Research & Review (2004年10月号)

真の農業構造改革の実現を

山下 一仁
上席研究員

食料・農業・農村政策審議会は去る8月10日、WTO交渉や農業構造改革の遅れに対応するための農政改革の検討に関する『中間論点整理』を公表した。この検討に資するため、経済産業研究所は7月28日に政策シンポジウム『21世紀の農政改革-WTO・FTA交渉を生き抜く農業戦略』を開催した。基調講演者にOECD農業局アッシュ次長を迎え、第1部として農政改革の必要性と方向について、今野秀洋早稲田大学大学院客員教授、北川正恭早稲田大学大学院教授、木村福成慶応義塾大学教授、高木勇樹農林漁業金融公庫総裁、八木宏典東京大学大学院教授(食料・農業・農村政策審議会会長)による討論、第2部として農政改革の具体的仕組みについて、紙谷貢食料・農業政策研究センター理事長、大泉一貫宮城大学事業構想学部長、金子弘道鳥取環境大学教授、立花宏日本経済団体連合会常務理事、馬場利彦全国農業協同組合中央会基本農政対策室長、筆者による討論を行った。以下ではシンポジウムでの議論を織り込みながら、あるべき農政改革の姿を示したい。

FTA・WTO交渉から要請されるもの

21世紀に入り、FTA(自由貿易協定)の締結を核とするアジア経済の統合が加速している。FTAでは、実質上全ての貿易(一説によると90%以上の貿易量)について関税をゼロにしなければならない。つまり、農産物関税を下げることができないと、アジア経済統合から日本は取り残されることになる。

WTO農業枠組み合意(2004年7月)では、一定以上の関税は認めないという上限関税率の検討は先送りされたが、高い関税品目のグループには高い関税削減率を課す方式が合意された。重要品目については高い関税削減率の例外が認められるが、例外には代償が必要であるというWTOの基本ルールに従い、(低税率の)関税割当を通常要求される以上に拡大することがその条件とされたようである。関税引下げには、生産者への直接支払いや構造改革による国内価格の引下げといった対応が考えられる。これに対し、内外価格差のある状況下での関税割当の拡大は、国内生産の縮小をもたらす。日本政府が食料自給率の向上を唱えるなら、いずれかを求められる場合は迷わず関税引下げを選ぶべきだろう。また、農業で後ろ向きの対応を採り続けるのではなく、直接支払い導入を前提として関税引下げ等WTO農業交渉に積極的に対応しなければ、日本が攻めるべき分野の交渉も進まない。

EUの対応から学ぶもの

域内市場価格を国際価格より高く設定し、過剰生産分を輸出補助金で処理していたEUは、92年以降穀物等の支持価格を引き下げ、財政による農家への直接支払いで補っている。現在の穀物支持価格は国際相場を下回っており、EUはアメリカ産小麦に関税ゼロでも輸出補助金なしでも対抗できる。しかも、EU拡大等自らの域内事情からWTO交渉に先んじて農政改革を行っている。今回の交渉に向けても昨年6月さらなる改革を行い、これをもって関税引下げ、輸出補助金撤廃を提案するなど積極的に対応している。我が国の農業保護のための国民負担はEUより低い水準であるにもかかわらず、そのうち9割が関税を通じた消費者負担である。

農政改革の必要性と方向

(1)望ましい農政
アッシュ次長は「農業保護のため国内価格を高く支持する消費者負担型の政策は、肥料、農薬等の支払いにより販売収入の25%分しか農家の所得にならないうえ、過剰生産を招き、肥料、農薬等の多投入により環境に悪影響を与えるなど問題が多い。これに対し、特定の目的や農家にターゲットを絞った財政負担型の直接支払いは、負担と受益の関係が明らかで国民負担も少なく、国内価格を低下させることから高い関税が不要となる。問題の源に直接対策を講ずるべきだ。また、構造調整を支援し変化を促進すべきである。日本の農業保護は消費者負担の割合が極めて高いうえ、特定の産品に偏っており経済的な非効率を生んでいる」と指摘した。

(2)我が国農政の特徴と構造改革の遅れ
消費者負担型農政となった背景には、1961年に制定された旧農業基本法が規模拡大・コストダウンによる農業の構造改革を目指したにもかかわらず、実際の農政は農家所得向上のため高米価政策を採ったことが挙げられる。農業資源は収益の高い米に向かい、過剰となった米の生産調整を30年以上も実施する一方、麦等の生産は減少し、食料自給率は1960年の79%から現在は40%へ低下した。
農産物コストを低下させる品種改良等による収量の向上は、生産調整の強化につながるので抑制された。農地集積による規模拡大もコストを下げる要因だが、40年かけて平均0.9haの農場規模が1.2haになっただけである。1953年まで国際価格より安かった米は490%の関税で保護されている。アッシュ次長の指摘を待つまでもなく、問題に対し「直接解決する政策を採る」という経済政策の基本を無視し、農家所得を直接向上させる政策ではなく価格支持という間接的な政策を採ったため、食料自給率や国際競争力の低下等大きな副作用を生じさせてしまった。採るべき政策が違ったため、農業の比較劣位を改善しようとした政策が皮肉にも農業の衰退を招いてしまった。
農地法による転用規制、農振法による土地利用規制(ゾーニング)も厳格に運用されず、農地は宅地などの都市的用途へ転用された。農家が減少しても農地も減少してしまえば規模拡大は進まない。自給率は低下しても米余りの中では農地は余っているという認識が定着し、耕作放棄も進んだ。
これに対し、フランスではゾーニングにより都市的地域と農業地域を明確に区分し、担い手への農地集積を積極的に推進する一方、農政の対象を農業が所得・労働時間の半分以上を占める主業農家に限定し、構造改革を後押しした。この結果、自給率は99%から132%へ、農場規模は平均17haから42haへ拡大した。

(3)必要とされる政策
関税引下げに対処するためには、財政による生産者への直接支払いを導入すべきだ。しかし、対象農家を限定しない直接支払いでは、消費者負担を財政負担に置き替えるだけで農業の効率化は図れず、国民負担は減少しない。零細な農業構造が温存されたままとなっている日本では、適切なゾーニング制度の運用とともに、構造改革を促進させる効果も持った直接支払いの導入が不可欠である。

構造改革促進型直接支払いの具体的仕組み

(1)構造改革が遅れた要因
では、なぜ日本で農場規模の拡大が進まなかったのだろうか。主業農家にとって、肥料・農薬等の物財費と自家労働費を販売額から引いた後に支払えるものが地代である。他方、販売額から物財費を引いた所得は農地を貸し出せば失われるので、副業農家はこれを農地貸出しの対価として要求する。主業農家の支払可能地代[販売額から物財費・労働費を引いた分]が副業農家の所得[販売額から物財費を引いた分]を上回れば、すなわち、副業農家に比べ主業農家の規模がかなり大きくコストが十分に低ければ農地は集積する。規模が大きいほどコストは低くなるので、規模拡大は支払可能地代を増加させ、更なる規模拡大を生む。フランスでは構造政策の推進によりこのような規模拡大を成立させるための条件が整備されたが、日本では構造改革を行う前に高米価政策が導入されたため、コストの高い副業農家でも高い米を買うより自ら作るほうが安上がりなので農地は貸し出されず、端から規模拡大の好循環に乗ることができなかった。

(2)構造改革促進型直接支払い
副業農家一戸当たりの平均米販売額109万円のうち、物財費と自家労働費を除いた農業所得はわずか12万円で、販売収入の11%分しか副業農家の所得上昇に寄与していないが、経営規模の大きい効率の良い主業農家ならこれは4割程度になる。副業農家は見た目の米販売額の多さから農業に固執するのかもしれないが、この所得は米価1万6000円/60kgが1800円低下しただけで消え去る。価格維持のための生産調整を廃止し、米価を需給均衡価格9500円/60kg程度まで下げ、所得を大きく赤字にすれば副業農家は耕作を中止する。さらに農地を農地として利用するための農業版特別土地保有税を導入し、不作付け対応の機会費用を高めれば、農地は貸し出される。一方、一定規模以上の主業農家に耕作面積に応じた直接支払いを交付し地代支払能力を補強すれば、農地は主業農家に集まる。3ha未満層の水田の8割が流動化すれば3haの農家規模は15ha以上に拡大し、4000円/60kg程度の国際価格へ向けて需給均衡価格からさらに価格を下げていくことが可能となる。
規模拡大によるコストダウン効果により、構造改革を行わず内外価格差を全て財政で補填する場合より財政負担は大幅に軽減できる。しかも、直接支払い(関税全廃する場合でも所要額は1.7兆円以内)を3兆円程の農業予算内で処理すれば財政負担は増えない。価格低下により農業保護の9割、5兆円(消費税2%相当)に及ぶ消費者負担は消滅し、関税引下げにも対応できるとともに国民負担は大幅に縮小する。世界最大の農産物輸入国でありながら、最も農業を保護している国との国際的な批判を返上できる。

直接支払い導入の主要論点

シンポジウムでの議論を紹介したい。
(1)政治的困難
構造改革が最も遅れ、副業農家が多数を占める米作では、対象者を限定できるという直接支払いの最大のメリットこそ政治的には最大のデメリットとなる。しかし、与党・内閣が強い政治的意思を持ってこれまでの農政から決別し、基準が明確な直接支払いの導入に踏み切る時だという意見が出された。

(2)対象者の限定
副業農家も水路、農道の管理等に重要な役割を果たしており、集落営農を対象とすべきであるという意見に対し、1)魅力ある農村とするためには企業家精神を持った経営者の育成こそ必要であり、その参入・活動を阻害している要因を排除すべきである、2)稲作副業農家の平均所得は792万円であるが、先にも述べた通り一戸当たりの平均米販売額109万円のうち所得分はわずか12万円にすぎず、稲作副業農家の世帯所得に対する農業所得の貢献度は低い。また、兼業化により稲作副業農家の所得は勤労者世帯の平均所得662万円を大きく上回っているため、兼業セーフティネットがある副業農家にまで直接支払いをすることは国民の理解が得られない、3)集落営農といっても担い手のいない集落営農は長続きしない、という意見が出された。

(3)生産調整の廃止
生産調整を廃止すれば米価が大幅に下がるという意見に対し、1)既に現場では廃止しようとする動きがあり市場原理を導入すべき、2)価格低下で影響を受ける農業依存度の高い主業農家にのみ直接支払いをすればよい、3)関税が下がれば生産調整による価格維持はできなくなる、という意見が出された(農地の整備をした効果は価格の低下につながり消費者に帰属する、ということが農業基盤整備事業を公共事業で行う根拠であった。その一方で、価格を下げないという生産調整に30年間で6兆円を投入するとともに、好天候等で生じた過剰米を約3兆円の財政負担により海外援助、飼料用等で処理した)。

真の農政改革を目指して

農商務省の法学士第一号柳田國男、戦後の農地改革、経済復興を主導した和田博雄、農業基本法の“生みの親”東畑精一、小倉武一ら改革本流ともいうべき農政の先人達には、農家の貧困克服は零細農業構造の改善によるべきであり、農産物価格を上げ消費者家計を圧迫すべきではないとする明確な農政理念があった。しかし、国民所得が向上する中で高米価政策に転換したその後の農政に、農家は米単作兼業という経済原理に即した対応を行い、農家は豊かになったが農業は衰退した。

WTO交渉で本格的な関税引下げの議論が先送りになったので、食料・農業・農村政策審議会の『中間論点整理』は、米、麦等の農産物関税引下げへの対応としての直接支払いは見送るという内容となった。しかし、交渉結果を待つのではなく、衰退の著しい我が国農業自体に内在する問題、特に構造改革が遅れ種々の問題が派生している米問題に対処するための改革を行わなければ、農業は内から崩壊する。また、WTO交渉全体の日本のポジションを悪くしかねない。これまで通りの農政を続け農業の衰亡を待つよりは、直接支払いによる構造改革に賭けてみてはどうだろうか。国民は農業を保護するかどうかを問題としているではない。そのためにどのような政策を採るのかを問題としているのである。

食料が不足して困るのは消費者であって農家ではない。終戦後の食糧難の際、食料の買出しのため着物が1枚ずつ剥がれるようになくなるタケノコ生活を送ったのは、都市生活者であって農家ではなかった。この食料政策の基本に立ち返り消費者負担型農政を転換するとともに、「真実の生産性を荷っている者」(柳田)の「企業家精神を鼓舞し」(東畑)「経営の合理化」(和田)を図り「自由化に耐えうる『強い農業』を目指し、本気で自活、再生への道を考える時期である」(小倉)。年末の審議会最終報告にむけ、真の農業構造改革のための政策が議論されることを期待したい。

文献

2004年10月8日掲載

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