理工系人材の育成
科学リテラシーの向上は、個人の所得、一国の経済成長をも左右するだけに、重要な政策課題である。例えば、2015年に文部科学省によりまとめられた「理工系人材育成戦略」では、付加価値の高い理工系人材の戦略的育成のための方向性と重点項目が整理された。また、経済産業省も文部科学省と共同して「理工系人材育成に関する産学官円卓会議」を設置し、2015年以来、「産業界のニーズと高等教育のマッチング方策、専門教育の充実」、「産業界における博士人材の活躍の促進方策」、「理工系人材の裾野拡大、初等中等教育の充実」の3つのテーマについて議論を重ね、2016年度から重点的に着手すべき取組を「理工系人材育成に関する産学官行動計画」としてとりまとめた(小野, 2016)。
理工系人材の育成は、男女間の賃金格差とも関係している。例えば、Card and Payne (2021)は、米国とカナダにおける大学教育を受けた若い男女間の賃金格差の5分の1は理工系(STEM:Science, Technology, Engineering, and Mathematics)関連の学位を取得して卒業する確率の男女差により説明できることを発見している。日本においては、2015年の第4次男女共同参画基本計画において、内閣府は科学技術・学術における男女共同参画の推進を掲げ、理工系女性人材の育成のためにさまざまな事業を展開してきた。このように、STEM教育の推進は、労働生産性の向上と賃金の男女格差是正のための政策手段とも考えられている。
教師の専門性とマッチング
児童・生徒の科学リテラシーを高める上で、学校教育は最も大切なもののうちの1つであり、そこで教育を行う教師は言うまでもなく重要な役割を担う。しかし、教師が児童生徒の学力を伸ばす効果(学力効果)には大きなばらつきがあることが、国内外の研究で報告されている。では、「何が教師の学力効果を決めるのか?」という疑問が浮かぶが、実証分析を行っている先行研究では、さまざまな結果が得られており、十分なコンセンサスがない。その中で、さまざまな研究者が注目してきた教師属性の1つに、教師の「担当科目の専門性」があり、それが児童生徒の学力を向上させることを示唆する結果も、多く報告されている。しかし、教師の担当科目の専門性が、どのようなメカニズムを通じて学力を向上させるかについては、報告がほとんどない。筆者らの最近の研究(Inoue and Tanaka, 2022)は、教師の専門性として大学時代の「専攻分野」に注目し、理科教師の専攻分野が中学生の理科の学力に与える効果と、そのメカニズムについて検証している。
教師属性の効果を検証する際に、常に対処しなければならない推定上の問題は、「生徒と教師の組み合わせは、通常、無作為には行われない」という事実である。ある分野を専攻した教師と生徒の学力の間に、正の相関が確認されたとしても、それは教師の専門性の効果ではなく、単に、能力の高い生徒集団に、ある分野を専攻した教師が配置されやすい、という教師配置の傾向を示しているにすぎない可能性がある。特に、クロスセクション・データ(同一時点のデータ)を用いて、「生徒間」の違いを利用して分析する場合、教師属性の効果を識別することが困難となる場合が多い。そこでInoue and Tanaka (2022)では、理科の分野間(物理、化学、生物、地学)の「生徒内」の違いを利用することで、上記の問題に対処し、教師の専攻分野が生徒の学力に与える効果を検証している。分析には、国際的な学力調査である国際数学・理科教育調査(Trends in International Mathematics and Science Study)の、世界中の中学生のデータを用いている。
理科教師の専門性は重要
分析の結果、大学で自然科学を専攻した教師は、専攻分野に対応する理科の分野の生徒の学力を0.05標準偏差(偏差値に換算して0.5)向上させることが分かった(表1)。さらに、その効果を発現させるメカニズムとして、およそ半分は教育実践、特に授業準備の違いが作用していることが分かった(図1)。つまり、自然科学を専攻した教師は、専攻分野に対応する分野の授業準備の質が高くなる等を通じて、生徒の学力を向上させることが示唆された。
また教師の専攻分野の効果は、教師や生徒の属性によってさまざまであることが分かった。例えば、自然科学の専攻分野数が多い教師で効果は大きい反面、教職年数や修士号以上の学位を保有しているかどうかでは統計的に意味のある違いはみられなかった。この結果は、中学生の理科の学力を高める上で求められる教師の専門性は学士レベルであること、また広く自然科学分野全般で専門性を有していることが望ましいこと、また、教職経験を積むことで専門性の欠如を補えるわけではないことを示唆している。また女子生徒、数学の能力が高い生徒に対して、教師の専攻分野の効果が大きいことも確認された。
日本のデータに絞った分析を行った筆者らの研究(井上・田中, 2017)においても、同様の結果が得られている。国際数学・理科教育調査における日本の公立学校のデータを用いて分析をした結果、理科教員が自然科学を専攻していた場合はそうでない場合に比べて中学2年生の理科のテストスコアが統計的に有意に高いことが確認された。
専門性の高い教員の確保・育成を
これらの研究の結果から、理科教師の専攻分野は生徒の学力を向上させていることが明らかとなった。政策的には、中学校の理科の指導体制として、物理、化学、生物、地学の各分野について、専門性を有した教師が担当する、分野担当制は一考に値するだろう。また、分野担当制が困難であっても、教育実践、特に授業準備の質を改善することで、生徒の学力向上が期待できる。そのため、教師の養成、採用、研修などの各段階で、理科教師の担当科目の専門性の厚薄を見極め、必要に応じて、教師の専門性を高める支援を講じていくことが重要である。