RIETI EBPMシンポジウム

エビデンスに基づく政策立案を進展させるために(議事概要)

イベント概要

証拠に基づいて政策立案をするEvidence-Based Policy Making(EBPM)は、政府のいわゆる骨太の方針(2019)にも「各府省は、全ての歳出分野において行政事業レビューを徹底的に実施するとともに、EBPMを推進し、予算の質の向上と効果の検証に取り組む」とされるなど、政策担当者に不可欠なものとなっている。

RIETIの主催するEBPMシンポジウムは、今回で3回目を迎えた。2017年は「EBPMを推進するために」をテーマにEBPMに関する制度面・体制面を中心に議論し、2018年は「EBPMを根付かせるために」をテーマにEBPMの具体的な実施方法について意見を交わした。今回は「EBPMを進展させるために」をテーマにエネルギー問題や防災問題へのEBPM利用やEBPMの行政での実装といった具体的な成功事例に加え、AIに基づくビッグデータ分析や政治・行政における不正統計リスクの根絶といった将来を見据えた社会課題とEBPMの関連について、第一線で活躍する専門家が議論した。

議事概要

開会挨拶

中島 厚志(RIETI理事長)

昨今、証拠に基づいて合理的、論理的に政策を評価し立案をする、EBPMへの関心が高まっています。限られた予算・資源のもと、効果的な政策を選択していくEBPMの推進は、今後もますます重要性が増していくでしょう。RIETIでは2017年2月より「日本におけるエビデンスに基づく政策の推進」というテーマで研究を進めて来ました。それに続いて2019年4月からは、「日本におけるエビデンスに基づく政策形成の定着」というテーマで研究を継続しています。

3回目となる今回のEBPMシンポジウムでは、具体的な研究成果とともに、将来を見据えた社会課題とEBPMの関連について、第一線で活躍する専門家が議論します。EBPMの理論と実践について、多くの示唆があることと確信しております。

イントロダクション

山口 一男(RIETI客員研究員 / シカゴ大学ラルフ・ルイス記念特別社会学教授)

EBPMには、さまざまな問題があります。例えば、なぜ日本の行政はその趣旨に賛同しているのに、EBPMを進められないのでしょうか。1つはその有用性の認識が不足しているからで、本日の多くの報告は、その有用性の理解に役立つと思います。一般に、EBPMを進めるには人々の社会行動の理論的理解が必要です。行動経済学からでてきたナッジ理論の応用がEBPMに有効な行動理解のあり方の1つとされてきました。例えば人は自分の行動の外部性に気付かされることで、行動を変えるという原理があり、本日の大竹先生のご報告にも関連します。外部性とは、自分の行動が意図せず他人のコスト・ベネフィットに影響することを指し、プラスの影響を「正の外部性」、マイナスの影響を「不の外部性」といいます。

また、多様性が新たなものを創り出すことは広く知られているにもかかわらず、日本は相変わらず同調圧力の強い国です。これらの問題に関し、本日の報告では、多くの新しい発見や気付きがあることと思います。本日のシンポジウムが、皆さまにとって、豊かな発見や気付きの場になることを願っております。

セッション1:資源エネルギー政策とEBPM

報告1 「エビデンスに基づく環境・エネルギー政策にむけて」

伊藤 公一朗(RIETI研究員(特任) / シカゴ大学公共政策大学院准教授)

EBPMの実装に必要な4ステップ

EBPMの実装には、政策担当者と専門家の共同作業が必要不可欠です。まず、政策立案現場で重要となり得る課題を特定し(ステップ1)、エビデンスを提供するための科学的方法を考え(ステップ2)、データを収集・分析し(ステップ3)、分析結果を政策立案現場に生かす(ステップ4)ことが重要です。

米国カリフォルニア州政府とUC Berkeleyの研究を例にあげると、EBPMの実装の4ステップは次のようになります。政策担当者は、階段状の従量料金制が消費者に及ぼす影響を知りたいと考えていました(ステップ1)。これに対し私は、2つの電力会社の地理的境界線を利用した自然実験を提案しました(ステップ2)。これには世帯ごとの月間電力消費データが必要でしたが、州政府が電力会社に働きかけてデータを収集してくれたおかげで、研究を進め論文を発表することができました(ステップ3)。これを受け、現在、カリフォルニア州政府は料金改革を進めています(ステップ4)。

EBPM実装の具体例

インド政府とシカゴ大学の研究では、政策担当者は、工場からの環境汚染を減らしたいと考えていました。インドでは、嘘をつく人がいるために正しいデータを集められないという課題がありました。そこで研究者は、経済学のインセンティブデザインを導入し、嘘をつくことが得ではなくなるような仕組みを採用しました。これをランダム化比較試験(RCT)で政策分析し、嘘のないデータを得ることに成功しました。インド州政府は、このモニタリング方法の大規模導入を決定しました。

米国環境保護庁(EPA)とシカゴ大学の研究では、因果推論ではなく、高精度に予測をするためのデータサイエンスが活用されました。米国EPAはこれまで、工場をランダムに選んで、大気汚染・水質汚染に関する監視・監査を実施していました。そこで、既存のデータから機械学習で問題のありそうな工場をピックアップし、費用対効果の高い監査・監視方法を設計しました。EPAは、このモニタリング方法の大規模導入を決定しました。

これらの事例のように、EBPMは分析に留まらず実際の政策に生かしていくことが大切です。

現在進行中の研究

中国天津市とシカゴ大学の研究では、暖房による大気汚染の解決に取り組んでいます。大気汚染の要因の1つは料金設定です。すでに固定料金制から石炭の使用量に応じた料金制に変更するという政策を進めていますが、その導入時期は世帯によって異なります。私たち研究者はこのずれを利用し実験を行いました。その結果、平均消費量が30%以上削減できることが判明しました。

最後に、チリ政府とシカゴ大学の研究では、電力網の統合の価値を評価しています。チリには4つの電力送電網があり、中部が76%、北部が22%の需要を占めていましたが、2018年に北部と中部の送電網が統合されました。統合の便益としては、貿易効果による生産効率性の向上と、独占緩和による電力価格の抑制が考えられます。また、再生可能エネルギーによる発電量の増加も観測されています。チリでは、分析に必要なこうしたデータが広く公開されていますが、日本では、機密性の高いデータはなかなか研究者に公開されません。

報告2 「ナッジをEBPMの入口に-省エネ情報表示のオンライン実験を題材に-」

小林 庸平(RIETIコンサルティングフェロー / 三菱UFJリサーチ&コンサルティング経済政策部主任研究員)

そもそもEBPMとは何か?

EBPMでいうエビデンスは、「政策の因果効果(=政策によって生み出された真の効果)を表すもの」と定義できます。EBPMとは、政策立案(Policy Making)までを含みます。つまり、政策の効果を具体的に測定し(エビデンスをつくる)、誰にでも分かりやすい形にまとめ(エビデンスをつたえる)、政策的な意思決定を行う(エビデンスをつかう)ことが大切です。EBPMの本質は、効果分析(つくる)ではなく、意思決定(つかう)です。しかし、エビデンスを使うためには、まずエビデンスをつくることが必要です。

そこでよく活用されるのが、RCT(ランダム化比較試験)です。これは、政策を受けるグループ(処置群)と受けないグループ(対照群)に分けて、政策の効果を測定する手法です。関心の度合いにかかわらず、ランダムに振り分けることで、政策の効果を測ることができます。しかし、行政現場でのRCTの利用にはたくさんの壁があります。例えば、検証に時間がかかり過ぎる、予算が足りない、公平性の求められる行政ではランダム化は許容されない、もうすぐ始まる政策の建て付けを変えたくないなど、多くの反対意見に直面します。何か突破口はないかと考えた結果、たどり着いたのが「ナッジ」です。

ナッジをEBPMの入口に

ナッジとは「そっと後押しする」ことで、人間の性質に配慮して、より良い選択を促すことを意味します。補助金、税制、規制などとは異なり、個人の意思決定の自由を尊重しながら、少ない財政コストで、社会的により良い選択を促すことができます。例えば、アンケート形式のゴミ箱を設置した結果、多くの人が自分の好きな選手に投票したいがために吸い殻をゴミ箱に捨てるようになり、たばこのポイ捨てが激減したという事例があります。このように、ナッジは短期間で効果検証できるものも多く、簡単なものであれば費用もそれほどかかりません。また、通知文書のデザインを変えるなど、公平性に配慮した測定も可能です。もうすぐ始まる政策でも、運用レベルの変更で対応可能な場合も多いです。

事例として、「エアコンの商品選択における省エネ情報表示の効果」の研究を紹介します。家電の統一省エネルギーラベルについて、ECサイトでの望ましい提供方法について検討しました。4000人を6グループに分けてそれぞれのグループに、多段階評価、目安電気料金、省エネ基準達成率のうち、異なる情報を表示しました。その結果、省エネ性能が1段階上昇した場合の商品選択確率の上昇幅は、特に多段階評価(星の数)や目安電気料金(その製品を1年間使用した場合の電気料金の目安)の効果が大きく、全てを表示した場合に一番大きな効果が見られました。さらに男女別に分析すると、女性でより効果が大きく、特に目安電気料金の効果が大きいことが分かりました。また、省エネ性能が1段階上昇することによる支払意思額(WTP)を算出した結果、省エネ情報の表示によって消費者の行動をより合理的なものに近づけられるという結果が得られました。皆さまと協力し、EBPMの入口としてナッジを活用し、小さなトライアルを積み重ねていきたいと思っています。

Q&A

Q:
分析結果を政策立案現場に生かした後の結果について教えてください。

伊藤:
検証で結果が出たからといって、それを全体に適用した場合に同様の結果が出るとは限りません。検証段階で参加しようとする地域は、結果が出やすい傾向にあります。よって、ご指摘の点は、課題として残ると思っています。

Q:
EBPMありきだと、データの取れる政策にばかり偏ってしまうのではないでしょうか。

小林:
EBPMに限らず、定量的な分析は測定可能な範囲でしかできません。何を測れて、何を測れないのかについて、私たちは謙虚に向き合わなければならないと思っています。

Q:
政策の効果検証のきっかけを教えてください。

伊藤:
研究者、政策担当者の双方から、興味のある件について話を持って行くことで研究が始まります。最近は、民間起業との研究も増えています。本日は成功例のみを紹介しましたが、失敗例もたくさんあります。しかし、大小問わず、たくさんトライすることが大切だと考えています。

Q:
行政への提案時の反応はいかがですか。嫌う人も多いのではないでしょうか。

小林:
ナッジは小規模で取り組めるため、行政に嫌われるということはあまりないように思います。国民や市民の受け止め方を気にされることの方が多いと感じています。

Q:
政策担当者と研究者の協力を促すためには、どうすべきでしょうか。

伊藤:
お互いの歩み寄りが大切だと思います。対話の機会も増やしていくといいかもしれません。

セッション2:EBPM理論と応用

報告3「防災におけるナッジの活用」

大竹 文雄(大阪大学大学院経済学研究科教授)

研究のきっかけ

広島県では、2014年の大規模な土砂災害で77人の命が失われたことから「みんなで減災」という運動を実施しました。これにより、避難所や避難経路を確認した住民の割合は、2014年の13.2%から2018年には57.2%へと大きく向上しました。ところが、2018年7月の豪雨災害で避難した人の割合は、避難勧告が出た人のうち0.74%に過ぎず、114人もの死者・行方不明者が発生してしまいました。このことから、知識を行動に結び付けるための研究を開始しました。

まずは行動経済学者として、知識があるのに避難しない理由を考えました。避難すれば確実に心理的に負担がかかるのに対し、避難しなくても何の被害にも遭わない可能性もあります。すると、人は後者に賭けてしまいます。そこでナッジを使って、避難を促進する方法を考えました。

研究方法とその結果

RCTを使って、広島県の調査票に6つのメッセージをランダムに付与し、避難意思を調査しました。避難した人の多くが「周囲の人が避難していた」ことを避難理由としていることから、「あなたが避難すると他の人の命を救える(A)」、「あなたが避難しないと他の人を危険にさらす(B)」と伝える。避難しない場合は身元が確認できるものを身につけるよう促し(C)、死ぬかもしれないという実感を持たせる。避難所へ行くことのメリット(D)や避難しないことのデメリット(E)を伝える。そしてこれまで通りの文面(F)、という6種類のメッセージの効果を比較調査しました。

その結果、特にAやBの「社会規範」や「自身の行動の外部性」を意識させるメッセージにおいて、大きな効果が出ました。また、男女別では男性の方が、都市・地方では都市部の方が、過去の避難呼びかけ経験では経験ありの方が、学歴別では学歴水準が高い方が、より大きな影響がありました。

「避難の必要のない人にまで影響するのではないか」という意見もありました。ハザードマップや居住する階層から避難の必要性を分け、メッセージの効果を検証したところ、避難の必要性が高い人ほど効果が大きいことが分かりました。また、「地域住民への信頼がないと効果がないのではないか」という意見についても、検証の結果、地域住民への信頼の有無は避難に影響しないことが分かりました。

ただし、この研究は避難意図を確認したに過ぎません。避難しない理由の1つは、現在バイアスによる先延ばしです。この研究では測定できる範囲に限りがあります。先延ばし行動の有無からも検証しましたが、アンケート結果に変化はありませんでした。一方、先延ばし傾向のある人は、過去に避難しなかったという経験をしている割合が大きいことがわかりました。

Bのような損失表現は特に効果は大きいのですが、心理的負担も大きいため、ナッジとしては望ましくありません。広島県では、これらの結果を受け、避難行動を促進する可能性のあるAを活用しています。今後の効果検証も、引き続き実施していく予定です。

報告4「22世紀のEBPM」

成田 悠輔(RIETI客員研究員 / イェール大学助教授 / スタンフォード大学客員助教授 / ヂンチ株式会社共同代表)

データに基づく政策の現在

「イーグル・アイ」という映画があります。米国政府が開発した高性能AI、イーグル・アイ(鷹の目)が、監視データの中に大統領の違憲行為を発見し、大統領暗殺を企てるというストーリーです。ここで描かれている世界は、EBPMそのものです。データ生成と政策実行の循環が自動実行された世界です。この要素は現実世界にすでに存在しています。

しかし、現実はこの循環が機能していません。公的機関が得られるデータは限られており、廃棄や捏造が起きているくらいで正確性にも欠けています。政策を実行するのも人力で自動化には程遠いです。一方、ウェブ産業やゲームAIの領域では、このデータと政策実行の循環が実現しつつあります。例えば、ECサイトは、ユーザーのサービス利用歴からデータを生成し、どんなサービスを提供するかをほとんど自動で決めています。では、なぜ公共政策ではそれが実現しないのでしょうか。

EBPMよりデジタル化

データ生成と政策実行の循環は近い将来、軍事、警察、司法、教育、医療など、公共領域にも拡大していくでしょう。例えば医療については、スマート腕時計・眼鏡・イヤフォンなどの小型センサー兼計算機が私たちの生体情報を絶えず計測して処理し、日々の生活のあらゆる動線に、無意識に健康に導くような仕掛けが埋め込まれる世界がもうすぐやって来ます。ただし現状では、まだこうした政策の機械化は起きていません。そこにはさまざまな壁があります。1つは、規模と速度の壁です。ウェブビジネスは非常に大きく速い存在です。世界中の数十億人のユーザーをリアルタイムで観測しています。一方、公共政策ははるかに小さく遅い存在です。対象者はせいぜい数億人で、観測も月単位・年単位でしか行われません。さらに政策実行までのタイムラグが大きく、実行する頃には状況が変わってしまっているかもしれません。この壁を超えるために必要なのは、政策のデジタル化です。EBPMよりデジタル化を優先すべきです。デジタル化なしに、大規模・高速EBPMは実現しません。

政策の機械化には、さらに大きな壁があります。やる気と興味、インセンティブの壁です。ウェブ企業では、すぐに換金でき、みんながすぐに幸せになれるような、単純な成果指標が存在します。一方で、公共政策領域では、そもそも成果指標が何かが分からず、たとえ成果指標があったとしても、関係者にあまり重要視されません。やる気と興味を変えるために必要なものとして、歴史的には洗脳(教育)、暴力、お金の3つが挙げられます。お金のような分かりやすいインセンティブの例として、ある種のEBPMヘッジファンドを独立組織としてつくってはどうかと考えています。すでに22世紀型のEBPMを実装したことのある専門家たちを実行部隊として雇い、そこに政策実行の権限を持つ行政官を入れ、独立したヘッジファンドを作り、企業などに投資をしてもらって、政策を実行し、成果指標を観察するのです。そして成果指標に紐づけられた公式にしたがって報酬を支払う。公共政策の機械化にはさまざまな壁があります。これらを壊すためには「巨人」が必要です。何が巨人になり得るのか、皆さまのアイデアをご教示いただければと思っています。

Q&A

Q:
アールスクエア(r2)が低いようですが、ナッジ研究ではどのくらいがスタンダードなのでしょうか。

大竹:
予測力という問題はあまり考えていません。メッセージによる反応の違いを見ています。メッセージの個別化ができないため、多くの人に対して1つのメッセージを伝える場合に、一番効果があるものは何かを分析しました。

Q:
公共政策にはさまざまな利害が絡み合っているので、自動化は難しいのではないでしょうか。

成田:
さまざまな利害がぶつかり合い、目的が定まらないのであれば、自動化するかしないかにかかわらずEBPMは無理です。

Q:
ナッジを応用すれば、災害発生前の行動を促すことも可能でしょうか。

大竹:
予防行動を促すメッセージが何かは、また別の研究課題です。今後やっていければと思います。

Q(山口):
人の行動に影響を及ぼす方法について、社会学におけるパーソンズの影響の理論では、説得、強制、報酬による誘導ほかに、コミットメントの活性化というものが挙げられています。人は社会的な存在なので、これも重要な要素ではないでしょうか。

成田:
その通りだと思います。友達が欲しいです。

Q:
政策実施前の効果測定は難しいと思っていましたが、広島県の例を聞くと、可能だと実感しました。

大竹:
ただし、限界もあります。仮想的な質問なので、実際の行動については分かりません。予測段階で出てきた問題点を、政策立案に役立てていくことは可能です。

山口:
同様の研究は広く行われています。ただし、仮想状況の行動と実際の行動がどれほど相関するかは異なるため、効率性は少し落ちると思います。

セッション3:EBPMと行政

報告5「不正統計防止とEBPM」

中室 牧子(慶應義塾大学総合政策学部教授)(登壇者)

山口 一男(RIETI客員研究員 / シカゴ大学ラルフ・ルイス記念特別社会学教授)

「毎月勤労統計調査」に係る問題

毎月勤労統計調査とは、事業所の給与および時間について毎月の変動を把握するために行われる調査で、雇用保険や労災保険の給付額を改定する際の資料として利用されています。このうち一番大きな500人以上の事業所について、平成16年以降、東京都のみ全数調査から抽出調査に変更した結果、東京都の500人以上の事業所の復元倍率が低くなってしまいました。この不適切な取り扱いについて、内部では知っていたにもかかわらず、放置を正当化してきました。また、平成30年10月から復元処理始めたものの、影響を過小評価し、これまでの調査方法の問題や復元による影響について上司に報告していなかったことが、特別観察委員会の報告等で明らかになりました。この毎月勤労統計調査を基に算出された雇用保険等の追加給付は合計795億円にも上っています。

統計事業にかかる予算は他の先進国と比較してかなり少なく、2001年から2019年までに基幹統計にかかわる職員数は約70%削減されました。今回の不正統計発生の原因の一端はこの行政府における統計軽視にあると指摘されています。その後は、特別観察委員会、統計委員会、各学会から報告書等が複数出されました。さらに厚生労働省が、すべての統計について見直しをするために、統計改革ビジョン2019有識者懇談会を立ち上げ、これには私も外部有識者として参加しました。

各報告書等の再発防止の方向性は、統計に関する倫理・リテラシーの向上、統計業務の改善、組織の改革とガバナンスの強化、専門職の育成と専門職倫理の確立の4つにまとめられます。しかし、そもそも正確で信頼性の高い統計を作るインセンティブが弱いという問題があります。当事者協議を基本とする政策形成プロセスでは、統計から得られる客観的な根拠の価値が低いというわけです。つまり、統計の正確性や信頼性が低いためEBPMを推進しても意味がないと考えるよりは、EBPMを推進することによって、政策形成における統計を利用頻度を高め、正確で信頼性の高い統計を作るインセンティブを強めることが重要ではないかと考えられます。

再発防止からもう一歩進めるために

とはいえ、EBPMの推進だけで統計改革はうまくいきません。新しいデータや技術も積極的に活用していくことが大切です。近年、行政目的のために国や地方自治体によって業務を通じて収集される行政データがEBPMに活用されています。行政データは、一般に、収集にかかる追加的なコストを低く抑えられます。コストを削減しながら、正確な情報を収集することを目指していかねばなりませんから、行政データの利用を進めることは重要です。海外では国税調査に行政データを利用している国もあります。

また、行政データを利用した研究は近年増加しており、社会科学において大きな存在感を発揮し始めています。しかし、日本では、異なる部署が所管している情報を照合する(いわゆる「名寄せ)ことができていなかったり、課税情報の研究利用ができないという制約があり、行政データを利用した研究は進んでいません。他にも、最近はオンラインの情報から速報性の高いデータが作られています。このように、データの補足的な情報を得ていくことも有効な手段となるでしょう。

報告6 「EBPMの行政への実装に向けて」

内山 融(東京大学大学院総合文化研究科教授)

EBPMの行政への実装に向けた課題

EBPMへの関心は高まってはいるものの、その必要性はまだ浸透しきっているとはいえません。また、EBPMのやり方が分からないという人もいます。EBPMは、財源制約が大きい現状では必須です。また、国民への説明責任を果たす上でも有効です。またエビデンスには、量的エビデンス(統計的データ)と質的エビデンス(事例研究等)が存在しますが、当面は量的エビデンスに焦点を当てるべきでしょう。真に効果のある政策手段を選択するためには、いくつかの手法があります。英国のEBPMでは、費用と効果の相対的関係を示す手法(費用便益分析)が中心的な位置を占めています。他にもRCTやRDD(回帰不連続デザイン)、DID(差分の差分法)など、一定の政策手段の効果を測定する手法があり、日本のEBPMではこちらに比重があります。

自分の政策分野には、具体的にどのように適用したらいいのか。EBPMの意義と手順を明らかにするためには、手引書が有益です。参考として、英国のThe Green Bookを紹介します。

英国におけるEBPMの手引書「The Green Book」

The Green Bookは、英国中央政府による事前評価と事後評価についての手引書です。これは、オンラインで公開されています。「意思決定のための、透明かつ客観的でエビデンスに基づいた助言を公務員が行うことに寄与する」ものとして、位置付けられています。関連資料には、事後評価についての詳細な手引書である、The Magenta Book等があります。

政策分析の手順は、1.政策介入の根拠の明示、2.政策オプションの生成とロングリストの評価、3.ショートリストの評価、4.望ましいオプションの選択、5.モニタリングと事後評価の5段階にて紹介されています。ショートリストの評価としては、費用便益分析が推奨されています。着目すべきなのは、金銭化不可能な価値についても、一定の評価技術や標準値を用いるべきだとしている点です。

日本のEBPM実装は手引書の作成から

The Green Bookの日本版では、エビデンスの質を重視する観点から、費用便益分析ではなく、RCT、RDD、DIDなどの効果測定手法が中心となるでしょう。また、政策分析の手順は、1.政策課題の設定、2.アウトカムの設定、3.代替オプションの提示、4.エビデンスの収集・検討、5.政策の実施とモニタリング、6.政策の評価と課題設定へのフィードバックとなります。エビデンスの収集・検討がEBPMの本質的な部分になりますが、その際には、エビデンスがすでに存在する場合はロジックモデルを作成し、存在しない場合は仮説的ロジックモデルを作成した上でエビデンスを新たに構築することになります。

政策評価との関連についていえば、既存の政策評価、例えば行政事業レビューでは、アウトプット(X)とアウトカム(Y)が短絡的に結び付けられがちで、交絡要因(Z)がコントロールされていません。こうしたことが「政策評価は形式的で意味が薄い」などといった誤解を生んでいます。政策評価に因果推論の観点を積極的に導入することが重要です。

EBPMを行政に実装するには、人材の養成・調達、実効性の担保など、他にも多くの課題があります。しかし、まずはこの手引書作成を1つの端緒として、EBPMの実装を進めたいと考えています。

Q&A

Q:
統計不正の問題は、なぜ一向に改善しないのでしょうか。また行政データの活用は2010年の改正で改善していると思いますが、いかがでしょうか。

中室:
古い政策形成をしているところは、総じて統計改革が遅れがちです。統計改革をさらに進めることは、EBPMとの両輪になると考えています。

行政データについては、いくつかの問題があります。行政データがデジタル化されていないこと。異なる部署で収集された情報のマッチングキーがないこと。税制データが使えないこと。そして、個人情報保護法の問題もあります。これらを解決しない限り、今以上のところへは進めず、海外に比べてずっと遅れてしまっています。

Q:
なぜ英国は費用便益分析を重視しているのですか。また、The Green Bookはどのくらい使われているのでしょうか。

内山:
英国で1980年代より盛んになったNew Public Managementで"Value for Money"(金額に見合った価値)が標榜されたことが大きいと思います。また使用頻度はかなり高いといえます。予算と紐づいているからです。英国では、予算要求書に必ず経済分析を添付する必要があります。

Q:
回収率を引き上げるために、無回答の企業への罰則を厳しくしてはいかがでしょうか。また、データ公開について、海外では国民の反発をどう克服したのでしょうか。

中室:
罰則を厳しくするというのは、EBPMの重要な課題かと思うので、検証させていただける官庁があればぜひお呼びいただきたいです。データ公開について、国民の理解を得るためには、研究成果を発信していくことが大切だと思っています。

Q:
行政事業レビューは、EBPMよりマネジメントの改善に関心があるのではないでしょうか。また、評価疲れになってきているので、どうにかしていただきたいです。

内山:
マネジメントにも因果推論は必要です。人は意味があることをやっていれば疲れないといわれています。EBPMや政策評価に意味を持たせられるよう、皆様のお手伝いができればと考えています。

セッション4:パネルディスカッション

大竹 文雄(大阪大学大学院経済学研究科教授)

EBPMが必要な場面は、複数の選択肢のうち何が最も効果的か分からない場合。特定の政策に予期せぬ副作用があるかもしれない場合。そして、過去の政策の有効性を検証し、効果が小さければ改善したい場合などが挙げられます。1つ目は先ほどの、広島県の事例が当てはまります。2つ目は、最近話題となった「人生会議」のポスターが当てはまります。近年は、行政において行動経済学的なメッセージ介入が政策手段になっています。しかし、効果が大きくても使わない方がいいメッセージもあります。心理的な負担も考慮するべきです。こうした広告などは、比較的簡単にRCTで有効性や副作用が確認できるため、事前に検証することが大切です。3つ目については、政策を行う前から政策の有効性を検証できるようにし、データを電子化し統合化できるように整理しておくことが必要です。データを新たに集めるために負担を増やすのではなく、業務データから作成できるようなデータをうまく蓄積するなど、EBPMが実務担当者にメリットを感じられるものにすることが大事です。

伊藤 公一朗(RIETI研究員(特任) / シカゴ大学公共政策大学院准教授)

成田先生の発表を受けて、コメントさせていただきます。私は、データのデジタル化とともに、EBPMの推進も必要だと思っています。一方で、ビジネスではデータドリブンな意思決定が進んでいるのに、なぜ政策現場では進まないのかという問題については、非常に重要な点だと感じました。そこには2つの大きな違いがあります。1つはゴール設定です。ビジネスの現場には利益の最大化という明確なゴールがあります。政策現場でも、ゴールをどう設定するかが大切です。もう1つは、インセンティブです。ビジネスには昇進、昇給といった分かりやすいインセンティブがあります。政策担当者にとって、労力もリスクもあるなかで、インセンティブはどこにあるのでしょうか。効果検証そのものにインセンティブを持たせる仕組みが必要です。また、政策を始める段階で、政策評価ができるような仕組みをつくることも必要です。それができていない場合は、予算が下りないようにすることも効果的です。

中室 牧子(慶應義塾大学総合政策学部教授)

EBPMを定着させるためには、アウトリーチが重要になってきていると感じます。研究成果を発信するというだけでなく、政策担当者との直接の対話も有効です。実は私自身は、大竹先生をはじめとする経験のある先輩の研究者から政策担当者との対話の仕方について多くを学びました。この意味では、研究成果を政策の現場に届けるということは研究者間でもハンズ・オンの実践トレーニングが必要な部分もあるかもしれません。一方、若い研究者たちから聞かれる懸念は、「アカデミック・インデペンデンスが確立されていない」ということです。研究資金の支出元である省庁にとって都合の悪い結果が出たときに、どのように研究成果を公表するか。一定のルールが必要だと感じます。

森川 正之(RIETI副所長)

調査によれば、国民や企業のEBPM認知度はまだ低いです。政策実務者、研究者はEBPMの必要性を認識していますが、現実に実行されていると考えている人は少ないのが現状です。阻害要因として共通して過半数が挙げたのは、「政策が政治的に決まる」というものでした。政策実務者、研究者の間では、「スキルが職員に不足している」という回答も多く見られました。さらに、白書など政策文書における学術論文の引用数を比較すると、日本は海外に比べて圧倒的に少ないことが確認されます。

行政だけではなく、研究者側にも課題があります。過去10年間の経済学術誌における政策評価の実証研究の割合は、日本、米国ともに平均15%です。しかし手法としては、米国ではRCT、RDD、DIDが多くを占めているのに対し、日本は非常に少ないことが分かります。RIETIでは、政策実務と学術研究のブリッジを目指し、2年前にEBPMチームを発足しました。

産業政策の効果分析を行うためには、政策情報を企業データとリンクする必要があり、これが意外に厄介です。また、教育・医療など個人を対象とした政策と違って、RCTの実行可能性には限界があり、自然実験に基づくRDD、DID、操作変数法(IV)などが有用ですが、そうした分析が可能なケースは限られます。

ディスカッション

山口:
政策がエビデンスに関わりなく政治的に決定されやすいという問題があります。またエビデンスが政治目的で合うものだけ選択的に用いられる、いわばPBEM(policy-based evidence making)に陥りやすいという問題もあります。一方行政的には予算を有効に使いたいという意図がありますが、政策決定とうまくつながっていません。まずこの辺りの問題について、ご意見をお聞かせください。

大竹:
予算を付けるときに、効果検証を義務付けることが大事だと思います。効果がないことが明らかになれば、そうした政策を推し進めることはなくなるのではないでしょうか。

伊藤:
実際に行政側が「このデータは不都合だから、対象を減らしてほしい」といった指摘をしていることを見たことがあります。しかし行政の予算で研究が行われている場合、研究者側としてこういった要求を断りづらい場合があるのも事実です。そもそもエビデンスだけで政策を決めることが民主主義においてベストではないと思います。エビデンスは政策を決定する上での1つの情報でしかありません。エビデンスと政治的な判断とのバランスを考慮し、最良のものを選択しないまでも、効果のないものを選ばないだけでも、そこには意味があります。

中室:
研究者側もあまり神経質になってはならないでしょう。判断の歪みは、単なる情報不足によるものかもしれないからです。このため、先ほども申し上げましたように、政策担当者と研究者の間の継続的な対話の機会は必要です。

森川:
基本的には、国会の質疑の質が重要だと思います。過去に法案審議の中で「その政策はどのように効果検証するのか」という質問を受けたことがあり、とても良い質問だと感じました。国会で政策評価に関する質の高い質問を受けるようになれば大臣の意識が変わり、大臣の意識が変われば行政官の意識も変わります。その際、十分な時間的猶予をもって事前に質問を通告するようになれば、答弁作成者もしっかり学術成果も読んだ上で準備することができます。

山口:
達成したいことと、政策の有効性は別に判断すべきです。EBPMは有効かどうかを判断するものであり、目的の良し悪しを決めるものではありません。

続いて、政策効果の検証そのものを評価する仕組みについて、既存の政策が有効ではあると示す場合もあるし、逆に有効でないと判明することもあります。日本社会はうまくいったときに評価するよりも、うまくいかなかったときに非難をする傾向にあり、このせいで検証が進みません。こうした傾向を減らすにはどうしたらいいでしょうか。

大竹:
政府が優れた事例を公表し、その中から特に優れたものにEBPM賞を与えるといいと思います。2018年から、各自治体の取り組みに対し、ベストナッジ賞というものがつくられました。賞ができたことで、急速に良い事例が増え、レベルも上がってきています。

伊藤:
ベストプラクティスのように、各省1つ、各都道府県1つなど、良い事例を評価することも有効でしょう。検証をしたこと自体を高く称賛することが大切です。ネガティブな効果が出ても、それが分かったことを評価し、さらに翌年度も予算をつけて改善を促して変化率を見ればいいのです。

中室:
一番の問題は、効果がなかったときにどのように対処するかということではないでしょうか。効果のなかった行政事業を中止するという決断をした場合、次の新しい事業の予算要求で有利になるという仕組みをつくるなど、事業のスクラップアンドビルドを促すインセンティブを付けるといいのではないかと思います。

伊藤:
政策決定者の一番のインセンティブは、その事業を、予算を削らずに翌年も継続することです。これは間違いだと思います。効果がないことを知ることも大切です。ビジネスの現場では、当たり前に行われています。

森川:
行政官は人事異動が頻繁なので、特定の政策を守ろうとする意思はそれほど強くないと思います。むしろ人事的評価が有効だと思います。大臣レベルで議論されるようになれば、対応できないと昇進できないため、EBPMへの意識も高まります。予算段階で事後評価を義務付けるという意見について、私は網羅的にやることには費用対効果の観点から反対です。小規模な政策を含めて一律にやるのではなく、重要性が高いものに絞っていった方がいいと考えています。

山口:
女性の活躍推進といった分野では、すでに優秀な企業を表彰するといった取り組みが行われています。行政のなかにもそういった評価の仕組みをつくることが重要です。EBPMの長期的な目標の1つは財政を効率化することです。予算を減らすこと自体には問題はありません。その辺りの意識も変えていけるといいと思います。

続いて、従来の統計調査と、EBPMに役立つ統計調査は性質が違います。行政組織の在り方として、こうした異なる統計をどのような人材配置すべきか、どのように教育すべきか、ご意見をお聞かせください。

大竹:
まったく別の部局をつくるより、既存の統計部局を拡大することが望ましいと思います。統計の専門家のキャリアパスが広がります。

伊藤:
今後は、政策分析で利用することを前提として統計をつくった方がいいと思います。米国では、専門家を迎えつつ、既存の職員を育てています。

中室:
大規模な組織改編をする前に、省庁内の人材をうまく活用することが必要です。年功序列でジェネラリストを育てるという人事の在り方を見直して、専門知識のある若手を有効活用する必要があります。統計やデータ分析に強い人材は若手にも多く、大学や大学院で専門知識を得た人たちにもっと活躍の場があることが望ましいのではないでしょうか。

森川:
統計部局が政策評価をやるのではなく、政策実施部門に近いところが行う方がいいと思います。EBPMの担い手は、統計作成者というよりも統計のユーザーです。既存の統計部局には、データの電子化、法人番号、マイナンバーなど、データの構築に関する課題に重点的に取り組んでもらうのが良いでしょう。また、日本は政策評価分析のできる研究者の層が薄いので、例えば、官庁に就職する人も多い公共政策大学院で、計量分析スキルを持った学生の育成に力を入れてほしいと思っています。

山口:
行政のなかで、統計のユーザーと統計をつくる側の連携がないとうまくいきません。行政には専門教育を受けた人が増えてきているものの、活用しきれていません。教育ともリンクしていかなければなりません。日本の大学には統計学部がありません。その辺りの認識そのものを改革するべきかもしれません。

続いて、ゴール設定について、行政には例えば「少子化を改善する」といった大きなゴールはありますが、アウトカムが測れるような具体的ゴールがなかなか示されません。どうすれば社会の需要に応じた、かつ合意が達成できるゴールを設定できるようになるでしょうか。

森川:
ゴールはとても重要です。しかし、政策の場合には、建前と本来の目的が異なる場合があります。これをよく識別して評価することが必要です。

伊藤:
ゴールは、経済的効率性の達成でも、分配問題の解決でも、多様で構わないと思います。そのゴールさえ明確であれば、研究者側はゴールが達成させたどうかを分析によって示すことができます。

山口:
行政は有効性とともに、公正性を重視します。公正性とインセンティブの問題について、ご意見をお聞かせください。

大竹:
ゴールによると思います。多元的な軸で評価することも可能です。有効性はあるが、公正性に欠ける場合は、政治的判断になります。

森川:
ある政策が生産性の向上には有効だけれども、経済格差が拡大するという副作用があるといったトレードオフがある場合のことを言われているのだと思います。一流の学術誌に掲載されるような政策評価研究では、副作用にも目配りした記述があることが多いです。このあたりになると、行政の中で行うのは難しく、研究者に分析していただいた方がいいと思います。

山口:
政策は人の行動の変化によって、意図せざる結果を招く可能性があります。EBPMの目的の1つは、こうした失敗を減らすことです。