RIETI-JSTARシンポジウム

日本における超高齢化社会の未来:JSTARデータの国際比較から(議事概要)

イベント概要

  • 日時:2014年12月12日(金)13:00-18:15(受付開始12:30)
  • 会場:虎ノ門ヒルズフォーラム ホールB (港区虎ノ門1丁目23番1-4号)
  • 議事概要

    昨今の急速な高齢化を踏まえ、望ましい社会保障政策の在り方を探るには、高齢者の実態をより正確に把握することが重要である。RIETIでは2007年に、高齢者を対象とした大規模なパネル調査「くらしと健康の調査」(略称JSTAR)を開始し、これまでに4回実施した。本シンポジウムでは、JSTARの研究達成状況を振り返った後、米国や英国など各国の同種調査を指揮する最先端の研究者の発表により、国際比較を通して日本の高齢者の実像に迫るとともに、日本の社会保障改革のあり方を議論した。

    開会挨拶

    中島 厚志 (RIETI理事長)

    日本は先進国の中でも高齢化が進んでおり、持続可能な社会保障制度を構築するためには、高齢者の実態を多角的に捉えたデータが政策インフラとして不可欠である。RIETIが2007年から始めた「くらしと健康の調査」は、主要国で既に実施されている同種の調査と比較できるように設計されており、本データを分析することで日本の高齢者の特色を確認することができる。

    本シンポジウムでは、高齢者パネル調査から世界各国の高齢者の実態を明らかにし、分析結果に基づいて各国でどのような政策立案がなされているかを紹介するとともに、今後の日本の社会保障改革に欠かせない視点を議論する。主要国で高齢化が進む中、高齢者の実態分析と社会保障制度充実などの政策対応はますます重要になっている。JSTARはデータがようやく蓄積され、今後のさらなる研究が期待される段階にある。本日の議論が、皆さま方の知見を広げるものになると確信している。

    特別挨拶

    吉冨 勝 (RIETI特別顧問)

    代読:吉冨朝子 (東京外国語大学教授、吉冨勝氏の娘)

    2005年にRIETIで「高齢化の新しい経済学」プロジェクトを開始してから10年が経過した。日本の急速な高齢化により、年金支払い能力を維持するための対策が求められているが、これは世界の先進諸国が共有する課題である。政策対応の設計には、人々の多様性やインセンティブのメカニズムを反映した決定が検討されなければならない。高齢者の意思決定プロセスの解明を目的とした追跡調査に基づく大規模かつ学際的なデータセットを得るため、2007年に第1回目のJSTAR調査が実施された。

    私はJSTARチームの取り組みやHealth and Retirement Study (HRS)、English Longitudinal Study of Ageing (ELSA)、 Survey of Health, Ageing and Retirement in Europe (SHARE)、Korean Longitudinal Study of Ageing (KLoSA)、China Health and Retirement Longitudinal Study (CHARLS)、およびLongitudinal Aging Study in India (LASI)の研究者の方々の支援に感謝の意を表する。JSTARはこれらの方々のアイデアから大いに恩恵を受けている。また、調査員やインタビューを受けた方々、および8000名から基本データを収集した10のJSTAR参加自治体にもお礼申し上げる。

    日本における高齢化についての理解を深めるというJSTARの当初の目的自体は達成されているが、次の段階に向け、3つの方向性を強調したい。第1に、日本の現状を踏まえた政策志向の研究をより多く行わなければならない。HRSが社会保障政策の立案に直接関わっている米国とは対照的に、日本ではエビデンスに基づく政策立案はほとんど見られない。第2に、国際比較研究を増やすべきである。いまやJSTARや関連調査のデータが相当規模の人口をカバーし、国際的に比較可能であるのだから、多くの国々にとって利益となる共同研究が奨励されるべきである。最後に、より安定した資金調達を行うための対策をとる必要がある。私たちの取り組みを多くの人に紹介し、一般の理解を得ることがこれに役立つであろう。

    本会議が、JSTARによる研究や関連する国際的研究の重要性をアピールするための貴重な機会となると私は確信するものである。

    基調講演:JSTARの研究達成状況、社会保障政策へのインプリケーション

    市村 英彦 (RIETIファカルティフェロー / 東京大学大学院経済学研究科、公共政策大学院教授)

    パネル構造を持つ詳細なミクロレベルのデータで可能になる貢献について説明するため、JSTARを利用して行われた最近の研究についてお話する。まず、JSTAR調査について説明した後、例を3つ取り上げる。1番目は労働供給と退職行動、2番目は資産と遺産、そして3番目は医療サービス需要と自己負担の関係である。

    JSTARは吉冨勝所長(当時)の主導の下、2005年に開始されたが、HRS、SHARE、ELSA、およびKLoSA のグループリーダーからは、方法論について多大な支援を受けた。2007年の第1回調査では、滝川、仙台、金沢、足立、白川の層化無作為抽出によるサンプルを対象とした。2009年の調査から、そこに那覇と鳥栖が加わり、2011年の調査からは、調布、広島、富田林が加わった。第4回調査はこれら10の自治体で継続した。第4回調査については資金確保が困難だったが、不足分をRIETIに提供していただいた。

    第1回調査の回答率は約60%、2回目以降の回答率は約80%と日本のパネル調査データとしては最高水準にある。これはSHARE調査で回答率が下位にある国々と同等レベルだ。しかし、世界最高記録を持つHRS調査よりは20%ほど低く、さらなる努力が必要である。

    多様な自治体がカバーされるように調査対象を選び、さらに同時に医療・介護支出などに関する公的記録と結び付けられるか否かも考慮した。自治体ベースのサンプリングの有利な点は、多数の個人が、聞かなくとも確認できる同一の社会経済環境にいることである。質問項目には環境がどのように個人の決定に影響するかに関するものが多数含まれており、JSTARでは各自治体内の同一の環境から無作為のサンプルを抽出しているといえる。ただし、この設計では国の全体像を表すサンプルとするにはデータを再構成する必要がある。これが可能かどうか確認するため、国の全体像を表すサンプルを構築すべく、公表されている国勢調査データを用い、これまでさまざまなウェイトスキームを試みた。

    これらについては今までに家計の預金、給与、消費について調べた。預金に関しては、預金額そのものか、もしくは預金額の上限と下限の範囲を回答してもらっている。このようにして得られたデータを用いることで、50歳~59歳の人の預金額の中央値における下限は836万8676円、上限は860万9847円であることが分かった。60歳~69歳の人の数字はそれぞれ1023万7468円、1110万0772円だった。これらの数字は2009年の全国消費実態調査(NSFIE)とほぼ一致した。毎月の収入を見ると、世帯主の賃金・給与は2009年のNSFIEの数字に近しいものであった。家計の消費についても同様のパターンであることが分かった。ウェイトの作成に関して、個票レベルのデータを用いることで、この精度をより上げることができるだろう。また、国勢調査の個票分析において、私たちのサンプルに含まれていない集団があることが分かったら、新たな自治体を調査地域に加えて、それらのサンプル抽出を試みることになろう。たとえば、私たちのサンプルに漁業者が多くは含まれておらず、もし彼らの行動が異なるものであるとしたら、そのデータを求めるべきである。そうすることで、データが有する一国の代表性という機能をさらに強化できるだろう。

    JSTARは主としてSHAREに倣って設計され、またHRSの家計調査と大半が共通している。セクションAは個人と家庭の特徴に関するもので、年齢、性別、配偶者関係、教育水準、家族構成、親に関する情報、親との交流頻度、他の人と介護を分担しているかどうかなどが含まれる。セクションBは認知力に関するもので、単語記憶、連続引き算、百分率計算、割引率やリスク回避度の測定などが含まれる。セクションCは就業情報に関するもので、労働時間、収入、仕事の内容、仕事の満足度、定年の有無、予想される退職年齢、退職後の再就職の可能性などが含まれる。セクションDは健康に関するもので、健康状態の自己申告、日常生活動作(ADL)、手段的日常生活動作(IADL)などが含まれる。セクションEには収入、消費、耐久消費財に関する情報が含まれる。セクションFは握力に関するものである。セクションGは住宅事情と資産に関するものである。最後のセクションHは医療と介護サービスの利用に関するものである。同セクションには健康診断、歯科医の利用、介護認定の有無、介護のタイミングと水準、介護が必要な理由、介護サービスの利用、支出、家族や知人による介護、家族に対する介護などが含まれる。

    JSTARが他のHRSタイプの調査と異なる点としては、日本において有用性が証明されている質問票を用いて食物摂取量を計測していること、医療および介護サービスの利用に関する情報を自治体から直接入手でき、さらに健康診断のデータと関連付けることができるということにある。日本の独自な点は、これらすべての情報が上に詳述した社会経済的データや家庭環境データと関連付けられることである。 次に、JSTARを用いて行った研究例を紹介する。これらの研究は、高齢化がもたらす、労働力不足、賦課方式年金制度の悪化、医療支出の増加の3つに対しての含意を有している。

    労働供給に関しては、日本人は他の国に比べ労働市場に長く留まる傾向がある。60歳以上の労働参加率は他の経済協力開発機構(OECD)加盟国よりかなり高い。しかし1980年には日本の65歳~69歳の男性の65%が働いていたが、その割合は2007年には49%に低下している。27年間に労働参加率は低下したが、依然として他のOECD諸国よりはるかに高い。その理由を知る必要がある。女性の労働参加率は50歳まではOECD諸国と比べてそれほど高くないが、65歳以上は非常に高い。

    労働供給を考えるにあたり、市村・清水谷 (2012)は、健康、家族関連、社会経済的変動要因がもたらす影響を検証した。退職プロセスにおける3つの側面すべての影響を同時に調査したのは日本ではこれが最初である。Banks and Smith (2006) と同様に、日本人高齢者の退職も、イベントというよりプロセスであり、人々は時間をかけて徐々に労働時間を減らし、そして退職する(図1、2参照)。このプロセスは男性に関しては主に家庭要因、女性に関しては社会経済的要因によって異なる。ある人が2年後に退職するかどうかについて、これらの側面がどのように影響するか、現在の雇用状況に基づいて推測可能である。

    図1:日本における退職プロセス(男性)
    図1:日本における退職プロセス(男性)
    図2:日本における退職プロセス(女性)
    図2:日本における退職プロセス(女性)

    50歳~59歳、60歳~64歳、70歳~74歳の年齢層では、これら3つの側面で恵まれている日本人男性はそうでない人と比べ、2年後に退職する可能性が高い。このパターンは65歳~69歳の男性では反対で、恵まれていない場合、退職の可能性が高い。50歳~59歳、70歳~74歳の女性では、恵まれている場合、退職の可能性が高い。しかし、60歳~69歳の女性については、恵まれていない場合に退職の可能性が高い。3要素について恵まれていない場合、働き続けたい状況だろうから、現実には働きたくとも働き続けられない状況なのではないかと考えられる。

    男性に関しては、指数が高い方が65歳~69歳を除くすべての年齢層で退職の可能性が高い。女性に関しては、指数が高い方が50歳~59歳、70歳~74歳で退職の可能性がより高いが、60歳~69歳では退職の可能性は低い。年金受給資格年齢が66歳以上に引き上げられた場合、3つの側面すべての指数が低い男性、女性の方が、より大きな影響受ける可能性がある。

    年金受給開始年齢が66歳以上に引き上げられた場合、高齢者が働き続けることは容易なことだろうか。臼井・小塩・清水谷 (2014) は、日本の高齢者の労働能力の数値化を試みた。彼らの計算によると、60歳~64歳の男性の退職率は常勤で働いている人で20.5%、パートタイムで17.6%となる。しかし、50歳~59歳の人の健康状態をベースとした場合、予想退職率は4.7%に過ぎず、常勤雇用率は88.2%である。65歳~69歳に関して、現在の常勤雇用率は29.3%だが、84.4%は働けると予想される(表1参照)。健康だけが唯一の要因であるならば、労働力供給には大きな可能性がある。

    表1:労働能力
    表1:労働能力
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    50代の女性のデータは就業が容易ではないことを示しているかもしれない。50代の女性が働かないことについてはさまざまな社会経済的理由があり、それらが原因で働けないとしたら、人に働くことを強制することはできない。したがって、年金制度は年金受給資格年齢を自己選択できるように設計されるべきである。早期退職のペナルティは、年齢だけでなく、家族や健康、社会経済的状態にも依拠すべきだろう。

    JSTARを用いて計算すると、70歳以上では生涯純資産がマイナスの人が12%と大きな割合を占めていることを示している。この割合は50歳~59歳ではさらに大きくなる。これは深刻な問題である。年金給付の重要性を見ると、受給資格年齢を65歳から1年引き上げるということは、個人が年間支出の50%に相当する額を節約しなければならないことを意味するが、この割合は世帯のタイプによる(図3参照)。

    図3:コホート別の予想される生涯正味資産
    図3:コホート別の予想される生涯正味資産

    遺産は賦課方式年金制度にかかる圧力を軽減できるだろうか。Sanchez-Romero・小川・松倉(2013)は、対国内総生産(GDP)比でみた相続総額は、現在は6%であるが、2050年には9%に上昇するであろうことを示した(図4参照)。これらの数字は対GDP比でみた医療支出10.3%、年金11.2%、介護サービス1.8%と比較しても決して小さな数字ではない。増大をもたらす主な要因は、人口に一定割合存在する裕福な高齢者の死亡である。資産のある人が亡くなると遺産を残すため、これは高齢社会の1つの利点である。遺産でどれくらい税収を増やすことができるか、私たちはJSTARから引き出す必要がある。

    図4:日本における遺産の年間フロー、生産高に対する割合
    図4:日本における遺産の年間フロー、生産高に対する割合

    井深 (2014) は、70歳になった時に健康保険の自己負担割合が30%から10%に引き下げられた際の医療サービスの需要の変化を調べ、引き下げは特定の病気についてサービス利用の増加に繋がるということを示した。関節疾患の患者では、自己負担割合が引き下げられれば、サービスの利用は1カ月当たり3倍になる。肝臓疾患、耳疾患、糖尿病、高血圧、高脂血症でも利用が増える。増加の程度は患者の所得により異なる。この結果は、自己負担が増加すれば医療サービス需要は減少することを示している。

    これらの研究はJSTARがどのように利用されてきたかを示している。勿論、これらの結果は暫定的なもので、さらなる検証が必要である。しかしながら、こういった研究を積み重ねることにより我々は社会保障政策のあるべき姿についての現実に基づいたイメージをもつことができると筆者は確信している。すなわちこれらの結果は、高齢化社会における財政論議を超えて、私たちが高齢化にどう具体的に対処すべきか考察するのに役立つと思うのである。

    講演:社会保障問題の国際比較

    SHAREとの国際比較の研究結果

    Axel BÖRSCH-SUPAN (マックスプランク社会法・社会政策研究所ミュンヘン加齢経済学センター(MEA)ディレクター)

    SHAREはHRSやJSTARとは異なり、欧州諸国にイスラエルを加えた21カ国の経済政策を比較するために設計された多国間調査である。欧州諸国にはさまざまな政策があるため、それらを比較することで分かることが多い。各国のレベルにおいては、健康や社会経済、社会参加など包括的なデータ収集するという点で方法論はHRSやJSTARとよく似ている。

    SHAREの設計上の大きな課題は、さまざまな国が含まれていることだ。制度や言語、言葉の解釈、すべてが異なっている。SHAREの組織は複雑で、5つの管理センター、各国の調査代理機関、そして2000名の調査員が参加している。情報技術ツールを利用し、できる限り客観的に測定することにより、複雑さを軽減しようとしてきた。たとえば、欧州の中には健康に対する認識が過大評価される国もあれば過小評価される国もあるので、客観的に健康状態を測定することは重要なことだ。

    若年失業者については10年後または20年後に健康上の影響が現れる。このような悪影響は失業保険のない国においてより顕著である。SHAREでは人々の現在の状態や育ち方を調べ、その上で彼らの生活を遡及的に調べる。退職は健康や社会、労働環境に左右される。仕事が好きな人は退職する時期が遅い。出産給付制度のある国の女性は、そうでない国の女性よりも退職時期が遅い。使われている言語の時制に未来形のない国とある国とでは貯蓄パターンが異なる。また、欧州諸国は高齢化しているため、高齢者による若い世代への依存度は低下の傾向にある。

    SHAREのデータは、多くの場合、先入観が正しくないことを証明してきた。1つ目の先入観は、60歳以降、健康が急劇に衰えるというものである。しかし、自己評価によって機能的、客観的に健康を測定したところ、衰えは緩慢でなだらかなものである。実際、60歳と69歳の差より、各年齢グループ内に見られる差の方が大きい。非常に健康な69歳は、不健康な59歳よりもはるかに健康的である。一部の病気は教育を受けていない人の間に多く見られる。実際、教育を受けていない女性で60%、男性では90%の割合で糖尿病や脳卒中になる割合が高い。SHAREの社会経済的データや生物医学的データにより、この種の分析が可能になる。国内総生産(GDP)に占める医療支出の割合と健康水準の間には、正の相関関係がある。また、同じ健康水準でも医療支出が他の国と比べて多い国があるが、これはそのような国の医療制度が非効率であることを示している。

    2番目の先入観は、できるだけ早く退職した方が良いというものである。実際のところ、退職が遅い人よりも早い人の方が認知スコアは悪い。雇用形態や友人の数も認知と正の相関関係がある。各国における退職政策の変更は記憶力に影響を及ぼす可能性があり、因果関係の方向性を左右する。さまざまなメカニズムによって退職は脳に良くないことが示されている。人は仕事で脳を使わないと、記憶能力が失われやすいことが実証的に示されている。また、記憶力を失うと、友人を失いやすい。早過ぎる退職には熟考が必要である。

    3番目の先入観は、若者は、すでに年金を受け取っている高齢者からより多くを求め、世代間の争いが起こるというものである。しかし、欧州では世代間交流がさかんに行われており、「世代間の争い」というのは大げさである。親と対立しているという子供世代のデータと、子供と対立しているという親世代の領域は一致していない。家族関係や社会・世代間の結びつきに関する22項目を見ると、実際に対立しているものは少ない。伝統の古い国家ではさらに強い結びつきが見られ、したがって経済不振に陥っている欧州の古い国家では世代間の争いは見られない。

    4番目の先入観は、国から援助を受ける世帯は自立できないというものである。しかし、ほとんどの場合、世帯への支出と自立の間にはかなりの相関関係があり、経済的な直観とは相いれない。

    要約すると、SHAREは異なる政治的傾向の国のそれぞれの政策に着目している点が特に有用であり、因果関係の方向性に決着をつける可能性もある。また、SHAREのデータを通して高齢化に対して人々が抱いている先入観が否定されたこともある。SHAREにより深まったこのような欧州での高齢化の影響と同様にJSTARのような努力により、世界全体における高齢化のインパクトを様々な側面から理解することができるだろう。

    老人ホーム利用の生涯リスクと生涯自己負担

    Michael HURD (ランド研究所労働・人口研究部門ディレクター)

    HRSでは2年に1回、50歳以上の約2万人の個人を面接調査しているが、6年ごとに新しい人を追加し、その年齢層の典型的なサンプルを維持している。HRSは長期にわたる豊富なデータであり、高齢者が体験することへの理解を深め、政策課題にも取り組んでいる。

    日本では、1970年に人口の6%~7%だった65歳以上の割合が、2050年には38%前後になると予想されている。これと比較して、米国は日本より高い出生率や移民の恩恵を享受してはいるが、それでもベビーブーム世代の高齢化や出生率の低下により高齢者の人数は増加するだろう。また、これに伴い、長期介護も増加が見込まれる。

    米国では老人ホーム入居の費用は年間8万5000ドルと高額である。老人ホームで生涯を終える可能性と自己負担について考えたいと思う。老人ホームの利用は欧州と米国で同様の可能性が高い。またアルツハイマー病が進んだ患者にとって、老人ホームはほとんど必須であるため、アルツハイマー病患者の利用率は米国も日本も類似しているはずである。65歳以上を対象とした皆保険といえる米国のMedicareで支払われるのは短期間の入院費用の一部のみである。長期介護の費用はMedicaidで支払われるが、保険に未加入なら、資産を使い尽くすまでは自己負担しなければならない。

    HRSの調査開始時点においては、老人ホーム入居者は調査対象ではないが、HRSは調査対象者の居住場所にかかわらず追跡調査を行うため、時間の経過とともに、老人ホームの入居者がHRSの面接調査対象となり、HRSに老人ホーム入居者のデータが含まれることになる。また、HRSは死後調査も行っており、入居者が死亡するまでの老人ホーム利用についての情報が得られる。

    私たちは合計約1万8000人に関する分析に、Assets and Health Dynamics Among the Oldest Old(高齢者の資産と健康のダイナミクス)(AHEAD)およびHRSのコホートを用いた。90歳以上の高齢者の約20%が第1回から第2回調査の間に老人ホームに入居した。第3回調査までに90歳以上の高齢者の25%が老人ホームに入居した。その後の調査ではこの割合にほとんど変化はなく、安定していた。

    55歳未満の人については実質的に老人ホームの利用はないが、老人ホームへの入居率は年齢と共に増加し、95歳以上の人では調査と調査の間に50%以上が入居者となる。入居率は死期が近づくにつれ上昇するため、死後調査がなければ、データは過小評価されることになる。最終的に、56歳以上の人の老人ホーム利用の生涯リスクは56%というノンパラメトリック推定値が導き出された。モデルベースのシミュレーションでは57.7%という結果になった。したがって、ノンパラメトリック推計とモデルベースのシミュレーション結果には整合性がある。老人ホームの平均宿泊数は283泊とかなり長期にわたる。女性の方が老人ホームに長く入居する傾向があるが、それは女性の方が男性より長生きするからである。教育水準が低い人、または喫煙者は老人ホームの入居期間が短いが、それは彼らの寿命が短いからである。

    老人ホームの自己負担費用、平均値、分布について、老人ホームで過ごす時間の調査と同じ方法を使用した。ほとんど自己負担のない人がいる一方で、多額の費用を自己負担する人がいるという偏った分布が明らかになった。70歳、71歳という比較的若い年齢では、約70%が保険適用だが、これはMedicareでカバーされる短期の入居者だからである。年齢が上がるにつれ、この割合は低下する。2年間自己負担分を支払う人の割合は年齢が上がるとともに急激に増加する。95歳以上の人では年間1万ドル以上支払っている。57歳の割引率を0%として、平均余命の間に支払う自己負担額は2013年実質ドルベースで1万8000ドルである。割引率0%で95パーセンタイル値は、10万ドル以上の自己負担額となる。

    56歳で約27%の人が100日以上にわたる長期の老人ホーム入居を1回経験する見込みである。7%の人が長期入居を2回、そして2.4%の人が3回以上経験するだろう。女性の入居リスクが高いが、これは女性の方が長生きであるために介護してくれる配偶者がいない可能性が高いからである。

    結論として、米国では、一生のうちに老人ホームを利用するリスクは56%~58%である。最も多く見られるのは、妻が夫を介護し、未亡人となってからは一人暮らしとなり、その後老人ホームに入居し、Medicaidの給付資格を得るまでに貯蓄を使い尽くすというパターンである。このため、長期介護保険よりもMedicaidの方が長期的に見ると良い選択だといえる。

    HRS型データを使用して得られた知見について-アジアの事例

    Albert PARK (香港科学技術大学教授)

    CHARLSについてお話する。中国の高齢者の約25%は貧困状態にある。そして中国は急速に高齢化している。2050年までに、国民の3分の1以上が60歳以上、1割は80歳以上となる。2011年から2012年にかけて中国国内の1万8000人への聞き取り調査を行った結果を集計したものである。

    2011年に中国国内で1万8000人を対象としたベースライン調査を行った。2013年に実施された追跡調査のデータは間もなく公表される予定である。私たちは45歳以上の家族が少なくとも1人いる世帯を調査した。ベースライン調査の回答率は80%、その後の追跡調査では約90%の回答率となった。CHARLSのデータは大きな注目を集めたが、それは国際基準に基づいてデータ収集が行われ、中国で一般に公開されている数少ないデータだからである。報告書には年齢別の所得に基づく消費、貧困の記述的データを掲載した。60歳以上は45歳~59歳よりも貧困率が高かった。中国政府が年齢別の貧困率を公表したのはこれが初めてであったため、中国のベースライン調査は大きな注目を集めた。

    また、高齢者の福祉に関する事実は興味深い。同居していない子供から仕送りを受けている高齢者は46.9%に過ぎなかった。このことは、東アジアの社会では家族が高齢者の面倒をみるのが当たり前という神話的な考え方を否定するものである。仕送りを受けている高齢者について、仕送り額の平均は年間1700元で、これは高齢者世帯の支出の37.3%を占め、貧しい高齢者に仕送りが行われていることを示している。中国の高齢者の健康状態は極めて悪いことが調査で分かった。38%は日常の活動に支障がある。3分の1は体に痛みを抱えている。32%は健康状態が良くないと自己申告している。中国の高齢者の40%が抑うつ症状を経験しており、特に女性でその割合が高い。これらの数字はOECD加盟国と比較して、かなり高い。中国は健康保険制度を拡大し、人口の66%をカバーしており、農村部の住民はほとんど全員がカバーされている。しかしながら、給付の質は比較的低いといえる。

    ベースライン調査が行われた時点では、新農村部年金制度(NRPP)が全国規模での実施には至っていなかったため、給付を受けている地域と受けていない地域を比較することができた。年金の支払いによって働かない可能性が25%高くなった一方、貧困は緩和された。新年金制度が個人的な仕送りに取って代わり、抑うつ症状を緩和したというエビデンスはあまり示されていない。

    多くの国において年齢ととともに医療費は大幅に増加する。中国の都市部では高齢になるにつれ医療費は急増するが、農村部では高齢になって健康状態が悪化しても、実際のところ、医療費は減っていた。子供と同居している高齢者は年齢が上がっても医療費を支出しない傾向がより強く、乏しい資源を自分の医療のために使わないでいることを示している。良質の保険があれば、農村部の人が高齢になっても支出は大幅に減少しないが、この点を考慮しても、都市部と農村部の格差は存続し、農村部の人々は高齢になって健康状態が悪化しても医療サービスの恩恵を受けられないという懸念がある。

    私たちは中国、韓国、日本の高齢者の幸福についての比較に取り組んでいる。中国と韓国の高齢者は世界で最も自殺率の高い国に入るので、抑うつ症状に焦点をあてることにした。重い抑うつ症状の発生率は中国が最も高く、次いで韓国、最後が日本である。ただし、米国での重い抑うつ症状の発生率は11%~13%であり、日本の発生率に近い。抑うつ症状を説明する要因は国によって異なる。韓国では年齢が高くなるにつれ、抑うつ症状が急増するが、日本ではその逆である。身体的な健康状態は、経済的要因と同様に抑うつ症状を説明しうる最大の要因であることは3カ国共通である。中国や韓国では教育が抑うつ症状の予測因子になるが、日本では高齢者の教育水準がより高いため、中国や韓国ほど参考にならない。

    最後に、中国と英国を比較した。興味深いことに、身体的健康に関して、富の不平等の度合いは中国よりも英国のほうが相当強かったが、これは中国の社会主義の遺産と関係しているのかもしれない。しかし、主観的な幸福に対して富が与える影響は、英国よりも中国において大きいことがわかった。主観的な幸福は最近の経験に基づいて変化する現在の状況をより強く反映するため、相対的な富は絶対的富よりも重要なのかもしれない。

    政策的有用性について-米国

    Robin LUMSDAINE (アメリカン大学教授)

    HRSを基にした2500以上の学術刊行物に加え、HRSは米国の政策に影響を与えてきた。米国では、人口動態の変化が政府や予算に及ぼす影響について集中的に政策論議が行われてきた。寿命が延びることは、十分な社会保障財源の確保に影響を与えるであろう。この問題への対処方法として当初行われた提案には、貯蓄の責任を個人に移行する案や、定年の引き上げなどが含まれていた。独立超党派の機関であり、議会の付属機関である米国会計検査院(GAO)は政府による税金の使途の評価を行っているが、この問題について多数の研究を行っている。

    HRSのオリジナルコホートに基づく研究では、女性は男性より長生きするが、受ける社会保障は非常に少なく、そのため貧困に陥る可能性がより高いことがわかった。HRSを用いたGAOの研究では、女性は賃金が低く、勤続年数も短いため、女性の給付のほうが男性より少ない傾向が示された。これらの結果を基に、GAOの研究は次のように述べている。退職後の蓄えとして給与に比例して口座への貯蓄を奨励する提案は、これに加えて男女間で投資行動に違いがある場合、さらに男女格差は広がる可能性がある。そこで以下の提言がなされた。投資目的や資金計画についての情報を提供すること、長生きすることで貯蓄不足に陥る可能性を減じるため、年金化の義務付けを検討すること、定年時に同額程度の貯蓄がある者は年金から同額程度の月次給付を受けられるように、(年金の計算に)男女の区別をしない生命表を利用すること、というものである。

    2つ目の研究では、社会保障の要件の変更によって、引退の先延ばしが生じたかについて調べた。HRS調査データを用いてわかったことは、政策によって複合的なインセンティブが生まれることで、GAOは高齢になっても働くように提言した。HRS調査データの利点の1つは、さまざまな制度の特異的影響を比較し、どのように相互作用しているかがわかることである。

    3つ目の研究では、早期給付開始の年齢を引き上げた場合に人々が働き続ける可能性について考察した。現在の米国の政策では、通常の給付開始年齢は65歳から67歳へ引き上げられる一方、早期給付開始年齢は62歳のままである。早期給付開始年齢の引き上げは、62歳を過ぎて働くことができず、身体障害者保健を申請することになる一部の集団に影響を与える可能性があり、むしろ高い運営費を要することになる結果、給付開始年齢引き上げにより生じる貯蓄の一部を相殺してしまうことになる。

    GAOは2003年、2011年の2回にわたり、退職後の所得保障の確保について、個人がより大きな責任を果たせるのか検討した。その結果、支払いオプションについての情報は民間の年金制度のスポンサーによって豊富に提供されていたが、関連リスクや十分な生涯所得が意味するところは、個人には理解されていないことがわかった。GAOは国民の意識向上(社会保障局(SSA)から送られる年に一度の郵便物に相当する手段などを通じて)、金融リテラシーの向上を図ることを提言した。

    GAOが2001年、2005年に行った研究は、高齢の労働者は重要な資源であるが、活用している企業はほとんどないと指摘した。さらに、GAOは高齢労働者の継続雇用や採用、彼らが働き続けられる環境づくりに力をいれるよう提言した。労働省はこれに同意し、高齢労働者の雇用を推進する施策を多数設けた。

    2006年、GAOはベビーブーマーが貯蓄を株式や債券にシフトすることが株式市場の暴落につながるかという疑問に答えた。暴落は起こりそうにないということがわかったが、その理由の1つは、多くのベビーブーマーはシフトできる金融資産をほとんど保有していないということである。もう1つの理由は、平均余命が延びているためベビーブーマーは長く働くことになり、資産の売却は長期間に分散するというものである。さらに、GAOの指摘によると、退職の決断は社会保障給付のみならず、年金が受け取れるのか、退職者健康保険が利用できるかどうかにも影響される。

    連邦準備制度に所属していた間、私は大規模な縦断的データ(同じ人についての長期間にわたる情報のデータ)が利用できることの重要性を学んだ。非常時と比較できる「平時」のデータがあれば、景気後退の影響を経時的な変化から切り離すことができる。たとえば、永久的な解雇と一時的なレイオフの間の変化、企業による報酬の変更、高齢労働者政策が雇用に与える影響、年金プランの変更または終了、不本意な労働時間削減の影響などがHRSによって分かる。また、健康状態の変化や家族の介護責任が労働参加にどのような影響をあたえるか評価できる。さらに、HRS、ELSA、SHARE、JSTARの質問項目に一貫性があるので、このような影響について重要な国際比較が可能になる。

    また、HRSは先般の大不況が米国の高齢者に与えた金銭的な影響についての分析にも役立った。当初、株式市場や住宅価格の下落は高齢者に多大な影響を与えると多くの人が懸念したが、HRSの分析で高齢者の多くはこのような影響からは護られていたことがわかった。高齢者の富の29%は社会保障、17%が確定給付年金であったからである。また、定年に近い高齢者のほとんどは住宅ローンを既に払い終わっているため、住宅価格下落の影響は受けていなかった。

    縦断的データを分析することで、データの必要性や政策課題が問題化する前に把握できる。2003年3月、GAOはHRSを使用した報告書を発表したが、これによって行政記録や雇用主の記録に関するより多くのデータや、他のデータとの連携が必要であることがわかった。報告書の提言は、民間雇用主の年金プランの説明要旨やSSAの記録との連携という形で、HRSの向上に貢献している。このような向上のおかげで、社会保障や民間の年金プランが退職の決断にどのような影響を及ぼすのか、以前より詳しく考察できるようになった。

    たとえば、最近の研究ではSSAデータとの連携を利用し、公開情報の誤りの程度を突き止めた。自分の年金プランの型や年金受給資格年齢を把握している人は回答者の約50%に過ぎなかった。同様に、自分の将来の社会保障給付額を推定できた人は50%、実際の給付額から1500ドルの範囲内で推定できた人はさらにその半分だった。政策的な対応としては情報量を増やすこと、金融リテラシー向上策、年金化である。

    結論として、HRSはその22年の歴史において、政策対応を必要とする領域の特定において、また実施された政策による効果を評価する上でも極めて重要な役割を果たしている。最後に、データが縦断的であることは、とりわけ高齢化が進む中で、重要な意味を持つ。

    政策的有用性について-英国の事例

    James BANKS (マンチェスター大学教授)

    ELSAは2002年に開始された。資金の半分は政策を実施する政府機関から出ているため、ELSAの実施にあたり、その機関がどんな情報を知りたがっているのか、その情報をどう使うかについて話し合いを持った。ELSAのサンプルは50歳以上から選ばれており、オープンアクセスの縦断的調査である。4年に1度、看護師による1時間の訪問調査を行い、健康状態を評価、バイオマーカーを採取する。これまでに約1万8000人の回答者に面接調査を行った。ELSAは、政府による計算や政策設計に関する調査、研究論文の基礎に利用されてきた。

    英国では、退職後の貯蓄に関する責任は国から個人に移行している。また、定年の引き上げや高齢労働者向け障害給付の改革も実施し、年金化の義務付けを廃止した。年金改革により公的年金の給付は減額され、欧州のどの国よりも高齢化に対応できるようになった。今後10年間に女性の定年は急速に引き上げられ、男性と同じになる。しかしながら、多くの女性は改革の詳細について理解しておらず、80%が年金受給開始年齢を正確に答えられなかった。実際、ある年には正確に答えられても次の年には答えられない女性もおり、混乱が多々みられた。

    ELSAは、退職後の所得を予測するため、富のあらゆる側面を測定する英国で最初の調査である。英国政府が退職後の所得の妥当性について用いた1つのベンチマークは就労所得の3分の2というものである。もし50歳以上定年年齢までの人すべてがELSAの第1回調査の直後に仕事をやめた場合、40%の人は十分な所得を得ることができないだろう。しかし、所得がどの資産によって生み出されているかに左右される。私たちは社会保障番号を収集し、政府の記録と関連付けることによって貯蓄と支出の最適モデルを示した。

    ELSAは医療の質を測定する目的にも利用されている。十分な介護を受けている人の割合は疾病の種類により異なるが、割合は長期間、一定であった。痛みや変形性関節症、転倒、視力などの疾患は管理が不十分である。医学的疾患の介護は手厚いが、高齢者疾患の介護は不十分である。英国の医療制度では、医師が特定の疾病、特に医学的疾患の治療を行うことに対して金銭的報酬を与えている。このような特定の疾病において介護の質はより優れている。英国の医療制度では介護の質が富によって異なることはない。たとえば糖尿病の場合、最貧層の人も最富裕層の人と同質の介護を受けられる。

    Digital by Defaultと呼ばれる改革があるが、これは行政サービスや福祉給付金を福祉事務所ではなくオンラインで届けるというものである。50歳~54歳の男性の36%は調査開始時にインターネットや電子メールを利用できなかった。しかし調査を重ねていくうちに、70%がインターネットを利用できるようになった。65歳~69歳の女性では77%がインターネットを利用できず、その後利用できるようになった人はそのうちの30%に過ぎない。オンラインサービスの提供は難しいであろう。

    英国の統計局(ONS)は、家計と健康に加え、幸福と生活の質を測定している。孤独については、貧しい人は大半の時間を1人で過ごし、また女性は男性より1人で過ごす時間が長い。幸福と孤独の比較では、1人で過ごす場合を比較すると、最も裕福な人ほど幸せで、すなわち、最も貧しい人ほど不幸な可能性が高く、また彼らは1人になる可能性が高い。幸福と人生の楽しみは生存を予測する有効な要因である。楽しみの度合いが最も低い人が10年間で死亡する可能性は27.6%だが、これに対して楽しみの度合いが最も高い人は9.9%という結果であった。

    政府は特定の政策変更の効果を知る必要があるため、記述的分析は新しい政策を設計する上では不十分である。しかしながら、完全に構造化された行動モデルは詳細さ、または具体性に欠ける場合が多く、また政府職員が理解する能力を超える場合もある。1つの妥協点は動的ミクロシミュレーションで、これは退職後の死亡率や健康、障害、所得、貧困の考察に利用できる。将来の人口シミュレーションが可能で、さまざまな政策体制を比較できる。私たちの予想では、定年の引き上げにより労働者の数が大幅に増加し、いまから2020年までの間に、最富裕層の所得は大幅に増加し、年金受給者の貧困は減少するとみている。

    結論としてELSAは成功しているといえるが、それは、統計自体の重要性と同様に、統計間の連携が重要であり、ELSAが政策に利用されているからである。英国では、政府が常に政策を改訂しており、新しいエビデンスが常に求められる。調査が進めば、さらに効果的な政策を実現することができる。

    パネルディスカッション:社会保障政策におけるエビデンス―日本の社会保障政策へのインプリケーション

    モデレータ

    澤田 康幸 (RIETIファカルティフェロー / 東京大学大学院経済学研究科教授)

    澤田 :深尾光洋教授より日本の経験と政策課題についてお話を伺う。

    深尾 光洋 (RIETIプログラムディレクター / 慶應義塾大学商学部教授) :公的年金制度の財政は、給付水準を徐々に引き下げる仕組みを導入するとともに、給付のスライド基準を賃金上昇率から物価上昇率に変更したことで、かなり安定した。しかし、高齢者への年金給付を引き下げたことで、今後の高齢者は従来以上に社会扶助制度に依存するようになる可能性がある。高齢者の健康保険コストは他の年齢層の5倍~7倍であるため、この制度は持続可能ではないかもしれない。介護保険の給付も後期高齢者の費用が非常に重いため、今後のコスト上昇は重いと見込まれる。医師が長期間全く反応のない患者についての人工栄養などの延命措置を打ち切った場合でもその医師は殺人罪に問われる可能性があるため、介護が非常に長引く場合が発生している。私たちは超高齢者に対する医療介入の方法を変える必要がある。高齢者世代が若い世代にとって重い負担となっているからである。

    15歳から64歳までの生産年齢人口は今後20年間に17%減少するが、65歳以上の高齢者人口は35%増加する見込みだ。現政権は女性の労働参加の拡大と出生率の上昇を目指しているが、今年生まれた子供たちが経済に参加するまでには20年かかる。人口問題への対策としては移民の受け入れを真剣に考慮する必要があるが、日本が受け入れているのは年間わずか3万人程度である。原則として高所得であるか、あるいは高い教育を受けていなければならないからだ。ドイツは日本の10倍以上の移民を受け入れることで、経済は急成長している。

    老人の精神的・身体的な機能が大きく悪化した場合、その人に人工呼吸や人工栄養などの医療介入を求めるかを決断しなければならないのは配偶者か家族だ。そのため、死や老化について一般市民を教育し、彼らの認識を、生命維持を偏重したものから、より現実に即したものに変えてゆく必要がある。

    澤田 :どうしたら支出を増やすことなく貧しい人々がより健康になれるか、また年金受給年齢の変更の政策効果について政治家は堂々と問うべきだ。高齢者をより健康にするため、政治家はどのような具体的政策手段を追及すべきだろうか。また、定年を65歳から70歳に引き上げた場合、高齢者に何が起きるだろうか。これらの疑問や会場からの質問にパネリストの皆さんからお答えいただきたい。

    市村 :会場からの質問で、政府の数字について第三者による評価を受ける重要性が指摘された。HRSタイプのデータの重要な側面の1つは、データが公表されているということだ。だから誰でも政府の数字を評価できる。

    調査データが入手できることで、私たちは高齢化に関して財政面を超えて、具体的政策段階について考えることができる。これは退職プロセスの異質性に示される。臼井さん、清水谷さん、小塩さんは労働力不足について示されたが、彼らの計算が正しければ、男性のシナリオでは65歳から70歳の年齢層は労働力を拡大する可能性がある。女性もまた十分に活用されていない労働力だ。

    BÖRSCH-SUPAN :1つだけですべて解決できる政策などない。人口革命には性質の異なる原因が3つある。1つは寿命の延び、2つ目は出生率の低下、3つ目はベビーブームからベビーバスト(出生率の低下)への移行である。それぞれの原因について異なる政策対応が求められる。

    私たちが健康で長生きなら、定年は引き上げるべきだ。また健康と寿命が比例して増進するのなら、身体障害保険の受給といった問題は二次的な問題になる。そのため、私は比例ルールを提案する。仕事に使った時間と退職後の時間を2:1と一定の割合にするというルールだ。

    公共政策で出生率を変えるのは難しい。また、どの政策が有効で、どの政策は有効ではないというエビデンスはほとんどない。そのため、教育を改善することで量より質を目指すべきだ。残念ながら欧州では正反対で、年金にはノータッチで、教育予算が削られているが、これは完全に誤りだ。

    ベビーブーム・ベビーバストについて経済学者が言っていることは、子供のコホートが小さく、退職生活者のコホートが大きければ、退職生活者は自分の年金の相当部分を負担しなければならないということである。これは英国などではすでに実施されているが、日本やその他の国ではほとんど行われていない。

    澤田 :HRSタイプの調査データは政策立案にとって不可欠ですか?

    BÖRSCH-SUPAN :定年変更による副作用を理解することが不可欠だ。定年を65歳から67歳に引き上げたとしても、この年齢の人達は健康であり、身体障害保険の請求が3倍に増えることはない。ドイツの年金給付額は15%引き下げられつつあり、貧困に近い層は貧困に陥るだろう。どのくらいの人数が貧困防止プログラムを必要としているかはデータに示されている。有権者の支持を得る上で政策の影響を理解することは重要だ。

    HURD :会場からの質問に答えるが、私たちの認知症の推計値はAging Demographic and Memory Study(加齢、人口統計、記憶に関する研究)(ADMS) からのものであり、これは米国で唯一の代表サンプル調査である。会場からの2つ目の質問についてであるが、老人ホーム入居の年間費用には大きな差があり、ニューヨークでは12万ドル、アーカンソーでは4万ドル程度かもしれない。

    ニューヨークタイムズの1面に認知症の研究コストに関する特集記事が掲載されたが、これによって、認知症の予防方法や費用対効果のよい介護方法に関する研究の必要性について政策立案者の理解が進んだ。認知症の人は在宅介護ができないため、高齢化の進む国は費用の高騰に直面するだろう。

    Gruber-Wiseプロジェクトは、公共政策が退職行動に大きな影響を与えること、また資金豊富な科学的研究が公共政策を左右することを立証した。「労働塊の誤謬」では高齢の労働者は職を譲って去らなければならないことになっているが、このような考え方は経済では誤りである。

    日本では高齢者の労働力供給は減少しているが、米国では大幅に増加している。理由は明らかではないが、安定的な健康状態にある人の就労は増加する可能性が示されている。

    肥満は糖尿病などの健康問題につながる世界的な問題だ。政策が喫煙率の低下に影響を与え、健康の増進につながったのと同様に、肥満についても政策が果たすべき役割がある。人々が長く働けるよう、健康問題に対処する公共政策が必要だ。

    PARK :会場からのコメントで、病院までの距離によって地方と都市の住民に与える影響は異なるのではとの指摘があった。しかし、この点はコントロールされているため、私たちの研究結果をこの要因によって説明することはできない。

    2つ目のコメントは、中国の女性の抑うつ症状と自殺率の高さについてである。実証分析では、中国の農村部では男女間の教育格差があること、また身体的健康状態の差が理由として示された。エビデンスでは男女間の差が縮小しつつあり、その理由の多くは就労の拡大と富によるものであると示されている。

    中国には農村部と都市部という2つの世界が存在する。都市部における就労や医療は欧州諸国に似ており、一方農村部は途上国のようである。政府はこのような格差の縮小を目指している。中国の都市部の定年は女性の場合45歳というケースもあり、引き上げられるべきである。

    中国は格差を是正する必要がある。農村部の健康保険加盟者を拡大するため、中国は雇用と直結していない国民皆保険制度を導入した。都市部では雇用主が提供する年金・健康保険制度がある。農村から都市への移住労働者にとっては、雇用主提供の制度に参加する意欲をそぐものある。居住地のいかんを問わない国民皆保険に移行するには時間がかかるだろう。

    農村部の年金制度の影響については中国政府当局者に提示されている。多くの当局者は政策の微調整を行うためにデータを必要としており、正当な分析を受け入れる姿勢が見られる。世界銀行の分析結果も中国政府に示されており、政府は複数の情報源を持っている。

    LUMSDAINE :米国における給付開始年齢の引き上げは身体障害保険申請の増加につながり、政策にも影響を及ぼしてきた。給付開始年齢の変更はそれぞれの国の社会政策と相互に作用しており、各国の経験は不均一であり、異質性があることが研究によって示されている。

    また、HRSは退職政策と介護の相互作用という点で、米国の政策に影響を与えてきた。先般の金融危機の時は、親世代がフルに働けるように多くの祖父母が孫の育児をした。孫の育児が女性の退職の決断にどれほど影響したのかに関してHRSのデータによると、家族の特性は退職の決断に影響するが、孫の育児をするかどうかについての判断の場合、金銭的側面は誘因にはならないことがわかった。育児が原因で退職を決断するのであれば、退職の決断に影響を与えることを目的とした政策は、それほど効果がないかもしれない。

    澤田 :会場から興味深い質問をいただいた。ロンドンの夏季オリンピックが高齢者の幸福度に与えた影響についてELSAによって得たエビデンスはあるだろうか。この質問は東京でもオリンピックが開かれるため出されたものと思う。

    BANKS :ロンドンの夏季オリンピックについてはまだ調べていないが、私たちの調査は一部、文化・メディア・スポーツ省から資金提供を受けている。オリンピックは国民のあらゆる集団グループの幸福度を一時的に引き上げ、プラスの影響をもたらしたことがわかっている。

    高齢化政策については、1つの政策ですべて対応できないということが課題の1つである。現在の高齢者の問題にはさまざまな政策で対応することが必要であるが、これは将来、高齢者となる現在の若い世代とは対照的である。

    健康に関しては、富裕層と貧困層の間で治療率に差はないが、死亡率には差がある。これは教育、健康に関わる行動、職業上の健康リスク、認知能力、家庭環境などに関係する。

    適切な年金収入について、67%という数字を示したが、政府がその数字を決定したからで、最適であるからというわけではない。「最適」を決めるには、怪しげな仮定を多数含むモデルが必要で、最初のステップは、政策立案者が最適と考える基準に基づいて計算することである。

    澤田 :JSTARを政策立案に役立てるために、どのような普及活動を行うのが効果的か?

    BANKS :私たちは政策アナリスト向けのワークショップを開き、データの利用方法を教えた。また、上級主席研究者による省庁向けのセミナーを開いた。

    LUMSDAINE :米国でも同様の試みを行っている。データは公表されているが、さらに縦断的なデータになり、より複雑になる。アナリストによるHRS利用を助けるため、ワークショップやセミナーを多数開催している。また、国際比較を推進するため、データの統一化についても数々の取り組みを行ってきた。

    BÖRSCH-SUPAN :学術誌とメディア露出など、複合的に普及活動を行うことが必要だ。新聞記事の執筆や、政策顧問を引き受けることも効果的な方法だ。EUでは研究費の申請に普及計画の提出が義務付けられており、5ページ程度の提案書で説明が求められている。

    ドイツ政府は給付開始年齢を4歳引き下げることを決定したが、そのときすでに中途退職率や就労率を予測するSHAREのデータが整えられていた。 データが示しているのは、経済問題を解決する上で構造問題を解決することの重要性だ。ギリシャは所得代替率、高齢者の貧困率ともにEU内で最も高い。一部の人が巨額の年金を受け取っている一方で、年金を全く受け取っていない人もいる。金融政策ではこのような構造的な問題を解決することはできない。

    日本については、アベノミクスの第3の矢がなければ、他の2本の矢は機能しないだろう。

    HURD :RANDはHRSに関して社会保障局から多額の助成を受けており、HRSを成功させる上でデータを利用し易くすることは重要である。社会保障局はHRSの提唱者となり、政府の別の部署にも広まっている。HRSのデータが容易に利用できなければ、HRSを基にした研究の多くは実現しなかっただろう。

    市村 :私たちは政府内で強力な関係を確立していない。政府の日々の業務において生じる決まりきった質問を理解し、JSTARのようなデータを利用して答える必要がある。

    BÖRSCH-SUPAN :市村教授のコメントにある「決まりきった質問」は重要だ。SHAREのミクロデータを使って分かったことだが、1年のうち11カ月の間、若い世代が高齢者を介護し、残りの1カ月は休めるように支援している自治体がある。自治体が家族を支援すれば、家族はもっと介護できる。

    澤田 :このコメントに関連して、高齢者の暮らし一般を改善する上で3つの要素がある。すなわち、市場メカニズム、政府、コミュニティだ。市場はよく失敗し政府が助けるが、政府もまた失敗する。そのため、市場や政府の失敗を補うために、家族支援も含めたコミュニティ・メカニズムを強化すべきだ。

    次に、HRSタイプのデータセットの改善に向けた今後の課題や展望についてパネリストの皆さんに伺いたい。たとえば、人の一生について考察するにはより若いコホートを追跡すべきだ。また、予算の制約により、データ収集の継続という課題もある。

    BANKS :私たちが直面する大きな課題は資金調達だ。英国政府は公共支出の大幅な削減を行っており、政府の資金提供を行う部門は打撃を受けている。資金調達はさらに難しくなるだろう。「10年間のデータで分からないものが12年間のデータで何が分かるのか」と問われることが予想されるからだ。同様に重要な2つ目の課題は、このようなデータの価値に対して資金を提供する人々が納得できるような高い科学的特性や回答率を維持することである。資金提供を求める確固とした主張を行うには、金額に見合う価値を提供することが必要である。

    3つ目の大きな課題は、一般的にエビデンスが政策に与える影響に関するものである。政策立案者に短期的に行動する政治的な理由がある場合、エビデンスで彼らに影響を与え、長期的な問題を解決させることはできないかもしれないが、これは高齢化や今後の政府債務に関わる問題にとって特に重要である。英国の有権者の半数以上が50歳以上で、また投票率は高齢者の方が高く、特に世界金融危機や景気後退以降、高齢者の生活水準維持が必要だと政府が判断した場合、改革を行うのは困難である。

    LUMSDAINE :米国でも資金調達は大きな課題である。さらに、代表サンプルの維持についても課題である。特にSHAREに関しては、データの比較可能性を確保しつつ、21カ国のデータを管理することは難しい課題である。

    HRSの参加者はデータがどのように政策に影響を与えたのかを説明したフィードバックや礼状を受け取る。これが回答者の関心をつなぎ止め、回答者の減少を抑えるのに役立っている。

    最初に労働市場に参入した時からコホートを追跡することは有用ではあるが、実際にデータが政策に役立てられるまでに時間がかかり過ぎてしまう。その代わり、もう少し短期的に政策に役立てられるよう、生活歴を収集している。

    PARK :質の高い調査であること、中国が台頭していることから、CHARLSのデータには大きな関心が寄せられている。しかし、政府の資金提供部門と強い関係はなく、資金調達には苦労している。高い科学的水準、CHARLSのデータの重要性を考えると、資金問題は将来的に解消できると確信している。高い科学水準の維持については国際社会から絶大な支持を得ている。諮問委員会はHRS、ELSA、SHAREの理事で構成されている。

    さまざまな問題はチャンスだと考えている。中国は、経済発展の初期段階にありながら急速な高齢化を迎えており、まさに情報を必要としている。JSTAR同様、私たちの調査も始まってまだ日が浅いが、JSTARも海外専門家の意見を活用されると良いだろう。

    HURD :初期の認知低下を発見できるような認知指標を見つけることが重要だ。認知症の症状が出始める前に予防について分析することが必要である。50代、60代の人を調べなければならないが、私たちのデータで有効なのは70代、80代の人についてのみである。

    また、他のデータとのリンクも必要だ。米国では、登録すれば国民は自分のデータをチェックし、正しいかどうか確認できるので、回答者の負担を減らせる。いまのところ、世帯調査の代わりとなるものはない。

    将来的に回答率は問題になることが予想できることから、調査方法を改善する必要がある。インターネットを利用した回答方法は一部の問題、一部の集団には都合が良くても、私たちがいま取り組んでいる調査には対応できない。将来的には費用が少し安くなるかもしれないが、現時点では通常の回答方法とそれほど差がない。

    HRSは科学の変化に適応すべく、3時間の面接調査を行うようになった。私たちは、ヒトゲノム計画によって推奨された方法で、350万人のHRS回答者からDNAを収集した。科学の変化に伴い調査が陳腐化することは避けなければならないが、資金と時間には限りがある。調査の妥当性を縦断的に維持しつつも、進化させていくことはHRSが直面する最大の課題だ。

    BÖRSCH-SUPAN :安定的な資金調達は誰もが切に願っているが、実際、非常に困難だ。節約のためにインターネット利用などのアイデアもあるが、それでは握力を測ることは難しいし、それほど節約にはならないだろう。

    科学に関しては、ライフコースアプローチは間違いなく重要だ。また、出来る限り客観的なデータが必要だ。社会経済的方法と共に生物医学的方法の両方が必要なのはそのためである。また、調査を年金記録や医療記録など他のデータとリンクさせる必要がある。

    市村 :私たちも資金調達の問題を抱えている。また、私たちのデータセットを社会保障のデータとリンクさせたいが、別のコンピュータ言語で記録されているため、リンクは困難だ。低出生率という問題もあり、若年コホートのデータの収集も必要だが、20%の回答率を得るのにも苦労している。

    また、私たちは調査の科学的側面に対して政治家の関心を引くことにも苦労している。政策の効果を測定するには現在の人口を維持しなければならない。将来の政策変更の潜在的影響を評価するうえで、JSTARのデータの利用を条件とすべきだ。JSTARのデータに対するニーズが自動的に生まれるため、資金の確保に役立つだろう。

    澤田 :吉冨勝教授の提起された3つの方向性を繰り返して締めくくりたい。第1に、より多くの政策志向の研究が求められる。第2に、より多くの国際比較が求められる。最後に、課題はあるものの、データの収集は継続すべきである。