※本稿は、所属する組織の意見を代表するものでなく、個人の意見を述べるものである。
1.はじめに
2022年に開始されたロシアによるウクライナへの全面侵攻は国家主権と領土一体性といった国際秩序に対する挑戦であり、力による現状変更は許されるべきではないというのが国際場裏における一般的な理解である。このため日本をはじめとするG7、欧州各国が軍事、財政、人道をはじめとする支援をウクライナに対して実施している。
こういった中、2025年1月のトランプ米国大統領の就任は戦争が4年目に入り支援疲れが指摘される中で良くも悪くもさまざまな議論を呼び起こすとともに、欧州における再軍備といった地域における安全保障の問題も提起している。
米国、欧州が停戦に向けた外交活動を活発化させる中で日本は個別国では4番目の支援国でありながら物言わぬ便利なドナーと位置付けられないためにもウクライナ支援に対するナラティブを明確にしておく必要がある。国益から国是、ウクライナ支援は巡り巡って日本の国益につながる、よって国是としてウクライナ支援を行うということが政策の軸でなければならず、国民から政策に対する理解を得るためにも誰もが納得するナラティブが必要不可欠である。
また、戦後ウクライナは支援から復興需要を中心とするビジネスに変化すると考えられる中で日本政府によるウクライナの政策的位置付けや方向性を明確化しておく必要がある。
本稿は以上の問題意識に基づきロシアが特別軍事作戦に至った背景や欧米の対応について整理するとともに、日本がウクライナ支援を実施する意義、ウクライナに対する政策ビジョンに関する検討を行い、日本が今後国際社会で取るべき立場を検討するに際しての分析的視点に関する提言を行う。
2.ロシアによるウクライナへの全面侵攻と日本による支援
(1)全面侵攻に至るまでの背景
今回の戦争は「全面侵攻(Full Scale Invasion)」と表現される。これは2014年に発生したウクライナと新ロシア派勢力によるドンバス戦争やロシアによるクリミアの一方的併合といった局所的軍事作戦ではなく、ウクライナ全土に対する攻撃が開始されたことから全面侵攻と表現される。
今回の全面侵攻に至るまでの歴史的背景を振り返る。1994年、ウクライナ政府はブダペスト覚書(注1)に署名することで核兵器の放棄を約束し、米国、英国、ロシアはウクライナの領土一体性に対して軍事力を行使または利用しないことを約束している。これがウクライナ側の主張する安全の保証の論拠であると考える。
ロシアは2014年に生じた親ロシア派とウクライナによるドンバス戦争の休戦を定めるミンスク議定書(注2)(以下、「ミンスク1」という。)を欧州安全保障協力機構の支援の下で調印したが休戦が着実に実行されず、翌2015年にフランス、ドイツの仲介によりミンスク1を実施するためのミンスク2(注3)に調印した。しかしながら、ロシア側はウクライナからの攻撃が継続して行われており履行条件が整わないとして2022年にドネツク人民共和国、ルハンスク自民共和国の独立を承認、ウクライナの非軍事化を目的とする特別軍事作戦に移行したとされる。
このように今回の全面侵攻に至るに際しては欧米による外交努力がなされてきたが欧州安全保障協力機構の機能不足という面もあり全面侵攻という最も誰も望まない結果を招くこととなった。ウクライナ側とすれば欧米の支援を受けてブダペスト覚書やミンスク1、2に合意したにもかかわらず軍事侵攻を受けるという忸怩たる想いは拭い切れないだろう。
(2)2022年2月24日の全面侵攻開始と現在の戦況
2022年2月24日、ロシアはウクライナに対する特別軍事作戦を開始した。侵攻当初ロシア軍はミサイル攻撃に加えてキーウやハルキウ方面への地上侵攻も実施したがウクライナ軍の反撃により後退、それ以降はキーウ近郊に対する地上部隊の侵攻はない。なお、侵攻以降、南東部ではロシア軍は攻勢を強めており、2023年にウクライナ軍は反転攻勢に転じたものの期待された成果を達成できず膠着状態が続いた。2024年8月、ウクライナ軍はロシア領内のクルスク州に侵入を開始し、クルスク州の約1,300㎢(東京23区の約2倍の面積)の地域および100の集落を支配下に置いた旨を発表した。この作戦は南東部に派兵されているロシア軍部隊を分断化させることを意図するとともに、将来の停戦・和平の際に領土交渉のレバレッジとしての役割を期待したものではないかと考えられる。2025年4月、ロシアはクルスク州を完全に奪還したと発表したが、ウクライナ側はこれを否定している。
最近の戦況について日本の防衛省は2025年4月28日現在でロシア軍はクルスク州およびウクライナ東部・南部地域において攻勢やウクライナ全土に対するミサイル・無人機攻撃を継続しているとし、ウクライナ軍はクルスク州への攻撃を継続していると分析している。
いずれにしても筆者が生活するキーウにおいても継続的に空襲警報は発令されており、停戦の議論は実施されるものの、実際の戦争は継続している。
(3)ウクライナの継戦能力
ウクライナは旧ソ連国の中でも大国に位置するが2022年の経済規模(名目GDP)ではロシアが約2.3兆ドルに対してウクライナは1,620億ドル、人口でも1.44億人に対して4,100万人と圧倒的にロシアがウクライナを上回る状況にあった。このように国力が圧倒的に異なるにも関わらず両国が戦闘を3年以上継続していられるのはロシア側のウクライナに対する過小評価もあるが、それ以外にもウクライナが欧米から多額の軍事支援を受けていることや軍事技術のイノベーションの急速な発展があったと考えられる。
軍事支援についてドイツの「キール世界経済研究所」(注4)の調べによれば2025年4月30日時点での世界からの軍事支援額は1,421億ドル(約20.5兆円)であり、総支援額である2,962億ドル(約42.6兆円)の約48%を占める。内訳をみると米国が695億ドル(約10兆円)と突出して大きく、次いでドイツの136億ドル(約2兆円)、英国の111億ドル(約1.6兆円)となっている。特徴的なのはデンマーク(82億ドル、約1.2兆円)、オランダ(65億ドル、約0.9兆円)、スウェーデン(57億ドル、約0.8兆円)は軍事支援の割合が高く、それぞれ89.0%、80.3%、88.0%となっている。これは例えばデンマークは防衛装備品をウクライナ企業から調達し、それをウクライナ側に供与する支援の方式を採用しており、当地では「デンマークモデル」と呼ばれている。このような国内産業の生産の拡大を促す支援の在り方は被支援国の経済活動にも資するものである。なお、停戦に向けた議論が行われる中での軍事支援に疑問を呈されることがあるが、ウクライナは現在も戦争中であり、戦わなければ負けるということを忘れてはならない。
ウクライナのイノベーションの飛躍的発展であるが、今回の戦争はハイブリッド戦と呼ばれ、前線におけるドローンの利用やサイバー攻撃といったデジタル技術を活用した戦術が多く用いられていることは広く知られているところである。例えば、ウクライナ政府は防衛関連スタートアップ企業が提案する防衛関連技術を前線で利用するためのプラットフォームとしてBRAVE1という組織を設立している。BRAVE1は防衛関連スタートアップが提案する防衛技術を審査し、有益であるとされる技術は短期間の実証を行った上で戦場において実装されており、新技術やアジャイル開発に対する高い受容性がウクライナのイノベーション能力をより高めているといえる。
(4)日本政府によるウクライナ支援
以上のような状況にある中で詳細は後述するが日本政府は「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」、「欧州、インド太平洋における安全保障は不可分である」との旗印の下で有償・無償合わせて約124.1億ドル(約1.7兆円)のウクライナ支援を実施している。さらにロシアの凍結資産の運用益を返済原資して、約30.3億ドル(4,719億円)を限度とする円借款「ウクライナのための特別収益前倒し(ERA)融資」を今後提供することで日・ウクライナ両政府は合意している。
これまでに実施してきた支援は人道、食料、復旧・復興支援(約22億ドル)と財政支援(約102.1億ドル)の2つに分けられる。人道、食料、復旧・復興支援はMRIといった保健・医療関連機材や発電機や変圧器といったエネルギー関連機材の供与といった人道支援、日本がカンボジアなどで実施し国際的に優位な技術と経験を有する地雷・不発弾対策、震災の経験に基づくがれき処理といった復旧・復興支援等がある。財政支援は有償資金協力として世界銀行との協調融資や債務支払い猶予を実施している。
また、日本の技術をウクライナの復興に役立てるとともに、復興需要から発生するビジネス機会を商機として取り込むために日本企業に対するウクライナでのFSや技術実証に対する補助事業(注5)も実施している。この背景には無償資金協力による機材の供与は売り切り商売ともいわれ短期的には日本企業に対して機材の引き合いというビジネス機会をもたらすものの、将来の需要を見通せない場合には長期的なビジネスの獲得にはつながりにくい。このため、詳細は後述するがウクライナ復興への日本企業の関与をビジネスとして捉えるような補助事業を実施することでウクライナ支援を日本経済に裨益させていく狙いがある。
なお、上記以外にも租税条約の締結や投資協定の改正、二国間クレジット制度の構築に向けた協力なども実施されている。
3.停戦に向けた動きと課題
(1)NATO加盟に対する考え方
前述のブダペスト覚書やミンスク1・2にもあるように過去からロシア、ウクライナ問題には欧米の関与が大きな役割を果たしている。これは旧ソ連の中でも大国であるウクライナとロシアの国境に接する南東部はロシアとの経済、社会的結び付きが強く、ロシア経済への依存が高い。そういった中で、ロシアからすれば親西側派となったウクライナは対ロシアの急先鋒であるとも認識することができ、ウクライナがNATOに加盟すれば将来的にNATOとロシアとの衝突は避けられないという意識が働いているのではないか。
このためロシアはNATO加盟断念を含むウクライナの非武装化を求めており、これがロシアにとっての安全保障につながるとしている。さらに、ロシアは一方的に併合宣言したヘルソン州、ルハンスク州、ザポリッジャ州、ドネツク州の承認、ウクライナ大統領選の実施を停戦・和平の条件としている。
一方でウクライナとすれば、国家主権、領土一体性、安全の確保は原則であり、この原則を達成するためにはNATO加盟が条件であるとしている。しかし、ゼレンスキー大統領は米国との協議の中で「空の沈黙」、「海の沈黙」、「捕虜の解放と子供たちの帰還」を重視するとして領土問題については外交的努力で解決していきたいと姿勢を軟化させ、自国の安全が確保されるのであれば大統領を辞任しても良いとの発言を行っている。
この点については欧米も同じ考えであると思われ、ロシアによるウクライナ侵攻は単なる2国間における紛争としては捉えておらず、当然に軍事同盟であるNATO地域における地政学的とも捉えていると考えられる。特にロシアに地理的に近い欧州のNATO加盟国は米国に比べてもウクライナとロシアの関係を地政学のリスクと位置付けているのではないか。よって欧州のNATO加盟国のいくつかはウクライナのNATO加盟に消極的であると考えられる。
なお、NATOとロシアの関係をみたときに国境を接するフィンランドは2023年にNATOに加盟し、旧ソ連構成国もすでにNATOに加盟している。さらにロシア自身も2002年に準加盟国として承認(その後に撤回)されたにもかかわらず、ウクライナのNATO加盟を認めないのは以上の理由があるものと考えられる。
(2)米国の動き
2025年1月の米国トランプ大統領の就任は4年目に入っても膠着するウクライナ、ロシア情勢に一石を投じるものとなった。トランプ大統領が主導するウクライナ、ロシアの両国との個別停戦協議や外交、経済的圧力は緊張状態の緩和に一定の効果を発揮している。この状況を反映してかどうかは予断できないものの、プーチン大統領は人道的観点から2025年のイースターに当たる4月19日午後6時から21日午前0時までの30時間の停戦を提案、当該期間にキーウでは空襲警報が発令されることはなかった。なお、トランプ大統領は選挙期間中から自身が大統領に就任した際には24時間以内に紛争を終結させると発言しており、大統領就任後は就任から100日の4月20日頃を目処に停戦を実現させたいとの意向を述べていたが事態が好転しないことによるいらだちを隠さなかった。このため、今時停戦提案はプーチン大統領がトランプ大統領の顔を立てる形で提案したのではないかとも考えられる。ちなみに、プーチン大統領は5月8日の午前0時から11日の午前0時までの72時間の停戦を提案したが、ゼレンスキー大統領はパフォーマンスであり、3日間では戦争終結に向けた議論はできないとして拒否する考えを示した。
さて、米国政府はウクライナ政府と停戦に向けた個別協議を行う一方で、支援の見直しを行っており今後、米国からの支援は減少していくことが予想されるが、これは与えるだけの支援から経済権益の獲得を通じた復興支援の形態にフェーズを変化させており、停戦後の経済を見据えた動きであると考える。
トランプ大統領の移り気な発言の一つ一つを評価することは物事の本質を見失う可能性があることから、対ウクライナ政策の軸となっているいわゆる鉱物資源協定を中心に米国の動きを見ていきたい。
トランプ大統領就任はこれまでに米国が支援した資金を回収するためにウクライナでの鉱物資源開発による利益を米国主導での経済開発と復旧・復興事業に活用するための投資基金の設立を含む鉱物資源協定を提案していた。当該協定は2月に実施された米国・ウクライナ首脳会談での署名が期待されていたところであるが、首脳会談が物別れに終わったことは周知の通りである。その後、鉱物資源協定は「ウクライナ政府と米国政府間のウクライナ復興投資基金に関する協定」となり意思表明書(注6)が4月18日、協定書(注7)が2025年4月30日にスヴィリデンコ第一副首相兼経済相と米国ベッセント米財務長官によって署名された。5月8日、ウクライナ最高会議は復興投資基金設立協定を批准した。なお、意思表明書、協定書本文では米国、ウクライナの双方はウクライナが平和の貢献のため核放棄を行ったことを認識すると改めて核放棄に関する記述を行っている点は特徴的であり、米国としてウクライナの核保有を改めて認めないという姿勢を明らかにしている。
協定の概要については、復興投資基金は共同で出資することが定められている。ウクライナ側は鉱物資源のライセンス料や採掘から得られる利益の50%を基金に拠出するとしている一方で、米国側は当該パートナーシップの発効日以降に軍事支援を行った場合には支援額を基金への拠出分として計上できることが定められている。また、当該パートナーシップに基づく利益は課税されないとし、オフテイク契約で輸入される天然資源は通商拡大法232条、国際緊急経済権限法に定める関税から除外されるとしている。
ただし、現在のウクライナの状況はインフレ、高金利、為替安とプロジェクトコストを考えたときに時期として適切であるとは必ずしもいえないのではないかと考えられ、米国企業がウクライナで活動することが安全の保証につながるとの議論はあるが、利益を追求する企業の判断として米国企業がグリーンフィールドの投資判断に至ることが可能かどうかは注視していく必要がある。
(3)ウクライナに対する援助が孕む危険性
前述の「キール世界経済研究所」の調べによればこれまでに各国からのウクライナへの支援総額は2,962億ドル(約42.6兆円)となっている。ウクライナは自国予算の6割近くが軍事費に充てられ、国の運営は諸外国や国際金融機関からの支援により賄われているといわれている。このため、ウクライナの財政運営は海外からの支援に過度に依存しており、この状況を放置することは政策の立案や実施には常にドナーとの調整が必要となるため政策の自由度が限定される。また、支援慣れにより政策が支援前提で組み立てられるという綱渡りの状態となる可能性があり、各国からの支援が逆にウクライナの国家主権を脅かすことになっているのではないか。
また、日本の他国に対する開発援助の例をみても例えばIMFプログラム下で返済能力に疑問を有する国に対しては円借款の供与が事実上停止されていることがある。これらの国に対して中国は一帯一路の実現に向けて豊富な資金力を生かして大規模プロジェクトを実施することがある。こういった場合、日本は教育や医療といった援助を柱として差別化を図る傾向にあり、必然的に支援額としてのプレゼンスは縮小する。このため被援助国に日本が距離を置き始めたと誤解を与えることもある。この状況は単に被援助国における日本のプレゼンスが下がるというだけでなく、国際場裏において日本との共同歩調に難色を示す可能性もある。
そもそも、一般論では支援の考え方として被支援国の要望に添った支援を行うことは重要であるが、彼らが欲しがるものを闇雲に与えるのは支援ではなく、単なる甘やかしである。言葉を選ばずにいえば、過度に相手国に慮った対応は日本を物言わぬ便利なドナーと被支援国に錯覚させ、支援を質より額の大きさで判断させ、あげく支援が減れば日本から不当な扱いを受けたといわれのないそしりを受けるのである。われわれはこの状況を自らが招いていることに気付かなければならない。
ウクライナがこのような思想に陥らないことを祈るが、戦後復興は大規模プロジェクトであり、1件あたりのプロジェクト費用も相当なものとなる。日本政府はすでに150億ドルもの支援を実施しており、日本のウクライナ支援の財政に余力があるのかは疑問を持たざるを得ない。予算の執行条件にもよるが、例えば無償資金協力の未使用分を将来に向けてプールする、世界銀行への拠出金も額に応じた柔軟性を引き出すための外交的努力が行われる必要があると考える。もちろん、世界銀行、EIB、EBRDによるプロジェクトへの参加も期待されるが欧米企業や虎視眈々と復興需要を狙う中国、韓国勢との競争においてはメインコントラクターというよりもサプライヤーとしての関与となる可能性が高く、国際金融機関のプロジェクトへの参加経験の少ない日本企業にとってはハードルが高い。
4.日本のウクライナの政策的位置付け
(1)対ウクライナ支援ナラティブ
前述にもあるが日本は「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」、「欧州とインド太平洋の安全保障は不可分である」との旗印の下でウクライナ支援を行っている。
国連憲章では加盟国は国家主権を遵守することや領土一体性に対する武力による威嚇または武力の行使を禁止することが定められている。また、ウクライナは自由や民主主義、法の支配といった普遍的価値観を求めて西側路線に舵を切ったことが今回の戦争の根底にあるため欧米諸国もウクライナを全面的に支援しているのである。
もし、戦争の結果がロシアに有利に働くことになれば、力による現状変更を国際社会が容認したとの誤ったメッセージを世界に発信しかねず、東アジアにおいても同様の危機が発生する可能性も否定できない。また、言葉を選ばずにいえば西側諸国の普遍的価値観の敗北を意味し、西側諸国のプレゼンスが相対的に弱体化することとなり、自由や民主主義、法の支配を掲げる自由で開かれたインド太平洋の構築にも悪影響が及ぶ可能性がある。
このような状況を放置することは日本の安全保障体制や経済安全保障に対して大きなリスクとなり得る。このため欧州で発生しているウクライナ危機は対岸の火事ではなく、自らの問題として取り組まなければならない課題であり、これが日本のウクライナ支援のナラティブであると考える。
(2)支援段階の変化とビジネスポテンシャル
①公的支援から官民連携
日本政府はこれまで緊急復旧計画(フェーズ1~3)によりウクライナ政府と約1,000億円を限度とする無償資金協力の贈与契約を締結している。これらの無償資金協力によりエネルギーや医療機材、地雷除去機材や車両等の供与や技術協力によりウクライナの復旧や人道的な課題の解決に多大な貢献を果たしたことに疑う余地もない。
同時に多くの日本企業がこれら機材調達業務を受注した結果、日本国内においてもウクライナ特需が発生したのではないかと考えられる。問題はこれらの受注が今後の企業活動としてウクライナでのビジネスにつながるかということである。
無償資金協力は将来の貿易投資に向けた呼び水としての役割も期待されているが、被援助国の市場の規模や投資環境が利益を生み出す状況になければスポット取引に終始してしまうだろう。企業投資は20年、50年、100年という将来を見据えた事業であり、当然、リスクは企業側が負うものであるからである。
世界銀行等による被害・ニーズ調査(RDNA4)によれば戦後復興に係る費用は10年間で5,240億ドル(約75兆円)といわれており、実際に日本企業のウクライナへの関心は高い。しかし、市場規模や既存欧米企業との競争、コーポレートガバナンスの問題など、実際にリスクを取ってまで投資に踏み切るかどうかは分からないとの意見もある。加えて、米国のウクライナ支援に対する態度の変化が日本政府の政策にどのような変化をもたらすのか様子をみたいとする企業も存在している。
近年、企業は環境問題や人権問題といったCSRに積極的に取り組んでおり、復興事業はCSRの観点からは参入しやすいものであると考えられる。加えて日本企業が復興事業に積極的に関与することは長期に低迷する日本経済にとっても新たな成長の源泉をもたらすことが期待される。ただし、戦前においてウクライナ市場はインドをはじめとするグローバルサウスの市場と比較しても必ずしも企業にとって優先ではなく、むしろロシアのほうが人口や経済規模からしても日本企業にとっての商圏であったのも事実である。
日本がウクライナを支援することは巡り巡って日本を取り巻く安全保障に資するとの理解は可能であるが、最大の支援国であった米国は支援から経済権益の確保へと関与の形を変えている。特に、米国、ウクライナ政府が共同で復興投資基金を設立し、両国が復興をビジネスと捉えて資金を供給する枠組みを構築したことはウクライナ支援が戦後を見据えた新たなフェーズに移行したことを意味している。
日本はERAローンを含めれば150億ドルを超える支援を実施しており、今後も同様の規模の支援を実施できるかについては予断できない。また、公的資金のみでは復興費用を賄うことは現実的ではなく、民間資金の活用といったさらなる官民連携が求められており、対ウクライナ政策の明確化や中長期的な政策ビジョンが求められている。
②戦後ウクライナ経済と事業環境
企業のビジネスについては、例えば企業が事業投資を決定するためには市場が安定的に成長していくための政策や環境が整備されている必要がある。このため、政治、経済情勢や政策の安定性といった投資環境が重要なポイントとなる。現在のウクライナ経済は輸入増加による為替安から輸入インフレが発生している状況にあり、停戦から復興期においてはさらなる輸入が発生することが想定される。戦後経済がハードランディングしないためにも中央銀行による為替、金融政策運営は重要な鍵となる。また、社会面では帰還兵の社会復帰を円滑に進める必要があり、そのためには身体や精神面でのリハビリテーションのみならず、雇用の受け皿の拡大が必要不可欠であり、これが適切に提供されない場合には治安の悪化も可能性として否定できない。
このため、ウクライナ政府には対外債務の返済や戦後経済の安定化を図るために新規産業の創出、対内直接投資の促進による高度技術や資金の呼び込みを通じた輸出競争力の向上といった政策が求められている。これは国際的に比較優位にある農業分野も例外ではなく、国内需要以上の生産が行われるウクライナの農業においては産業を維持するためにも輸出が必要不可欠となっている。
なお、ウクライナは政府、国営企業、民間企業に至るまでガバナンスに問題を抱えていることで知られている。日本は法務省や国連開発計画(UNDP)、G7と協力し、Anti-Corruption Task Force for Ukraine (ACT for Ukraine)の推進を図りながらウクライナにおけるガバナンスの強化に取り組んでいるところである。
③ウクライナの産業レバレッジと日本企業の商機
世界銀行によれば2023年のウクライナの人口は約3,770万人、1人あたりGDPは5,070ドルであることから必ずしも大きな市場であるとはいえず、戦後経済の見通しも不透明な状況にある。一方で、ウクライナはEU加盟に向けた交渉を行っており、将来的には4.5億人市場のゲートウェーとなる可能性がある。特にイノベーション、農業、エネルギー、医療の分野は日本企業にとっての中長期的な商機となる可能性が高いと考えられるため以下詳述する。
1)イノベーション
ウクライナは従来からAIをはじめとしてスキルの高いIT技術者を擁していることで知られていたが、ハイブリッド戦といわれる今回の戦争によってデジタル技術を飛躍的に発展させたことで世界の注目を集めている。特にドローンの先進的な取り組みは日本としても学ぶべきところが多い分野である。
ドローンは戦場では平地のみならず山林や海といったさまざまな環境下で利用されている。一定の高度を保つ、遮蔽物を避けるなどといった一見当たり前とも思われる動作を構成する要素技術のレベルは高い。ウクライナのドローンは防衛装備品であるとの考え方が一般的であり、日本人としては躊躇すると思われるが、次世代モビリティとしてウクライナの技術を評価することは日本の自動運転技術をはじめとする次世代モビリティの発展に資するものと考える。
また、先述したが新技術やアジャイル開発に対する高い受容性をもつウクライナのスタートアップの協業は日本企業のオープンイノベーションを促進させることも期待される。
2)農業
農業分野は欧州の農業国との競争環境に置かれることとなるが、地場原料を生かした加工食品やバイオ燃料などは価格競争力を生かして海外市場を獲得できる可能性を秘めている。 また、欧米企業は安価で勤勉な労働力と地場原料を生かした食品加工施設をウクライナに設立し、グローバルサプライチェーンの一部として機能させている。日本の食料品業界も海外進出を進めているがサプライチェーンの構築に際して在ウクライナ欧米食品企業との取引を検討することは一案と考える。
加えて、日本の食料の安全保障では、ウクライナとの食料の補完関係の構築や海外備蓄に向けた官民連携、ウクライナの大規模農業経営やデジタル化の経験の共有や連携が期待できるのではないか。
3)エネルギー
エネルギー分野ではロシアによる攻撃によって電力の発電容量の約半分、ガス生産能力の約4割が喪失したといわれている。基本的にウクライナの電力の発電設備やガスの生産・貯蔵等設備は東側技術によるものであるが、将来的にロシアをはじめとする東側諸国からメンテナンスやスペアパーツを入手することは困難となることが予想され、西側技術への転換が進められるだろう。このため、ウクライナのエネルギー産業においては復旧需要のみならず更新需要も発生することが期待される。さらに、EUではロシア産ガスからの脱却の議論がなされている。もちろんEUではでは化石燃料からの脱却に優先を置くだろうが短期的にはウクライナに対する代替需要が発生する可能性がある。このため、ウクライナのガス田開発が促進される可能性は高く、日本の鋼管や装置需要も喚起されることが期待される。
また、欧州各国はウクライナでの風力を中心とする再生可能エネルギー事業に高い関心を示しており、将来的には水素やアンモニア、バイオメタンなどといった新エネルギーの供給地としての期待も高い。このため、保守サービスを含めた機械輸出ビジネスにつなげていくことが長期的なビジネスと将来的な投資につながると考える。
4)医療
長引く戦争による傷病兵の増加による義肢需要の拡大や停戦による動員の部分的解除による帰還兵の発生に向けてウクライナ国内ではPTSDやDVへの対策を急ぐ必要がある。逆の言い方をすればこのような動きは被験者の増加を示唆しており、デジタル領域での精神医療、筋電義肢といった新たな医療技術に対する治験需要が喚起されることが予想され、ウクライナは医療技術のイノベーション中心地になると考えられる。加えて、医療機関やリハビリテーション施設における看護師、ヘルパーへの負担増大も懸念されており、支援ロボットの導入への期待が高まることも想定される。
また、世界から医療従事者の渡航も頻繁に行われることになればウクライナは医療機器の潜在市場となる可能性も高く、当地への医療システムをパッケージで導入するような取り組みを行うことでウクライナの医療関係者のみならず、世界中の医療関係者との関係構築につながり新たな商機をもたらすものと考える。
5.中長期の対ウクライナ政策のビジョンの策定に向けて
(1)政策ビジョンの必要性
ウクライナは内外に課題を抱えながらも停戦から和平に向けて歩を進めていかなければならない。日本政府はウクライナ支援に対して揺るぎないコミットメントを行っているが、これは自由や民主主義、法の支配といった普遍的価値観に基づく秩序ある国際社会を取り戻すことが持続可能な世界を形成し、日本の安全保障や経済安全保障の観点からも合理的であるとの判断から行われているものである。
一方で、企業が同様にコミットできるかといえば企業はボランティア団体ではなく、営利を追求する団体であることから政府と同様のコミットを行うことは容易ではない。例えば前述にあるように米国とウクライナが合意した復興投資基金の設立というコミットメントがなければ将来のリスクをヘッジできないのである。日本政府が官民一体でのウクライナ支援のために企業への参画を呼びかけるならば一本筋の通ったウクライナに対する政策ビジョンを示す必要がある。
(2)ウクライナ政策ビジョンの基盤となる考え方
ウクライナは地理的にEUとロシアの間に位置し、東西における安全保障バランス要衝となっている。このため、ウクライナが自由、民主主義、法の支配といった西側の普遍的価値観を維持していくことは国際的な安全保障の枠組みを維持していく上でも必要不可欠であることはこれまでも論じてきたところである。
また、実態社会においても世界でも有数の農業国であること、欧州向けガスパイプラインが敷設されていること、ウクライナ国内には欧州最大のガス貯蔵施設が存在することからウクライナ有事は世界的な食料、エネルギー安全保障の危機を誘発することはこれまでの歴史からみても明らかである。
このため、日本政府としてはウクライナに対して国際的な安全保障の枠組みを維持するためにもEU、米国と連携し、ウクライナを単独の国家としてのみならず、地域政策の中で位置付けていくことが重要であり、これを基軸として政策ビジョンを設定していく必要があると考える。
(3)EUとの連携
ウクライナは西側諸国と普遍的価値観を共有するとはいえ、依然としてガバナンスに課題を抱えている。このため、民主主義や法の支配に向けたガバナンス強化を図ることが求められている。この点についてはEU加盟交渉においても議論がなされるところであるが日EU間のコンテクストの中においてもしっかりと位置付けていく必要がある。
また、実体経済や個別政策分野での協調という具体的政策領域については、これまで日本政府が実施してきた東南アジアでの制度整備を含めた政策とは異なるアプローチが必要である。ウクライナはすで制度が整備され、市場統合が進んだEUへの加盟を目指している。このため、ウクライナとの個別具体的な政策協調は対EU政策のコンテクストの中で検討される必要がある。例えばEUが新たな施策を打ち出す場合に高い教育水準を有するが安価な労働力と規模の小さいウクライナ市場はEUの政策が日本の技術や制度に見合うかどうかを見定めるための実証地としての可能性を秘めており、ウクライナでの実証を経てEU市場に投入するための仕組み作りは検討に値するものと考える。
(4)米国との連携
次に対米政策の中での位置付けについては、トランプ政権の特徴として①米国一国主義が顕著となっていること、②対ウクライナ政策が支援から経済権益の獲得に重点を移していること、③停戦・和平の達成を重視することから国際秩序に対する意識が希薄化してきている点が上げられる。
例えば米国・ウクライナの復興投資基金に対して日本も出資を行うことは米国の負担軽減につながる一方で、日本企業にとっても日米両政府の後ろ盾のものとでの投資が約束されることから安心感を得られることになる。特に米国が復興投資基金で対象とする鉱物、石油・ガスといった資源開発は鉱物資源の供給先の一極集中を回避し、世界需要に対して安定的な供給をもたらすことから、国際的なエネルギー安全保障の安定化を図ることに資する。もちろん、現在の企業として原料の調達先の変更はさらなるコスト増加要因となる。一方で資源開発は10年単位でのプロジェクトであり、貴重鉱物分野における保護主義への中長期的な対応として検討が行われることは否定されるものではないと考える。
現在、米国とは関税交渉が実施されているが対ウクライナ支援における協調も交渉レバレッジの選択肢ともなり得るし、米国を国際的な安全保障の議論に回帰させていくための選択肢の1つとなるのではないだろうか。
(5)多国間枠組み
前述の通り、ウクライナは戦後経済の安定化を図るために新規産業の創出、対内直接投資の促進による高度技術や資金の呼び込みを通じた輸出競争力の向上といった政策が求められているが、市場原理に基づく自由で公平な競争環境の構築は必要不可欠である。また、ウクライナが先進的な取り組みを行うデジタル分野についてもデータプライバシーや電子商取引、電子政府に関するルール形成への関与は必要不可欠である。このため、ウクライナ政府に対してWTOやOECDといった多国間の枠組みへの積極的な関与を促していくことが重要である。
(6)国際支援活動
今時支援の教訓を次につなげるためには新たな枠組みや支援のあり方を日本が提案することは国際社会におけるプレゼンスを高めることにつながる。例えば各国はエネルギー支援として大量の発電機を供与したが数年後にウクライナが新たなエネルギーシステムを再構築して移行した場合、容量や効率が見合わなくなった発電機は行き場を失う可能性がある。もちろん、供与された機材はウクライナ政府に帰属することになるが各国が実施した支援を無駄にしないためにもウクライナ政府は供与された発電機の維持管理を国際機関の支援の下に実施し、世界での有事の際にウクライナから発電機を貸与する、いわばウクライナのエネルギー緊急支援拠点化は1つのアイデアとなるだろう。
6.日本が国際社会で取るべき立場
現在、世界の至る所で紛争が発生し、世界情勢が不安定化している。今回の悲劇を繰り返さないために考えるべき視点や分析の方向性を以下に記載して本稿の締めくくりとしたい。 ロシアによるウクライナに対する全面侵攻は国家の主権や領土一体性を覆すという国際秩序に対する挑戦であった。もちろん今回の紛争は国際司法裁判所によって裁かれることとなるだろうが、ロシアとウクライナのみならず戦後の世界体制を歴史的に振り返ったときに別の方法で両者の緊張を緩和することができなかったのか今後検証していかなければならない。特に、西側諸国は自由、民主主義、法の支配を主張するが、例えば中東やアフリカでの紛争は宗教観や歴史の軋轢が紛争を助長している。日本人には馴染みのないところであるが、日本が国際社会において便利なドナーではなく仲裁者としてのプレゼンスを高めようとするならば歴史やイデオロギー、宗教観の違いを理解する必要があり、さらなる分析に基づく検討が必要であると考える。
また、日本政府が実施する支援のナラティブは必ずしも企業活動を左右するものではない。これは、企業が事業決定を行う場合にはそれなりのリスクを取る必要があるからである。日本政府は「今日のウクライナは明日の東アジアかもしれない」、「欧州とインド太平洋の安全保障は不可分である」という大義名分の下でウクライナ支援を実施しているが、果たしてどのくらいの国民が十分に理解し、納得したであろうか。特に、戦前のウクライナを市場として捉えていない企業にはなおさらである。
戦争は4年目に入り、日本でのメディアプレゼンスも低くなっている。国民の関心は徐々に薄れていることは事実であり、国内政策を優先させるべきであるという声も聞く。政府には納税者に対する説明責任があり、ウクライナ支援は巡り巡って日本の国益につながる、よって国是としてウクライナ支援を行うということが政策を考える上での軸になければならず、国民から政策に対する理解を得るためにも誰もが納得するナラティブの構築は必要不可欠であり、また、これを正しく国民に伝えていく必要がある。
これらの視点が日本が国際社会で取るべき立場を考えるに当たっての一助となれば幸いである。