Economics Review

No.8 「管理された規制緩和」の罠 ―信書便法案を巡る考察―

鶴 光太郎
上席研究員

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1. イントロダクション

郵便事業への民間参入を認める信書便法案(「民間事業者による信書の送達に関する法律案」)が他の郵政関連法案とともに、先の通常国会で成立した(7月24日)。今回の法案成立のプロセスは従来のプロセスと比べていくつかの特徴的な点が指摘される。第一は、自民党の事前審査(総務会等)で内容が了承されないまま、閣議決定・国会への送付が行われたことである。第二は、党が了承できないほど「抜本的な」(?)参入規制緩和にもかかわらず、参入候補者の最右翼とみられたヤマト運輸が4月26日の同法案の閣議決定当日に早々と参入断念を表明したことである。まさに、「梯子」を外された状態になったわけだが、それでも本案に反対する自民党と無修正を堅持したい総理との間で膠着状態が続き、新聞報道によれば、最後は、族議員の機会主義的な行動とそれに対するドンからの一喝などの政治的なドタバタ劇の中で、争点になっていた信書法案ではなく、来年4月に郵政公社を発足させる公社化法案に党の要望を盛り込む形で決着が図られた。

こうした決着、妥協の仕方は、確かに総理と党の両方の面子を保つためには避けられなかったかもしれないが、郵便サービスの利用者や新規参入者の立場をまったく無視しており、永田町というコップの中の争いにしか国民には映らない。もし、国民の立場を考えれば、ヤマト運輸が参入断念を表明した時点でもう一度、法案のフレーム・ワークを考え直すべきだったのではなかったのか。こうした問題意識に立ち、本稿では郵便事業の性格、規制の根拠、自由化のあり方を経済学の視点から整理し直してみたい。特に、ヤマト運輸の参入断念の背景とユニバーサル・サービスの関係に焦点を当てながら、宅急便のビジネス・モデルを考えることにする。さらに、より一般的な観点から、信書問題のように、規制緩和を行いながらも規制当局の裁量性を残すことでむしろ政府の規制産業へのグリップを維持・強化するような「管理された規制緩和」(managed deregulation)の弊害についても議論することにする。

2. 郵便事業は自然独占か?

まず、郵便事業を1つの産業形態として捉え、その特徴や規制の根拠を考えてみよう。主なサービス対象分野としては、第一に、私的な手紙、葉書、請求書、支払い、ダイレクト・メールのように、相手先住所が明記され、常時、計画的にかつ十分の頻度(毎日)をもって配達されなければならない郵便物を扱う事業がコア・ビジネスと考えられる。他には、通常よりも迅速に郵便物を届ける速達サービス(express mail services)や小包サービス(parcel services)が挙げられる。一方、郵便サービスのプロセスに着目すると、回収(collection)、仕分け(目的地別:onward sorting)、運搬(transportation)、仕分け(戸別:inward sorting)、最終配達(final delivery)の5つのプロセスに分けることができる(OECD(1999))。

ここで、郵便事業、特に、コアの事業が公的に独占され、規制を受けている根拠としてしばしば、自然独占が指摘される。つまり、何らかの理由(大きな固定費用)で規模(及び範囲)の経済が働くため、市場経済メカニズムに任せると最終的には独占が発生し(自然独占)、競争に負けた企業の投資が無駄になり(重複投資)、生き残った企業が独占価格を設定してしまうという弊害が生じることである。このような非効率を避けるには、参入規制を行い特定の企業に事業機会を確保する一方、価格が適正な基準に設定されるように規制を行うことが重要である。

したがって、郵便事業が自然独占であると主張するならば、それぞれのプロセス、対象分野で自然独占が成り立っているかどうかを確認する必要がある。まず、各プロセスにおける規模の経済であるが、諸外国の実証分析の結果をみても(OECD(1999))、回収、輸送、仕分けにおける規模の経済はほとんど存在しないか、あっても重要でないという結論になっている。事実、回収、輸送の部分は、日本でも諸外国でも外部委託(コントラクト・アウト)している例は多く、1つの事業主体が独占しなければならないと主張するのは難しい。

郵便事業は規模の経済が働くか?

問題は、戸別に届けなければいけない最終配達における規模の経済である。郵便物は葉書一枚でも毎日、そのあて先に届ける必要があるとすると、配達時の物理的制約(郵便配達人のバッグの容量)の下でなるべく多くの数の郵便物を配達できるようにすることが望ましい。なぜなら、一回の郵便局員の配達コストはほぼ固定費用であるため(物理的制限内では郵便物の数量にはほとんど依存しない)、郵便物の増加は単位当たりの郵便物配達の平均コストを低下させるという意味で規模の経済が働く。先の実証分析例(アメリカ、イギリス)をみても、最終配達の部分で有意な規模の経済を見出している。しかし、技術や経済社会の環境変化の中で、配達レベルにおける規模の経済の存在も絶対的ではないことに注意する必要がある。たとえば、(1) 交通・輸送手段の発達に配達領域の拡大、(2) 集合住宅の増加による配達領域内における配達ポイントの密度上昇、などを考えれば、規模の経済のメリットは弱くなっているとも考えられる(Sidak and Spulber (1997))。

それでは、対象分野別にみた規模の存在はどうであろうか。速達や小包の分野では、手紙などのコア・ビジネスに比べて、配達の部分で規模の経済が限られていると考えられる。なぜなら、速達は、なるべく速く配達しなければならないため、同じ方面や同じあて先に配達されるほかの郵便物が集まるのを待って配達することができず、規模の利益を享受できないからである。また、小包の場合、そもそも配達頻度が相対的に低い上に、一個当たりの容量が大きく、物理的な配達容量の制限にすぐ達してしまう。さらに、郵便受けに入らないため配達の際に本人確認が必要となり、そのコストは大きい(つまり、小包毎に本人確認コストがかかってしまう)。このため、規模の経済を活かしにくいと考えられる(OECD(1999))。このような分野においては、規模の経済による自然独占は存在せず、事実、業務が民間に開放され、競争的な参入が行われているのが普通である。

ネットワーク外部性は規制の根拠たりうるか?

以上をまとめると、郵便事業においては、特に、手紙等のコア・ビジネスの最終配達レベルで規模の経済がおおむね確認できるといえる。しかし、ここで注意しなければならないのは、第一に、最終配達のレベルで規模の経済があったとしてもそれは、単一の事業主体に事業を独占する権利を与える理由にはならないことである。それぞれの地域毎で最終配達を担う事業主体は1つであるべきだが、それが地域毎で異なってもまったく問題はないためである。これは、ネットワーク外部性が存在しても、それが自然独占と規制の根拠にはならないことと同じ議論である。1つのネットワークも接続のあり方、方法を考慮することで多数のネットワークに分けて独立的に運営することは可能であるし、逆に小さなネットワークを結んで大きなネットワークをつくることでネットワークの利益を享受することはさまざまなネットワーク産業で技術的に可能になってきている。郵便事業も一種のネットワーク産業であるが、ネットワーク外部性自体、同様の理由で規制の根拠とはならないのである。これは郵便事業も電気通信業などと同様に地域会社に分割することも可能であることを意味している。事実、国際郵便システムは国毎の郵便ネットワークを繋げてグローバルなネットワークとして機能していることを考えれば、分割論に反対する根拠は弱いといわざるを得ない。

第二に注意すべき点は、電気通信、電力などのネットワーク型規制産業との共通点とともに、郵便事業がそれらと異なっている点にも着目する必要があることである。通信や電力産業にはその産業に固有な(転用できない)膨大なインフラ設備が必要であるが、郵便事業に必要な設備(輸送機関や仕分けの設備)の資産特殊性は低く、ある程度転用可能であることである。つまり、投下した投資は固定費となっても不可逆ではないので、サンク・コストにはなりにくいということだ。また、こうした設備の償却期間は比較的短いといえる。したがって、仮に、規模の経済が存在したとしても、競争に敗れた企業が行った重複投資の無駄は比較的小さく、郵便サービス事業への参入、退出障壁は相対的に低いといえる。また、既存のインフラへアクセスすることによる参入ばかりでなく、自らによるインフラ構築が可能であるという意味で参入オプションも多様といえる。

以上をまとめると、郵便事業については、規模の経済、ネットワーク外部性、自然独占という観点からその規制に根拠を与えるのは難しいといえる。

3. ユニバーサル・サービス義務と安全・秘密保持は規制根拠となりうるか?

郵便事業が単独の公的事業主体で運営されている理由として自然独占などと並んで指摘されるものとしては、ユニバーサル・サービス義務(universal service obligation, USO)がある。USOとは、 (1)良好なサービスを、(2)すべての利用者に(全国津々浦々まで)、(2)負担可能な価格で、提供するパッケージ・サービスと定義できる(Cremer, Grimaud, and Laffont (1998))。多くの場合、郵便料金のように、あるサービスにつき均一料金が適用される場合が多い。ここで、問わなければならないのは、以下の三つの論点である。まず、USOの経済学的合理性である。つまり、なぜ、USOが必要なのか、また、その目的を達成する手段として最適の方法であるかという点である。第二は、公的事業主体がUSOを担っている場合、民間の新規参入は規制されるべきかどうかという点である。第三は、USOが必要である場合でも、それが公的主体によって担われなければならないかどうかという点である。

USOの経済的合理性

まず、USOの経済学的な合理性の中で一番説得力のあるものは、USOが利用者の分配面の配慮をしているという指摘であろう(Cremer, Grimaud, and Laffont (1998))。USOが適用されている産業、たとえば、電力の場合、郡部(過疎地)の利用者にサービスを提供するためのコストは高くなるのが普通である(ハイ・コスト利用者)。しかし、コストに見合った価格(非線形価格を含む)をつけると郡部の利用者の負担は高くなり、その料金を支払う余裕のない利用者はサービス・ネットワークから脱落することになる。したがって、必需性の高いサービスを利用者にあまねく提供するには、郡部では価格がコストを下回るように、また、コストが低い都市部の利用者には価格がコストを上回るように均一価格を設定し、郡部の赤字を都市部の黒字で補うという内部補助(cross subsidy)を行うことが1つの方法である(郡部の赤字が都市部の黒字で補えない場合は政府から補助を受ける)。

こうした所得の再分配は、もちろん税制や直接補助などの手法でも達成可能である。USOは、郡部の高所得者を優遇し、都市部の低所得者を犠牲にしているという歪みを持つ。したがって、対象とすべき利用者を助けるためにより歪みの少ない方法があるのは容易に想像できる。ある条件を前提として、所得の再分配を行うための最も優れた方法は、理論的には、所得への課税であることが昨年のノーベル経済学賞受賞者の一人であるスティグリッツ教授らの初期の業績の1つとして知られている(Atkinson and Stiglitz (1976))。

一方、情報の非対称性により、補助を与えるべき利用者を特定化することが難しい場合(上記、Atkinson and Stiglitz (1976)では所得の完全捕捉を仮定)、直接的な補助は実際にサービスを利用しない者にも提供されてしまうというバイアスがあり、USOのようにサービスを利用した者のみが補助を受けられるような価格補助の形態が望ましい場合がありうる(Cremer, Grimaud, and Laffont (1998))。

郵便サービスの場合、電気通信業や電力と異なる点は、受取人側の地理的状況が料金を決めるにもかかわらず、料金の支払いは差出人に負担されるということである。つまり、一義的には郡部の住民が高い料金を負担するのではないので、USOの意義が上記の産業と比較して明快でないことである。しかし、USOが適用されない場合、単に差出側の料金上昇だけでなく、(1)郡部への配達頻度の低下、(2)郡部での戸別配達に対する二部料金制の適用、(3)企業が差出人の場合の受取人への料金上昇転嫁、などが発生する可能性を考えると郡部の住民の負担が高まることは容易に想像できる(Cremer, Grimaud, and Laffont (1998))。

USOに伴う内部補助の存在は参入規制の根拠となるか?

このように郵便事業のUSOの妥当性をある程度示すことができたが、果たしてUSOは参入規制の根拠になりうるであろうか? 通常、しばしば聞かれる議論は、単一の事業主体がUSOを展開している状況で新規参入を認めると、新規参入者は利益の出る都市部にのみ参入するという「いいとこどり」の戦略(クリーム・スキミング)を採るため、既存のUSOを展開している主体は、競争により黒字部門の利益が減少し、郡部の赤字を相殺できなくなり、存続できなくなるというものである。

しかしながら、ユニバーサル・サービスを維持しながら、新規参入を促進することは原理的に可能である(以下の議論は、電気通信業を念頭に置いたArmstrong (2001)に基づく)。 まず、ユニバーサル・サービス基金を創設し、黒字の出る都市部で営業する者はすべて基金に拠出する一方、赤字の出る郡部で営業する者はすべて基金から補助が出る仕組みを考えてみよう。たとえば、都市部と郡部における利用者数、価格、コスト、収益が以下のようなユニバーサル・サービスの収益構造を仮定する(図1)。

図1

これは都市部の黒字を郡部の赤字で補う典型的な内部補助の例であるが、郡部の赤字(1千億円)を補填するために、都市部で営業するものは既存事業者でも新規参入者でもカバーする利用者当たり5千円の拠出を義務付ければ必要な基金(1千億円)を創設することができ、郡部で営業する事業者には同様に既存事業者でも新規参入者でも利用者当たり1万円の補助を与えることができる(それぞれの地域での利用者総数は一定と仮定)。このスキームの利点は、(社会的に)効率的な新規参入が促進されることである。もし、完全に自由な参入を認めれば、都市部には既存の事業者よりも非効率的、つまり、コストの高い事業者の参入を許すことになる(コストが都市部の料金1万円よりも少しでも低ければ利益が出るため参入するインセンティブがある)。一方、郡部では、新規参入者が既存事業者よりもコストが低くても料金設定がそれよりも更に低ければ新規参入できないという意味で、(社会的に)効率的な新規参入が逆に阻害されているといえる。ユニバーサル・サービス基金を使えば、既存事業者のコストよりも低ければ都市部でも郡部でも必ず利益が出るのでより効率的な事業者だけが新規参入することになる。

既存ネットワークへアクセスするケース

次に、既存の事業者がネットワークのインフラを持っているとき、新規参入者は新たにネットワークを構築しなければならないのであろうか? これは、やはりさまざまなネットワーク産業に見られるように、新規参入者は既存の事業者にネットワークへのアクセスのための料金(アクセス・チャージ)を支払えば、既存事業者のユニバーサル・サービスと新規参入・競争の促進の両立は可能である。

上記のユニバーサル・サービスの例をそのまま使い、都市部でのコスト(利用者一人当たり)が小売費用2千円、ネットワーク費用3千円、郡部はそれぞれ2千円と1万8千円であるとしよう。この場合、新規参入者は都市部、郡部いずれに参入する場合でも、アクセス料金(利用者一人当たり)8千円を既存事業者に支払うことが最適となる (図2)。

図2

その理由は以下の通りである。このようにアクセス料金を設定すると、都市部でも郡部でも、新規参入者は自らの小売費用が既存事業者の小売費用2千円よりも低ければ、ネットワーク・アクセス料金8千円を払っても利用者から徴収できる料金は1万円なので、必ず利益を得ることができる。つまり、既存事業者よりも効率的な事業者のみ利潤機会を持ち、新規参入するため、このようなアクセス料金の設定は社会的に望ましい参入を促すという意味で最適になるのである。

既存インフラへのアクセスか自前のネットワーク構築かを選択するケース

新規参入者が既存事業者のネットワークをアクセス・チャージを払ってアクセスするか、自前でネットワークを構築する(バイパスする)か、選択できるとする。その場合、スキームは以下のようになる(図3)

図3

まず、都市部(郡部)へ参入するものは誰でも、ユニバーサル・サービス基金に5千円拠出する(1万円補助を受ける)。ここまでは最初の例と同じである。これは、既存事業者のネットワークを借りる対価として、都市部に参入する場合は、3千円、郡部に参入する場合は、1万8千円のアクセス料金を払うというものである(この場合、最終的な支払いは第二の例と同じになることに注意)。いずれにせよ、既存事業者と比べて、トータルのコストが低い時のみ新規参入を行うが、その場合、ネットワーク費用が既存事業者よりも低ければ必ず自前のネットワークを作る方を選択することになる。つまり、社会的に効率的なネットワーク作りを促進する効果があるのである。

以上、まとめると、既存事業者がUSOを担っていることは、参入規制を行う根拠にはならない。また、(1)新規参入者がどの分野に参入するのか(新規参入者がUSOを担うかも含め)、(2)既存事業者のネットワークを借りるか、自前で構築するか、という選択については、基金への拠出(補助)とアクセス料金の適切な設定を前提として自由に決められるべきものである。こうした結論は、電気通信業のみならず、郵便事業にも成り立つものである。特に、郵便事業の場合、先にみたようにインフラの資産特殊性が小さいこと、償却期間が短いことを考えると、既存のインフラの使用のみならず、自分でインフラを構築するオプションが与えられることはより大きな意味合いを持つ。

USOは公的事業主体が担うべきか?

USOが公的主体によって担われるべきかを考えてみよう。USOの経済的合理性が一義的には分配面における配慮とすると、公的主体が担うのが適当と考える向きも多いかもしれない。実際、内部補助を行っても黒字部門が赤字部門を補えず、慢性的な赤字をかかえるようなユニバーサル・サービスは民間ではできないといった主張も聞かれる。しかし、民間企業も内部補助を行うことは可能であり、公的主体がユニバーサル・サービスを最も効率的に行えるという理由はまったくない。全体として赤字が発生する場合でも、国からの補助金が最小になるように、ユニバーサル・サービス希望者でオークションを行い、最も効率的な主体にユニバーサル・サービスを任せることも可能である。

郵便事業における安全性・秘密保持は公的事業主体でしか担えないのか?

手紙などの郵便サービスコア事業が公的主体で独占されている理由のいわば最後の砦がセキュリティの問題である。しかし、公的部門が民間部門よりもセキュリティの面で必ず優れているというのはひいき目に見ても難しいであろう。はっきりしているのは公的部門の場合、(優れているかもしれないが)単一レベルでのセキュリティを提供しているのに対し、民間の場合、利用者の必要性やリスク回避度に応じて多様なオプションを与えることが可能であることだ。したがって、セキュリティの問題は利用者が自由に選択できることが望ましく、セキュリティを理由に参入制限をかけているとすれば利用者の利便を大きく損なっていることになる。

また、民間の場合、Sidak and Spulber (1997)は、安全面や秘密保持で事故があった場合、評判を失うことによるダメージは相当大きく(株価の下落も含め)、事業の存続にも影響するとみられる一方、アメリカの例を挙げながら、公的部門の問題が起こった場合のペナルティは民間に比べて弱いことを強調している。こうした評判に基づく規律効果を考えると民間企業のセキュリティをことさら問題視するのは的が外れているといわざるを得ない。

4. 日本の郵便事業の規制と信書便法案に関する評価

これまでの議論により、郵便事業のうち、特に、コアの業務については、自然独占、USO、セキュリティの観点から、公的な事業主体が事業を独占し、参入を制限するのが望ましいとしばしば指摘されてきたが、経済学的に詳細に検討を加えるといずれも参入を規制する根拠としては弱いことが明らかになった。特に、USOと新規参入・競争促進は両立しうるという観点は重要である。

こうした検討から、現在の日本の郵便法をみてみよう。まず、郵便法第一条は、「この法律は、郵便の役務をなるべく安い料金で、あまねく、公平に提供することによって、公共の福祉を増進することを目的とする」とあり、明らかにUSOを意図したものであることがわかる。同第5条では、郵便事業の国の独占が明記され、事業の一部を受け持つ場合もそれはあくまで適用除外という扱いである。例外なく国の独占が定められてきたのが信書である。信書の定義は「特定の受取人に対し、差出人の意思を表示し、また、事実を通知する文書」と総務省は表明している。上記で述べたコア・ビジネスがこの部分に当たる。

確かに、諸外国の例をみても、郵便事業のコア・ビジネスの部分が結果的に留保領域(reserved area)と呼ばれ、既存事業者(国)の法的な独占になっているのは珍しくないのであるが、信書という質的な観点から国の独占領域を定めている国はOECD諸国の中ではかなり少数派である。ほとんどの国は重量に基準を設け、それ以下の郵便物を留保領域と設定している(OECD(1999))。結果的に対象となる郵便物の領域はほぼ同じになるとしても、重さ等の客観的基準で決められておれば、規制方法において裁量が働く余地がない。また、重量という基準で留保領域を設定するのは経済学的な観点からも合理的である。先に見たように重量が小さければ、最終配達のプロセスで規模の経済が活かしやすく、独占が有利になるためである。一方、日本の場合は、近年、ヤマト運輸と旧郵政省との間で地方振興券やクレジット・カードが信書かどうかで争われたことは記憶に新しい。いずれにせよ、万人が納得するように信書を定義することはそもそも困難である。

信書便法案の評価

今回の信書便法案はこれまでの信書に係る業務について、国の独占を前提とした上で、その適用除外を許可制で認めるというものである。具体的には、重量、容量、料金、配達時間のいずれかで、ある基準を上回るものは、特定信書便事業(特定サービス型)として民間が参入できることとなる。一方、重量や容量がある基準以下であるような信書、これは郵便事業のコア・ビジネスに当たるわけだが(一般信書便事業)、これに参入するためには、USOを担う必要がある(全国全面参入型として全国における引受、配達および全国均一料金の義務付け)。さらに、信書便差出箱(ポスト)の設置も義務付けられている。現在と同水準の設置(市町村毎に最低設置数を設定)が(付帯決議で)要求され、具体的には10万カ所以上の設置が必要となる。

こうした規制緩和策はどのように評価できるか? まず、特定信書便事業は、これまでも見てきたように扱う郵便物が規模の経済のメリットを享受しにくいものであり、参入を認めていくのは当然必要とされる措置である。一方、一般信書便ではUSOが求められている。しかし、郵便事業に限らず、公的事業主体が独占的に営業するネットワーク産業の参入規制を緩和する場合、USOを要求する例はほとんどないであろう。なぜなら、既存のネットワークへのアクセス料金やUSO基金を設定することで、新規参入者の「いいとこどり」(クリーム・スキミング)を廃し、既存事業者のUSO維持を図ることは十分可能だからである。こうした条件設定をした上で、新規参入者がどの地域、どのサービスを選択するのか(全国全面サービス型も含め)自由に選べることが望ましい。

さらに問題なのは、USOを行う上で、既存事業者と同規模のポストの設置を義務付けたことである。上記、Armstrong(2001)のモデルの三番目の例でみたように(図3)、新規参入者は適正なアクセス料金、USO基金への拠出等の設定の下で、既存の郵便ポストを使用するための料金を支払うか、自前で集配設備を作る(バイパスする)かどうか、自らと既存事業者のコスト・効率性を比較した上で選択できることが社会的に望ましい新規参入を促すために必要であるからだ。また、バイパスする場合もどのような設備を作るかについては、新規参入者の創意工夫に任されるべきである。なぜなら、既存業者よりも効率的な設備を作れる場合に限り、バイパスの選択が最適になるからだ。事前に設備の様式まで決めてしまうことは、新規参入者の企業家精神を阻害する以外のなにものでもない。

信書の差出に係る設備をポストの形に限るのは、信書便物の秘密保護の観点からと想定されるが、秘密保護自体、どのような方法でその目的を達成するかについても参入者に裁量を与えるべきである。総務省はコンビニでの信書便の差出は顔が見られるため秘密保護ができないとの立場をとっているという(2002.6.29週刊東洋経済)。しかし、秘密保護の問題を重視するならば、政府はむしろ、事後的な規制として、罰則規定の強化を行えば十分のはずである。国と同じやり方でなければその目的が達成できないとするのは官業のおごりといわれても仕方あるまい。どうしても、ポストという形にこだわるならば、なぜ、既存の設備を開放し(ポストの共用)、アクセス料金を徴収しないのかという疑問が持たれる。いずれにせよ、一般信書便の参入フレームワークは自然独占の弊害である設備の重複を奨励するものであり、こうした資源配分の無駄を押し付ける政策は少なくとも経済学的にはまったく支持することはできない。

5. ヤマト運輸の戦略とビジネス・モデル:参入断念の真意

信書便法案については、新聞、雑誌等のマスコミでは、ユニバーサル・サービスとポスト設置の義務付けが新規参入の大きな障壁になっているため、ヤマト運輸を始め企業が参入を表明しないという議論が支配的である。しかし、こうした議論はヤマト運輸の真意を必ずしも正しく理解しているとはいいがたい。なぜなら、ヤマト運輸が発表した参入断念の見解(ヤマト運輸(2002))には、「法案に規定されている参入条件については、当社は無理すればクリアできる」と明記されているからである。小倉昌男元会長も「ポスト何万本などというのは枝葉の問題に過ぎない」と断言している(小倉(2002))。つまり、ヤマト運輸はUSOを担うのは十分可能と考えているのである。それではなぜヤマト運輸がUSOに自信を持てるのか? この疑問に応えるためには、彼らが開発した宅急便というビジネス・モデルを理解する必要がある。一言でいえば、ヤマト運輸の場合、宅急便の経験から、ユニバーサル・サービスを義務ではなく、強み、利点と考えているからである。つまり、彼らにとっては、USO(Universal Service Obligation)ではなく、USA(Universal Service Advantage)なのである("USO"の嘘(うそ)??)。

先にみたように、小包の分野は、需要が偶発的かつ散発的である。だからこそ、(固定費の割合は高いが)規模の経済のメリットが出にくく、国が独占する根拠がなく、民間に参入が許されていた。しかし、小倉氏がヤマト運輸社長当時、個人向けの宅配市場に参入するときに考えたモデルは、むしろ、積極的にユニバーサル・サービスを行うことで、もともと偶発的かつ散発的にしか需要が発生しない小荷物の密度を高め、集配効率を高めることを目指すというものであった。地理に必ずしも明るくない主婦(どこどこへの配送は採算が取れないのでやっていませんという理屈は主婦にはまったく通用しない)に反復して利用してもらうためには、郡部も含めて均一的に良いサービスを(広域的に画一的な料金で)提供することが望ましいと考えたのである(小倉(1999))。また、「サービスが先、利益が後」を標語に、当面のコストを気にするよりも、ユニバーサル・サービスも含めて良いサービスを行うことだけに専念していった。

また、小倉氏は、郡部の受け持ちは即、赤字と考えるのは早計であることも指摘している。たとえば、地方は道路が良く、信号が少ないので走行時間が少なくて済むし、過疎地の集配・配達コストが高いとしても、その送り手・受け取り手の都市部での集配車の積載率が上がることでコストが下がる部分もあるからである(小倉(1999))。実際、ヤマト運輸はその直営店約3000カ所のうち、三分の一が赤字であるが、郡部はむしろ赤字の店は少なく、都市部の方が人件費や施設使用費でコストがかさみ赤字になりやすいといわれている(2002.6.29週刊東洋経済)。

このように、宅急便に関しては、良いサービスをどんどん投入していくことで、取引量が飛躍的に増加し、荷物の密度が高まったので、最終的には利益が出る状況になっていったのである。つまり、経済学的にいえば、もともと規模の経済の利益をいかしにくい分野で、ユニバーサル・サービスというネットワークを作り、サービスの向上と取引量の増大、集配効率を高めることで、規模の経済のメリットを作り出したビジネス・モデルといえる。一見、逆説的なこのモデルの正しさを商品化の段階で確信していた小倉氏は、ある意味で類い稀なる経済・経営学者といっても過言ではないであろう。さらに、宅急便のエピソードで興味深いのが、全国展開したい小倉氏が道路運送法による地域別の路線免許取得に関し旧運輸省との軋轢で苦労された点である。「全国展開するな」という役所があると思えば「全国展開しろ」という役所がある。当該産業の特性にどれほどの違いがあるのかと考えると混乱してしまうが、いずれの役所も既存事業者を保護するため規制を行っていると考えれば漸く納得できる。

それでは、USOを参入障壁と感じないヤマト運輸が参入断念を表明した真意はなんであろうか。ヤマト運輸の見解(ヤマト運輸(2002))、有冨社長のインタビュー(2002年6月29日週刊東洋経済)、小倉論文(小倉(2002))でも明快に述べられているように、郵便事業の独占を明記した郵便法第5条がまったく手付かずになっている点である。つまり、国の独占という建前は変えず、適用除外という特別措置で参入を認めてやる代わり、参入する民間企業に対しては一挙手一投足すべて総務省が許認可するという「民間官業化法案」であったからである。特に、信書便物の秘密保護の規定は規制側の相当な裁量パワーを生むことが予想される。これでは、ユニバーサル・サービスを前提にガチンコで競争を挑み、郵便事業を乗っ取る可能性も秘めたヤマト運輸にとって参入するインセンティブがまったくないのは当然である。また、仮に参入しても、ユニバーサル・サービスができる企業の数は限られており、独占が数社の寡占になる程度では利用者の利便の向上はそれほど見込めないのも参入断念の大きな理由となっている。

6. 「管理された規制緩和」の弊害

今回のヤマト運輸の参入断念表明は、単に郵便事業のみならず、政府の規制緩和のあり方そのものに一石を投じたものとして高く評価したい。国や公的主体が運営してきた事業を規制緩和し、新規参入・競争を促進することは大きな時代の流れになっているが、そうした規制緩和政策を注意深くみると、今回の信書便法案のように、法律上参入規制は緩和しているが、参入はさまざまな基準を満たすことを要求する許認可制であることが多い。つまり、新規参入者の箸の上げ下ろしまで細かく注文をつけることで規制当局は既存事業者と新規参入者との間の競争条件を裁量的に決定することができるのである。こうした規制緩和は競争を管理しているという意味で「管理された規制緩和」と呼ぶことができる。しかし、規制緩和の本来の役目が革新的かつ自由な発想に基づいた新規参入と競争の促進であるとすれば、このような規制緩和は「看板に偽りあり」といわざるを得ない。

こうした「管理された規制緩和」は規制当局からすれば大きな利点を持つ。たとえば、許認可や裁量権を残したまま参入企業が増えれば、規制当局が影響を及ぼすことのできるマーケット規模が単純に拡大する。これは形式上の規制緩和を行っても規制当局が当該産業へのグリップを維持し、逆に強化することも可能であることを意味する。規制がおよぶ企業が増えることで官僚の天下り機会が増加することはしばしば見られる現象である。また、当初は革新的な企業であっても一度参入してしまえば、規制当局の裁量権が参入障壁となってしまい、既存事業者とともに更なる規制緩和に反対するような例もある。まさに、「ミイラ取りがミイラになる」状況である。したがって、各種規制緩和策を評価する場合も、単純に参入企業の数などで評価するのではなく、規制当局の裁量権、許認可権がどの程度維持されているか、信書の定義のようにむしろ規制方法・基準にあいまいな部分を積極的に残すことで(strategic ambiguityの一種、Bernheim and Whinston (1998))、裁量パワーを維持している面はないかどうかが重要な視点となろう。

7. おわりに

諸外国の郵便事業自由化の経験

それでは、今後の郵便事業への民間参入・競争促進はいかにあるべきであろうか。諸外国の例をまずみてみよう。既存事業者の独占を認める留保領域を撤廃した国としては、スウエーデン(93年)、フィンランド(94年)、ニュージーランド(98年)、イギリス(2001年)が挙げられる(また、EU全体としても、2006年に留保領域を書状50グラムにまで段階的に引き下げることを決定している)。最も大胆な規制緩和はニュージーランドのケースで、新規参入条件は書状で料金80セント以下のもののみ登録制である。他の国の場合は、免許制となっているが、新規参入者は自由に参入するエリアを選ぶことができる(ただし、フィンランドについては、過疎の地域での参入を確保するために、人口密度が高いエリアへの参入には高い参入料金の支払いを義務付けている)。スウエーデン、ニュージーランドにおける新規参入者をみると、非常に限られたエリアの配達を個人で行うものから、やや広い地域、更には、全国をカバーする企業など非常に多様な主体で構成されていることがわかる(OECD(1999))。

一方、このような自由化の後も、それぞれの国ではUSOが既存事業者に義務付けられている。この場合、当然、自由な新規参入があっても既存事業者のUSOが維持できるかという問題が出てくるが、興味深いのはスウエーデンのケースである。スウエーデンの規制当局は、USO実施主体に対して補償を行う必要性をこれまでも詳細に検討してきたが、USOを実施している主体は利用者のすべての郵便需要にすみずみまで応えることができるという意味で非常に強力な競争優位を持っているため、そのような補償システムを導入する必要はないと結論付けている。つまり、USOは商業ベースでも実施できるという立場である。事実、自由化後でも、既存事業者であるスウエーデン・ポストは十分利益を上げていることが報告されている(OECD(1999))。これはまさにヤマト運輸のビジネス・モデルの発想である。

今後の郵政改革について

日本においても、留保領域を撤廃して、自由な新規参入を認めたとしてもこれまでの郵政事業、郵便局への国民の信頼を考えれば来年4月から発足する郵政公社がスウエーデンの場合と同様、競争を乗り越えていくことは十分可能であると考えられる。その際、スウエーデンの場合でも問題になったように、既存の郵便ポストへの新規参入者のアクセス条件が不利にならないように適切に決定されることが重要である。

やや個人的な感想めいて恐縮であるが、利用者の一人として郵便局のサービスに対しては、かなり好感を持っているほうである。郵便物を出す際でも、利用者の立場を考えてオプションを丁寧に説明してくれるなど、ユーザー・フレンドリーな態度に接し感心することが多い。これは職場近くの郵便局に限ったわけではなく、自宅近辺の郵便局で他の利用者の目に触れないような時間外サービスを利用した時にも共通する印象である。つまり、普通の民間企業よりも顧客本位のサービスなのである。一方、銀行を利用する時にしばしば接する官僚的な応対は国営企業かと思うほどである。したがって、個人的にも新規参入者と切磋琢磨し、更に良質のサービスが提供できるように郵政公社が発展していくことは十分可能だと思っている。

郵政関連法案の成立を受けて、郵政改革は、今後、郵政三事業の民営化に論議が移って行くことになる。これまで民営化が議論される度に、職員はそれを打ち消すためにサービスの向上に努めるため、第三者からみれば民営化しても大丈夫ではないかとますます思う反面、郵政族の民営化論への対応はどんどん頑なになってきているようにみえる。しかし、公的な事業を改革する場合に最も重要な視点は、どのような事業であれ競争を通じて利用者によりよいサービスを提供できるような仕組みを作ることであり、経営形態は二の次のはずである。郵政公社が、民間にできる業務は民間に任せるとともに、民間との競争に直面した上で、それに対応する手段として望ましい経営形態を選んでいくべきである。そうすれば職員が望む形で民営化が選択される可能性もないとはいえないであろう。

後世が小泉改革を評価するとすれば、それは郵政改革であろうし、それであるべきだ。なぜなら、大統領制をとっていない日本の場合、一人の総理がその任期中に精魂傾けて達成できる改革の数は限られているからである。しかし、その一里塚であるはずの信書便法案で早くもつまずくことになった。今後の郵政改革においては、利用者へのサービスが向上し、郵政職員のイニシアティブが活かされるという点が十分配慮される形で議論が進むことを期待したい。

2002年7月25日

2002年7月25日掲載

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