はじめに
東京電力は日本最大の社債発行企業である。このことから福島第一原子力発電所事故後の東京電力の財務状況の悪化が、日本の社債市場の混乱をもたらす可能性についても関心が集まっている。
日本においては2008年のリーマン・ショック時にも社債・CP市場が一次的に機能不全に陥ったが、その際には企業にどのような影響が及んだのだろうか。本稿では、2008年の日本の社債市場混乱の影響を分析した拙稿 (Uchino, 2011)の結果について紹介する。
2008年の社債・CP市場の混乱
2008年のリーマン・ショック時には、日本の資本市場が大きく混乱した。日本銀行のレポート (日本銀行, 2009a, 2009b)は、日本の社債・CP市場が2008年度の後半に機能不全に陥ったことを報告している。たとえば同時期においては、財務格付けがA格以下の企業は起債することができず、信用度の高い政府保証債の発行体や地方公共団体であっても予定された起債を延期する傾向にあったと報告している。図1は2006年4月から2009年3月までの新規円建て普通社債発行額の対前年同月変化額を示したものであるが、2008年から2009年にかけて大きく落ち込んでいることがわかる。
日本に限らず米国など諸外国も同様の資本市場の混乱に直面したが、日本では他国と異なり銀行部門の健全性は比較的維持されたと考えられている。従って、資金調達において社債依存度の高かった企業が同時期に金融面で最も強くショックを受けたことになる。
社債市場混乱が企業にもたらす影響
Uchino (2011)では上場企業約2000社の財務データを用いて分析を行っている。そこでは企業が受けたショックの程度を識別するために、2007年度末段階で財務諸表に計上されていた「1年未満に満期を迎える社債」という項目に注目し、2008年度中に満期を迎える社債の2007年度末有利子負債に占める割合を情報として利用した。この割合が大きい企業ほど、社債発行による借り換えが困難となり、リーマン・ショック時に社債と代替的な資金調達を迫られていたと考えられるためである。
同時期に社債と代替的な資金調達源としての役割を期待されたのは、銀行貸出である。しかし、銀行は資金調達における社債依存度が高く、日頃の取引が少ない企業に対する融資については慎重な判断をするかもしれない。Hoshi et al. (1990)は日本の上場企業の設備投資関数を推定し、1980年代に社債依存度を高めた企業について、銀行からの借り入れが難しくなっていることを指摘している。そのような場合、社債満期を迎えた企業は十分な銀行借入を行うことができず、社債の返済原資を確保するために設備投資支出をはじめとする現金支出を大きく減らす可能性がある(資金制約)。更に、銀行から厳しい融資条件が課されることで銀行借入金利も上昇すると考えられる。逆に銀行が十分な貸し出しに応じる場合、社債の返済で失われたキャッシュ・フローを埋め合わせる様に銀行借入残高が増加し、設備投資支出は減少しないと考えられる。
分析結果1:社債市場混乱時に代替的な役割を果たした銀行貸出
分析にあたっては、Difference-in-differences(DIDと略す)という推定方法を適用して、リーマン・ショック時に社債の満期を迎えた企業の設備投資支出や銀行借入条件にどのような変化が生じたのかを求める。具体的には、傾向スコアマッチング法を用いて「社債満期を迎えた企業」の2007年度から2008年度にかけての設備投資率、銀行借入残高、銀行借入金利の変化から、同様の企業属性を持つ「社債を発行していない企業」の変化をそれぞれ引くことで、社債市場混乱の影響を識別している。直観的にはDIDによって社債を仮に発行していなかったとしても生じていたであろう変化を制御している。
推定結果は表1の通りである。ここでは、満期を迎える社債の割合ごとにDIDの推定値が異なることを許容している。これをみると、社債満期の割合に関わらず、設備投資率の変化に社債を発行していなかった企業と有意な差がないことがわかる。同様に銀行借入金利の変化にも有意な差はみられない。しかし、銀行借入残高については、満期を迎える社債の割合が5-10%の企業において11.3%の増加が、同様に10%以上の企業においては18%の増加が、いずれも統計的に有意に確認できる。従って、ここからは社債市場の混乱時に銀行貸出は代替的な役割を果たしたと結論づけられる。
分析結果2:銀行との資本関係による違い
以上の分析結果は、企業属性の違いによって異なってくるのだろうか。特に、社債を発行していた企業でも、銀行との資本関係が強い企業とそうでない企業では影響が異なっていた可能性はないだろうか。表2では、銀行が上位10位以内の主要株主である企業とそうでない企業について、設備投資率と銀行借入条件に関するDIDを推定している(ここでは満期を迎える社債の割合が10%の場合の推定値を報告)。つまり、同じ割合の社債満期を迎えたとしても、主要株主に銀行がいるかどうかで設備投資や銀行借入条件に与える影響が異なることを許容している。
結果からは、銀行と資本関係が強い企業ほど銀行借入残高の増加率が高いことがわかる。更に、資本関係が弱い企業においては、有意な借入金利の上昇(約0.1%)が計測された。従って、資本関係が強い企業ほど好条件で銀行借入を行うことが可能であったことが示唆される。しかしながら、設備投資については両者とも有意な減少は確認されず、社債満期を迎えた企業が設備投資支出に影響をもたらすような資金制約に陥っていたとはやはり認められない。
まとめ
以上の結果は、2008年のリーマン・ショック時の社債市場の混乱の影響が銀行部門によって吸収されたことを示唆している。これは、日本の銀行がリーマン・ショック時に流動性供給機能を果たしていたとこを物語っている。その背景には、日本の銀行部門の健全性へのダメージが欧米諸国よりも軽微であったことがあると推察できる。実際Almeida et al. (2009)は、米国においてサブプライム危機時に大量の長期借入金の満期を迎えた企業が、設備投資支出を大きく減らしていたことを指摘している。本稿の分析内容を踏まえると、今後東京電力の財務状況悪化の問題を検討していく際には、それが社債市場自体に与える影響よりも、社債市場が混乱した場合にも企業への影響を軽微にできる前提、すなわち、銀行部門の健全性に与える影響についてより重きを置いた分析が求められるといえる。