ブレイン・ストーミング最前線 (2006年3月号)

コンテンツ産業の新たな視点

和田 洋一
スクウェア・エニックス代表取締役社長

私共は、エンタテインメント・コンテンツを総合的に提供している会社でございまして、テレビゲームでいえば「ファイナルファンタジー」(以下、FF)や「ドラゴンクエスト」、アニメ、コミックスでいえば「鋼の錬金術師」などが代表作になります。さらに、昨今はオンラインゲーム、携帯電話のコンテンツ等、ネットワーク・サービスにも注力しております。

イノベーションのジレンマと解決策

はじめに、なぜ私がこのテーマでお話をさせていただかねばならなくなったのか、その背景を述べたいと思います。

これまでのテレビゲーム業界は、本質的にはテレビゲーム「機」業界でありまして、任天堂やソニーが提供するゲーム機がどのように進化するか、また、これに伴いソフトがいかに進化していくか、これらが成長の鍵でした。

過去20年間、ゲーム機は、インタラクティブ・コンテンツを扱う端末としては、他の端末をパフォーマンス(あるいはコスト・パフォーマンス)において常に圧倒していました。しかしながら、昨今は、(1)他端末の性能が著しく進歩した結果、同等の機能を持つ競合品(ハイエンドPC、携帯電話等)が出現してきた、(2)他方、ゲーム機の性能は顧客の要求水準を遥かに越えるところまで進化していこうとしている、いわゆるイノベーションのジレンマといった様相になっているというのが率直な感想です。

ところが一方で、ネットワーク環境が整備されたことから、従来なかった全く新しいサービス/コンテンツを提供する事ができるようにもなりました。

こうした環境認識から、事業の骨格をいかにネットワークをベースとしたものに変容させていくかが経営課題となったわけです。また、ネットワーク・コンテンツとは、ソフトウェアのみを指すのではなく、業者の提供するソフトウェアとお客様との合作だという事こそが要諦であると思い至るようにもなりました。

実際に取り組んでみると、いかにネットワーク社会がこれまでの世界と異質であるか、チャンスに満ち溢れてはいるけれどもリスクも多いかがわかってまいりました。問題の根源は、現状の制度万般が、ネットワーク社会を全く予定せずに設計されているという事です。

顧客に提供する価値の対価が業者の収益ですから、価値とは何かが事業の基本中の基本になります。従いまして、知的財産についての論点を列挙していく事が、前述の問題意識の事例としては最適かと考えます。

現状知的財産制度の前提の崩壊

以下の項目は現制度のエッセンスですが、これらがことごとく成り立っていないという説明を行います。

(1)特許と著作権
デジタル・コンテンツにおいては、まずはこの線引が困難になります。アート的な色彩をもつゲームソフトのプログラムはどちらで保護されるべきでしょうか。
創造性をいかに高めて産業全体を発展させるかが制度の趣旨なのでしょうが、この2つを立て分けて考えるという根本原則に関してすら、議論が必要になってきます。

(2)著作権の保護対象は個別メディア
ネットワーク・コンテンツはそもそも物理的媒体に固定していないケースが多く、さらに、あるコンテンツが、どの端末でもどのような通信回線に乗ってでもお客様に届くという現状では、どの時点のどこにあるデータを指して「これを保護してくれ」と言ったらいいのかわからなくなります。

(3)権利者の特定
ネットワーク社会では、業者や特定のユーザーではなく、不特定多数が創造してしまう場合があります。たとえば匿名掲示板「2ちゃんねる」から出てきた「電車男」がこれにあたります。作った人を特定できればたとえ1億人でも構わないのですが、不特定の人々が作り上げた場合、つまり創造しているという意識なく参加した人達により出来上がったコンテンツが商業化された場合、その権利を誰に帰属させるべきかは結構面倒な問題です。

(4)国際間調整は想定外
当社が運営するオンラインゲーム「FFXI」は、世界中のお客様を共通のサーバーに集め、どこからログインしているという自覚もなく1つのワールドでプレイできるようにしています。シアトルから入った米国人と神戸から入った日本人とが東京のサーバーで紛争になった場合、国によって権利保護内容が異なると、解決は不可能になります。

これは、クロスボーダーがいとも簡単に実現してしまい、かつ、お客様が創造に参加してしまうという2つの事象が合わさって初めて出てきたポイントです。

(5)権利侵害は限定的
例えば、ドイツのある地方都市に住む少年が当社ゲームの大ファンで、友達に見せてやろうと思えばそのままゲーム画面をキャプチャーして世界に公開できてしまいます。権利を侵害するのは悪い奴で大概の場合は利潤動機であり多くても数百人だろうから、端から潰していけばいいんだという考え方は成り立ちません。

コンテンツ産業における特許や著作権の問題は、制度的なエンフォースという面と、本当にそれが実効性を伴うのかという面で、強烈な乖離があります。

それでは、実例でご説明しましょう。

当社のFFXIは、お客様に自由にキャラクターを設定していただき、当社が作ったバーチャルな世界にそのキャラクターを住まわせ冒険を楽しんでもらうというオンラインゲームです。本物のような街や森、海が作られており、時間も流れ、天候も変わっていきます。その中でモンスターと戦ったり、友達と話をしたり、草花を育てたり、釣りをしたりできる仕組みです。今、日米欧で展開していて50万人以上の有効会員がおり、常時十数万人がサーバーにアクセスしています。冒険の過程であまりにも仲良くなってしまい、ついには結婚したというケースすらあります。

ゲームがこうした姿になると何が起こるか。これまでのロールプレイングゲームは、クリエイターが書いたシナリオをお客様が追体験するというデザインでしたが、オンラインゲームになると、業者とお客様との双方向ばかりか、お客様同士の双方向が際立ってきて、常時ゲームをリバランスしていかなければなりません。あるエリアのモンスターが全て倒されてしまったり、お客様達のパーティープレーが進歩しすぎたために飽きがきて、マップを追加しなければならないとか、バグフィクス以外の動機で非常に頻繁にパッチが当たります。こうしているうちに、最初にDVDに焼いて出荷した時のFFXIとたった今動いているものとでは、似ても似つかないプログラム/データになってしまいます。FFXIの知的財産というのは、どの時点の何を指せばいいのかよくわからなくなります。

バーチャルな世界の完成度が高いと、その中で、お客様同士が勝手にいろいろなことを始め、ドラマが生まれます。先ほどの結婚の例で言えば、その出会いに至った経緯ですとか、どこで写真を撮って、思い出を作って、気持ちがこう傾いたといったことを、たとえば小説にすることも可能です。携帯小説や、ウェブで書き込まれた「電車男」などの例がありますし、ゲーム内で起こったことはスクウェア・エニックスに帰属すると規約上は書いてあるものの、本当のところ出版していいかどうかはわかりません。

「電車男」と同様に、オンライン・コミュニティから生まれた「のまネコ」をエイベックスさんが多様な商材に展開しましたが、いずれの場合も、不特定多数の人が頼まれもしないのに作ったものが商業化されたケースです。しかし世間の反応は対照的だった。「電車男」はTVでも映画でも小説でも、よかったよかった、いい話だと。同じことをやった「のまネコ」は袋だたきに遭いました。その、袋だたきにするか褒めたたえるかというイニシアティブは、ウェブの参加者の一部が持っているという極めて危険な状況です。権利が誰に帰属するかをはっきりさせなければ、マスメディアに対抗しうるネット世論の形成についての問題にも対応は不可能です。

お客様が参加し、それ自体がコンテンツになると申し上げましたが、もう1つ際立った例をご紹介します。ある会社がゲームの基礎エンジンのソースを無料で公開しています。このために、市井のクリエイターがそのソースを使ってゲームを作り始めました。これは有料でも十分売れるほどに良くできています。これまで述べてきた例はお客様が創造に参加している意識はないものの実態的にはお客様自体がコンテンツの一部を成しているというものでしたが、この場合は、お客様が、明確に意図して創造に参加しているわけです。これはゲーム業界でも究極的な事例として語られており、モディファイするものという意味で、通称モッド・コンテンツといわれています。

以上、これからのネットワーク社会で事業を展開しようとすれば、全く新しい問題に直面せざるをえないという事を述べてきました。

現時点では、こうした例はゲームの世界で非常に限界的に起こっているのですが、双方向性が完全に実現した場合にお客様がいかに創造に関わるかという問題は、必ず、他のコンテンツ/サービスにも伝播していきます。オンラインゲームは、ケーススタディの宝庫ともいえますので、たかがゲームとばかにしないで、ネットワーク社会における極限問題が既に現れているという目で捉えていただければ面白いと思います。現状の知的財産制度が予定していない地平まで来てしまっているということです。

20世紀は、19世紀までに確立された知的財産制度の基本的な枠組みに変更は加えず、パッチ当てで終始してきたのだと思います。しかしながら、21世紀には、産業革命なみの環境変化が起こってしまい、抜本的な改革以外に対応の方策はありません。

もうあきらめて頑張りましょうということです。

問題解決と我々の使命

視点を変えて、やや飛躍した話をさせていただきます。

新しい社会においては、これまで想定していなかった問題に立ち向かわなければならず、そのためにはラディカルな議論が必要だという事なのですが、それでは、そうした議論を行う視座は何であるかという事につき私見を述べたいと思います。

何のために頑張るのかということと、日本は一体どういう立場にあるのかという2つのポイントがあります。

まずは第1点。立場としてはコピーレフトでもライトでもなく真ん中にあるとして、一体誰を(あるいは何を)保護しようとしているのかを見据える必要があります。私は、業者保護でも一般市民の保護でもなく、一言で言うと環境保護であると考えています。

ネットワーク環境は、中央制御型から、完全に分散型になっています。クライアントのリソースも使った上で環境が成立する仕組みになっています。

従来のクライアントサーバーモデルでは、悪い人がいたらサーバーを潰せばいいとか、汚染されたらその部分を潰すといった対応ができましたが、現状はそうなっていません。回線とPC全体でネットワークという環境が構成されているため、本当に環境問題なのです。摘出手術が不可能な仕組みなのです。野放図にしておけば必ず紛争が起こります。権利を巡ってネット内で(データの潰しあいという意味での)戦争が勃発すれば、ネットワーク環境は汚染され、修復が不可能になります。社会規範、法制度、さらには教育まで対応しなければ、つまりはバーチャルな世界を意図して構築しなければ戦争は回避できません。官民や学も一緒に、かなり踏み込んだ議論が必要です。業者としても、我々は知的財産をベースに成り立っている会社なのだから何とか保護してくれということではなく、どういうネットワーク社会であるべきかを議論した上で、望ましいネットワーク社会がそのようなものだとしたら(どのようなものかまだわかりませんが)こういうビジネスモデルを追求しようという順番で思考すべきであると思います。

また2点目として、日本こそが、そういった問題を考えるに最もふさわしい立場にある事を指摘したいと思います。クライアントも全部つながった状態でネットワーク環境が構成されると申し上げましたが、クライアント側のCPU能力・ハードディスクの容量・回線スピードの速さ、この3つを掛け算で考えれば、現時点での日本は、非常に集積度の高い地域になっています。わけても東京は、世界中でトップの環境にあります。この環境を持っているということと、コンテンツの創造能力が今ならまだあるといった条件がたまたま揃っているのがこの数年間なのです。

日本が世界のリーダーシップを取れる、いや取るべきポジションにあるという認識を共有させていただき、ともに問題に取り組ませていただければと思います。

質疑応答

Q:

環境の世界では「3R」と言って、廃棄物になるものを減らし(reduce)、何度も使って(reuse)、使い終わったら素材に戻して再活用する(recycle)という仕組みができています。この場合、使い終わった後の責任はメーカーにも持ってもらうが(拡大生産者責任)、すべてメーカーに押し付けるのではなく、消費者やユーザーも責任を持たないといけません(共有責任)。きちんと分別してリサイクル業者に戻すとか、家電はリサイクル料金を払うといった責任です。この、拡大生産者責任という考えと共有責任という考えで循環型社会を作ろうとしていますが、同じことがネット社会にも言えるのではないでしょうか。業者には、課金でファンドをつくって環境汚染対策をしたり、汚染しにくいサービスやコンテンツを提供してもらい、一方ユーザーにもそういう意識で、課金の負担をしてもらったり、何か行為をしないようにしてもらうようなこともあると思いますが、どうでしょう。

A:

あまりこういう議論はなかったので、是非すべきでしょう。2点に分けてお話しすると、責任の共有というのはご指摘の通りです。それは、制度的には行為規制という方向性であるかもしれませんし、ネットワーク・リテラシーという形で、その前段階で教育を施すということかもしれません。いずれにせよ、ユーザーが発信者でもあるというのがネットワークの特徴なので、メーカーとユーザーが責任をシェアし、全員が関わるべきでしょう。ただそのために何をすべきかについてかなり議論が必要というのが1点目です。
2つめは、一般社会での環境保全問題は資源が希少であるという前提に立っていますが、ネットワーク社会においては、資源とはデータを指すのか実物資産を指すのか。資源がデータである場合、最初は希少だが無限にコピーできます。何を希少とするかという特定をかなり突っ込んでしなければいけないでしょう。何を守るのかとか、何が希少な価値なのかといった議論は、ネットワーク社会はリアルな社会とかなり違うと思いますので、分けて議論しないと危険かなという気はしています。

※本稿は12月8日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

2006年4月4日掲載

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