スポーツの産業化に向けたナレッジ開発について

広瀬 一郎
上席研究員

スポーツのサービス産業化に関する大きなアドバンテージとして、既にインフラ(施設)整備が相当進んでいるため、新たに巨額な投資が不必要である点が挙げられる。既に大きなアセットが存在するため、この利活用を促進し稼働率をあげることにより、「新規で巨大な」マーケットの開発にかかる初期投資は、比較的軽微で済む。

スポーツ産業の育成・振興に必要な条件とは

もっともこれだけの好条件が存在していながら、現状においてスポーツ産業の可能性が現実化していないのにはそれなりの理由がある。問題解決にあたって、まずは阻害要件を整理しておく必要があるだろう。

魅力的な商品が存在しかつ有望な顧客が潜在的に存在するなら、その産業育成・振興のためには

1)資本
2)制度
3)ナレッジ/人材

の3つが必要不可欠である。鑑みれば、逆にスポーツ・サービス産業が未発達なわが国の現状は、そのどれもが不十分である。実のところこの3つは相互に原因と結果の関係も持つ。たとえば資本のあるところに人材は集まるだろう。また制度と人材が揃えば資本は集まるだろう。これらの関係はいわば「鶏と卵」のようなものである。だとするとどれから先に着手するかを検討するよりも、「できることから全て行う」が正解ではあるだろう。現下の経済状況に鑑みて、時間を含めたコスト・パフォーマンスを考えると、3)の「ナレッジ整理と人材の育成」から開始することが、最も現実的であろう。

屋上屋を承知で述べれば、ここでのナレッジは、競技向上のためのものではなく、マネジメントのナレッジなのである。因みにトレーニング理論などの、いわゆるスポーツ科学系のナレッジについては、わが国はかなりハイレベルなところに到達している。ただ惜しいかな、現場ではまだ根性論や体育会系と呼ばれる年功序列が幅を効かしていることがあり、スポーツ科学理論が十分に行き渡っていないという側面がある。ナレッジが現場まで浸透しないことこそ、マネジメントの問題であるには違いないのだが、いずれにせよ経済産業的なテーマからはずれるので、競技力向上に関する領域はここでは取り扱わない。

では、一体ここで扱うべき「スポーツのマネジメント」ナレッジとは何のことを指すのか。この設問は自己完結的な定義の問題ではなく、問題解決のための課題設定でなくてはならず、まさに現状の問題点を把握することから開始すべきであろう。そしてその問題を解決するナレッジこそが、マネジメントで必要とされるものだ、と定義しなければ課題解決とは遊離した自己目的化した議論に陥る危険性がある(この弊風は断固排すべきである)。

「スポーツのマネジメント」ナレッジとは何を指すのか

そこで改めてスポーツのサービス産業の領域を検討してみよう。第一の分類として所謂「Do」と「See」の2分野に分けて考える。「Do」におけるサービスとは、主として施設の管理運営と技能の教授(クリニック/スクール)の2つである。「See」におけるサービスとは、主として競技団体のパフォーマンス提供に関わることである(広義の「プロフェッショナル」あるいは「興行」ということもできよう)。

前回のコラムでも触れたが、我が国の公的スポーツ施設の多くは顧客対応という観点からは、必ずしも満足できるものではない。好例として水泳プールを挙げよう。筆者の知る限り「1時間のうちに5分間は全員プールからあがる時間を設ける」などという対応は、日本以外にはない。ここで看取できるのは、「施設の管理者は学校体育の先生であり、利用者は生徒だ」というアナロジーが学校外でも適用されているという事実である。あるいは「グランドの利用申し込みが活動の数ヶ月前の平日の早朝」などという対応も同様、生徒が事前に教員室まで行って許可願いを届け出るという学校体育の仕組みを踏襲しているに過ぎない。(どうりでどこの管理人も偉そうだ)。どちらも管理者には都合がいいには違いないが、利用者が顧客であることを全く考慮していない。

これらの例についてはナレッジというよりも、むしろ管理者の心構えの問題という点が本質的ではあるだろう。「顧客対応」あるいは「顧客満足」という観点での人材育成は、既に多くの企業が取り組んでおり、その育成方法も成果と評価もほぼ確立している(おかげで人材育成を生業とし、利益をあげている企業は少なくない)。望むべくはこれら民間で開発された人材育成ナレッジを積極的に活用することであり、これは行政のサービス化という観点からも対応すべき問題だと考える。

先行事例はある。国が設定した「イベント管理者資格」である。試験をパスしたこの資格者がいないと行政のイベントは受注できないことになっている。発注側の行政の中にも無論資格取得者の存在が義務付けられている。スポーツの施設に関しても、「スポーツ施設管理者」という資格を設ければよい。顧客対応のトレーニングを義務付け、更に顧客管理のコンピュータ・ソフトが扱えるかどうかを試験する。そして全ての施設にはこの資格取得者が1名以上常駐すること。更にこの取得者は通常の勤務者より給与の優遇があれば、たちどころに対応は変わるだろう。

今後の少子化という問題を視野に入れれば、大人のスポーツ愛好者が増えない限り市場規模は維持さえも困難である。また大人へのサービス対応こそが、(前回確認した)今後の「民富」向上の中心課題となるのである。従って勤労者へのスポーツ・サービスという観点から、平日の夜間の利用時間拡大は真剣に討議すべき問題であろう。通常の閉館時間を1時間延長したらどうだろう。そしてその延長時間は通常より高い割増料金にし、その時間の管理者への給与に反映させてインセンティブとすればよい。これを全国一律ではなく、「スポーツ特区」において実践し、その成果を吟味した上で他の地域が対応を考えればよい。

あるいは「大学を含めた学校体育施設の民営化」、という可能性も検討すべきかもしれない。これはPFIの形式に新たなページを開くものかもしれない。事実、大学の体育施設の遊休化は、現在大いに危惧されている現実的な問題なのだ。

スポーツの施設運営管理のナレッジ開発

スポーツ施設の稼働率という点に関しての問題は、大型であればあるほど深刻である。この場合の顧客とは多くの場合一般の愛好者ではなく、トップ・スポーツが主要となる。そしてこれは前述の「イベント管理資格者」が対応する「興行」という問題なのだが、管理者の対応はここで更に貧困さをさらけ出す。これはまさにビジネス上のプロフェッショナリティーの問題であり、マネジメントのナレッジの問題なのだ。もっとも、いたしかたがないといえる部分が少なからずある。

アメリカの青春学園モノ映画によく現れる体育館には必ず存在し、一方日本の学校の体育館にはない施設がある。「客席」である。つまり日本においては、基本的にスポーツとは「する」ものであり、「見る」ものではなかった。従って見せる用意がない。現在でも日本の公共スポーツ施設の多くは、当該地の「教育委員会」の管理下にあるが、当然のことながら「教育委員」になるのに興行の知見(ナレッジ)は不要である。「市役所」や「県庁」の職員も同様であるが、施設の管理者の多くはどちらかの職員あるいは出向者なのである。興行などできるはずはないし、イベントを誘致する能力もない。更に問題を悪化させているのは、誘致をアウトソーシングする場合に相手先の力量を測る目利きがいないため、騙されてしまうことである。施設管理者に必要なナレッジとは何か、早急に検討した上でその取得つまり人材育成に着手すべきであろう。もし行政側の人材で達成が困難であれば、民間へのアウトソーシング、つまりPFIを検討すべきである。

ところで大型施設の稼働率という点を検討すると、そこには施設の管理者よりも利用者の問題がより切実なものとして浮かび上がってくる。ここでの利用者とは、トップ・スポーツのことに他ならない。実はスポーツのマネジメント問題に関しては、現状「See」の分野の方が危機的な状態にある。既に一般的によく知られているように、日本のトップ・スポーツを支えてきた企業の対応は、大いに様変わりをしている。新聞記事で「名門スポーツ部の廃止」というニュースは既にめずらしい話題ではない。あたかも「企業スポーツ」は終焉に向かっているかのようだ。スポーツ団体側も手を拱いていられない、はずなのではあるが・・・。まさにここにおいて「マネジメントの欠如」が露呈しているのが実情なのである。そしてことは急を要する。「Jリーグ」の成功はむしろ例外中の例外であり、押しなべて日本のトップ・スポーツは危機的であり、早急なてこ入れを必要としている。原因は内的・外的にさまざまであるが、その中でもマネジメント・スタッフの貧困さは目に余る。唯一の成功例だと見なし得るJリーグでも、この問題に関して例外とはいえない。筆者は「Jリーグ経営諮問委員」を足掛け3年勤めているが、某J-2のチームでは、毎年赤字であったため税金を支払う必要がないと判断し、申告を怠っていた。昨年度創立して初の黒字化に成功したのだが、申告を怠っていたため累損に補填することが叶わず、全額に課税されるという事態が起こった。すでに昨年、新聞でも報じられたが、これなどは一般のビジネス界では考えられない、笑うに笑えない申告な、いや深刻なケースである。

「行政評価」という指標を安易に持ち出すべきではない

ここで確認しておくが、ここでの議論は我が国の経済・社会の今後に対して、トップ・スポーツの隆盛が何がしかの意味を持つことを前提としている。この前提は「スポーツの公共性」という問題の立証に依拠すべきものであるのだが、この立証作業は多面的に行う必要がある。たとえば昨年行われたサッカーのワールドカップ(以下W杯)について、大会運営にあるいは施設や交通網の整備に、直接あるいは間接的に多額の税金が投入された。これについて事後の評価はどのようになされるべきであろうか。

敢えて申せば、所謂「行政評価」という指標をここで安易に持ち出すことは危険である。なぜなら、所謂「行政評価」とは単年度の対予算の達成度評価だからだ。スポーツにより達成されるものは単年度での評価には向いていないものが多い。総体的な成果は中長期的な視点での評価でしか不可能だ。しかもその成果とは多分に無形なものを含む。W杯で獲得した「興奮」や「達成感」や「アイデンティティーの確認・確立」や「プライド」という成果を計る指標は、少なくとも現時点での現在の「行政評価」手法には無かろう。逆にこの部分の評価が無ければ、「スポーツの公共性」自体が意味を成さず、況や「スポーツ文化」などとは絵空事でしかない。となると「文化立国」などは無論望むべくもない。

筆者はW杯という絶好の機会に、この点を明らかにしようと考え、(財)地域活性化センターの平成11年度の調査事業として「国際スポーツイベントによる地域づくりに関する調査研究」を行い、大会終了後にここで評価指標として定めた25項目について、10の開催自治体の首長宛「自己評価」をアンケートで求めた。ちなみに調査作業の費用の半分は10の自治体から提供されており、成果物としての調査結果は各自治体に20冊ずつ届けられている。ご希望の向きは当該自治体に閲覧を求めて頂きたい。このアンケート調査結果については、近々公開を予定している。楽しみにお待ち願いたい。

2003年3月25日

2003年3月25日掲載