ブレイン・ストーミング最前線 (2003年5月号)

アジアが直面する課題

ゴー・チョクトン
シンガポール大統領

今まさに我々の目の前で世界が組み変えられつつあります。そうしますと、問われるべきは、日本とシンガポールは、それぞれの国益のために、いかに影響を及ぼし得るかということです。

組み変えられつつある世界

冷戦の終結は、必ずしも平和な世界をもたらしませんでした。むしろ、前よりも乱雑で危険な場所になってしまいました。冷戦終結後、我々はクウェートをイラクから解放するため、湾岸戦争に突入しました。湾岸戦争後、サダム・フセインを武装解除するための長い戦いが続き、ついに現下の戦争という事態に立ち至ったわけです。1990年代には、バルカン半島においても、政治的混乱、民族浄化、そしてNATOによる介入という展開がありました。また、ソマリアとハイチでは国家が崩壊し、ルワンダでは民族大虐殺が見られました。その間、イスラエルとパレスチナの対立は、激化しながら続いています。

地政学的にも世界は組み変えられつつあります。この国際政治・戦略関係の組み替えに関しては、次の3つの主要な展開の寄与するところが大きいと考えます。第1は、米国の力が未曾有の規模で優位にあること、第2は中国の台頭、そして第3はインドネシアにおける政治的断絶です。

米国の優位

まず、米国の優位についてお話ししましょう。冷戦後の米国の優位性は、近代において前例を見ない規模で、多方面にわたっています。単に軍事面だけでなく、経済、金融、技術、更には文化の面でも米国の力は突出しています。

そこで、地政学的な現実問題として、今日の主要な国際問題は米国の協力なくして解決することはできません。国民向けにどのようなレトリックを使っているかはともかく、すべてのアジア諸国は米国と良好な関係を保つことの必要性を理解しています。第二次世界大戦以来、米国のプレゼンスは東アジアにおける安定と成長にとってかけがえのない基盤を提供してきました。それがなければ、力の空白を埋めようとする競争が起き、不安定化要因となったことでしょう。また、米国はきわめて重要な市場であり、技術と投資の源でもあります。

この米国の優位性の規模そのものが米国の友好国の間にも反感をもたらしています。

そして、現在顕著なのは戦争を通じてイラクを武装解除しようとする米国の決定への反感です。イスラム人口の多いアジア諸国は、この戦争に対してきわめて批判的です。非イスラム諸国にも動揺が見られます。しかしこのような激動と不確実性の時期にこそ、我々はこの戦争の背後にある根本的な原因を見失ってはなりません。

国連安全保障理事会が2回目の決議についてコンセンサスを得られなかったのは不幸なことでしたが安保理決議は、開戦のために法的に必要だったというよりも政治的に必要だったのです。イラクは再三、安保理決議に違反してきました。完全な武装解除を果たし、戦争を回避する責任は常にイラク側にあったのです。

そのようなイラクの脅威は9.11以後、一層高まりました。9.11以降、米国は自国が無防備であると感じ、安全保障上の優先順位を見直しました。その過程で、米国は大量破壊兵器保有国であると考えているイラクを、受け入れられない脅威であるとみなし、この脅威を取り除くためにその強大な力を使うことを決めたのです。

一国単独主義と多国主義との間の選択の問題だという単純な図式が示されることがありました。

安全保障理事会において、イラクについてのコンセンサスが得られたと仮定してみましょう。それで米国の優位性が解消したでしょうか。

答えは明らかにノーです。たしかに、国連の威信は保たれたでしょう。

他方、米国と国際社会にとって重要な利害がからんでいるにもかかわらず、米国という超大国が過去の国連決議を実行させるためにその力を行使することを国連安保理事会が支持できないとすれば、損をするのは多国主義と国連の側です。

イラクに対する武力行使が必要だったと考えるもう1つの理由を挙げます。間違った人間が大量破壊兵器を手にすればあらゆる文明国は恐るべき脅威にさらされます。もしイラクに対する武力行使が行われなかったら、あるいはもし米国のイラク作戦が失敗したら、このことは世界中の過激派集団に対してどのようなシグナルを送ることになるでしょうか。

既に北朝鮮は、世界の関心がイラクに集中している隙をついて、自国の核開発計画を前進させています。もし北朝鮮が核保有国になれば、すべての周辺国は戦略の見直しを迫られることになります。

日本はその安全保障上のオプションを見直さなければならなくなるかも知れません。中国も対応を迫られるでしょう。米国、ロシアも同様です。アジア全域の信頼関係と安定は大きく損なわれます。

幸い、北朝鮮問題への対応にはまだ少し時間があります。我々は、関連主要国すなわち米国、中国、日本、ロシア及び韓国がこの時間を使って、事態を平和裡に収拾することを望んでいます。

中国の台頭

過去20年間、中国のGDPは年率およそ10%の割合で成長してきました。貿易量の伸びは年率約15%です。中国は今や米国、日本、韓国、EU及びASEAN諸国にとって重要な貿易相手国であり、世界にとっての主要な投資受入れ国でもあります。また大いなる機会であるとともに、脅威でもあります。

ある計算によれば、日本からの対米輸出品のうち16%が中国製品と競合しています。東南アジア諸国では、この数字はずっと大きく、シンガポールが36%、マレーシアは48%、タイは65%、インドネシアに至っては82%が米国市場で中国製品と競合しているのです。

中国が繁栄し、世界経済の中に組み込まれている状態は、われわれすべてにとって利益です。貧困のうちに孤立する中国という事態は、お隣に60の北朝鮮があるようなものです。そうなってしまうと、単に脅威だけが残ります。

中国は、世界から責任ある大国として見られる必要があることをよく分かっており、このイメージを作り上げるために大変な努力をしてきました。中国とともに東アジア全体が均衡ある発展をとげられれば、多くの域内諸国は一層安心するでしょう。均衡の維持こそが今の東アジアにとって最も重要な戦略的目標であり、そのためには米国の支援が不可欠です。米中関係が東アジアにおける最重要の二国間関係ということになります。

米国の現政権は、前政権よりも中国に対し懐疑的です。しかし、米国は、とりわけ世界的なテロ対策を維持していくために中国を必要としています。そのため、中国に対するタカ派的アプローチは制約を受けています。

中国自身はどうかというと、米国の単独行動主義に反発しています。また、日本が自国の水域を越えて米国を軍事的に支援していることに対し不信感をいだいています。しかし、中国はこのような懸念を全面に出すことを控えてきました。中国国内にもテロの問題があります。国内の政治的、社会的課題は山積しており、しかも指導者の交代があったばかりです。さらに、中国にとっての最優先事項は経済成長です。したがって、北京の指導者は安定的で建設的な対米関係を求めています。たとえば、中国は対米関係を落ち着いた状態に保つため、イラク問題については抑制的な立場をとってきました。したがって全体としては、現時点での米中の戦略的状況は安定的なものであると考えています。

日中関係に目を転じますと、日本国内で、中国の台頭が日本のアジアにおける存在感を第二義的なものにしてしまうのではないかとの懸念があることは十分に理由のあることだと考えます。だからこそ、中国がASEAN諸国との間で自由貿易協定(FTA)を提案した際、日本は間髪を入れず包括的経済連携協定という反対提案を出したのでした。これらは、東アジアにおける新たな地政学的チェスゲームの最初の数手にすぎません。ASEAN諸国は、中国と日本が今後どうやってこうしたチェスの差し手を現実の利益に変えていくのかを見守ることになるでしょう。

日本はASEANに対し中心的な関与を続けていかなければなりません。日本は依然として世界第2位の経済大国であり、シンガポールにとっても地域全体にとっても重要な国です。しかし、私はASEAN向けの日本の投資が1997年以来急激に減少していることに懸念を抱いています。日本のASEAN向け貿易額も、1995年以来減少を続けています。

この文脈において、私は、日本経済の改革に向けての小泉総理の努力は、日本のみならず、東アジア全体にとってきわめて重要であると考えます。もちろん、東南アジア諸国の政府も、経済的パートナーとしてのこの地域の魅力を回復するため、痛みを伴うけれども必要な措置をとっていかなければなりません。

インドネシアにおける政治的断絶

さて、東南アジア全域には、政治的・経済的変化が起き、挑戦すべき重大な課題が生まれています。9.11とイラク戦争により、この中でも最も複雑な変化として注目されるのは、イスラムの政治的問題です。

このイスラムの政治的挑戦の中で最も重要な課題となるのが世界最大のイスラム人口を抱えるインドネシアです。大多数のインドネシア人イスラム教徒は穏健派です。彼らは、強烈な信仰心を持ち、質素な生活を送る中東のワッハーブ派とは異なるというのが従来の常識でした。

しかし、こうした穏健なイスラムも、インドネシアをイスラム宗教国家に改造しようとしている過激派集団の存在に脅かされており、過激派の規模は大きくなるばかりです。

メガワティ大統領は、イスラム政党が彼女をどう思っているかについて決して幻想を抱いていません。彼女は、1999年、彼女の率いる政党が自由な選挙において最大の得票率を獲得したにもかかわらず、イスラム政党の連合体が彼女の大統領就任を拒否したことを忘れてはいません。このため、彼女は過激派イスラムがインドネシアにもたらす危険を熟知しながら、イスラム教戦士に対しては、慎重に事を運ばざるを得ないのです。

実際インドネシアは、テロに対する戦いの初期には受動的な役割しか果たしていませんでした。何人かの政治家は、国内にテロリストが存在すること自体を否定していました。問題の存在を認め、政府がテロリスト対策をとったのは、2002年10月のバリ島爆弾事件という悲劇がきっかけでした。

私は、メガワティ大統領はインドネシアのテロとの戦いに真剣に取り組んでいると思います。しかし、インドネシアの国家体制が過激派イスラムに傾斜するならば、テロリストは、そこに同情的な環境を見出すことになるでしょう。

このことは、アジアにとって過酷な結果をもたらします。過激なイスラム国家となったインドネシアが太平洋とインド洋をつなぐ戦略的シーレーンのすぐ横に存在しているという事態は、日本を含む多くの国に重大な影響をもたらします。

結論

我々は、これまで述べてきた課題に取り組むための長期的展望を持つ必要があります。東アジアは、地域内に平和を確保できるような枠組みを作っていくべきです。

その1つとして、東アジア自由貿易地域(EAFTA)が考えられます。EAFTAは、東アジアの各国経済を網の目状にからませるための実際的かつ現実的な方法です。東アジア経済に相互依存関係が存在し、相互に絡み合っていれば、各国経済は共通の未来を持つことになります。この未来を共有するという感覚、一蓮托生の感覚があれば、東アジア諸国同士の衝突を回避するのに役立つでしょう。

EAFTAは直ちに実現されるというものではありません。これは中期的目標であって、現在日本がタイ及びフィリピンと議論中のFTAやASEAN、中国及び日本を当事国とする域内FTAといったような現在交渉途上の二国間FTAの基礎の上に積み上げられていくべきものです。

EAFTAを達成するために投入される年月と努力は、東アジア各国経済に理解と信頼を築き上げることでしょう。このことは、自由貿易地域内の相互連関関係がもたらす現実の利益と相まって、将来の紛争が制御不可能になる事態を防ぎます。仮に深刻な紛争が起こったとしても、それらに対処するために、既にできあがった連絡網及びメカニズムが存在するということになります。

ここでは、欧州の経験から教訓が得られます。欧州は多くの戦禍に苦しめられました。これらの戦禍が欧州共同体結成の背後にある主たる動機の1つだったのです。即ち、もし欧州諸国が同盟を結んで共通の利益のために協働するならば、そして彼らの運命が分離できないほど強い絆で結びつけられているならば、このことは同盟諸国間の戦争を防止するだろうということです。

欧州は成功しました。過去半世紀、伝統的に敵対してきた諸国間の戦争は起こっていません。EUの構想はあまりにも強力なので、今や新規加盟を求める国が門前に列をなしている状態です。EUの拡大は、経済的繁栄のためだけではありません。欧州における平和と調和の地域の拡大をめざすものです。

同様に、域内の戦禍にさいなまれてきた東アジアにおいても、長期的な目標として東アジア共同体をめざすビジョンと勇気と智恵を持つべきです。

シンガポールは、世界秩序の組み替えについてほとんど発言力がありません。他方、日本はここ東アジアでの事態の展開に影響力を行使することができます。両国が手を携えて、それぞれの国益と共通の利益のために地域の統合を更に深めるべくイニシャティブを発揮していこうではありませんか。

本意見は個人の意見であり、筆者が所属する組織のものではありません。

※本稿は3月28日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

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