農業・食料問題を考える

『農協の解体的改革を』(日経・経済教室6月7日)に対する農協からの反論について

山下 一仁 上席研究員

全国農業協同組合中央会(全中)は『農協の解体的改革を』について、その内容があまりにも一面的であり、かつ事実誤認が甚だしく、JAグループに対する読者・国民の誤解を招きかねない内容となっており、とうてい看過できないとし、主要な部分の記述について事実誤認を指摘し、抗議するとともに、正しい認識を持つよう私に強く求めてきました。本稿では、『農協の解体的改革を』本文とこれに対し指摘された「事実誤認」(全中の指摘)とこれに対する私のコメントを示すこととし、今後の"農協改革"と"農政改革"に関する健全で国民的な議論の進展に資することとしたいと考えます。

農協を非難することが私の目的ではありません。日本農業がこれまで衰退した原因は農政にも農協にもあると思います。過去の反省がなければ、農協の再生も農業の再生もないと思います。農業再生のあり方について、農協関係者の方々そして食料と農業に関心を持つ全ての方々とともに考えてみたいと思います。

要約すると、全中の抗議の内容は、論文の導入部に当たる前半の部分の諸点が事実誤認であるとするものであり、後半の農協改革の提言に関するものはほとんどないようです。
しかし、前半の部分については、行政の下請け機関、上意下達の組織という指摘(大島清法政大学教授、佐伯尚美東大名誉教授等)、高米価のために零細農家が滞留したこと(荏開津典生東大名誉教授・生源寺真一東大教授、速水佑次郎・神門善久等)、農協が主業農家(自立経営農家)育成、規模拡大等に反対してきたこと(農業基本法生みの親、小倉武一、佐伯尚美等)、産直組織を行う先進的農業者を農協の諸事業から排除してきたこと(中島紀一茨城大学教授、速水佑次郎・神門善久等)、一人一票制度が零細兼業農家を有利にしていること(速水佑次郎・神門善久等)等について、これまでの先行研究による主要な指摘を『農協と兼業農家の結びつき』という観点から整理・体系化した(その意味でのオリジナリティはある)ものです。

(注1)本稿は個人の見解であり、筆者の属する組織の見解ではない。
(注2)文中の緑枠内は、日経・経済教室『農協の解体的改革を』からの引用である。


兼業農家と一体となって事業を肥大化させてきたJA農協の存在が農業の構造改革を阻んでいる。農業の再生のためには、JAから信用・共済事業を分離して農業事業に特化させたり、JA傘下外で主業農家による専門農協を設立するなど、企業的農家の育成を支援する必要がある。

「全農に解体的出直しを求めたい」。JA全農(全国農業協同組合連合会)秋田県本部によるコメの不正売却事件発覚後の農林水産省事務次官の発言である。この事件では農家のコメを横流して補助金を不正に受け取ったほか、公的な入札制度を利用し、架空取引によって米価を高く操作した。
また、農協の反対により、本年から5年間の農政の基本方向を定めた計画の中に、「農業の構造改革を進めるため政策対象を主業農家に限定する」と明確に書き込めなかった。

【全中の指摘】政策対象を主業農家だけに限定することは、生産者の理解が得られないため、我々だけでなく都道府県庁、市町村も反対であり、一部の論者を除いて研究者にも異論が多いところである。こうした多様な意見は無視し、あたかも農協(JA)だけが反対しているかのような記述は問題である。

【コメント】後述する全中の指摘のように、農協が反対したことは自ら認めていることであるし、本論文では"農協だけ"とは書いていない。むしろ、農協の反対で限定しなかったのは、農協のポイントではないのだろうか(食管制度時代の米価運動でも米価引き上げ等を求めたのは農協だけではない。しかし、農協が最も強力な運動体であったことは誰しも認めるところではなかろうか)。

農協が不正な手段を使ってまで米価を維持したり、自らの基盤であるはずの農業の再生・構造改革に反対するのはなぜだろうか。

【全中の指摘】JAグループも、農業従事者の高齢化、担い手の減少、耕作放棄地の拡大等、地域農業の現状に、非常に危機感を抱いており、農業の再生と構造改革の必要性は十分認識して取り組みをすすめてきているし、さらに一層の努力をしていかねばならないと考える。

貴殿は、我々JAグループの以下のようなわが国水田の農業の望ましい構造改革の考え方を踏まえることなく、自らの考え方のみを正当化しようとするものであり問題である。

わが国が、アジア・モンスーンに立地し、零細分散農地所有のもとで、古来より水田稲作による共同作業を通して農村集落が形成されてきたという地勢的・歴史的条件、さらには地域ごとの多様な農業形態や担い手の存在をまったく無視して、一律的に極端に絞り込んだ経営体のみを対象とする直接支払いを打ち出すことが、真に有効な構造改革といえるのかという疑問がある。

水稲作付け農家の約3%しか認定農業者になっておらず、これでは水田農業の構造改革はなしえず、農地の面的利用をはかる地域実態に即した集落営農の位置づけが必要であると再三主張してきており、構造改革に反対しているわけではない。なお、新たな基本計画で、集落営農のことは明記されている。

集落・地域の合意形成にもとづき、地域実態に即した担い手づくりを基本に、農地を農地として利用し、面的・団地的に利用集積をすすめることこそ、日本という風土に合った構造改革と考える。

【コメント】柳田國男以来の農政が目指したものは、地主制からの小作人の開放と(零細分散農地所有-通常は零細分散錯圃という-を含む)零細農業構造の改善であった。前者は農地改革で達成されたが、後者はこれによりむしろ固定化されてしまった。柳田國男は零細分散錯圃の解消のための交換分合という具体的提案を行っているし、農地改革の際においても交換分合や生産協同組合によりそれに取り組もうとする動きはあったが、GHQが農地改革を極めて短期間(2~3年)に終了すべしと指示したこと等からこれを実現する余裕がなかった。零細農業構造の解決に取り組もうとしたのが、東畑精一博士と小倉武一博士による1961年の農業基本法だった。

全中が零細農業構造を前提とするのであれば、それは現状固定であり農業の構造改革ではない。もし、柳田や小倉のように、集落が農地を協同所有して耕作するという営農の大部分まで協同化が及ぶ『集落農業生産協同組合』構想を全中が真剣に考えているのであれば、零細分散農地所有は解消される。しかし、後述する20年以上に及ぶ全中の集落営農に対する取り組みにもかかわらず、このような営農を行っているのは、農業集落の5%を占めるにすぎない集落営農のうち14.7%(集落全体の0.7%)にすぎない。(2005年農林水産省調査)

担い手である認定農業者がいない水田集落がかなりあるから対象者の限定に反対するとしているが、高米価により零細兼業農家を滞留させ、認定農業者が育たないようにしたのは誰なのだろうか。認定農業者がいないから対象としないというのは政策論として逆転している。認定農業者が少ないのであれば、認定農業者を育成するのが政策なのではないだろうか(全中も担い手の育成が必要であることは認めている)。認定農家が少ないことはかえって少ない農家に農地を集積でき零細分散錯圃を解消できるチャンスだ。集落営農を実施している農業集落は14万集落のうちわずか7002集落、5%に過ぎない。農協の議論だと集落営農を対象とすることもとんでもないことにならないだろうか。

たとえば、施策の対象農家を原則5年間、都府県3ha、北海道10ha以上の規模農家とする。しかし、現在の規模は小さいが規模拡大の意欲、客観的条件が備わっている者、新規就農者については暫定的に対象とし、不可抗力による場合を除き、5年間で上記の規模を維持できなかった者、暫定的な対象者のうち一定期間内に上記の規模に達しなかった者については、利息をつけて直接支払いの返還を求めるという制度設計にすれば、全中の指摘する問題は解消する。

農地を集落で維持管理することと農業をどの担い手に行わせるかは別の問題である。全中はこれを混同し、農地の維持管理の主体と農業の担い手とを同じとすべきだと主張している。アパートに例えると、農地の所有者はアパートの大家であり、農地を借りて地代を払い農業を営む担い手はアパートの住人である。アパートの住人は家賃を払い、それをもって大家は修繕等の維持管理をする。大家が維持管理をするからといって、大家がアパートの住人になったら家賃も入らず、アパートの維持管理もできなくなる。

農協組織が集落営農による担い手育成を唱えながら、ほとんど進展しなかった実態については、後述する。

農協は本来自由に加入・脱退できる農業者の自発的な組織である。しかし、政府は、戦時中の国策協力機関として全農家を加入させ、農産物販売、貯金の受け入れなど幅広い事業を行なった農業会を、1948年に衣替えさせ農協とした。食糧難に対処するため、政府へのコメなどの供出機関として利用したのだ。

【全中の指摘】人的・物財的に継承したものも多いが、農協は、戦時中の農業会の単なる「衣替え」ではない。「民主化」による質的な違いがある。

【コメント】GHQは戦時統制団体としての農業会の完全な解体を目指すとともに、農協は強制加入ではなく加入・脱退が自由な農民の自主的組織とすべきとした。

しかし、GHQは法律成立後8カ月以内に農協を設立するように指示したこと、農林省が米麦集荷機関として活用しようとしたことから、GHQが目指した協同組合本来の自発的組織ではなく、農業会の衣替えに終わったのである。農協法の施行は1947年12月、わずか3カ月後の1948年3月には、ほとんどの農協が設立を完了するというスピードだった。設立された農協は1万3000で、概ね一町村一農協であり、府県段階の連合会、全国段階の連合会も48年中には設立を完了した。こうして農協は当時「看板を塗り替えた農業会」と呼ばれた。

和田博雄(後の農林大臣)のように、農業会を農協に安易に引き継がせるのではなく、米の供出を担当する団体は農協とは別途作り、農民のための農協はじっくり作るべきであるという意見もあったが、食糧供出を促進するため農業会がそのまま農協になってしまった。形式的には、「民主化」手続きによる設立だが、実態は上記のとおりである(日本農業年報第22集[1973]『農協25年-総括と展望-』お茶の水書房の大島清論文2頁、日本農業年報第36集[1989]『農協40年-期待と現実-』お茶の水書房山本修論文252~255頁、加藤一郎・阪本楠彦編[1967]『戦後農政の展開過程』東京大学出版会17~19頁等多数の文献がある)。

次は戦前・戦後の農政に深く関わった東畑四郎の証言である。
「だから、農協法を占領軍がつくる時に実際は新しくつくったんじゃない。あの機会に農業会をすげかえた。それは米の供出が重大な政策だったからですよ。そのためにどうしてもあの組織をこわすわけにはいかなかったというのが、将来の禍根になるのか、ならないのか、にわかに結論はでませんけれど、これは農協の発展史の1つのポイントですね。
しかし、農業会から農協になった。その時本来の農協というのは、じっくりと農民の意思によってつくればいいんで、食管の代行みたいなものは別個の団体でやったらいいじゃないか、あれは農協じゃないんだという和田博雄説は卓見でしたね。しかし、そういう観念論をいったって、当時の現実問題にははまらなかったし、少数説だった。
だから農協法ができたって実は中身はちっとも変わらない。それがずうっとつづいていますから、農林中金といい農協といい、やっぱり食管と不可分ですよ。それ、ダッコとかオンブとかいうじゃないですか。
米の政府買入れ前渡金‥・を食管が中金を通して前渡したわけです。...末端で米を農協を通して買うとき、同時に農民に買入代金を渡さなきゃいかん。そうするためには、数日前に現金を末端まで送金しなきゃいけない。それを中金を通して行ったのです。そこでその資金を一時コール市場に出して運用することができたわけです。これは中金に対するたいへんなバックアップになったわけです。食管のおかげで農林中金も発展し、農協もまた米のおかげで経営が伸びたわけですよ。したがって当初の農協はその後の米価運動のような政治活動はしなかったんです。政治活動をやりだしたのはずっとあとです。高度経済成長の頃でしょうね。あの時の所得不均衡が誘発したわけです」(東畑四郎・松浦龍雄[1980]『昭和農政談』家の光協会274~276頁参照)

こうしてJA農協は、行政の下請け機関となるとともに、行政と同じく全国、都道府県、市町村の段階で構成される上意下達の組織となった。

【全中の指摘】何を指して「上位下達」と表現されているのか、甚だ疑問である。

法人としてそれぞれ独立して意思決定を行っているとともに、JAグループとしての意思決定を行う必要がある場合には、協同組合原則に則った民主的な手続を踏まえることとしている。

また、JAグループの政策づくりは、現場からの積み上げを基本に行っており、組織構成上もJAの組織代表が連合組織を構成する仕組みとなっており、健全なボトムアップ型の組織である。

【コメント】「上位下達」という指摘は、行政の下請け機関との関連でJA農協に対し度々なされてきたところである(北海道共済連合会会長等を勤めた梶浦福督[1995]『脱農協』ダイヤモンド社20~31頁)。農協発足当初も、与党政治家によって主張された、米生産農家にとって米価上昇となり有利な米統制撤廃論に対し、食管制度の下請け機関となった農協組織は統制撤廃に終始反対の行動を取った。農家の利益と農協組織の利益は設立当初から必ずしも一致していなかった(加藤一郎・阪本楠彦編[1967]『戦後農政の展開過程』東京大学出版会183頁)。

また、経済事業面でも、生協や専門農協と異なり、全農、経済連、農協という3段階制(現在は統合され2段階制)の下で、その事業の大部分が全国団体や農協連合会を通して行われていること、それが1950年代の赤字農協再編の過程で農産物販売、生産資材購入の両面で3段階制の系統組織を機械的に活用すべきだという整促体制(系統全利用、無条件委託、共同計算という農協事業3原則)という特殊な事業方式によって推進されたことについては、佐伯尚美[1993]『農協改革』家の光協会117~124頁および『農協25年-総括と展望-』中の佐伯論文を参照されたい。

「本来下からの盛上がりの反映であるべき『運動』がもっぱら上からのノルマ消化運動にすりかえられてしまっていること、単協→連合会という意思決定のルートが形骸化し、単協は連合会の事業拡大の手段視されるにいたっていること、無制限な准組合員・員外利用の拡大により、組合の組合員に対する関係は事実上不特定多数の顧客に近いものに変わりつつあること、農協経営の目標を高収益の追求におき、組合員に対しては結果的にそれが還元されればいいのだとする風潮が強まっていること」(日本農業年報第22集[1973]『農協25年-総括と展望-』お茶の水書房57頁)という30年前の佐伯尚美東大教授(当時)の指摘はいまでも当てはまるのではないか。

最近でも、全農が経済連、農協に宝飾品等の販売ノルマを課していることが、週刊ダイヤモンド2005年6月25日号117頁で指摘されている。

また、欧州諸国の農協が、酪農、青果などの作物ごと、生産資材購入、農産物販売などの機能ごとに設立されたのに対し、作物を問わず全農家が半強制的に参加し、かつ多様な事業を行なう総合農協となった(日本にも酪農など一部にJAではない専門農協がある)。

【全中の指摘】農協への加入は誰も強制していない。

【コメント】全戸加入の農業会を引き継いだため、農家はJAに自動的、半強制的に加入し、自主的に加入したという認識を持たなかった。また、脱退が自由といっても、ムラ社会の中では困難だった。「その創設の事情からして、政府によって指導・育成された全戸自動加入の組織として、形式は民主主義的であっても、実質は著しく自主性を欠き、したがってまた国家による保護と統制を受けいれやすい体質をそなえていたのである」(日本農業年報第22集[1973]『農協25年-総括と展望-』お茶の水書房中の大島清論文『矛盾の体系としての農協』2頁)。JAが地域における全戸加入という世界的に特殊な農協であることは、佐伯尚美[1989]『農業経済学講義』東京大学出版会246~248頁等を参照されたい。

農家の多くはコメ作だったので、米価引き上げがJA農政活動の中心となった。食糧管理制度廃止後も、政府は生産調整によって米価維持に努めている。
米価引き上げの結果、コストの高い零細な兼業農家もコメ作を継続した。

【全中の指摘】米価が高いから兼業農家もコメ作を継続するのではなくて、技術革新(農業機械の導入、施肥・農薬等の進歩等)によって就労時間が減少したことが大きい。また、兼業収入があったからこそ「低米価」でも営農を継続できた。

【コメント】技術革新も1つの要因ではあるが、米価が上昇して零細農家の物財費(種子、肥料、農薬、機械費用等)も賄える水準とならなければ、いくら技術革新が起こったとしても零細農家は農業を継続しない。

米価を需給均衡価格から大きく引き上げたため、米が過剰となり、30年以上にわたり、かつ現在では水田面積の4割、100万haを転作しなければならなくなっている水準の米価が「低米価」であるとは、どのような経済学に基づくものだろうか。もし、「低米価」で米作が赤字であれば、兼業農家でも所得が減少するので、米作をやめるはずである。

荏開津典生東大名誉教授・生源寺真一東大教授「米価が下がることは、自分で米を作らなくても生活に困らない兼業農家にとっては、土曜・日曜に水田に出て働く気をなくする要因であるとみるのが自然ではなかろうか。そうなれば、土地の貸し手が増え、需要と供給の関係で借地料が下がって、専業農家の規模拡大は有利になる筈である」(荏開津典生・生源寺真一[1995]『こころ豊かなれ日本農業新論』家の光協会66頁参照)。

世界的に著名な経済学者である速水佑次郎氏・神門善久明治学院大助教授は構造改革が進まなかった外的な要因として、(ア)兼業機会の増加(イ)青壮年の労働なしに農業ができる小型機械化技術の開発(しかし70年頃より大型機械化による技術的条件の整備)(ウ)地価上昇による非農業用転用期待による農地の売り渋りを挙げる一方、「大規模経営の出現はなぜ阻害されたのであろうか。この疑問に一言で回答すれば"農業政策の歪みが小規模農家の滞留を促し、大規模経営による農地集積を困難たらしめた"」として、減反による高米価の維持、農地の転用、農協による零細農家の保護を挙げている(速水佑次郎・神門善久[2002]『農業経済論』新版 岩波書店272~273頁参照)。

高米価は農協にとって有利だった。米は需要が非弾力的なので、価格を上げると総売上額は増加する。農協の手数料は増加するし、自動的に米代金が農協口座に振り込まれるシステムの下では農協の預金額も増加する。屋山太郎氏は、農協が米価引き上げ運動を行ったのは、農民(兼業農家)のためというより農協の組織維持のためであったと指摘している(屋山太郎(1989)『コメ自由化革命』新潮社51~52、214~215頁参照)。

週末しか農業をしない兼業農家は、コストを下げるため安い供給先から生産資材を買うとか、収入を上げるため販路を開拓するとかを考える時間的余裕はない。生産資材をまとめて供給し、生産物も一括販売してくれるJAは好都合だった。

【全中の指摘】就労時間が少なくて済むようになったため、時間的余裕がないという訳ではない。また、「JAが好都合だった」という役割を果たしてきたことは非難されるべきことではない。

【コメント】JAの役割を非難しているのではなく、経済的にもJA農協と零細兼業農家が強く結びつく要因があったと言っているのである。

JAも、高米価のおかげで、農家に肥料、農薬、機械などの生産資材を高く多く売れた。

【コメント】全中から指摘なし。

既に1950年、近藤康男東京大学教授(当時)は、肥料資本と農協の癒着構造を指摘し、農林中金は「農業から強引に吸収した余裕金をもって金融資本や肥料製造資本に奉仕」しているとし、全国購買事業連合会(後の全農)は「肥料資本のために、本来極めて脆弱で不安定な国内市場を組織化し、整備してその生産物がスムースに売れるようにし、利潤をあげるために奉仕」していると批判している。

農協を通じて農家が購入する化学肥料、農薬、機械等の資材価格はなかなか低下しないことが指摘され続けている。これらの資材に対する需要は、農産物需要の派生需要である。農産物価格が高くなると、農家はより高い価格をこれらの資材に支払うことが可能となる。また、農協組織では、全農、道府県レベルの経済連、農協それぞれがマージン(手数料)を取るため、農家が農協から買う資材はホームセンターより高い場合もある。もちろん、制度上、農家が農協以外から資材を購入することは禁止されていない。しかし、全員一致和の原理が妥当する農村社会では、農家は農家全員のための農協から資材を購入することが事実上求められることになった。経済外的強制である。そうしない場合は、社会的制裁も覚悟する必要があった。高米価は農協のためにも必要だった。

本来、協同組合の共同購入・協同販売は、多くの農業者が団結することによって購入・販売の取扱量を大きなものとし、市場での交渉力を高めて、商人資本による中間マージンの搾取を避けるという目的のはずであった。農家が農協から経済連、全農に購入・販売を委託すること、すなわち農家の農協利用率、末端農協の経済連、全農という系統利用率を高めることは、農協のため、農家のためになるのだと説かれてきた。

しかし、肥料については、農協系統は80%の購入シェアを持っていたにもかかわらず、高水準の肥料価格維持に努めた。肥料メーカーは、独占禁止法の適用除外を認めた「肥料価格安定臨時措置法」によって1954年から1986年までカルテル価格が認められた。その結果、1954年当初は肥料メーカーによる硫安の国内向け価格と輸出向け価格は同水準であったが、国内向け価格が一貫して引き上げられたため、最終年の1986年には国内向け価格は輸出向け価格の3倍の水準にまでなった。この法律は5年間の時限立法であったが、制度の継続・延長を繰り返し要望したのは、農協だった。肥料価格が高くなると農協は高い販売マージンを得られるからである。農林中金もいわゆる関連産業への貸し出しの一貫として肥料メーカーに多額の融資を行っていた。1956年から10年間に、農林中金の貸出金総額は6.1倍に伸び7352億円になったのに対し、肥料メーカーへの貸し出しは13.5倍、556億円になり、関連産業貸出額2685億円中最大の貸し出し先となっている(第2位は農業用資材380億円(54.3倍の伸び)、第3位は農産加工で319億円(21.2倍の伸び)である)。(日本農業年報第36集[1989]『農協40年-期待と現実-』お茶の水書房中鈴木佐一郎論文『購買事業』、屋山太郎(1989)『コメ自由化革命』新潮社216~231頁、加藤一郎・阪本楠彦編[1967]『戦後農政の展開過程』東京大学出版会第3章『基本法農政と農協』参照)。「農産物が片っぱしから自由化されるのに生産資材の自由化を行おうとせず、相も変わらず寡占価格を押し付けていた。...農協は生産者と消費者の利益よりも自分の組織の利益を優先させたわけである」(安達生恒[1996]『日本の農産物が異常に高い理由』ダイヤモンド社54頁参照)。

しかも、食糧管理法時代、このような肥料の高価格は生産費を基礎として算定される生産者米価(政府買入れ価格)に満額盛り込まれた。農協が農家との利益相反行為を働いても、農家から批判を浴びない仕組みが食糧管理法によって制度化されていたのである。

高度成長時代、「機械化貧乏」という言葉がマス・メディアでよく使われた。農家が田植え機などを買わされるため、豊かにならないというのである。しかし、1年に1回しか使わない農業機械を、農家が一軒ずつ持つ必要はない。機械を共同利用すればコストは安くなり、無駄は省ける。また、省力化のための小規模機械化技術は、週末しか農作業を行わない兼業農家が労働を節約するためにも役立った。このような非効率な農業経営も生産者米価の算定上コストとして織り込まれたのである。不利益を受けたのは、納税者、消費者だった。

一方、兼業農家が滞留し、農地が宅地などへの転用で減少した結果、農業で生計を立てる主業農家が、農地を借りたりして規模を拡大し、コストを下げて所得を増やすことは困難となった。
組織面でも、農協法の組合員一人一票制のもとでは、少数の主業農家より圧倒的多数の兼業農家の声がJA運営に反映されやすい。

【全中の指摘】一方の意見だけを反映しての組織運営は不可能である。

【コメント】主業農家の声が充分に反映されないことを指摘している。一人一票のもとで圧倒的多数を占める兼業農家主体の農協運営がなされてきたため、主業農家の心は農協から離れている。
次は、農水省の米の生産調整検討会に寄せられたあるJA組合長の意見である。
「全中、全農の考え方に異を唱えたい。日本の農業生産を守っていくためにはやはり、「専業農家」を中核として育成いくべきである。同じ耕作面積を持つ二人が、かたや役所勤め、もう一方は田作りのみで同じ生産調整面積、同じ売渡価格では納得がいかない。現行のままでは、コメ価格が下がることで離農するのは「専業農家」だ。この件はJA組合長の立場でいうべきことではないのかも知れないが、「専業農家」と「兼業農家」を同じ扱いにするべきではない。「経営所得安定方式」をいち早く取り入れるべきである。もう数年もすれば、コメ作り農家数は半分程度になるかも知れない。その分、「農地の流動化」が進行していくかどうかは、この「経営所得安定方式」にかかっている」

農業雑誌の最近号で全中の課長を前にして主業農家から「農協の改革を促しているが、農協は内側からは変われない」「改革になるのならよいが、このままでは解体になるのでは...」「農協が経営の合理化をするなら積極的に大型の担い手を育成して経営に取り組まないと」「零細農家さえホームセンターから資材を買うようになってしまう」という発言がなされた。(『21世紀の日本を考える第27号』2004年11月号農山漁村文化協会)

農協にとって担い手は兼業農家だった。農協の担い手も農業の担い手に一致させなければ近い将来農協自身消滅するのではなかろうか。

JAにとっても、兼業農家を維持し農家戸数を確保した方が政治力を発揮できる。

【コメント】全中から指摘なし。

農業が衰退する一方、経済成長による兼業機会の増加と農地転用売却益により兼業農家は豊かになった。JAも、農産物販売などの業務が赤字に転じる一方、信用(金融)、共済(保険)などの黒字拡大によって高成長が続いた。農協法には組合員である農家以外でも自由に組合を利用できる准組合員という独特の制度があり、現在組合員500万人に対し准組合員は400万人もいる。
JAは、農業縮小の見返りとしての兼業収入や農地転売代金を、ムラ社会の機能を活用して低コストで預金として調達し、准組合員や農薬・肥料会社への融資などによって、国内でも有数の金融機関となった。JA共済の総資産も国内トップの生命保険会社に並ぶ。農家もJAも、脱農・兼業化で豊かになった。
こうしてJAと兼業農家は、コメ、米価、政治、脱農化を介して強く結びついた。

【コメント】全中から指摘なし。
農業が衰退する中で、農家経済・農協事業が高成長するという奇妙な現象が生じた。
これを象徴する政治エピソードがある。
米の大豊作を契機とする米過剰に直面した農政は、1970年産米からの本格的減反(生産調整)を打ち出した。これまで政府指導のもとで増産運動を行ってきた農家・農村は、これにいっせいに反発した。しかし、農協は食管制度が崩壊すると農家、農協が困ると判断し、全国一律一割減反を提示するとともに、10aあたり4万円以上の減反補償金を要求した。1969年末の総選挙では、減反に反発していた農家も補償金で面倒をみる式の選挙公約を乱発されたため、与党は勝利した。しかし、選挙後の大蔵省原案は農林省の要求3万1000円に対し、2万1000円、総額750億円だった。このため、農協に突き上げられた与党と政府との間で一大政治折衝が展開された。その結果、当初考えられた150万トン規模の米の減反を100万トンに減少させ、単価を3万5000円にアップさせる一方、残る50万トン分を自治体や農協が農地を住宅用地等へ転用するということで決着をみた。食料安全保障に不可欠な農地資源を減少させ、農業を犠牲にすることで、農家、農協の利益を守ったのだ。

JAは、主業農家を育成し農業の規模拡大・コストダウンを図るという農業基本法以来の農政の考えに一貫して反対した。

【全中の指摘】JAは「主業農家の育成」に反対してきたわけではない。

中核的農家の個別規模拡大では、分散農地をさらに拡大する結果としてコストダウンが限界であり、とくに水田では、いかに担い手へ面的・団地的な利用集積を図るかが決め手であって、地域営農集団・集落営農づくりや農地保有合理化事業等の取り組みをすすめてきた。

集落や地域を単位に、集落営農を含めて担い手を明確にしつつ、農地や機械の効率利用によりコストダウンを図る取り組みは、当然JAとして、すすめてきており、集落・地域ごとに知恵を出し合って努力してきている。

【コメント】まず、JA農協は農業基本法の構造改革に反対した。農業基本法の起草者である小倉武一は次のように述懐している。
「基本法農政がうまく行かなかったのには、2つの理由がある。或るいは3つといってよい。第一は、農業の国際化を殆ど無視したことである。(中略)第二に、農業基本法は、スタート前後から悪運に付き纏われた。そのうち1つは社会党の反対であった。構造改善というのは"貧農切り捨て"だと叫ばれて、農林省の労働組合も反対運動を行った。(中略)悪運のもう1つは、農協系統が基本法農政に同調しなかったことである。無関心というよりも、たとえば"営農団地"というような独自のスローガンを持ち出して、構造政策の推進に協力するような体制を取らなかった。
当時は地域間、業種間の所得均衡が国政をリードするスローガンであったといってよいが、その所得均衡は、農政においては構造改善によってではなく、専ら価格政策=価格支持政策に依存するようになった」(小倉武一[1995]『ある門外漢の新農政試論』食料・農業政策研究センター8~9頁参照)

佐伯尚美東京大学名誉教授「営農団地構想は、政府の自立経営農家の育成という構造政策の方針に反対し、これに対置すべき系統農協独自の地域農業対策として展開された。自立経営育成政策が農家の選別という発想をその根底にもつのに対して、営農団地構想はこれを否定し、産地を経済地域としてとらえ、そこでの農家をいわば丸抱えしていこうとする発想に立つ。(中略)組合員の平等と言う形式的民主主義をとる農協にとって組合員の選別という発想はとうてい受け入れがたかった...」(佐伯尚美[1993]『農協改革』家の光協会197頁)

JAにおいても、1980年代以降、農業の現状に危機感を抱いた一部の優れたリーダーによって 担い手育成を図ろうとする"地域営農集団"運動が展開された。しかし、組織討議の過程で、集落を利用しながら担い手に農地を集積しようとする構造改革の側面と兼業農家も地域農業の一員として扱おうとする現状維持の側面が同居・混在してしまった。また、"ボトムアップの組織"でありながら、この運動への取り組みは極めて低調であった。1987年において、これに取り組んだ農協は、35.5%にすぎず、その取り組みも機械の共同利用(44.9%)が主体で、担い手への農地集積に取り組んだケースは2.4%に過ぎなかった。1993年では、取り組んだ農協は62.8%に拡大するが、そのうち20%未満の集落でしか取り組まれていないものが61.8%に及んでいる。1996年の調査でも、農地の利用調整の組織があり、一地域でも一地域一農場的な取り組みがなされている農協は15.1%にすぎなかった。JAは担い手育成、集落営農実現を唱えるが、それを真剣に実施したことはなかったように思われる(佐伯尚美[1993]『農協改革』家の光協会199~225ページ。農林金融2000.5『地域農業再編と農協の役割』参照)。

ここうして、筆者が2000年度集落協定によって中山間地域の農地を保全することを目指した"中山間地域等直接支払い制度"を導入した際、農業集落ではほとんど話し合いさえ行われないほど集落機能は崩壊していた。また、JA農協も集落協定締結に積極的な役割を果たしたようには見えなかった。

全中が「いかに担い手へ面的・団地的な利用集積を図るかが決め手であって、地域営農集団・集落営農づくりや農地保有合理化事業等の取り組みをすすめてきた」にもかかわらず、主業農家が1人もいない農業集落が50%も存在することは、これまでのJAの取り組みの結果を示しているのではないだろうか。

JAが売りたい農薬・化学肥料を使わない有機農業やJAを通さない産直を行う先進的農業者をJA事業の利用から排除したりもした。

【全中の指摘】協同組合原則、農協法、独禁法に沿った運営を行っており、特定の個人を排除するようなことはない。一方、そうした農業者のJA離れがあるといわれているが、残念なことである。JA改革により利用してもらえるようにしていきたい。

【コメント】「産地産直組織の実践からいま系統農協陣営が学ぶべき第一は、その志の高さと志の方向性についてであろう。さらにいえば、産地産直組織の多くは、その志のゆえに、多くの場合系統農協の諸事業から排除され、異端として独自の道を進まざるをえなかったという歴史的経緯について、真摯に振り返るべきだろう」(中島紀一[2003]『地域生活者による農業協同組合の再生へ』農業と経済2003年8月号)。

このような事実は多くのルポルタージュ等によって指摘されている。たとえば、「経費節約を説く営農指導とマージンを食うシステムとは、本来、両立しない。ある県の試験所が農民に肥料の効率的使い方を指導したら、農協から横ヤリが入ったなどという話は、農村地帯にはゴロゴロ転がっている。農協の職員が、悪者だといっているのではない。高い取扱高をあげた職員は、農協としては立派な職員だ。...システム自体が間違っているのである」(屋山太郎(1989)『コメ自由化革命』新潮社209頁)。「農家が資材購入に当たって商系との取引に切り換えたり、コメの集荷を商系に換えたりすると、有形無形の圧力をかけてくる。...農家は農協を窓口として近代化資金を借りたり、補助金を受けたり、コメ代金を受け取るなど"借り"があるから(肥料を)買えといわれれば断りにくい」(同215,221頁)。「長野県川上村のレタス農家が有機栽培のレタスで自立しようと、農協から資材を買わず、また、農協を通さずに直接スーパーなどに出荷しようとしたら、農協はこれらの農家の農協口座を閉じ、プロパンガスの供給を止め、共同利用の用水の使用を禁じ、文字通り「村八分」にした。こうした例は全国に無数にある。...農協が有機栽培農家を締め付けるのは、収入源であるレタスの出荷手数料や、肥料・農薬の売り上げが先細りになるという危機感があるからだ。...消費者の視点からは水田での「農薬の使いすぎ」という問題がある。...(農協の)購買部門が収益を優先し、農薬を積極的に売りつけようとすることの反映でもある」(朝日新聞経済部[1994]『苦悩する農協』朝日新聞社96,128,129ページ参照)。

しかし、国内総生産(GDP)に占める農業の割合が1%まで減少し、65歳以上の高齢農業者の比率が6割近くなるなど、農業の衰退は著しい。農業の再生を図り、食料供給力を向上させるには、非効率な零細兼業農家を温存するのではなく、食料供給の担い手として企業的農家を育てる必要がある。

【全中の指摘】水田を中心に、兼業農家が太宗となってきたことを高米価のみを原因とするのは一面的で、農水省におられた経験を疑わざるを得ない。

ましてや、農業用水の管理や畔草刈など、兼業・非農家を含めた取り組みが、地域の農業資源保全などに果たしている役割は大きい。

わが国経済社会がつくりだした農業による収益還元価格とかけ離れた高農地価格と資産的保有、工場・企業の地方分散と労賃構造が兼業を「温存」させたという事実を無視しては論じられない。

企業的センスを持った経営体の育成は、確かに必要であるが、その一方で、そうした経営体を地域のなかでバックアップする役割も重要であり、企業的農家だけで地域農業を担っていけるかのごとき論調は、非現実的である。

【コメント】地価の上昇と兼業化の進展を兼業農家滞留の理由としているが、なぜ同じような事情にあった畑作では兼業農家がそれほど滞留しなかったのか。米の構造改革が最も遅れ、産出額に占める主業農家のシェアは麦74%、野菜83%、牛乳96%に対し、米は37%にすぎない。米作と畑作の大きな違いは米価だけ上げたことではないか。

また、1960年以来農地改革で小作人に開放した194万haを上回る230万haが兼業農家等により宅地等へ転用、耕作放棄された。食料安全保障を主張する農協がなぜ農地資源の維持のためゾーニング(土地利用規制)の徹底を主張しなかったのか。なぜ転用利益を預金させるような"盗泉の水をのむもの"(『農協40年-期待と現実-』お茶の水書房中、山口武秀『農協と農民運動』247~248頁)となったのか。

筆者は、"集落の農業資源保全などに果たしている役割"を否定するものではない。"中山間地域等直接支払い制度"で集落を水路・農道の維持管理や農地保全の主体として制度的に位置付けるとともに、それを積極的に推進した者である。

しかし、その際の経験からも、リーダーや担い手のいない集落営農は機能・永続しない。担い手を地域がバックアップするというのは、実態とは異なる。担い手が農作業を受託しなければ地域の兼業農家の営農活動も行えない、担い手が集落の面倒を見ているのが実態である。集落営農といってもコアとなる担い手が成長しなければ、先行きに赤信号が点滅するだけである。農林水産省「集落の農業の将来展望に関する意向調査」(2005年)によると、集落営農の組織化・法人化にあたっての問題点として「集落リーダーが不在で組織化の体制が整っていないこと」が57.6%で最も高く、また、行政等に期待する支援として「リーダーの育成」が66.0%と最も高い。

"農地は集落で、農業は担い手で"守るという考え方に立つべきである。

すべての農家を平等に扱う一人一票という協同組合の組織原理は、農家の規模が均一で同質的であった農地改革直後には合理性があったが、農家が主業と兼業に大きく分化した今日、機能不全を起こし、企業的農家の育成を阻んでいる。

【全中の指摘】一人一票という協同組合原則が企業的農家の育成を阻んでいるのではなく、企業的農家の育成を阻んでいるとすれば、2000年センサスが分析しているように、むしろ農産物の価格下落にある。

【コメント】食管制度の下で米価が引き上げられてきた際も、企業的農家は育成できなかった。

JAに主業農家の声をより反映させるためには、農協連合会には農協の組合員数に応じた議決権を認めているように、農協利用度に応じて一人一票制を見直す、信用事業・共済事業を分離して農業関連事業に純化させる、などが考えられる。過去にも信用・共済事業の分離が提案されたが、制度改正が必要となるので政治過程でJAに反対され実現できなかった。
それならば、現行制度で対応できる方法として、コメ主業農家による専門農協設立を支援してはどうか。その農協の定款で一定の規模以上の主業農家に組合員資格を限定することは可能だ。カバーする区域は県単位でも全国でもよい。上意下達のJAとは違う、意欲と元気のある農家による自発的なボトムアップの意思決定に基づく組織を草の根的に作り、「農家のための農協」が「農業のための農協」となるようにするのだ。

【コメント】この本論文の中核部分について、全中から指摘なし。

より厳しい案としては、"「農民」とは、自ら農業を営み、又は農業に従事する個人をいう。"としか定義していない農協法第3条第2項に、年間農業従事日数、農業規模、農業所得の農家所得に占める割合等についての要件を加えることによって、農協の組合員を法律上も主業農家に限定することも考えられる。

そもそも、農協の前身の産業組合は産業組合法制定当初信用事業のみを扱うものが多かった。産業組合法自身、1906年まで信用事業と他の事業との兼営を禁止していた。
産業組合は、組合員のために、肥料などを購入する購買事業、農産物を販売する販売事業、農家に対する融資など、現在農協が行っている経済・信用事業(全農・経済連合会、農林中金・信用連合会の系統)を行うものである。当初は、地主・上層農主体の資金融通団体に過ぎなかった産業組合は、第一次大戦以降の商品経済の進行により、肥料などの生産資材等の購買、農産物の出荷・販売を行うようになり、1920年代には各町村に設立される(1930年頃産業組合は全町村の84%で設立されている)ようにもなった。しかし、信用・販売・購買・利用の4事業兼営の産業組合の比率は1931年でも29%にすぎず、また、1930年において農家組織率は61%にすぎず、零細な貧農など4割の農家は未加入であるなど活動は低調だった。
産業組合が拡充・活性化されたのは、農産物価格の暴落によって農村に壊滅的な打撃を与えた昭和農業恐慌を乗り切るために、1932年石黒忠篤と小平権一により推進された経済更生運動によってであった。共同作業や共同販売・購買を行ってきた集落の組織を農事実行組合として法人化し、産業組合に加入させることによって、全農家の加入を促進した。「33年には、産業組合のまだ設置されていない町村の解消、組合への全戸加入、信用・購買・販売・利用の4種事業の兼営化の推進などを目標とする産業組合拡充5カ年計画が始まった。これによって、全農家戸数に占める産業組合の組織率は31年61.1%、36年76.6%、40年89.4%へと急増し、小作貧農を含む農民組織化が進行した。それとともに、販売・購買・金融面での産業組合の取扱比率も顕著に高まった」(暉峻衆三編[2003]『日本の農業150年』有斐閣116頁参照)。未設置町村はほぼ解消し(1940年21町村)、4種兼営組合の比率は1941年に81%にまで高まった(これによって1934年には米や肥料の全流通量に占める産業組合のシェアは3割にも達し、米穀商や肥料商によって反産運動が高まった)。ここにおいて、産業組合は、全農家を組織し、かつ農業・農村に関する全ての事業を営む今日の総合農協の原型となった。つまり総合農協となったのは政府の施策によるものであって、農家の自主的な組織としては信用事業組合だったのである。

経済団体である産業組合に対し、農会は、地主、篤農家によって農業技術の普及、農政の府県・町村レベルでの実施を担うとともに、地主階級の利益を代弁するための政治活動を行った。現在農協が行っている営農指導・政治活動(全中・県中の系統)である。この2つの組織が、第二次大戦中の1943年農業団体法により、戦時統制団体である農業会として統一される。以降、農業会を引き継いだJAは経済、政治両活動を担当するようになる。1952年の第一次団体再編問題、河野一郎農林大臣による第二次団体再編問題は、いずれも政治活動を経済活動の分離を含んでいた(第二次再編ではさらに信用事業の分離も含む)が、JAの反対によりいずれも実現されなかった。

購入単位が大きい大規模農家は、低コストで資材を購入できる。

【全中の指摘】JAも大規模農家に対してボリューム・ディスカウントを実施中である。

【コメント】JAが批判を受けてようやく昨年からボリューム・ディスカウントを実施しているのは承知している。しかし、小分けが必要で供給コストがかかる零細農家を抱える以上、ディスカウントには限界がある。

規模が大きいので農産物の価格競争力もある。

【全中の指摘】比較する対象が問題だが、アメリカ、タイ、中国等の生産費(主として労賃)を考えれば、専業化して競争力は向上しても勝つには至らない。

【コメント】ここでは、零細農家に対して大規模農家は価格競争力があるといっているのであり、アメリカ等との比較をしているのではない。

さらに、兼業農家と違って週末以外にも農業に専念できるので、農薬や化学肥料の投入を減らし、環境にやさしく品質の良いものを販売できる。専門農協が本来農協に期待される中間マージン抜きの共同購入・共同販売を行なえば、主業農家の生産・販売・経営面での力はさらに高まる。

【全中の指摘】すべて仮定の話。なお、JAグループでは、JAによる消費者や大規模小売店への直接販売の拡大にとりくんでおり、拡大している。

【コメント】仮定の話ではない。労働時間の豊富な大規模農家ほど環境に優しい農法を実施していることは、2000年農業センサスでも示されている。

米の全流通量に占めるJAグループのシェアは食管時代の8割程度から6割を切るまでに低下していると推測される。

またIT(情報技術)を活用すれば、専門農協は少ない職員で資材メーカーや小売店に対応できる。

【全中の指摘】現在のJAでも可能である。

【コメント】JAが現在いる職員をリストラしない限り、ITを活用しても職員数、雇用のコストは減少しない。

専門農協がJAと対立する必要はない。専門農協の組合員がJAへの加入を継続すれば、JAの信用事業、既存農業施設を利用できる。専門農協はJAのような多様な事業を行なわなくてもよいのだ。
似たような事例として、個々の法人の人材、情報、資金に限界を感じた全国約40の農業法人が、ブランド・経営力の向上を図るため、2003年に「事業協同組合」を設立し、農産物の共同認証・販売を行っている。これは農協法によらずに中小企業等協同組合法に基づいて設立した農業の協同組合である。
現在の肥大化・多角化したJAに対し、組合員である兼業農家は本業で忙しく役職員を監視できない。

【全中の指摘】時間がないので監視できないという理屈はおかしい。
むしろ、兼業農家のほうが、農業以外の職業経験もあることから、多角化した(信用・共済など)の事業監視能力がある面もある。

【コメント】それほど事業監視能力があるにもかかわらず、なぜ不祥事を防止できないのだろうか。

また、経営が破綻しても、自治体が救済したりJA内部で救済合併をしてきたため、組合員は監視の意欲を持たなくなる。このため、JAには横領など不祥事が絶えない。

【全中の指摘】万一、JAの経営が破綻した場合には、JA相互の支援により対応することが基本となっており、自治体がいつも救済してくれるわけではない。また、救済があったから、監視意欲を持たなくなるという理屈はおかしい。不祥事の原因を組合員監視と直接結びつけるもの強引。むしろ、「農業不況」による経営悪化も原因ではないか。

【コメント】監視してもしなくても結果が変わらなければ、監視意欲(インセンティブ)を持たなくなるのは当然ではないのだろうか。経営が悪化すれば、職員は横領してしまうのだろうか。

これに対して専門農協では、職員数・業務量も限定され、農業に専念する組合員は十分な監視ができるので、役職員の不正行為は防止できる。

【全中の指摘】時間があるから監視できるという論理は安易。

【コメント】そもそも時間もなければ監視もできない。

農政も、フランスのように主業農家や専門農協に財政資金を集中的に投下するとともに、生産調整を廃止して米価を下げ、兼業農家が主業農家に農地を貸し出すよう支援すれば、農業改革は進む。

【全中の指摘】生産調整を廃止すれば米価は大暴落し、過剰は続き、コスト割れどころか、ゼロ価格になるまで過剰米があふれてくることになるが、それは一時的なことではなく、長期にわたって下落するとみられる。

兼業農家は価格にただちに反応しないが、コメの主業農家はただちに経営破たんとなってしまう可能性が大きい。

主業農家の経営を支えるうえでも、一定の価格安定は必要であり、そのための生産調整は現段階では不可欠である。

もし生産調整を廃止して主業農家へ直接補てんするとしても、対象もわずかで、水準も再生産を償えないとなれば、わが国から飯米農家以外のコメはなくなり、水田の荒廃は一気にすすむと見られるが、こうした構図をもって果たして構造改革と言えるのか、よく考えていただきたい。

【コメント】「米が大暴落してゼロ価格になるまで過剰米があふれ、しかもそれが長期に及ぶ」というのは、いかなる経済学なのだろうか。価格がゼロになれば、当然農家はコストを償えないので赤字になる。それを長期にわたり続けるのだろうか。過去の高米価による消費者負担を兼業農家が悔いて消費者のためにコストを負担してまでも無償で提供し続けるのだろうか。仮に全ての水田で米を作付けし(供給量が900万トンから1400万トンに拡大)、価格が短期的に暴落したとすれば、次の米の作付けに際してコストの高い農家は米作から撤退するのではないだろうか。そうすると供給量は減少していずれ需要と供給が一致する価格まで回復するのではないだろうか("クモの巣理論"でも価格は上下するのであり、恒常的に低米価が継続することはありえない)。その際、米の作付けられない農地はどうなるのだろうか。米価の低下により、米と麦、大豆など他作物との相対収益性が改善されるので、他作物が作付けられるようになる。なお、筆者の試算では、生産調整を廃止すれば、米価は現在の60kgあたり1万6000円が9500円に低下するが、ゼロにはならない。

これまで、農業経済学の中では、米価の上昇は農地の出し手である零細農家の農地保有意欲を高め農地の流動化に逆行するとする考え方と、米価の下落は農地の受け手である規模拡大農家の地代負担能力を低め農地の流動化に逆行するとする考え方が対立してきた。
実証的には、次の1つのグラフだけで、米価水準と構造改革に関する論争に終止符を打つに十分である。これは、農地の受け手に対する調査により、平成6年と13年の規模拡大が困難である理由を比較したものである。平成6年と13年の大きな違いはこの間米価が24%低下したことである。米価の低下により農地の出し手がいないという理由は大きく減少している。他方、借手側の理由として米価の低迷が大きく増加している。借り手の支払可能地代は農地を借り入れ規模拡大した後におけるコストダウンによる収益増加と将来における予想米価に依存する。したがって、コストダウン以上に米価が下がると予想すれば、支払可能地代が低下するので借りにくくなる。

[図 規模拡大が困難である理由]

すなわち、価格が下がると零細農家は農地を手放すが、借り手の地代支払い能力も低下するため、農地は耕作放棄されてしまう(逆に、価格が高いと零細農家が農地を手放さないので農地は流動化しない)。米価の上昇が農地流動化に資するという議論は、借り手の地代支払い能力のみに着目し、米価の低下が農地流動化に資するという議論は、出し手の零細農家のみを考慮したものであり、いずれも半分正しく、半分間違っていたのである。正しい政策は、価格を下げ零細農家に農地を手放させるとともに、一定規模以上の農家に農地面積に応じた直接支払いを交付し地代支払い能力を補強することである。

主業農家をいったん規模拡大の道に乗せれば、規模拡大はコストを引き下げ、支払い能地代を増加させ、更なる規模拡大を生む。しかし、そもそも農地が貸し出されなかった日本では、規模拡大の好循環に乗ることができなかった。規模拡大しない原因が高米価にあるにもかかわらず、結果として主業農家の規模が拡大せずコストが下がらないため、米価を抑制しようとする政府に対し、米価を下げると主業農家が困るという議論が全中からなされた。この全中のロジックは少なくとも筆者の知っている限りでは、30年以上も使われている。

"主業農家への所得補填がわずかで再生産を償えない"というが、どの程度の補填を考えているのか。筆者の試算では、せいぜい2000~2500億円。現在の米関係予算の中で充分賄える。

コメ兼業農家の所得約800万円うち農業所得はわずか10万円であり、兼業農家も農地を貸して地代(平均農家規模の1ヘクタールなら20万円)を得たほうが所得は増える。
主業農家が脱落すれば、零細・非効率な兼業農家のためだけのJA農業関連事業はさらに赤字が拡大し縮小せざるを得なくなる。JAにとっても不採算部門を切り捨て信用・共済事業に特化したほうが有利であり、農業関連の事業は専門農協によって実施されるようになる。そのときこそ、1900年の産業組合法(農業協同組合法の前身)の施行と同時に農商務省に入ってその実施に深くかかわった柳田國男など、数多くの農政の先人達が描いた「真の農業者のための農政」が実現するだろう。

【全中の指摘】柳田国男は、いわゆる大農論ではなく小農論である。
当時、数多くの農政の先人たちが描いていたのは、社会政策としての農政であって、農業者のためだけの農政ではない。

【コメント】柳田国男は、大農論者でもなければ、小農論者でもない。
明治以降農政思想に2つのものがあった。1つは大農論であり、井上馨らはアメリカなどの大規模農場を育成すべきであると主張した。これに対し、当然ながら、今のJAのように農業の現状を維持しようとする勢力は小農主義を主張した。大農論は我が国の実態に合わなかったため、衰退していった。
農商務省に入った柳田國男は、中農養成策を論じた。当時の学界や官界で有力であった寄生地主制を前提とした農本主義的な小農保護論に異を唱えたのである。現に存在する「微細農」ではなく、農業を独立した職業とならしめるよう企業として経営できるだけの規模(「各農戸が其職業の独立に必要なる地積を占有」)をもつ2ha以上の農業者を考えた。"予はわが国農戸の全部をして少なくとも二町歩以上の田畑を持たしめたしと思う。"(柳田國男[1904]『中農養成策』より)
「日本は農国なり」とは「農業の繁栄する国という意味ならしめよ。困窮する過小農の充満する国といふ意味ならしむるなかれ」と主張するのである。

「それは、営農の規模の観点から、農業構造の改善を提案したものである。農業基本法に規定している『自立経営』と類似する考えが、その半世紀以上も前に彼によって論じられているのである。われわれは、唯柳田の「中農養成策」をモデルにすればよかったのであるが、慙愧なことにも、われわれ(農林漁業基本問題調査会)はその存在を全く知らなかったのである」とは、構造改革を主張した農業基本法の生みの親である小倉武一の回想である(小倉[1987]『日本農業は活き残れるか』農山漁村文化協会217頁参照)。

柳田の時代、水田小作料は金納制ではなく物納制であった。地主には収穫物の半分の米が集まった。寄生化していた地主勢力は、農業の生産性を向上させて農業所得を増加させるという方法ではなく、米の供給を制限することにより米価を引き上げ彼らに集まった米を売却し所得の増加を図ろうとした。具体的には朝鮮、台湾という植民地からの米の輸入を制限しようとしたのである。国防強化を口実として食料の自給が必要であると主張された(生産調整、高関税の維持を主張する今日の農業界と似ていないだろうか)。柳田は当時論じられていた農業保護関税に関し、保護主義ではなく農業改良が必要であると主張した。高コストの生産を保護することは望ましくないとし、国防のために食料を自給すべきであるといっても、労働者の家計を考えるのであれば、外国米を入れても米価の下がるほうがよいと主張した。日本が零細農業構造により世界の農業から立ち遅れてしまうことを懸念し、農業構造の改善のためには農村から都市へ労働力が流出するのを規制すべきではなく、農家戸数の減少により農業の規模拡大を図るべきであると論じた。しかし、荒野の孤鶴の叫び(東畑精一)にすぎない柳田の主張は、地主勢力、これを擁護する官界・学界から強い反発を受け、彼は農商務省を去るのである。

農政が社会政策的な意味合いを強めるのは、柳田國男の後を受けた石黒忠篤の時代(特に農業恐慌時の経済更生運動)である。「石黒さんが農林行政と取り組んだ客観情勢がどういうものであったか、そのことをカチッとつかまえたうえでないと真の正しい認識とはならない。たとえば、石黒さんはよくいいました。『農林行政は一種の社会政策なのだ』と。今日のように兼業農家が専業より多い時代とは全く様子が違っていたんです。農家は600万戸、石黒農政の対象は中小経営であり、食うに困る零細な小作農だった。つまり農業を主として考えざるをえない客観情勢だったのです。そういう歴史的な背景のもとで石黒さんはどう動いたか、これをまず明確にして石黒農政の基本的性格を論じてもらいたいのです」(那須皓東大教授(後のインド大使)談 寺山義男[1974]『生きている農政史』家の光協会12頁参照)。

最後に石黒忠篤の次の言葉をJAの指導者の方々に贈りたい。
「農は国の本なりということは、決して農業の利益のみを主張する思想ではない。所謂農本主義と世間からいわれて居る吾々の理想は、そういう利己的の考えではない。国の本なるが故に農業を貴しとするのである。国の本たらざる農業は一顧の価値もないのである。私は世間から農本主義者と呼ばれて居るが故に、この機会において諸君に、真に国の本たる農民になって戴きたい、こういうことを強請するのである」

* * *

(おわりに)
本稿についての批判は読者に待ちたい。これまでJAの活動を先行研究に基づき批判してきたが、JA組合長の中にも真剣に営農指導や地域農業振興に汗をかかれている人達も承知している。ただ、批判があっても、それに謙虚に耳を傾けず、「事実誤認」と拒否してしまうことには危ういものを感じる。農協60年の結果、農業協同組合法第一条に掲げる目的のうち、「農業生産力の増進」には失敗したが、兼業農家の所得は勤労者を上回り「農業者の経済的社会的地位の向上」は既に達成された。JAと異なり、自主的な協同組合組織という実態を備えた生協でさえ、今日存立の危機に直面している。大内力東大名誉教授からもはや"協同組合ではない"と宣告されたJA農協が、自助努力により改革できるのか、それとも解体に進むのか、その答えは農協組織ではなく、組合員である農家が出すしかないように思われるのだが、どうだろうか。

(本文中以外の参考文献)
大内力[1997]『農業基本法30年-農政の軌跡』食料・農業政策研究センター
紙谷 貢[2002]『日本における農政改革の10年』農林統計協会
東畑精一[1973]『農政学者としての柳田國男』"農書に歴史あり"家の光協会
山下一仁[2004]『国民と消費者重視の農政改革』東洋経済新報社

2005年9月15日

2005年9月15日掲載

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