ブレイン・ストーミング最前線 (2003年2月号)

メガバンクの誤算

箭内 昇
アローコンサルティング代表

私には銀行時代以来、人が企業を動かし、企業が人を動かしている、という思いがあります。そして、長銀が破綻したとき、長銀問題は日本の金融全体の縮図であり、日本全体の縮図でもあると確信をしました。そんな思いから99年に「元役員が見た長銀破綻」(文藝春秋社)を書き、金融界に警鐘を鳴らしたつもりでした。その後は、金融界とはすっぱり縁を切ってコンサルタントの仕事を続けていたのですが、最近の銀行界が長銀と同じ道を歩いている姿を見て大きな危機感を持ち、再び警告を発するつもりで「メガバンクの誤算」(中公新書)を出版しました。破綻銀行の元銀行員としては「あの時代」がまだ続いていたのか、というのが今の実感です。

私が日本の銀行に危機感を持った原点は80年に初めて米国出張をしたときにさかのぼります。当時、米国の金融界で起こっていたマネー革命を自分の目で見ることが出張の目的でした。当時のアメリカでは、ハイパーインフレの中で、銀行預金が高利回りのMMFに大量に流出し、銀行間でも預金金利や景品などで激しい顧客争奪戦を展開し、そしてS&Lなど中小金融機関が相次いで倒産していました。各種金利はもとより株価ですら完全統制下にあった日本の銀行の行員としては大きな衝撃でした。調査を進めるほどに、同じ現象はいつか日本でも起きるのではないかと思いました。そこで帰国後、銀行の役員や日銀などで出張報告をしましたが、その時は対岸の火事という反応がほとんどでした。

その後、バブル時代はニューヨーク支店に勤務し、92年に経営のブレーン役である企画室長として帰国しましたが、その時に銀行の抱えている不良債権の山を知り愕然としました。しかし、恥ずかしながら、在任した2年間、結局抜本的な対策をとることはできませんでした。行内でも不良債権の実態は隠蔽されていた上、直属の上司から頭取までのラインが全員バブルの当事者だったからです。

日本の銀行は、その後不良債権のダメージを膨らませて今日の危機状態に陥ったわけですが、私はバブル崩壊から今日までの約10年間を大きく3つの時代に分けられると考えています。まず、91年から94年は、銀行自身も当局も不良債権の実態を模索していた疑心暗鬼の時代。95年から97年までは、住専問題やEIEの破綻などで不良債権問題の実態が明らかになったにもかかわらず、銀行も当局も弥縫策を重ねて問題を先送りした業務上過失の時代。さらに98年以降は長銀が破綻し、問題先送り路線が日本経済に重大なダメージを与えることを知りながら、組織防衛、自己防衛のために抜本処理を怠ったという国家的背任の時代です。そのなれの果てが、今日の姿だろうと思います。

2002年11月8日の金融庁発表は歴史的な事件でした。長銀破綻直後に実施した当局の銀行検査において、銀行の自己査定は不良債権額で約37パーセント、必要貸倒引当額で約45パーセントも当局査定を下回っていたというのです。長銀以外の大手銀行はすべて健全銀行であるという大前提で、この4年近く実施されてきた公的資金の導入やメガバンクの誕生などの銀行再生策の虚構を金融庁自らが告白したのです。

ところで、日本がバブルに踊った80年代は、米国の銀行も不動産やLBOで巨額の不良債権を抱えるという大失敗をしています。しかし、彼らはその後、目覚しい復活を遂げ、一方の日本はいまだに立ち直りの兆しさえつかめていません。この日米の違いは何なのでしょうか。

もちろん、金融風土や慣行の違いはあります。たとえば、米国の銀行はプロジェクトに融資し、そこからのキャッシュフローで資金回収しようとするノンリコース案件が主流ですが、日本の銀行は企業に融資し、最終的な資金回収は担保や保証に頼るというリコースであるため、案件審査力が乏しいということがあります。

また、米国では、融資団の組成など仕組みを作って手数料を取る者と、その貸出債権を保有して利息を得る者は別であり、大手銀行は前者にシフトしていきました。これに対し、日本ではいまだに融資した者がそのまま債権を持ち続けるのが常識であり、そのためメインバンクはいつまでたっても不良債権を切り離すことができずに苦しんでいるのです。

米国の金融当局のスタンスの違いも日米格差の拡大に拍車をかけました。即ち、米国では80年前後のマネー革命以後、規制や保護が結局は銀行を弱らせるということを学習し、その後自由化を進めて競争原理を導入したのです。供給サイドにたった考え方で、主役は顧客でありマーケットであると発想の転換を図ったのがポイントです。しかし、一方の日本では、アメリカの圧力で80年代半ば以降、名目上は金融自由化を進めたものの、大蔵省は相変わらず業界の行司役をつとめることによって自分のグリップ力を保持しようとしました。そのため、金融界に競争原理ははたらかず、銀行の経営力も向上するどころか、この頃からMOF担出身の銀行の頭取が増えていきました。

米国は80年代の失敗からも大きな勉強をしました。特にリスク管理の重要性を痛感したはずです。国でも破綻するくらいだからすべてのものにはリスクがあるということ、「1つのバスケットにすべての卵をいれるな」というリスク分散のポートフォリオ原則があることなどです。そして90年代に入り、リスク管理システムを構築した上でデリバティブなどのハイリスク・ハイリターンビジネスを拡大して復活していったのです。これに対し、日本の銀行は80年代の失敗をほとんど活かせていません。不良債権を持ち続けることがいかにリスキーかということすらわかっていないのです。

日本の銀行が問題を先送りしている背景の1つに、日本独特の金融風土もあります。特に過剰なメインバンク責任は金融正常化の大きな障害要因です。通常、不良債権は融資残高に応じて損失を負担するというプロラタ方式が原則です。しかし、日本では住専問題の処理時に、政治が介入し、農協を助けるためにメインバンクが極端に大きな負担を負わされました。それ以降、銀行経営者は企業が破綻すればメインバンクに大きなしわ寄せがあるとして、破綻懸念にあるメイン取引先の延命に走るようになったのです。

長銀が破綻するまでの「業務上過失時代」までは、同じ思いの大手銀行が、お互いの破綻懸念取引先への貸出残高を維持しあうという負のカルテル構造ができあがっていました。しかし、次第にカルテルが緩み、体力の弱い銀行のメイン取引先から他の銀行が貸出金を引き上げ、その穴をメインバンクが埋めていくうちに資金繰りが立ち行かなくなった。それが長銀破綻です。

しかし、問題先送りの最大の要因は、銀行の体質にあります。日本の銀行の経営者はMOF担など本部畑を歩いてきたエリートが大部分です。彼らは失敗経験もなく順調に出世して来たため、「つぶれるわけがない」「何とかなる」という楽観主義に陥りがちです。また、株主や取引先から経営チェックを受けるというガバナンスもありません。あるのは大蔵省だけでした。

また、無責任構造という体質もあります。店頭の入金ミスなどの小さなミスにはボーナスカットなど厳しい処分がありますが、大きな焦げ付き融資を作っても責任を問われることはまれです。それは、大きな案件のほとんどは合議で決定し、多数の関係者がハンコを押しているので責任の所在が不明確になってしまうからです。こうした体質が続く中で、バブルの自己批判や不良債権の抜本処理は先送りにされてきたのです。

この銀行の体質と表裏一体の関係にあるのが人事の問題です。よく銀行経営者は優秀な人がそろっているはずなのになぜ問題解決できないのかと質問されます。しかし、優等生であることと経営能力とはまったく別です。銀行では企画部、人事部、融資本部がエリートコースといわれますが、それで要求されるのは、各部門から出てきた要求を三方一両損的に解決する調整能力やバランス感覚です。こうした能力は、平時や役所の中では役立つでしょうが、今のような動乱期にあってはかえって障害要因になっています。

銀行では、優秀な才能が組織防衛と辻褄合わせに使われてきたというのも皮肉な現象です。銀行が大胆な決算操作を始めたのは80年代後半からです。当時国債市場が低迷しているのに大手銀行が大幅な収益を計上したことがありました。そのからくりはこうです。銀行の勘定は投資勘定と商品勘定にわかれていますが、簿価が100円、時価が90円という含み損を抱えた商品勘定の国債を、因果を含めて証券会社に簿価である100円で買わせます。同時に、投資勘定で証券会社から100円で買い戻すのです。商品勘定で保有する国債の含み損は損金として計上しなければなりませんが、投資勘定であれば含み損を持ち越すことができるのです。こうして儲かった取引だけを計上するのですから利益はいくらでも伸ばせるわけです。こうした手法が次々に開発されるので、金融当局が実態をつかむのは不可能でしょう。

今の日本の銀行は経営能力を養う組織になっていません。例えば製造業でしたら、できるだけ良い原料を安く仕入れ、低コストで加工して付加価値をつけ、そしてできるだけ高く売るといういわば統合されたビジネスの中で収益を上げなければなりません。1つの製品部門のリーダーを経験した者が徐々に出世してトップになる。これが経営であり、経営能力です。しかし、銀行では貸し出しは貸し出し、預金集めなら預金だけという単純業務の組織になっています。ですから、その部門のリーダーとして業績を上げたとしても経営能力は身につかないのです。日本の銀行では、頭取になって初めて経営者になる、と喝破したアメリカ人がいましたが、まったくその通りだと思います。

「不良債権問題は世代間抗争」というテーマに移ります。こうした銀行の体質や風土を一言でいえば官僚主義という言葉になるのでしょうが、官僚主義は一般の企業や役所、政治の世界など、あらゆる組織にはびこっています。そして、これが日本全体の閉塞感の最大の要因になっていると思います。90年代に入行した若い世代は、毎年悪化していく経済しか知りません。しかし、彼らの現役時代はあと30年近くもあるので、一日も早く舞台を変えないと大変なことになるという危機感を募らせているはずです。しかし、一方の団塊の世代以上の層が見ている景色はせいぜい5年先か10年先です。したがって、どうしても波風立てずに現状延長で何とか持たせたいと思うのです。こうした世代間のギャップがもっとも先鋭的に現れるのが、不良債権問題なのだと思います。

さて、最後は銀行再生の鍵は何かという問題です。結論的には今日の銀行危機の真因が風土や体質にある以上、ここから改善しなければなりません。そのためにまず必要なのは経営のリセットです。この過去のしがらみや、くびきを断ち切らない限り、銀行経営者は組織防衛に走り、日本経済全体を破綻に導いてしまう危険を感じます。経営陣の刷新は不可欠でしょう。

風土改革のために組織面では管理部門の人員を大幅に削減し、現場のラインも中間管理職を排除しフラットな組織にする必要があります。人事面では外部の人材を活用できる受け皿作りを急ぐ必要があります。また、将来の経営者を育てる仕組みも考えなければなりません。関係会社も含めてビジネスユニットを組み替え、若い人材をリーダーに登用することによってミニ頭取の経験をつませることが大事です。

突き詰めると日米の経済の格差の要因は、結局危機感の差であるような気がします。いってみれば、アメリカは熱湯やけど型の危機感を持っています。不況になればたちまち首切り旋風が吹き荒れ、あまり貯金もないので、昨日までの100万ドルプレーヤーも高級マンションを引き払わなければなりません。

これに対して日本は低温やけどです。今、日本はまだ1400兆円もの個人資産が回りまわっているせいであまり不況感は出ていませんが、その1400兆円も徐々に目減りし、底流では着実に国力を落としていっています。気がついたときにとんでもないことになっていなければいいなと思います。

質疑応答

Q:

80年代の失敗に米国は学べたのになぜ、日本は学べなかったのでしょうか。

A:

アメリカ人はビジネスに対する変わり身が非常に早い。よく転ぶが、立ち上がりも早い。ブラックマンデーで株が下がる→新しいビジネスチャンスがあるはず→LBOが発達する、という発想ができるのです。別の言葉で言えば、非常にどん欲であるともいえます。対する日本の銀行は紳士であり、金儲けに関して妙な抵抗感があるようです。

Q:

銀行のビジネスモデルは、かつては大企業向けの産業金融でしたが、それは成り立たなくなっています。ベンチャー融資などに、ある程度リスクと金利をとっていくように変えなければならないのではないか。あるいは別の業種が参入しないと中小企業金融がまわっていかないのではないか。

A:

アメリカは消費大国、日本は貯蓄大国。その風土の違いをわきまえずに米銀のまねをしてもうまくいかないでしょう。日本のマーケットをよく勉強すれば、証券化業務など、銀行と証券の間にいくつかのビジネスチャンスがあるのではないでしょうか。

Q:

今、メガバンクの頭取になられたとして、このデフレ下、黒字化にはどのような方策があると思われますか。

A:

1つは金利の正常化。そしてリスクの管理。不良債権処理でしょう。特に不良債権は一刻も早く処理しなければなりません。不良債権先に対する低金利貸出金が銀行全体の収益の足を大きく引っ張っています。また、リストラのやり方も非常に中途半端だと思います。今の銀行員の仕事はいわば定型化された単純業務であり、欧米では相当賃金の低い業務です。処遇についても、単純に毎年徐々に切り下げていったらモラルダウンする一方です。将来はこの業務はせいぜいこのくらいの処遇だという青写真を描いて示すべきでしょう。

本意見は個人の意見であり、筆者が所属する組織のものではありません。

※本稿は12月11日に開催されたセミナーの内容に一部加筆したものです。
掲載されている内容の引用・転載を禁じます。(文責・RIETI編集部)

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