標準化活動が競争政策に期待するもの

江藤 学
コンサルティングフェロー

標準化と競争政策の関係

標準化活動は、知的財産と一体として運用しなければビジネス上の価値を出せない。知的財産は、占有して利益を独占することも可能だが、普及させてロイヤリティ収入を得ることや、無償で提供して技術をプラットフォーム化し自社のポジションを有利に築くこともできる。そして、標準化とは、この「自社にとって有利な技術を他者に使わせる」上で有効なツールといえる。

しかし、標準化は企業間の話し合いを伴うことが多いため、その活動を行う企業にとって、競争法違反は最も懸念すべきリスクであり、常にこの問題を回避しつつ活動を進めなければならない。特に日本企業は、競争法違反に対する不安感が強く、競争法は標準化活動のリスクと認識されている。ところが、競争法には、標準化活動を制限するだけでなく、標準化活動を支援する役割も期待できる、特に標準技術利用における知財リスクの回避に対する期待は大きい。

昨今、技術の高度化と製品の複雑化により、世界各地でさまざまな形での知財紛争が発生し、製品を製造して販売する事業の知財リスクは急速に高まりつつある。標準化は、製品を安く作り幅広く普及させるための有効なツールであるが、知財リスクが高まると、標準化の持つコストダウンと市場拡大の機能が阻害され、ものづくり能力により価値を生み出している日本企業にとって、事業継続に対する大きな障害となりかねない。標準化活動における知財リスクの低減は、標準化をビジネスツールとして利用するうえで、必須といえるだろう。

本稿では、このような問題意識のもと、標準化・知的財産マネジメント面から見た、競争政策への期待を述べたい(注1)。

標準化における知財リスクの増大

標準化活動による標準の作成は、一般に「デファクトスタンダード」、「フォーラムスタンダード」(注2)、「デジュールスタンダード」の3つに分ける。そして、現代のハイテク分野では、数社が共同して標準化活動を行い、その成果を共同して市場化し、市場の寡占化を目指すフォーラム標準化活動が増加している。これは、(1)現代の工業製品には多くの特許が含まれるため、一社で技術や製品を独占することは困難であること、(2)一社の営業努力でネットワーク外部性が発生する一定シェアを市場で確保するより、複数社で協力して市場を確保する方が容易であること、(3)デファクト標準獲得競争は、その競争に負けた企業に多大の損失を与えるため、製品の市場投入前にそのリスクを回避しようとすること、などが原因といわれている(i)。そして(1)で述べたように製品に多くの特許が含まれるため、標準技術に含まれる特許を標準化時に全て把握することは不可能になりつつある。つまり、現代の標準化は、その標準技術中に顕在化していない特許が存在する可能性を常に持ちつつ行われている。このため発生するのが、標準が普及した後に、その標準技術中に特許を有することを主張し、高額のライセンス料を要求する、いわゆるホールドアップ(注3)である。

標準化された技術は、広く世界中で利用されるため、もしその技術にホールドアップが起こったとしても、その技術の利用を止めることは困難である。さらに、技術仕様が公開され利用者も明確であるため、ホールドアップを提起した社の特許が標準技術上の必須特許と判定されれば、その特許権者は容易に特許利用者を把握し侵害請求を起こすことが可能となり、これに対して利用者側が非侵害の対抗をすることは不可能である。つまり、標準化され普及した技術でホールドアップが起こった場合、製品製造者は、特許権者の言いなりに特許料を支払う他なくなる可能性が高い。

これはビジネスにとって大きなリスクであり、当然ながらホールドアップが起こる可能性を持つ標準は普及しないことになる。標準化活動上、「ホールドアップが起こらない標準」を作成することが標準化実施者の最も重要な課題となっている。

このようなホールドアップを防ぐため、フォーラムや公的な標準化機関では「パテントポリシー」といわれる標準中の特許を処理する手順を定め、標準技術に必須の特許を顕在化することで、できる限りホールドアップが起こりにくい標準化を進めようとしている。しかし、基本的にどのような標準化組織においてもパテントポリシーは善意のルールであり、悪意を持った者を発見することや、一旦発生したホールドアップを解決する機能はない(ii)

ホールドアップ問題解決への期待と限界

過去にホールドアップ事件として世界的に有名なDell社によるVLバスの案件やRambus社の案件は、どちらも競争法違反として争われたことはよく知られている。このため、ホールドアップの防止対策として競争法への期待が集まるわけだが、過去の例は、標準化手続き上の瑕疵、つまりパテントポリシーへの違反をもって競争法上の違反として争っているに過ぎず、ルール上の瑕疵がなければ、たとえ法外な額のホールドアップであっても認められることになる。上記の事例でも、Dell社はFTC法第5条違反とされたが、Rambus社は最高裁まで争い、手続き上の瑕疵はないという判決を勝ち取っている。日本では平成17年6月に公表された「標準化に伴うパテントプールの形成等に関する独占禁止法上の考え方」において、ルール運用の一定の考え方が示されているが、そこで示された独禁法違反の条件は、ホールドアップを広く防止するには限定的すぎる条件であり、実態上、ほとんど防止効果のないものと言わざるを得ない。

ところが、中国では2008年8月1日に施行された独占禁止法第55条に、通常の知的財産に対する適用除外条項に添えて「ただし、事業者が知的財産権を濫用して、競争を排除し、又は制限する行為に対しては、本法を適用する。」との一文が加えられている。この第55条は、「市場支配的地位の濫用」に関する第三章ではなく、第八章の「附則」に規定されているため、 市場支配的地位の濫用に該当しない企業の行為であっても、知的財産権の濫用となり得る。この観点からすれば、この条文を用いて、ホールドアップを取り締まることも十分に可能と考えられる。

もちろん、日本でこのような法改正は不可能だろう。しかし、このホールドアップの防止には、特許法の改正と独占禁止法の改正を一体化した、知的財産利用に関する考え方の一大転換が必要と考えている。この準備は早急に開始しなければならない。なぜなら、急速に発展しているアジア各国では特許訴訟も急増しており、それが間もなく日本に波及することは確実といえるからだ。

パテントプールへの期待と競争法上の課題

このような中で、もう1つ期待されるホールドアップ対策として、パテントプールがある。パテントプールへの期待は、特許を集積する体制を整えることで、多くの特許権者をプールに参加させ、潜在的なホールドアップ可能性を下げることと、アウトサイダーによるホールドアップが発生した場合に、プールのライセンス料率を指標とすることでアウトサイダーの特許料率を低く抑えることだ。

パテントプールと競争法の歴史を簡単にまとめれば、(1)20世紀初めに反競争規制を回避するために適用除外としてのパテントプールが乱立した時代、(2)反競争規制として、パテントプールが厳しく取り締まられた1990年代まで、(3)特許の洪水、「特許の藪」を回避するためにパテントプールの効用が見直された時代、の3つの時代に分けることができる(iii)。そして、この(3)の時代の先駆けとして設立されたのが、MPEG-LAによるMPEG2パテントプール(1997年設立)であり、プールの成功例として広く知られている。

MPEG2パテントプールは、それまでの競争法当局の厳しい取り締まりから解放されるため、自らにさまざまな規制をかけ、競争法上の問題が生じないように工夫されたパテントプールである。つまり、(1)標準技術の必須特許しか含まない、(2)非排他的なライセンス、(3)プール外での個別契約可、(4)非排他的グラントバック、などを要件とし、これらの体制について司法省からビジネスレターを得ることで、その適法性を盤石のものとしている。このため、その後のパテントプールも、必須特許に経済的必須特許を含むものや、利益の配分でクロスライセンスを勘案するものなど、幾つかのバリエーションはあるものの、このMPEG2パテントプールをモデルとして設計され、(1)必須特許だけを持ち、(2)無差別で公平なライセンスを提供し、(3)必ずプール外の契約も可能にしてきた。

このように、現在のパテントプールは競争法当局の厳しい規制をクリアするため、厳しい自己規制をかけて組織され、運営されている。しかし標準化活動に対する競争政策は大きく変化している。2007年に米国司法省とFTCが公表した「反トラスト政策の執行と知的財産権」レポートでも、ライセンス条件について標準化団体で事前協調する行為を合理の原則で審査するなど、標準化活動の成果の1つとしてパテントプールが位置付けられ、その活動は消費者の利益に叶っていると認められてきている。

このような標準化環境や世界経済の動向を考えれば、パテントプールをさらに使いやすくし、製品製造者が標準技術を安価に安心に利用できる環境を整える必要がある。その一つの例として必須特許への限定解除がある。

現在、標準技術には、その周辺に標準の必須技術ではないが、その技術を使うことが最も事業上有利であることが明白な周辺技術が多数存在する。しかし、このような技術は、前述のパテントポリシーによる網から抜け落ち、ホールドアップの温床となりやすい。仮に顕在化していたとしても、プールとの契約で入手できるのは必須特許の利用権利だけであるため、結局周辺技術については、それぞれの企業と契約せざるを得ない。競争法上、必須特許でない技術のプールへの包含が「抱き合わせ販売」とみなせることは理解できるが、実態的に競争を維持できる形で、周辺特許の同時ライセンスを実現すれば、パテントプールの価値は格段に高まるだろう。

さいごに

標準化と知的財産を取り巻く環境は急速に変化しつつあり、さまざまな問題を生じさせている。そして、これらの問題は独占禁止法による対応だけでなく、知財権法や民法、国際条約など、さまざまな他の制度も合わせて考えなければ解決は困難な課題である。日本が「ものづくり国家」として、継続的な利益を世界市場から上げ続けるためには、安心して価値の高いものづくりを行い、それを世界中に販売していける環境を整えていくことが必須だ。この環境を攻撃するさまざまな活動を阻止するために、競争政策担当者と知的財産政策担当者の、標準化活動への理解と支援を期待している。

2010年11月30日

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脚注
  1. 本稿はRIETIの「グローバル化・イノベーションと競争政策研究会」第9回(7月16日)に報告させていただいた内容を集約したもので、詳細については「公正取引」No.720(2010年10月号)の拙稿をご覧頂きたい。
  2. 「フォーラム規格」と「コンソーシアム規格」を分けることもあるが、現代ではその両者は名称的にも機能的にも混在しているので、ここでは両者をまとめて「フォーラム規格」とする。
  3. 標準中に特許があることを標準の普及後に名乗り出る者を全てホールドアップと呼ぶのは適当ではない。実態的に、標準普及後に自らの特許が標準技術に含まれることに気付く者は多く、このような者が正当(リーズナブル)な対価を要求する場合、それは正当な権利である。但し、製品価格競争後に生じる新たなコスト要因であるため、リーズナブルな対価であったとしてもビジネスに対する影響は大きい。
文献
  1. 滝川敏明(2007)「標準化と競争法」日本知財学会誌第4巻第1号No.1
  2. 江藤学(2007)「標準化活動におけるパテントポリシーの役割」研究 技術 計画 Vol22,No.3/4
  3. 土井教之(2009)「パテントプールと競争政策-展望と課題-」 紀要『経済学論究-西田稔教授退職記念号』63巻第1号

2010年11月30日掲載

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