「脱工業社会」再論
-求められる新しい労働論の創造-

石水 喜夫
コンサルティングフェロー

最近、霞が関では、改めて、ダニエル・ベルの『脱工業社会の到来』が読まれている(注)。ベルの『脱工業社会の到来』の翻訳が日本に紹介されたのが、昭和50年のことだから、すでに30年が経過している。しかも、ベルが「脱工業社会」という概念で論述を始めたのが、それより10年以上も前だから、ゆうに40年を超えており、旧聞に属する話しであることは間違いない。

なぜ、今さら「脱工業社会」なのか

脱工業社会とは、端的にいえば、物的エネルギーや物的資源ではなく、情報や知識が決定的に重要な役割を果たす社会ということである。日本社会の課題を考えるとき、「情報化・サービス化」、「グローバル化」、「人口減少・高齢化」がお定まりの3大話しであり、脱工業社会論は、情報化・サービス化の課題を考える重要な文献として、すでに十分、人口に膾炙している。しかも、行き過ぎたサービス化や製造業の衰退、産業空洞化の懸念などから、「脱工業社会の幻想」という反論も提起され、もう十分に議論されたという感じでもある。

では、なぜ、今さら「脱工業社会」なのか。
それは、今後、日本社会がどのように進展していくのか、改めて、冷静に予測したいという雰囲気がでてきているということではないだろうか。

同書の翻訳には「社会予測の一つの試み」という副題が付されている。社会を規定する要素としては、社会思想、人口、エネルギー、生産システムなどがあるが、こうした基礎的要素からひとつずつ組み起こし、将来社会を予測しようとする骨太な構想は大いに魅力がある。そして、日本社会は、こうした骨太な将来構想を必要とする時代を迎えているということではないだろうか。まさに、現代日本社会は歴史的転換期を迎えているのである。

脱工業社会に求められる新しい労働論

「脱工業社会」という歴史認識のもとで、さらなる予測を展開すべき分野に「労働」がある。情報や知識が圧倒的に重要な時代になると、労働は如何なるものに変化するのか、そして、それに対応する諸政策は、どのようなことを課題としなくてはならないのか、という問題である。

工業社会の特徴をとらえるために高度経済成長期を考えてみよう。急速な工業化に伴って、近代的な労働市場が形成されたが、都市型の大規模工業は、大量の労働力を必要とし、しかも、集団的、組織的な生産活動を行うために、時間に規律され、粒がそろった労働を必要としていたのである。

このことは、まさに、労働力が商品になるということである。商品は規格化されることによって、大量に流通し、市場を形成する。労働力を商品として規格化することができ、大量に流通させることができたからこそ、多くの労働力を都市工業に集中させ、短期間で工業社会を完成させることができた。労働政策は、労働市場政策でなくてはならず、大量の労働移動を円滑に実施し、しかも、その市場取引を通じて、労働者の安全や健康を維持するという政策構造にならざるを得なかったのだ。

しかし、現代に生きる人々は、かりに「労働」という言葉が今述べたような工業社会的なものだとすれば、自分を「労働者」とは呼びたくないのではないだろうか。「労働者」ではなく、一人の「職業人」でありたいと思うだろうし、「仕事」という言葉を単純に「労働」に置き換えることはできないと感じるだろう。

工業社会から、脱工業社会へと転換していくと、労働力の規格化は崩れていくと見込まれる。知識や情報はそれを操る人間の生き方と一体不可分なものだからだ。一人一人の人間には、それぞれの生きざまがあり、一人一人の個性ある生き方を、それぞれの職業人生に重ねることを欲するであろう。

このように予測すると、「市場」で流通する労働力、あるいは、交換可能な部品としての労働力、という見方は修正される必要があり、労働市場理論の上に構築された労働政策も転換を求められるということになる。

公共政策の意義を改めて認識することが重要ではないか

ところで、大筋でみて、ダニエル・ベルの予測は当たっているのだろうか。
ベルは、脱工業社会になると政治哲学の根本問題に立ち返ることになるだろうと予測している。その意味するところは、物質的な豊かさを実現した工業社会によって産み落とされた多元的な諸問題、すなわち、教育、輸送、福祉、都市再改造、大気汚染、水汚染、医療などの問題を解決していくために、政治の果たす役割が大きくなるというのだ。そして、そこでは、非人格的な「市場」を通じた社会関係では問題を解決することはできず、まさに人と人とのぶつかり合いの中で未来を模索して行かざるをえない。

ここで、ベルは訓練をつんだ専門職階級(プロフェッショナル・クラス)が、公共的な計画化に加わっていく意義を述べるのだが、現代日本社会では、引き続き、市場システムの中でお行儀よく問題を解決していく方向性が重視されているようだ。

予測の意義は、その当たり外れとともに、未来に向けていかなる行動規範を持つべきか、考えさせることも大きい。『脱工業社会の到来』は、私たち日本人が改めて今後の進路を考える上で、今一度吟味すべき文献だと思うのだが、いかがであろうか。

2005年1月18日

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脚注

ダニエル・ベルが引用された政府のレポートについて

  • 1) 2004年版通商白書の中のコラムに「知識社会への移行に関する議論の系譜」(P111)があり、ダニエル・ベル以降の脱工業社会論がまとめられている。
  • 2) 厚生労働省・働く者の生活と社会のあり方に関する懇談会が、平成16年6月にとりまとめた報告書「転換期の社会と働く者の生活」では、脱工業社会(ポスト工業社会)における労働の姿が展望されている。
  • 3) なお、平成16年度年次経済財政報告(経済財政白書)の参考文献の中にも、日本におけるダニエル・ベルの紹介者として著名な山崎正和氏の著作が紹介されている。
文献
  • D・ベル著/内田忠夫他訳(1975)『脱工業社会の到来』、ダイヤモンド社

2005年1月18日掲載