IoT, AI等デジタル化の経済学

第157回「生成AIと雇用・リスキリング(5)」

岩本 晃一
リサーチアソシエイト/立命館アジア太平洋大学

1 生成AIの登場による雇用への更なる変化はあるか

2013年9月、マイケル・オズボーン准教授(オックスフォード大学)が、衝撃的な論文を発表した(Frey, C. B., & Osborne, M. A. (2013).)。
これを契機に世界中が、「AIと雇用」に関する研究に一斉に取り組み始めた。
世界中で次々と「AIと雇用」に関する研究結果が発表され、2017~2018年頃、研究者の間である程度のコンセンサスの一致が見られ、研究ブームは収束した。

生成AIが登場した今、それらの推計を見直そうという動きはほとんどない。将来に至る筋道は、生成AIの登場で「多少のブレ」はあったかもしれないが、人工的に作られた頭脳が高度化するに従って人間の頭脳労働を順次代替していくという大きな流れそれ自体には大きな変更はないからだと思われる。

当時、多くの研究者が発表した推計は、ある時間断面での数字を算出していた。例えば、30年後、50年後と言った具合である。
人工知能は、文字通り、人工的に人間の頭脳を機械で再現するものであるため、頭脳が持っている多くの機能の1つ1つが順に機械化されていく。例えば、おおざっぱに言って、生成AIは文書を作る機能の機械化、ディープ・ラーニング技術は画像認識機能の機械化といえる。
このように人間の頭脳が持っている機能が1つ1つ順に機械化されていくことを前提に、雇用への影響が計算された。
だが、実際には、当時の推計の際の想定よりも、その順番が前後したり、ある機能の機械化が予想よりも早かったり、遅かったりするという「多少のブレ」はあり得る。
しかし時間の断面で数字を算出しているため、そうした「多少のブレ」の影響はほとんどない。

もし今回の生成AIの登場が、将来に至る推計の道筋の過程で「多少のブレ」があったとすれば、

1)人間の頭脳労働のうち、文書、画像、音を作成するという人間の頭脳労働の基本的な作業を、広範な分野を対象に、高い精度で、自動で生成する機械が、こんなに早く登場するとは思っていなかった人が多かったのではないか。

2)事務作業のうち「繰り返し業務」は既にAIで処理可能になっている。さらに、深層学習(ディープ・ラーニング)技術の進化で、AIが目を持つようになった。そのため、事務作業の「繰り返し業務」を行う労働者の次に代替されるのは、簡単な頭脳労働を伴う肉体労働(例:ホテルマン、タクシードライバー)が、「人工知能+ロボット」の機械で代替されると想定していた人が多かった。
だが、人工知能とロボットの電気的な接続が難しく、かつ人件費よりも高価であるため、ほとんど代替が進まなかった。そうした人々の人件費は安いからである。

一方、頭脳労働だけを行う作業は、プログラムの高度化により代替が可能になってきた。むしろ、弁護士、ジャーナリスト、文筆家、プログラマー、イラストレーター、音楽家などがAIによる代替の対象となってきた。こうした人々の人件費は高く、プログラム代の方が安いケースがあるからだ。

かつて高度な頭脳労働を行う人は、なかなかAIに代替されないと言われていたが、生成AIの登場で、むしろそういう人の方が代替の対象となってきた。

3)これまで世の中に広く流布したAIは、通訳機・機械翻訳、RPA及び生成AIであり、一時期ブームになった自動運転車は、事業化の壁にぶつかっている。

かつて、AIにより雇用が代替されても、それを上回る雇用を生み出せば良いと多くの人は考えた。当時は、自動運転車が近々事業化されると予想されており、そうすれば自動車産業の広い範囲で大きな雇用を創出すると期待されていた。だが、現時点で、通訳機・機械翻訳、RPA、生成AIが生み出す新しい雇用はプログラマー・システムエンジニアくらいで、失われる雇用に比べれば、微々たるものでしかない。

かつての人々の期待・予想に反して、AIを用いて大きな雇用を生み出す産業がいまだに見出されていない。2014~2017年頃に世界中で行われた推計でも、失われる雇用と創出される雇用はほぼ同じ、若しくは創出される雇用の方がむしろ大きいという推計値が多かった。それはAIを推進する人々の期待でもあった。

4)日本では、少なくともRPA導入を見る限り、職を失った人にリスキリングして配置転換、または労働移動させるという動きがあるとは思えない。バブル崩壊以降続く「人減らし」「人材育成投資の削減」の企業経営が更に深化していくように思える。
組織を越えて労働力が移動する労働移動の円滑な実施のために必要な国の施策が、ディープ・ラーニングのブーム以降、本格的に行われたとはとても思えない。

5)道を詳しく知っていることがタクシー運転手の重要な技能であったが、ナビゲーターの登場で道を知らなくても運転が可能になり、さらにUberの登場で、タクシー業界全体の運転手の賃金が低下した(Uberが許可された国において)。

AIの登場で人間が機械に代替されることが想定されていたが、実際に起きた現象は、まずは賃金の大幅な低下であった。現在、発生している現象の1つに、通訳機・翻訳機の登場により、通訳・翻訳を行う人々の賃金の低下という現象がみられる。8~9割の完成度でよければ、機械が行う翻訳・通訳で十分だからだ。

生成AIは、かなり広範な業務の内容を対象とし、広範な人々が対象となる。生成AIを用いれば、そこそこの文書が作成できるため、まずは、文書を作成することを業務としている人々の大幅な賃金低下が発生すると予想される。

例えば、生成AIによって、平均的な執筆スキルを持つ人々が、論文や記事を書くことができるようになっている。例えば、誰が書いても同じになるようなアナウンサーが読むニュース記事などは、既にAIが作成し、AIが読んでいる。例えば、多くの書籍を作成してきたライターという職業があるが、特定の人からインタビューし、録音したものをAIに流せば、自動的に議事録を作成し、更に生成AIにかければ自動的に綺麗な文書にしてくれる。ライターはAIが作成した文書を添削・校正すればよいだけになる。その結果、余程の高い能力を持ったジャーナリスト以外は、低賃金での競争が激しくなり、賃金が低くなる可能性がある。

以上を総括すれば、かつて想定していた推計と比べ、
・まずは広範な領域で大幅な賃金低下が発生し、
・職を失う事態がより早く進み
・新しい雇用を生み出す規模の大きい産業がなかなか出現せず
・リスキリング・労働力移動の必要性が叫ばれながら、なかなか進まない
というブレではないか。

2 ドイツはどのように取り組んできたか

筆者は、コロナ前、何度もドイツを訪問し、専門家と意見交換することで、ドイツの考え方を理解した。

2010年頃、米国のGAFAMがドイツに上陸し、ドイツ企業を下請けにして、価値のあるデータを吸い上げ、米国企業のみが大きな利益を得て、ドイツを搾取するのではないかという大きな脅威に直面した(日本人でこの脅威に対抗しようと考えた人は皆無)。
ドイツはこの脅威にどのように立ち向かうか、国民的な大議論を行った。

ドイツは、ものづくりをしないでデータ処理のみでビッグビジネスを行う米国とは正面から勝負できない。ドイツの強みは「ものづくり」にある それとデジタル技術を融合することで米国と勝負できないか、と考えた。

ドイツ経済を支えている中国向け自動車輸出は、いずれ飽和する。その次に輸出するドイツが優位性を発揮できるものは何か、とも考えた。

国民的議論の結果、2013年4月、インダストリー4.0(industrie 4.0) 構想を発表した。その内容は、

1)製造現場へのデジタル導入により生産性向上
2)製品にデジタル技術を実装化 新たな付加価値を付け競争力のある製品を販売
3)製品販売後のアフターメンテナンス市場を、販売市場に次ぐ巨大市場に創出

であった。ものづくり技術を基盤として、そこにDX技術を実装化して競争力を高め、米国と対抗しようとしたのである。ドイツ政府は、巨額の資金を投入し、製造企業のデジタル化を支援した。

さらに、雇用への大きな影響が出ると考えたドイツ最大の労働組合IGメタルは、「ドイツの競争力を維持するにはDX導入は必須であるが、雇用を守るための対策を実施すべき」との主張し、ドイツ政府の社会福祉省大臣にIGメタル出身者が就き、どうすればいいか、この問題でも国民的な議論が行われた。
政府による「雇用4.0(Work4.0, Arbeiten4.0)」プロジェクトが開始され、専門家数百人がベルリンに呼ばれて政府のヒアリングを受けたと何人かの専門家が私に語った。
そうした検討結果は、「White Paper 4.0」で提言された。その内容はリスキリングの実施である。
そして、現在、提言に沿って、国を挙げてリスキリングを実施中である。

ドイツは、DX時代を迎えて、国の競争力を維持し、雇用を守るために国を挙げて国民的な大議論を行った。日本は残念ながら、そうした大議論が行われないまま、現在に至っている。

参照文献
  • Frey, C. B., & Osborne, M. A. (2013). The future of employment: how susceptible are jobs to computerization?, 1–72.

2023年10月11日掲載

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