増える技術流出-その影響と対策を考えるに当たって-

山内 勇
研究員

高まる技術流出に対する懸念

昨今、営業秘密や技術情報の流出がメディアを賑わしている。認識できていないケースも含めれば、こうした流出は相当数起きている可能性がある。技術流出は研究開発からの収益の確保を難しくする(専有可能性を低下させる)ため、経済成長の源泉となるイノベーション活動を著しく阻害する恐れがある。

こうした懸念から、現在わが国では、営業秘密の保護強化を図るべく、不正競争防止法の制度改正が検討されているところである。ただし、営業秘密が不正競争防止法で保護されるにはいくつかの要件を満たす必要があり、人に体化した技術知識にはその要件を満たさないものも多く含まれている(注1)。

最近よく耳にする「日本企業のエンジニアが韓国企業に移動して技術を流出させたことが、近年の電機産業における日本企業の衰退と韓国企業の台頭の一因になっている」という主張は、まさにこの不正競争防止法で保護できないタイプの技術の流出を前提にしていると考えられる。

しかし、そもそもこうした主張は、客観的データからどの程度支持されうるものなのだろうか。特許の発明者データを用いれば、日本人技術者の移動状況がある程度把握できるため、この問いに対して、比較的高い精度で答えが得られる可能性がある。

このコラムでは、ごく簡単にではあるが、特許データを利用しつつ、こうした問題にどうアプローチしていけば良いかを考えてみたい。

韓国企業での日本人技術者の役割

下の表は、近年、韓国企業に日本企業が市場シェアを逆転されたリチウムイオン電池分野の特許出願データを用いて、日本企業からサムスンSDIに移動した発明者の一部を示したものである。たとえば、一番上のH. Y. 氏は、2003年以前は三洋GSソフトエナジーの発明者として特許出願を行っていたが、2003年から2006年の期間はサムスンSDIから出願を行っている(注2)。

こうした単純な実態把握は、日経ビジネスオンライン(2013年6月5日の武藤氏によるコラム)や週刊ダイヤモンド(2013年11月16日号) でも行われている。しかし、より重要なのは、どのような技術者が韓国企業に移動しており、移動先でどのような働き方をしているかを分析することである。仮に、日本人技術者が韓国企業に移動して1人で研究を行っているのであれば、移動先企業の競争優位の向上には貢献するものの、技術知識が移動先企業に蓄積されにくいため、長期的な技術競争力上の脅威はそれほど大きくならないだろう。

筆者らが進めている研究によれば、まだデータの概観に過ぎないが、おおむね次のような傾向が見えてきている(ただし、計量経済学的な手法による厳密な分析・検証は行っていないため、現時点では単なる仮説である)。

まず、トップクラス人材の引き抜きは確かに行われている(たとえば、表のN. Y. 氏は、リチウム電池の分野では日本でトップクラスの出願を行っていた)。そして、その場合、移動先では現地の技術者と共同で発明を行っていることが多く、現地技術者の育成にかなり貢献しているものと推測される。

しかし、トップクラス人材の引き抜きはごく少数で、韓国企業に移動している大部分は、日本企業の事業の合理化の影響を大きく受けたであろう平均的な(移動元企業の発明者と比較した特許出願件数は同程度かやや少ないくらいの)発明者である(たとえば、表の三洋GS出身のH. Y. 氏とK. M. 氏の出願件数は移動元企業では平均的な水準であり、また、彼らは元々日本電池の子会社であるGSメルコテックに在籍していたが、三洋電機に買収された頃に移動している)。

そして、こうした大多数の平均的移動者は、現地では生産性が高まる(シビアな出願ノルマを課されているせいか、移動前と比べて年間1件程度出願件数が増える)。その反面、移動先では日本人同士で発明を行うことも多く、現地技術者への技術の波及効果は、それほど大きくない可能性がある(たとえば、三洋GSのH. Y. 氏とK. M. 氏は、サムスンSDIでは、戸田工業出身のM. H. 氏らと共同発明を行っている)。

こうした仮説を、特許の質や現地発明者の生産性の変化も考慮しつつ統計的に検証していくことが、実態の解明につながると考えられる(注3)。

表:サムスンSDIに移動した日本人発明者(一例)
発明者名企業名特許出願件数
(移動前5年間
移動後5年間)
サムスンSDIでの
特許出願期間
H. Y.移動前三洋GSソフトエナジー4
移動後サムスンSDI(横浜研究所 大阪分所)52003-2006
K. M.移動前三洋GSソフトエナジー4
移動後サムスンSDI(横浜研究所 大阪分所)132003-2007
K. N.移動前キヤノン8
移動後サムスンSDI(横浜研究所 大阪分所)102005-現在
M. H.移動前戸田工業10
移動後サムスンSDI(横浜研究所 大阪分所)192005-2010
M. T.移動前ソニー10
移動後サムスンSDI(韓国)52002-2004
N. Y.移動前パナソニック100
移動後サムスンSDI(韓国)122004-2005

「技術流出=悪」なのか?

わが国では、こうした日本人技術者の後発企業への移動は、かなりネガティブな文脈で語られることが多い。しかし、キャッチアップのプロセスでは、どこでもそうしたことは行われているはずであり、また、それが新たな技術機会や競争の源泉にもなっているはずである。

欧米における人材移動の研究では技術流出よりも、知識の波及(スピルオーバー)効果やBrain Drain(頭脳流出)に焦点が当てられていることが多いように思われる。後者のBrain Drainは、自国で高度な知識を身に付けた優秀な人材が、より良い待遇を求めて、優秀な人材の集まる国に流出してしまうという意味で使われており、技術流出の問題とも通じるところがある。

しかし、大きな違いは、技術流出という場合、知識が技術力の高いところから低いところへ流れるという点と、人材育成コストの多くを移動元企業が負担しているという点である。すなわち、技術流出の場合は、感情論を除けば、キャッチアップを目的とした、人材育成・研究開発コストのフリーライド問題に焦点が当てられていると考えることができる(注4)。

このフリーライドは防ぐのが難しい。人材育成や研究開発には不確実性があるが、事後的に技術者を引き抜く企業は、育成コストを負担していないだけでなく、結果的に育成が無駄に終わってしまうというリスクも負担していない。したがって、育成を行う企業より高額な賃金を支払っても利益を確保できるのである。技術者としても、仮に育成企業の事業が悪化して待遇に不満を感じていれば、自分の持つ技術・知識をより高く評価してくれる企業に流れるのは自然のことである。こうして、フリーライドが増えると、企業が不確実な人材育成・研究開発に投資するインセンティブは低下してしまう。

もちろん、育成企業の事業悪化で能力を発揮できなくなった発明者が、新たに事業を立ち上げる他の企業で活躍できるのであれば、短期的には(グローバルな意味での)社会厚生は高まるだろう。しかし、研究開発インセンティブに対する長期的な影響を考えると、それが本当に社会厚生を高めるかは疑問である。

フリーライドは防げるのか?

結局、技術流出の問題は、研究開発による収益をどの程度確保できるかという専有可能性の問題に帰着する(注5)。多くの国では、研究開発インセンティブを高めるため、専有可能性を確保する手段として、知的財産権制度が設けられている。これと同じ考え方を人材育成にも適用すると、育成を行った企業は一定期間その研究者を独占できる制度を設けるということになる。

退職する従業員の管理を強化し、秘密保持契約や競業避止義務契約をより積極的に運用していくことも有効と考えられるが、職業選択の自由を確保するため、さらなるオプションとして、契約で定められた期間中の転職には、移籍金が発生するというシステムを導入することも検討に値するだろう(注6)。この制度の下では、人材を引き抜く際には育成の対価の支払いが発生するため、フリーライドの問題が起きにくい。こうしたシステムはスポーツの世界でよく見られる契約形態であるが、一般の労働市場に導入するには課題も多いだろう。しかし、今後、新興国のキャッチアップがますます進む中で、それでも技術者の育成に力を入れようと考える日本企業が多ければ、こうした契約形態が形を変えて発明者に導入される日は案外近いかもしれない。

2014年7月16日掲載
脚注
  1. ^ 営業秘密が不正競争防止法で保護されるためには、秘密管理性、有用性、非公知性の3要件を満たす必要がある。
  2. ^ ただし、日経ビジネスのデータは日本特許に限定されているが、本コラムで例示したデータセットは日中韓米の特許データを用いている。また、発明者データを用いる際には、日本企業と韓国企業の共同出願が存在することを考慮して、発明者住所から企業名を抽出するか、単独出願のみに絞って出願人名を利用するかといった選択や、同姓同名の問題を回避する手法を用いることが重要となる。なお、日本の大手電機メーカーと、競合企業であるサムスン電子の共同出願も少なからず存在していることは、技術流出という負の側面だけでなく、協力することによる正の側面も存在することを示唆している。
  3. ^ こうしたアプローチを用いた数少ない日本の研究としては、分野や企業が絞られてはいるが、Fujiwara and Watanabe (2013) がある。
  4. ^ 育成コストに関するフリーライドの問題は技術者に特有の話ではないが、研究開発や技術開発は不確実性が高く投資規模も大きくなりがちであり、その点で他の職種の労働者と区別されている側面があると思われる。
  5. ^ これがたとえば、1度韓国企業に移ると、その後に日本企業への再就職が難しくなるということであれば、転職しないという選択肢が合理的になりうるが、発明者が定年を迎える場合や、韓国企業の技術を流入させたいという日本企業が存在する場合には、そうした抑止メカニズムは働かない(表に例示した技術者の多くも日本企業に戻ってきている)。また、身に付けた技術的知識に、その企業でしか使えない企業特殊資産の割合が多く含まれていれば、雇用保障と年功賃金を導入して、他社への転職を抑えつつ技術者が訓練を受けるインセンティブを高められるが、技術的知識が競合企業でも活用できる一般的資産である場合にはそうもいかない。
  6. ^ 特許法では、企業ではなく発明者に、特許を受ける権利が与えられているため、基本的には、職務規定等でその権利を企業に承継させるという手続きが取られている。その代わり、発明者に「相当の対価」を請求する権利が与えられている。これを法人帰属にすべきとの声もあるが、移籍金を課すという契約を導入する上では、「相当の対価」の請求権が残っていた方が発明者の交渉力を確保しやすいだろう。
文献
  • 武藤謙次郎 (2013)「サムスンに多くの転職者を出した日本メーカーは?人財の流出問題を特許情報から分析する」日経ビジネスオンライン2013年6月5日
  • 週刊ダイヤモンド(2013)「独占公開!サムスンが呑み込んだ日本の技術」週刊ダイヤモンド2013年11月16日号
  • Fujiwara, A. and T. Watanabe (2013) "The Effect of Researcher Mobility on Organizational R&D Performance: Researcher Mobility and Innovation," IAM Discussion Paper Series #032.

2014年7月16日掲載

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