・ストーミング最前線 (2008年6月号)

医療サービス産業政策の視点

松山 幸弘
千葉商科大学大学院政策研究科客員教授

医療市場の現状

医療市場特有の2つの矛盾があります。

1 自由競争に任せるだけではミスマッチが拡大する
自由競争下では、同一医療圏内で利益率の高い分野への過剰投資が起こりがちであり、結果的に医療費が増加、利益率の低い分野の財源も奪われます。つまり、需要と供給のミスマッチが拡大し地域住民の多様なニーズに応えることができなくなります。

2 努力した医療機関に経済的ベネフィットが100%還元されない
たとえば、出来高払いの診療報酬制度では、過剰診療解消に成功した医療機関側は減収に直面します。

この2つの矛盾を解決するために、広域医療圏ごとに地域住民が求める医療提供機能を品揃えした医療事業体を構築することを提案します。この医療事業体がセーフティネットの核となり、周辺の他医療機関が連携、競争するという体制です。

米国のIHN(Integrated Healthcare Network統合ヘルスケアネットワーク)

米国の医療経営の潮流は、90年代に入り、水平統合から垂直統合に大きく方向転換しました。これは、同種の医療機関が規模の利益を追求する水平統合では、医療技術の進歩が加速し患者ニーズが多様化する中で医療市場全体の効率化には限界があることが判明、異種医療機関がシームレスに経営統合することが求められたためです。米国には2007年現在587のIHNがあります。IHNが成功する条件は、(1)広域医療圏単位で経営資源を共有することで重複投資を防止、(2)ガバナンスは地域住民/自治体で経営実務は民間プロ、(3)医療圏以外からも患者・研究資金を獲得、です。ピッツバーグ大学は、UPMCというブランドで年間収入60億ドルのIHNを構築、医療産業集積として成長しています。

地域間競争の時代に

わが国の自治体病院は存亡の危機にありますが、知事のリーダーシップしだいで、医師不足を解消し全国どこでも世界標準の医療を提供する仕組みを構築することは可能だと考えています。これは、日本国内でも医療提供体制の地域間競争が始まることを意味します。したがって、今後は地域間競争の視点を入れた医療サービス政策が必要となります。

IHNのガバナンス

1 サラソタ記念ヘルスケアシステム(フロリダ州)
サラソタ記念ヘルスケアシステムは、自治体病院を核にしたIHNです。選挙で選出された9名をメンバーとする理事会がガバナンスを担当し、医療経営のプロに経営実務を委任する体制です。低所得者のために年間100億円もの慈善医療を行っており、その財源として地域住民から固定資産税が徴収されています。州法により、理事会には固定資産税率を決定する権限が与えられています。サラソタの年間収入は約440億円であり、米国内のIHNとしては最小規模です。しかし、その中核病院は、病院総合力評価ランキングでトップ1%の50病院に入っています。

2 センタラヘルスケア(バージニア州)
センタラヘルスケアは純民間のIHNです。自治体から補助金を一切受けないかわりに人事介入も受けません。ガバナンスは地域住民が握っており、地元有力者グループが理事選考委員会を通じて理事を任命します。経営実務は、サラソタの場合と同様、医療経営のプロに委任しています。年間収入は約2500億円であり、税補助ゼロであっても年間100億円の慈善医療を行っています。半径約100kmの医療圏に急性期ケア病院8、サテライト拠点87を配置し、地域住民の利便性向上を図っています。

中核病院キャンパスには、独立系の非営利小児専門病院が隣接しています。重複投資を回避するため、センタラヘルスケアは小児部門を持っていません。また、キャンパス内には病床を持たない医科大学もあります。医科大学側は、IHN全体を臨床教育・研究のフィールドとすることで、病院経営リスクを回避しているわけです。

効率経営のセーフティネット

構築患者ニーズが多様化・高度化し、サプライズを伴う診療報酬改定が行われる中で、病院が医師、看護師等の人材を確保し生き残るためには、医療技術の進歩に合わせて施設機能のポートフォリオを絶えず変えていかねばなりません。旧来の単騎立地型総合病院の発想では対応できません。自治体病院は、広域医療圏内で経営統合することにより、医療技術の進歩と地域住民の医療ニーズの変化に迅速に対応できるIHNを構築する必要があります。

わが国では設置者の異なる公立・公的病院が狭い医療圏内で重複投資を繰り返し、過当競争と財源浪費に陥っています。自治体病院の累積欠損金は2007年度中には2兆円を超える見通しです。自治体病院の経営形態の判断基準として最も重要な視点は、自治体を病院経営リスクから解放することに役立つかどうかです。この観点からは、自治体病院IHNの経営形態としては、社会医療法人を指定管理者とする公設民営方式が有望です。

それには以下の発想の転換が必要です。

1 連携ではなく統合
「連携パス」では経営資源配分の権限が一元化されていないため、利害対立が起こればすぐに連携が崩壊してしまいます。また、「マグネットホスピタル」は大病院上位のカルチャーを温存しているため限界があります。IHNの場合は、施設間に優劣はなく全ての施設が同一ブランドの下で患者の治療にあたり、診療所勤務医も中核病院勤務医も同じ医療チームの一員です。

2 縮小均衡ではなく拡充
財政難のため自治体病院改革の議論は縮小均衡に陥りがちですが、国民は医療提供体制の拡充を求めています。地域住民に自治体病院の統廃合を支持してもらうためには、医療へのアクセスが向上する具体案を提示する必要があります。

3 最先端医療施設よりもサテライト施設
医療へのアクセス向上のためには、充実した機能を有するサテライト施設を多数配置する必要があります。

4 IHN創造は大都市より過疎地
医療機関の利害が錯綜する都市部ではIHN構築は困難です。一方、自治体病院への依存度が大きい過疎地では、地元開業医や民間病院との機能分担調整が比較的容易です。

5 国立大学附属病院を大学から分離してIHNの核に
国立大学にとって附属病院の経営リスクは大学の存亡に直結します。そこで、附属病院を自治体病院IHNと経営統合しUPMC型の医療事業体を目指すことが推奨されます。

質疑応答

Q:

映画『シッコ』で見られる様に、米国では支払い能力の無い病人の切り捨て等、富裕層だけに恩恵が偏っている印象を受けますが、国民全体はそれで本当に満足しているのでしょうか。また、病院から有床診療所への転換以前に、開業医に有利な制度が医師不足の一因となっています。医師会の影響も含め、そうした制度的側面についてはどうお考えでしょうか。

A:

無保険者問題の背景には、年間100万人もの低所得移民の流入があります。一方で、米国ではIHNが無保険者へのセーフティネットとなっています。たとえばフロリダ州のIHNサラソタでは無保険者を受け入れる義務があり、地域住民もそれを理解した上で固定資産税を払っています。また、無保険者が多いテキサス州ダラスのIHNは、連邦政府と州政府の支援を得て、年間約450億円に相当する無料医療を提供しています。米国の医療制度にも問題はありますが、IHNは地域医療提供体制を構築する上で良い参考になると思われます。日本の診療報酬体系が開業医・診療所優位である点はご指摘の通りです。今後診療報酬を改定していくに当たり、急性期ケア病院への配分を増やす必要があると思われます。その流れの中で、自治体病院を核にIHNを構築すべきだと考えます。

※本稿は3月4日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

2008年6月20日掲載

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