ブレイン・ストーミング最前線 (2005年4月号)

国際農業交渉の史的考察―日本の通商戦略、開発援助戦略に示唆するもの―

遠藤 保雄
国際連合食糧農業機関日本事務所長

はじめに

農業交渉は、国際経済の一体化に不可欠な交渉プロセスです。とかく例外のありがちな農業分野の貿易を「本来原則」に回帰させるこのプロセスは、各国の農業の構造調整、ひいては政治経済調整を伴います。一連のプロセスの背後には常に「アメリカ」という主役がいました。

戦後の国際農業交渉は、(1)米国を基軸としたGATT・WTOラウンド交渉と、(2)対米関係を軸とした日米二国間交渉との二本立てで行われてきましたが、1990年代に入ると後者はGATTラウンド交渉に吸収されます。先進国間交渉だった農業交渉が、(3)ドーハ開発ラウンドでは先進国・途上国間交渉としての展開を見るようになります。

プロセスの背後にあった国際政治経済要因を簡単にみると、東西対立・冷戦構造のなかで、西側の経済連携としてGATT(貿易と関税に関する一般協定)が1948年に締結され、80年代まで続きます。しかし、冷戦構造の氷解以降、米国を中心とした経済のグローバリゼーションがおこり、途上国が世界経済へ包摂されてゆき、新たな「南」と「北」の対抗関係が生まれ、これがドーハ開発ラウンドにつながっていきます。

GATTラウンド農業交渉の出発点

GATTは基本的に、自由貿易制度を守るための協定です。しかし農業交渉は、むしろGATT一般原則の各種特例規定・扱いを導入する交渉であり、しかも主導していたのは自由化を推進していたはずの米国でした。輸入制限の禁止の特例(GATT 11条2項c(i))、もう1つは輸出補助の禁止の特例(GATT 16条)、そして最も問題のあったGATTウェーバー条項の米国への適用が可決され、米国は義務免除特権を得、輸出補助と輸入制限の両方の合法化をはかっていきました。米国は小麦、トウモロコシなど強いセクターの生産過剰を輸出補助や食料援助等で需給調整し、砂糖、酪農、綿花など弱いセクターでは、生産制限なき輸入制限を認めさせて国内の自由な生産を展開していこうとしたのです。欧州、日本はこうした特例措置に追随していきました。

GATTラウンド農業交渉

GATTラウンド交渉は、米国主導によって設けられた特例を是正していく歴史だったといえます。

(1)50年代
(GDP比率...米・欧・日=39:17:1)
米国の経済産業による世界支配を背景に、米国主導による四次にわたる工業品を主とした関税引下げ交渉が行われます。このとき米国農業は、小麦、とうもろこしの大増産と対欧州輸出をしていた点が重要です。他方、過剰調整のため、強制減反と途上国を念頭においた援助輸出を行い、さらに余った穀物は飼料にして高付加価値のある畜産物をつくろうとします。

(2)60年代
(GDP比率...米・欧・日=34:19:3)
欧州経済が台頭し、米・欧の二極化経済が形成されてきます。欧州は1958年に関税同盟としてのEECを創設し、農産物では、可変課徴金(注1)の導入をはかりました。EECは「関税水準が変動するから関税ではない」と主張し、米国も最終的にこれを受け入れてしまいます。EECはこれを機に共通農業政策(CAP)の導入を検討しはじめ、それは欧州の食料域内生産の刺激と欧州の輸入の減少につながります。
63~67年のケネディ・ラウンドは、一時期より経済の弱くなった米国とEECとの間の交渉となります。争点としては、関税については、米国は農工一体の50%カットを、EECは農業の特殊性の考慮を主張していきます。米国が数量制限などの非関税障壁の「関税化」を、欧州は対抗策として「域内保護水準の固化」(Montant de soutien : MDS)を打ち出します。米国は、輸出戦略作物の自由化追求と酪農品・食肉などの輸入制限という二元的な貿易政策をとります。欧州はCAPの根幹を維持する戦略で、可変課徴金・輸出補助・国内支持を三位一体で確保します。一方、日本は明確な思想のないまま、交渉上のメリットを享受していきます。
ケネディ・ラウンドでもう1つ重要なのは穀物市場の秩序化のための商品協定です。ここに穀物の価格帯の設定、過剰分の食糧援助化が始まりました。

(3)70年代
(GDP比率...米・欧・日=32:21:6)
73年の第一次石油危機によるトリレンマ(景気後退、インフレ、国際収支の悪化)を背景に、米国の産業競争力の低下、欧州経済の停滞がおき、日本は工業品輸出国として台頭してきます。
東京ラウンド(73~79年)の農業交渉上の課題は、ECは「域内市場の確立」と「アフリカ・地中海国・北欧との特恵貿易関係の確立」の進行をどう制限・抑制するかであり、また米国は輸出先をECに加え、カナダ・日本と多元化し、輸出品目も小麦に加え、飼料穀物、大豆、更に付加価値品に多様化します。
東京ラウンドでの合意は、「スイス・フォーミュラ」に留意した関税引下げ、輸入数量制限の軽減、輸出補助規律の運用強化と補助金コード、と関税以外の障壁にも手が加えられたのが特徴です。しかし、食料安全保障に必要な貿易安定化と商品協定については、何も成果がありませんでした。

日米農業交渉

もう1つの道筋である日米農業交渉の歴史をみてみましょう。

日米農業交渉は、(1)日米貿易不均衡、(2)米国の対日輸出利害、(3)GATTルールとの整合性、この3つを軸に展開します。

50~60年代、日本の経済復興に伴い、農産物、特に穀物を中心に輸入が拡大していきます。

60年末~70年代半ばは、日米両国間で相互補完的な農作物貿易が展開した蜜月期といえます。しかし、70年代に入ると日米間の貿易不均衡は大きな問題になってきます。米国は、牛肉・オレンジなどの高付加価値品の輸出に転換し、日本の選択的拡大戦略と対立してきます。そして牛肉・オレンジ自由化交渉が、第一次(78~79年)、第二次(82~84年)にわたって行われます。

80年代半ば以降は、日米二国間交渉も「自由化」「非関税障壁のガット整合化」交渉へと変質します。まず、農産物12品目についてはGATT上の農業の特例的扱いを見直さざるをえなくなり、第三次牛肉・オレンジ交渉では、完全自由化に併せ、関税の分を農家に直接支払うという制度が導入されました。さらに、86年、89年にコメの通商法301条提訴があり、コメを含む「聖域」なき交渉へ発展し、ウルグアイ・ラウンドにつながっていきます。

日米農業交渉をみていくと、日米の戦略の差がわかります。米国が農業再活性化という独自戦略をもっているのに対し、日本は政治的制約をどう調整するかに始終する外圧対応型であったことです。

ウルグアイ・ラウンド交渉

86年からウルグアイ・ラウンド交渉が始まります(~94年)。この時期、一般産業分野では米欧(保護主義)と日・アジア(輸出拡大)との対立がおき、世界的にも地域主義が広がりました。農産物の国際的な過剰化、ECの農産物輸出国化により、輸出補助金競争がおこり国際市場は混乱、米国の農産物輸出は半減し、農業不況に陥ります。但し、米国農業界は、農業活性化のため市場経済を重視し、保護主義抑制、相互主義・地域主義の抑制を明確にします。

そして米国は、GATT本来のルールへの整合化方針を取ります。ECにはCAPの基本的改変を、日本には非関税障壁(輸入数量制限)の除去を求めるかわりに、米国自身も農政の市場依拠型への改変とGATTウェーバー下での輸入障壁の除去を追求するという、抜本的な改革に乗り出すのです。

ウルグアイ・ラウンドでの合意が米国・EU・日本での農政改革の取り組みを非常に加速させます。共通するのは市場経済主義重視です。米国は1996年農業法を施行し、生産調整をやめ、農家への直接支払いも固定化します。EUと日本も市場メカニズムに基づく方向に転換していきました。特にEUは余剰農産物をかかえて財政が悪化し、国際競争力も落ち、政策の根幹が揺らぎ、さらに大農業地帯である東欧の加盟を控え、農政の合理化を進めなければという危機感がありました。日本はコメの実質的関税化に踏み切りることで交渉の入口に立ち、食糧法で、需給調整をやっていこうとしました。

また途上国が農業協定に内包されていったことは重要で、これがのちにドーハ・ラウンドでさまざまな問題を生じさせるもととなりました。

ドーハ開発ラウンド

2001年ドーハ開発ラウンドが始まります。基本的課題はウルグアイ・ラウンドに規定された農政改革の追求、非貿易的関心事項の考慮、そして開発途上国に対する特別かつ異なる待遇をどう反映していくか、でした。

新しい交渉環境としては、まず、米国経済の再生、EUの統合の進展、デフレに悩む日本、そのなかで米国スタンダードのグローバリゼーション、市場メカニズムの役割増大があります。2つ目に途上国の多様化と台頭です。途上国の関心は「農業・繊維」、先進国の関心は「投資・サービス」です。そして3つめが地域主義の深化です。

農業分野の交渉環境では、まず国際農産物市場の90年代末以降の低迷があります。中国での増産と、中南米、特にブラジル・アルゼンチンの主要穀物の生産増強が原因だと私は考えています。中南米の生産増強の裏にはアグリビジネスがいる、ということに留意が必要です。アグリビジネスが米国から離れて、世界各地に生産地域、経済圏をつくり、そこから輸出をし始め、国家単位の農業利害とのずれが生じてきたのです。

ドーハ・ラウンドの農業交渉において、米国は、先進国・途上国間での農業政策調整をはかり、特に将来、経済的成長、人口の増加の期待される途上国の自由化を追求します。EUの戦略は、途上国での需要の増加をにらんだ価格競争力の強化です。そして中東欧の統合に備えて、一層のCAP改革を進めることです。

一方、途上国の戦略は二元的です。途上国は農業がGDP比で30~80%も占めているのに、先進国からの穀物の方が安いため穀物については大輸入国となっています。それで先進国の輸出補助・農業保護の削減要求をします。競合する農産物については先進国市場の開放を訴え、自国農業への圧迫を回避しようとします。さらに、特別待遇を追求し、米国の戦略と対立します。この時期の途上国は、経済発展に成功したASEAN、中国、ブラジル・アルゼンチン、インド等と、内戦・ガバナンスの悪さで経済が停滞しているアフリカ、南アジアとに二元化していることに留意が必要です。

日本の戦略は、農産物価格の内外価格差の是正が課題で、非貿易的関心事項での配慮を追求し、構造調整の時間を確保すること、また市場メカニズムの活用、選択と集中、高生産性農業の追求と農村維持をどう両立させるか、ということです。

ドーハ開発ラウンドの基本枠組みは、米国にとっては、反循環支払いを「青」の政策と認めさせ、関税の階層方式での削減、輸出補助金の期限を明示しての廃止をベースに対外農産物の拡大と輸出利益の農家への還元をはかり、米国農政の改革、国内助成の削減を進める器を整備するということでした。

EUにとっては、輸出補助金の期限を明示しての廃止によって、途上国のCAPの否定を回避し、かつ「青」の政策の国際的容認と輸入アクセス面でセンシティブ品目への弾力的な対応の確保により、拡大EUのもとでCAPの合理化を追認することができました。

途上国にとっては、特別待遇をのぞみつつもWTO体制への包括的統合という事態を迎えたということです。しかし農業の発展や食料の安定供給の観点から、先進国に輸出補助などの削減を求め、輸出アクセスの改善を求めてくるでしょう。

日本は今回の交渉でNG5という、貿易戦略協議の場に関与できませんでした。コメを筆頭として関税上限設定の検討、センシティブ品目の関税引き下げの弾力的対応など、具体的対応はこれからの交渉に委ねられ、先行きは不透明です。

今後の国際農業交渉に必要なこと

農業交渉は非常に難しいものです。農業は立地条件(土地、労働力、資本)に制約され、生産性、競争力に違いがでてくるからです。また、価格需給変動が大きく市場メカニズムにも限界があります。農産物は自給的性格が強く、限界生産部分の貿易であること、輸出国の地域的偏り・寡占化があること、大生産地域での輸出・輸入の振幅が大きいのです。

今後の国際農業交渉では、WTO交渉とFTA交渉という重ね型での展開であることに対応しなければいけません。利害調整も難しく、市場メカニズム対応先行か、セーフティネット準備型の対応先行か、二元化する対途上国戦略準備型の対応か、判断しなければならず、貿易面の配慮だけでいいのか、開発援助への配慮を組み合わせるのか、も問われてくると思います。

日本は「国」としての総合戦略、つまり農・工・サービス一体となった総合通商戦略が必要です。特に途上国は自由化に強く抵抗してきますから、FTA、EPAを結ぶとしたら途上国との格差に配慮した通商戦略が必要です。また途上国に対して開発援助的な視点をもつことも大事なのではないかと思います。

質疑応答

Q:

米国は交渉において、攻めの姿勢が強いように思いますが、日本は米国とどこが違うのでしょう。

A:

日本は「農産物を輸出する」という発想が今までなかったのではないでしょうか。ナシやミカンなどは以前から輸出していましたが、戦略品には育ちませんでした。ただ、ここにきてアジアの経済成長に伴い、少々高くても品質がよければ買うという流れがでてきました。そしてトライしてみようとする農業者もでてきています。しかし内外価格差が非常に大きいものは、やはりコストをさげなければいけません。そのためには欧米の直接支払いとは違った、農業を育てるための経過的な補償を考えたほうがいいと思います。

Q:

今までの日本の農業政策について、どう思われますか。

A:

国境措置の下での価格支持政策は、構造改革を進めるのには残念ながらうまくいきませんでした。しかし農家を貧困から救い、安定させるためにはよい政策だったと思います。農地改革を行い、食管制度でコメをベースとして生産を刺激し、食糧を安定供給し、雇用の機会をつくることで、日本の経済発展の基礎をつくったと思います。ただし、それは70年代までで、その時点で市場メカニズムを考えた農政ができていたら現在は大分違っていたのではと思います。それでもなお日本の農業政策は、東南アジアなどの貧困解消、経済発展のベースとして、十分模範になりうると思います。

本意見は個人の意見であり、筆者が所属する組織のものではありません。

※本稿は1月25日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
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脚注
  • 注1…EEC内の支持価格と実際にはそれよりも高い価格で変動する価格との差額を徴収するというもの。
参考

遠藤保雄著『戦後国際農業交渉の史的考察・関税交渉から農政改革交渉への展開と社会経済的意義』2004年(御茶の水書房刊)

2005年4月27日掲載

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