中国における労働力移動と経済発展に関する再検討

孟健軍
ファカルティフェロー

十分競争的な市場経済の条件のもとでは、部門間における収入格差は労働力移動の主要要因であり、労働力は収入の低いところから高いところへと流れるものである。このような流れに従って収入格差は小さくなり、最終的になくなると考えられる。しかし、制度的障壁が存在すると、労働力移動を拒むため、労働生産性と収入の部門間の格差は長く維持されうる。それでもこのような農業部門と非農業部門の収入格差があまりに大きくなると、農業部門の労働力は非農業部門へと流出するという問題が経済発展の内部から発生することになる。

中国における経済発展に重要な問題は、如何なる方法で膨大な農業余剰労働力を非農業部門に移転するかである。この問題を理解するには長期的歴史の枠組のなかでの分析が必要である。本稿では、以下の3つの側面から中国における労働力移動と経済発展の相互関係について検討する。

経済発展の初期条件からみた労働力移動

経済資源の配置は経済成長に決定的な影響を与える。また資源配分の方式は経済発展の初期条件によって決められる部分が大きい。1949年以来の中国経済発展は1978年を期に大きく2段階に分かれる。

全期間を貫く中国経済発展の主導的戦略は工業化発展戦略であり、それは今日までそうである。重要なことは、中国の工業化発展戦略が、資本の欠乏と工業基礎の薄弱な条件のもとで打ち出されたものであり、それゆえに資本の集中と素早い蓄積がこの戦略を実施する上での必要条件となったことである。資本の集中は社会主義への改造建設=社会主義の公有制経済の実現の中で行われ、資本の急速な蓄積は計画手段を通じて行われた。このメカニズムを完成させるために何より重要だったのは戸籍制度によって都市と農村の人口移動を制限し、農業部門と非農業部門の就業をより一層厳しく切り分けたことである。労働力の部門分割の本質はここにある。つまり、工業化発展戦略の初期条件と公有制経済の確立が1949年以降のかなり長い歴史を決定づけたのであり、それによって中国の労働力と資本的配置は完全に非均衡の状況下に置かれることとなったのである。

改革開放以降、中国は徐々に市場化を進めているものの、資源配置の方式は依然として計画経済の特徴を残存させていた。まず、固定資産投資は1981-2000年に国有経済(中央政府の管轄する部門)が56%、集団経済(地方政府の管轄する部門)が15%と、高い割合を示した。また、工業部門の発展は農業部門に支えられていた。計画価格の制度のもとでは農業部門は資本の輸出部門となり、工業部門は資本輸入部門となった。さらに1979-2000年に第1次産業への基本建設投資の割合はわずか1.6%で、農業部門への投資は極めて不足していた。そのため、農業部門の余剰労働力の長期的な累積が決定付けられた。同時に、国有部門の投資は資本集約型なものであり、投資効率と就業弾力性はかなり低かった。したがって、国有経済に対する大量投資は農業部門から非農業部門への労働力移動を妨げる要因であった。一方、農業収入の下降は労働力移動を必然化する客観的な状況をもたらした。

経済発展の内部から発生する労働力移動の問題

経済発展が生み出した労働力移動に対する制限と農業部門を犠牲にした工業部門の資本蓄積は、都市農村間の収入格差を生んだ。この収入格差は戸籍制度のもとで維持・拡大した。1996-2000年の第9回5カ年計画期における収入格差をもとに比較すると、都市住民家庭の1人当り可処分収入と農民の1人平均純収入は1996年の2.5倍から2000年には2.9倍に広がった。しかし、実際の差異はこれよりもさらに高い。このような比較的大きな収入格差の下においては、余剰労働力は農業部門から非農業部門へと移るのが経済発展の必然である。これは主に2種類の現象を生み出す。農業余剰労働力が農村における非農業部門に流れるか、農業余剰労働力が都市に向かって流れるかである。

改革開放初期、郷鎮企業の発展は労働力部門間の移動に対して大きな貢献をしていた。中国の農村における工業化と農村のその他の非農業産業の発展は労働力の部門間の移動と経済成長において重要な役割を果していた。しかし、郷鎮企業は急速な発展の段階から調整段階に入った。就業人口の増加幅がここ数年で下がり、1995-2001年の郷鎮企業の農村に占める就業人口は26%前後に落ち着いた。調査結果からみると、1985-1999年の農村家庭労働力のうち郷鎮企業に勤める者の割合は4.3%前後で安定しているが、2001年末に家庭平均の「外出労働力」(出稼ぎ労働者。但し短期のものも含む)の割合はすでに10%に達していたとみられる。労働力は第1産業から第2次産業と第3次産業に移り、農民家庭の収入構造に大きな変化があった。1990年の農業収入は総純収入の74.4%を占め、1985年の水準と同じである。しかし、2000年になると、この割合は50%までに落ち込んだ。第1次産業の収入の増加が極めて緩やかであるという状況下では、第2次産業と第3次産業での就労が農民の収入向上に大きな役割を持つ。すなわち農業部門労働力がどの程度非農業部門に移動できるかによって農民たちの収入が決定される。

1999年農村の移動労働力の平均送金額は4451.80元、農民の1人当り平均純収入は2253.42元である。その意味からいうと労働力移動は収入の再分配効果がある。労働力は農業部門から非農業部門に移動することによって、余剰労働力の収入レベルを押し上げる一方で、労働力移動は経済成長効果がある。そのため、農業部門における余剰労働力の非農業部門への移動は経済成長と収入分配の公平性を同時に達成する要因である。われわれの計算によると、仮に平均毎年農業部門の剰余労働力の移転が1.5ポイントになると、労働力が農業部門から非農業部門に移動するとき人口1人当り経済成長の貢献は1.4ポイントに達する。

労働力移動の現状

中国では毎年数百万人の新たな農村労働力が増えており、労働力は需要をはるかに超え、明らかに余剰である。農村では農業に従事する労働力は新たに加わる労働力の35%しか必要とされないため、全体からみると、大きな余剰労働力を非農業部門に向わせなければならない。現在中国はこうした労働力移動の長期的な過程にある。

部門間の労働力移動は地域ごとにみると、大きな差異がある。東部の部門間の労働力移動状況は総じて中西部より大きく、そして中部と西部は差がない。労働力移動がある程度高いのは改革開放の経済発展が比較的早い地域だけである。そのうち3つの直轄市(北京、上海、天津)と浙江、江蘇、広東、福建を見てみると、これらの省の部門間労働力移動の割合は1999年にすでに30%を超えている。中西部などの経済発展の遅れている地域では部門間労働力移動は比較的に遅い。また、これらの地域における経済発展の度合いを考えると、この地域内での部門間労働力移動はかなり非現実的である。そのため、地域間に跨った労働力移動は中国将来の労働力移動の1つの大きな特徴になる。

第5回と第4回の人口調査のデータを比較すると、以下の3点の傾向に気づく。第一に、地域間(省・直轄市・自治区レベル)の人口移動規模がさらに拡大している。全国の地域間の移動人口規模は1990年の1110.2万人から2000年の4241.9万人に増加し、実に1990年の3.82倍になっている。第二に、人口流入分布は更に集中している。過去10年間で、広東の人口増加は14.5倍、北京の人口増加は4.3倍、上海の人口増加は5.6倍、と人口流入分布の方向は明らかになっており、基本的には、上海、北京、広東の3極に集中する傾向にある。第三に、人口流出地域はさらに分散化している。1990年に、人口流出が最大だったのは四川省だが、第2位とは1.89倍、第3位とは2.86倍の差があった。2000年になると、人口流出第1位の四川省と第2位との差は1.52倍、第3位とは1.61倍に下がった。人口流出は基本的に多極化の方向を示している。われわれの分析によると、1人当りGDPと人口流入率の間には1人当りGDPと人口流出率の間より遥かに強い相関関係が存在することがわかった。

政策設計のジレンマ

以上のような状況は、政策設計のジレンマをもたらしている。一方では、農業労働力の収益が相対的に下がっていることと農業への投入不足が労働力の農業部門から非農業部門への移動を必然化する。しかしもう一方で、制限措置によって大量な余剰労働力が都市に向かうことを阻止せざるをえない側面もある。とりわけ、都市部における非農業部門が高失業率である時期には、農業部門の余剰労働力が都市に入って非農業部門につくことを政策によって制限せざるを得ないという事実がある。

しかし、産業間の労働力の構造的移動は経済発展の内部から発生したものであるとともに、中国経済発展の長期的な原動力でもある。政策関心の重点は現在の限定的な労働力移動から完全な労働力市場の確立へと移るべきである。労働力の合理的な移動を促進し、就業構造の転換を通して中国経済の長期的な成長を促すことが、将来の中国経済がより高い経済成長を維持する主な原動力となるであろう。

2004年3月9日

2004年3月9日掲載

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