スポーツの産業化-その大いなる可能性と問題点を巡って

広瀬 一郎
上席研究員

日本経済の今の状況をスポーツの世界に置き換えると、成績不振に陥っている日本というチームの強化には、ディフェンスとオフェンスの2つの側面が必要だ。ディフェンスは構造改革であり、不良債権処理問題と並行した金融システムの健全化問題であり、緊急課題のデフレ対策も当然含まれる。ディフェンスに関しては、問題点が把握しやすく、コンセンサスを得るのは比較的容易である。実際、課題解決のプログラムも出揃った観がある。今や問題の焦点は、「誰が」「いつ」「どのように」というエグゼキューション(実行)レベルに絞られたといっていいだろう(無論それこそが大問題ではあるのだが)。

他方、オフェンス面についてはどうだろうか。基本的には「消費」と「雇用」という2大問題への対応が現時点でのオフェンス問題だと考えられよう。これら2つのオフェンス面の問題に対して、具体的な提言あるいは提案を欠いていると感じているのは筆者だけだろうか? 今更いうまでも無いことなのだが、「守備」と「攻撃」の両面の問題が解決しない限りチームの強化は達成しない。オフェンスには新たな得点こそが望まれる。今必要なのは、「新規」のマーケットである。そこでオフェンス問題に対する処方のオプションとして、「スポーツの産業化」を提案するのが本稿の主旨である。

スポーツ産業化における本質的な問題とは

ところでスポーツ産業は「新規」なのだろうか。正確にいえばそうではない。しかし従来我が国では学校体育として定着していた歴史が長かったため、産業としては未開拓な巨大な領域が存在する。それは第三次産業としての周辺サービス分野である。たとえばスポーツを行う場合に必要となる「場所/施設」「技術の習得・向上」「仲間/相手」という要素を考えれば、現状でそれらを提供している人の多くに「サービスの提供」という認識が希薄であることが明らかになろう。従って対応にもサービス視点を欠き、被提供者にもサービスへの対価を支払うという認識が生まれない。スポーツにまつわるサービスには、サービス提供に必要なナレッジも蓄積されず人材も育成されない悪循環が生じ、いつまでも安価だが質が低いままという状態に止まったままなのである。当然ながら資本も参入を躊躇する。こういう状態だからこそ、逆に現状において敢えて「新規」と呼べる手つかずの「巨大」なマーケットの可能性を見出せるのである。

スポーツの経済産業問題を論ずるには、
1)スポーツの産業化が進み活性化された時、日本の経済産業全体に対してどのようなインパクトを与えうるか
2)スポーツ関連サービスの産業としての可能性(課題と解決策の検討・提示)
という2つのフェーズに分けて検討する必要がある。
2)は、現況の日本の経済における有効需要と雇用の創出に大きな可能性を秘めていること。つまり、1)の問題に対し最も直接的な解を与えうるという前提に立ったものである。
1)の日本産業全体に与えるインパクトについて、現状では緻密な論議をするためのデータが十分ではない。むしろそれこそがスポーツ産業化における本質的な問題の現れだともいえる。この点における今後の検討課題として、
・公共財としての「スポーツの産業化」の意味と意義の明確化
・スポーツ・サービス産業の定義づけ
・スポーツ・サービス産業の規模を表す統計(指標)値の確立
(乗数効果の測定を含む)
等が必要であろう。

「消費」と「雇用」に最大級の強みを発揮するスポーツ産業

ここで「消費」と「雇用」問題をもう少し整理しておこう。この二者が相互に深い係わり合いを持っており、この両者を解決するためには、魅力ある商品を提供できる「新規」の産業の育成が必要である点も論を待たない。一時は「ドットコム産業」がそれを担うと期待され、それがバブルとなってはじけ、今や株価低迷と不況の犯人扱いをされることもある。これが認識違いであるという見解を、「フォーサイト」12月号の「それでもITは世界を変える」で坂村東大教授が述べている。筆者も基本的に同意する。技術の進歩にビジネスモデルが追いついていないだけの話で、好むと好まざるとに関わらず、早晩ITは必ずビジネスと生活を変える。しかし、ここで明らかになったのは技術開発が成功しても全くの新規の商品、つまり非連続なテクノロジーによる商品がマーケットを形成する上で、クリアしなければならない大きなハードルが存在するということである。それは利用者つまり消費者の認識問題に他ならない。いかに素晴らしいものを開発しても、消費者にパーセプション(理解)が形成されなければマーケットは成立しない。非連続なテクノロジーの認知と理解を得るのには時間がかかるのであり、それまではその理解度の差がビジネスの差を生む。デジタル・デバイドである。これがある限り、一部に長者は生まれるかもしれないが、巨大で健全で安定的な産業にはならない。つまり新規産業が「消費」と「雇用」に対するファイナル・アンサーになるためには時間がかかるのである。

この点において「スポーツ」は最大級の強みを発揮する。マーケティング的な観点からいえば、誰もが「認知」し、「理解」し、さらには大方の「好意」すら獲得してしまっているからだ。

内需であり、ソフト産業である「スポーツ」は低迷する日本経済を救うカギとなるか

各種のデータの示すところによれば、成人男女の約8割が「スポーツ好き」であり「スポーツがしたい」のだが、そのうちの約4分の3は「十分できていない」と感じている。十分できていない要因は「場所・時間・コスト・仲間」に集約される。掛け合わせれば、「第三次産業としてのスポーツ・サービス産業」にとって、成年男女の約半数が顧客となる「巨大」な潜在市場が「新規」に浮上してくるのである。

しかもこの市場は「内需」であり、サービスという「ソフト」産業だという点も重要である。「内需」で「ソフト」の産業振興というテーマは、前川レポートの昔から指摘されていた古くて新しい課題である。この点への対応が遅れたということも、我が国における社会及び経済産業の今日の体たらくを招いた原因の一つではあろう。そしてスポーツは「国富」を追求する旧来の殖産興業的な対応の限界に対して、国民の生活を豊かにする「民富」に直結する「健康追求」や「余暇時間の充実」あるいは「生きがい」という課題、更には「コミュニティーの復活」というポスト・モダンな脱工業化社会への対応という今日的なテーマにも応え得ると考える。実際これらの課題はハイパー高齢化社会においてますます重要性を増すと考えられる。そして21世紀型の公共投資が、少なくとも従来よりもソフトへの投資に傾斜すべきであるとするなら、スポーツのサービス産業振興に対する公共投資という政策課題は検討に値するのではないだろうか。

この「巨大な潜在マーケットをいかに顕在化させるか」について論ずるのは、紙幅の関係もあるので、別の機会に論じたいと思う。

2003年1月14日

2003年1月14日掲載