人工知能が変える経済

馬奈木 俊介
ファカルティフェロー

革新的な技術が与える社会への不確実な影響

これまで私たち人類は新たな道具や技術を開発し、自分たちの生活圏を拡大させ、豊かな生活を実現してきた。これまでの歴史上、さまざまなイノベーションにより、食料生産、衛生環境、交通など、新たなイノベーションと共に、私たちの社会・経済活動は大きく変容してきた。中でも産業革命と呼ばれる蒸気機関を中心とする大きな技術革新は私たちの物的な豊かさを急激に拡大させ、これまで実現できなかったさまざまなイノベーションにも波及効果を伴い、飛躍的に世界規模での経済活動を変化させた。

しかし、こうした新たな技術革新は必ずしも正の効果だけでなく、急激な経済の変化に伴うさまざまな社会の問題も発生させてきた。例えば労働問題である。蒸気機関の発明、普及によりこれまで製品の製造の担い手であった労働者は、解雇の危機に苛まれた。結果として、失業の恐れを抱いた労働者たちによってイギリスの一部地域では、機械の打ち壊しを行うラッダイト運動と呼ばれる事件まで発生した。こうした危機感はその後の技術革新でも大きな問題として取り上げられ、1990年代後半から本格的となったIT革命や、現在、議論が進む人工知能(AI)の開発普及においても、多くの人々が強い関心を示している。

また新たな技術革新は、これまでの各国間の経済的なパワーバランスを大きく変化させてしまう可能性がある。過去に日本の自動車企業が低燃費車の開発に成功し、世界的に技術優位性を得た結果、世界の自動車市場を席捲したように、自動運転自動車の開発は自動車産業における各国の技術優位性を大きく塗り替える可能性がある。そのため、いかに人工知能の開発や普及を促し、世界規模での経済変化に対応できる体制を構築すべきか、議論が急務である。これに対応して、われわれは、AIの経済学研究グループ(参照:馬奈木 編著(2018))として、この革新的な技術に対して、どのように日本が対応すべきなのか、国際競争という観点と、AI自体の導入に際しての社会が対応すべき問題について議論をした。

AI開発・普及の現状と今後

現在、ICTの進展により、大規模なビックデータを企業が活用できる時代になり、機械学習やデータマイニングの技術的進歩と共に、実際に人工知能が具体的な社会への応用が開始されている段階に入ってきている。実証実験段階とはいえ、自動運転車は現実のものとなっている。今後の急速な人工知能の発展は、さまざまな分野への応用が可能になることが予想されている。

しかし、現状われわれが想定するような実社会での高度なAI普及には大きな課題もある。それはAIにとって、初歩的な知覚、運動スキルの習得には膨大な時間がかかることである。つまり、これまでわれわれが想像していたように、近い将来にわれわれ人類と同様に行動をして、労働を行うAIを搭載したロボットの普及は、AIの進歩だけでは不十分であり、知覚、運動スキルを制御する技術や、ロボット自体が柔軟な行動を可能とする工学的な技術が必要となる。つまり、将来的にAIの技術が急激に進んだとしても、関連するさまざまな技術発達がAIの深い社会実装には必要であり、不確実な要素が多分にある。実際に現状の産業用ロボットにおいても、非常に単純化した作業のみが対象となっている。よって現在の予想通り、社会実装が進むことはないが、複数の工程を重ねるような実作業以外の単純作業および、機械的なパターン認識で対応可能なシンプルな応答型のサービスにおいては、確実に普及が近い将来期待できる。そのため、AIが経済活動の中で果たす役割は拡大していくことは確実といえる。

日本の対応遅れ

これまでAIの開発の歴史には、おおむね3回のブームと呼ばれる開発の活況期が存在している。第1次AIブームは1960年代前後、第2次ブームが1980年代、そして現在のAIは第3次ブームと呼ばれる活況期に当たる。特にこれまでのAIブームでは日本における研究水準は高い水準にあり、国際的に競争可能な技術的な優位性があった。しかし現在では、AI関連の国別論文数では、インドや中国にも追い抜かれるだけでなく、その他の欧米諸国にも技術的に劣っている。

馬奈木 編著(2018)では、なぜ多くの企業がAIを経営に活用できないのか、技術、人材、経営体制、外的要因を基に説明している。ここでは、AIに必要不可欠となる大量のビッグデータの供給の問題を考えよう。アメリカにおいては、企業の個人情報を条件付きで利用可能なように、個人情報に関する法制度の整備が行われている。一方、これまで日本においては個人情報保護法によって個人情報の第三者利用が不可能であり、AI開発に必要なビッグデータの整備が遅れてしまっているのが現状である。2017年5月に改正された個人情報保護法が施行され、条件付き(個人が特定できないように加工した上で)の利用が認められるようになった。この改正個人情報保護法で重要なことは、個人情報が定義されたことである。改正前は個人情報の定義が不十分であったため、これまで企業や大学など個人情報の活用の際に比較的厳しい条件の下での利用になっていた。そして、これが、今まで、日本での個人情報の活用が遅れてきた背景である。日本企業は限られたデータのために、企業間の連携した情報集積の土台はまだできていない。

今後のAIに対する取り組みの在り方

すでに日本は、AI開発についてはアメリカやインド、中国といった新興国に後れを取っている。こうした原因はAI開発・普及のための経済的な投資だけでなく、研究体制自体の在り方、法制度、教育、さまざまな面での対応が遅れてきたことが起因しているといえる。つまり日本における科学技術に対するこれまでの不十分な対応の積み重ねこそが、根本的な原因である。そのため今後、日本はこれまでの科学技術に対する在り方を根本から問い直すとともに、具体的にAIという向き合うべき革新的な技術をどのように生かしていくか、考える必要がある。具体的には単純に遅れている基礎技術に注視するのではなく、基礎技術を応用するような分野におけるキャッチアップを行う方策が有効であると考えられる。現状、すでにGoogleをはじめとした世界規模でのビッグデータを持つ巨大企業があり、そのデータ量によるAIの開発では競争上の優位を確保することは難しい。そのため、現状のAIに関する基礎技術を連携し、社会での応用に生かにしていくかという分野において、競争力を磨いていく方策が考えられる。

そしてそれと付随し、これまで日本で培ってきたロボット技術やその他の物的な技術が広く活用する新たな需要の発掘も可能となると考えられる。現状のAIは、大量のデータの法則化を行う能力においては非常に強力な力を発揮する一方で、2020年代より本格化すると予想されている現実社会のわれわれの生活の場の中で活躍するAIのためには、その受け皿となる既存の物的な技術を生かした新たな機械が必要となる。しかし現状ではAIが人間の動きを行うことは非常に難しく、それを実現するための材料や制御のための基礎的な工学的技術のより一層の発展が必要となってくる。そのため、そのAIの受け皿となるようなロボットを中心とするさまざまな新たな工学分野の技術開発も必要となると考えられる。

参考文献

2018年10月26日掲載