将来世代の視点で現在の意思決定を考察する
気候変動や資源エネルギー問題、財政やインフラの維持管理など、世代をまたぐ長期課題に対処し、持続可能な社会を維持するためには、どのような社会の仕組みをデザインし実践すればよいのか? 大阪大学環境イノベーションデザインセンター(当時)の研究会「七世代ビジョンプロジェクト」に集まった、筆者を含む多様な専門領域の研究者が2012年からこの問いに対する議論を開始した。ここでの議論が発展し、フューチャー・デザインの提起と研究構想につながった。現在では、国内外で関連の研究や実践が進む。
フューチャー・デザインは「将来世代に持続可能者な社会を引き継ぐための社会の仕組みのデザインと実践」のことを言う。特に有効な仕組みの1つだと考えられているのが、まだ見ぬ将来世代の視点に立ち、現在の意思決定を回顧的に考察・評価する「仮想将来世代」と呼ばれるものである。これまで、経済実験、フィールド実験、大規模アンケート調査、実践などを通じて、仮想将来世代の仕組みは、人の近視性を制御し、将来世代の利益も考慮した長期的観点からの意思決定や合意形成において有効であることが示されてきた(例えば、Kamijo, et al., 2017; Hara et al., 2019; Saijo 2020)。筆者が以前書いたSpecial reportでも記載した通り、フューチャー・デザインは、2015年に岩手県矢巾町において、住民による地方創成プランの施策検討の議論において初めて応用、実践された。この実践では、住民が「現世代」2グループと、「仮想将来世代」2グループに分かれ、各グループ個別に地方創成プランの施策を検討し、最終回に両世代のグループがペアとなってそれぞれ施策を提案、双方で交渉・合意形成を行うという内容であった。現世代グループと比べて仮想将来世代グループは、地域資源や長所により着目した施策を提起し、複雑で時間のかかる課題に優先的に取り組む傾向があること、社会変革に対するインセンティブが高いこと、などが観察されている(Hara et al., 2019)。
矢巾町での初実践の後、仮想将来世代の仕組みを用いたフューチャー・デザインは、これまでさまざまな公共政策分野や課題領域(都市計画、環境計画、資源エネルギー問題、カーボンニュートラル政策、防災、教育等)で広く応用されてきた(フューチャー・デザイン実践事例集を参照いただきたい)。これらの実践から、仮想将来世代の仕組みが、将来世代の利益を考慮した長期的な視点でのアイデアの提案や、意思決定・合意形成に効果を発揮し得ることが示唆されている(例えば、Hara et al., 2023a)。将来世代の視点に立って回顧的に現在を観察することで、ある世代の意思決定がその後に及ぼし得る影響を具体かつ明確に理解することができ、その結果、持続可能性の観点からより望ましい判断や意思決定を導出することが可能となるようだ。
仮想将来世代という仕組みを取り入れることは、公共政策分野のみならず、産業イノベーションのあり方を検討する上でも重要な意味を持つのではないだろうか? 本稿では、産業イノベーションの文脈におけるフューチャー・デザインの意義を検討したい。特に、将来世代視点の導入が、事業計画や研究開発(R&D)戦略などに基づいた産業イノベーションの方向性をデザインする上で、どのようなインパクトを持ち得るのか考察する。
産業界での実践事例とイノベーションへの示唆
昨今、産業界での事業計画やビジョン設計、R&D戦略の検討においてもフューチャー・デザインが導入されている。R&D戦略と技術シーズの探索を目的としたフューチャー・デザインは、総合水エンジニアリング企業であるオルガノ株式会社によって2019年度に初めて実施された。フューチャー・デザイン研究を進めていた大阪大学の研究チームとの共同研究という位置付けで、2019年から3年間、R&Dに携わる社員と、経営企画の担当社員が参加したフューチャー・デザインを実践したのである。2019年度に実施した6回にわたる実践では、社員約20名が5グループに分かれ、2050年社会や事業のあり様を想定し、次の10年で取り組むべき研究開発戦略と技術シーズの探索をテーマに、「現世代」の立場と、2050年の「仮想将来世代」の各立場で議論を行った。その結果、両世代の立場での議論では、想定される未来社会や事業展望、そして今後取るべきR&D戦略の方針とアイデアに大きな違いが生じた。将来世代の視点から検討した場合は、2050年社会における事業戦略の描写において、会社が有する技術シーズの応用展開を単に現在の延長で検討するのではなく、まったく新しい応用領域を設定して、社会実装を想定する傾向が見られた。また、最終的に提案されたR&D戦略や、今後育てるべき技術シーズについても、将来世代視点で考察した場合に新規テーマが多く提起されている(Hara et al., 2023b)。一方で、議論の始まる前、および各回の議論終了後に実施した、参加社員へのアンケート調査結果からは、R&D戦略で検討すべき判断基準として、「顧客のWants」「他社との差別化」「ビジネスモデル」等、ビジネスにおいて通常は前提とされる指標項目について、仮想将来世代の視点を導入した後には相対的にそれらの重要度が低下した。つまり、将来世代の視点から検討することによって、未来の事業計画や技術シーズ探索における独創性が高まると同時に、R&D戦略や技術イノベーションを検討する社員の判断や意思決定の基準に変化が生じたのである。これらの結果と、社員への事後インタビューの結果も含めて総合的に解釈すると、フューチャー・デザインの実践を通じて「将来の技術応用分野やR&D戦略の具体化」「自社技術の価値や強みの再定義、相対化」「新しい(異なる)研究開発要件への気づき」「自社技術の新たな応用領域の発掘」等の効果が見られた。
続く2021年に同社で実施されたフューチャー・デザインにおいても、現世代の視点から検討した場合に比べて、仮想将来世代の視点で検討した場合に新規のR&Dテーマが多く提起された。実践を行った社員へのアンケート調査の結果からは、R&Dテーマの意義や価値(ポテンシャルや将来性、有望性)を総合的・多角的に評価するための指標項目について、仮想将来世代の視点から検討した結果、「ビジネス・経済」「他社との差別化・関係性」「会社の方針・ビジョン」のカテゴリーに入る指標群の重要度は低下したが、「技術開発」「環境問題」「社会課題・ニーズ」のカテゴリーに関わる指標群の重要度が高まった(Hara et al., 2023c) 。このことから、仮想将来世代の仕組みを導入した結果、会社のイノベーションやR&D戦略の判断基準として、短期的な利益に関わる観点の重要性が低下し、社会的・長期的な観点の重要性が高まったことが分かる。
以上の知見を総合すると、次の重要な点が示唆される。すなわち、将来世代の視点を仕組みとして取り入れることが、事業戦略や技術・研究開発のテーマ検討における社員の独創性を高めることと、環境への配慮など社会的影響を重視した判断や意思決定を実現することとの“両立”につながり得る、という点だ。このことは、フューチャー・デザインによって、持続性や長期的観点から、目指すべき、産業イノベーションの新たな方向性をデザインできる可能性があることを意味する。既往研究においても、未来洞察と企業のイノベーションとの関係性を議論しているものがある。例えば、Rohrbeck and Schwarz(2013)は、Strategic Foresight(戦略的先見性)が、企業の新たなイノベーション分野の探索や有望なイノベーションの特定を通じて、新製品開発を支援し得ると論じている。なお、ここでのForesightは、現在から未来を展望している点においては、本稿で言うところの「現世代視点」での未来洞察により近いものだと考えられる。一方、上記のフューチャー・デザインの事例が示しているのは、現世代視点の場合に対して、仮想将来世代視点を取り入れることで、想定する未来の社会環境条件や事業展望、そしてR&Dに関わる判断や意思決定の基準が変化し得る、という点である。このため、目指すべきR&Dやイノベーションの“新たな方向性”のデザインが可能となる。
なお、オルガノ株式会社では、大阪大学との共同研究の終了後も、フューチャー・デザインを会社で継続的に実践している。R&Dテーマの探索のみならず、長期的観点から事業計画やR&Dを検討し得る人材育成の仕組みとしてフューチャー・デザインを内部化したのである。
別の事例も紹介したい。オンリーワンのメッキ技術を持つ、帝国イオン(株)では、会社が有する技術の応用展開の検討と、技術継承に関わる社員の育成を目的としてフューチャー・デザインを実践してきた。2020年度に行われた実践では、社員が2050年の仮想将来世代の立場を取り、会社が有する技術シーズの応用展開や、事業戦略を検討した。特筆すべきは、フューチャー・デザインを実践した社員の意識や認知の変化である。事後分析の結果、将来世代の視点からこれらを検討する中で、自社技術や人材育成、顧客に対する意識が高まることや、商品についても「顧客の使用シーン」まで検討が及ぶなど思考の範囲が広がること、与えられた仕事だけでなくより広い視点で仕事を効率化し仕事を管理していくべき、との個人意識が高まること、などの効果が示されている(藤田ら、2023)。
本稿で示した2企業の事例や他の産業界での実践事例の結果に基づくと、将来世代に共感を生み出す仕組みを取り入れることによって、社員が新たな視点を獲得し、結果として会社の技術開発や事業展開の方針、イノベーションの方向性を新しくデザインできる可能性が示唆される。ここで筆者が特に着目するのは、フューチャー・デザインを実践した社員の意識や認知の変化である。実践で得られた意識変化の効果はその後も継続しているのだろうか? 事例として紹介した2社それぞれの経営層・意思決定層にヒアリングを行ったところ、フューチャー・デザイン実践が終了した後も社員の意識変化の効果が継続していることや、社員同士の積極的な協力やシナジーが生まれていること、社員が技術そのものだけではなく、それが未来社会に与える影響を認識して仕事をするようになったこと、等の効果を経営層が認識していた(Gaper and Hara, 2023)。なお、帝国イオン(株)で2021年度に実施されたフューチャー・デザインの終了後、社員に行った事後アンケート調査結果からも、将来世代視点による思考や意思決定を通じて生まれた意識変化が、実践の終了後も一定程度継続していることが明らかになっている(藤田ら、2024)。
フューチャー・デザインに関わる既往研究からは、仮想将来世代の導入効果として、独創性の高まりに寄与する可能性があること、将来世代と現世代の双方の視点を俯瞰する上位視点(視点共有)が生まれ、より俯瞰的に物事を検討できるようになること、社会的に望ましい目標の共有意識や、将来に関する危機意識が高まること、社会変革に対するインセンティブが高まること、等が示唆されている(例えば、Hara et al., 2021, Hara et al., 2023a)。これら既存の知見と、事例で示した産業界でのフューチャー・デザイン実践で見られる社員の意識変化の効果は整合的だと言える。
組織の壁を越えた連携可能性とフューチャー・デザイン
フューチャー・デザインは、異なる組織や立場の関係者同士の議論や合意形成を促すだろうか(Hiromitsu et al., 2021)。組織間の連携可能性を高める上でも何らかの効果を持つのであろうか。また、将来世代の視点を取り入れることによって、組織や立場の壁を越えて、「共に」イノベーションの方向性をデザインできるだろうか。
この問いに関連して、2022年に異業種の大手企業5社からの社員11名と大阪大学の学生(学部生、大学院生)15名の混合によるフューチャー・デザインの実践が行われた。参加者26名が5グループに分かれ「暮らし・ライフスタイル・健康」「球規模の危機に対するレジリエンス確保」の2テーマに関連して2050年の未来社会の課題とニーズを探索し、今後の研究開発の方向性を共に検討することを目的としたフューチャー・デザインを、5回にわって大阪大学のキャンパスで実施した。一連の議論の結果、仮想将来世代の視点から考察することで、現世代の視点だけでは探索できなかった新たな課題・ニーズの発掘が観察された(Hara et al., 2024)。例えば、「暮らし・ライフスタイル・健康」をテーマに検討を行ったグループの、2050年社会の課題・ニーズ探索に関する議論データをテキストマイニングによって分析してみると、現世代の視点で実施した議論では、「多様性」「CO₂」「セーフティーネット」等が高スコア単語として現れるのに対して、仮想将来世代の立場から同じメンバーが検討した場合の議論では「非認知能力」「健康寿命」「環境問題」「自己肯定感」などの高スコア単語が現れる。すなわち、議論の中で着目した内容や提起するコンセプトが、仮想将来世代の視点を取得することによって大きく変化したことになる。その結果、メンバーが仮想将来世代の視点で提起した「研究開発の方向性」に関わる5つの施策は、現世代の視点から提起したものと比べて大きく変化し、同一の提案施策は皆無であった。なお、フューチャー・デザインの終了後に参加者(会社員、学生)に実施したアンケートの結果、「現世代視点で議論した回と比較して、将来世代の視点から議論した回は新たな視点や気づき、あるいは新たな発想が生じたと感じるか?」という質問に対して、全体の64%の人が、「非常にそう思う」「少しそう思う」と答えている。参加者が新たな観点に気付き、新規のアイデア提案や意思決定につながったようだ。そして、新たな視座の獲得と同じく重要なのは、業種の壁や社会人・学生といった立場を越えて、未来社会の課題やニーズ、研究開発の方向性を「共に」検討できた、という点である。将来世代の視点を共有することは、組織間あるいは業種間の壁を越えた連携を促進あるいは強化する効果を有するかもしれない。このような組織間連携の促進に対するフューチャー・デザインの効果やそのメカニズムは、今後の重要な研究テーマである。
組織や業種の壁を越えて、社会的課題の解決に向けた施策の提案を試みる実践は既に始まっている。その最たる例は、近畿地域エネルギー・温暖化対策推進会議「カーボンニュートラル実現に向けたフューチャー・デザイン分科会」の取り組みであろう。同分科会では、産学官の壁を越えて、将来世代の視点からカーボンニュートラル政策を検討する議論を2024年6月から開始した。なお、政府の会議において「フューチャー・デザイン」そのものを目的とした分科会(会議体)が設置されたのは初のことだと考えられる。この分科会には、2050年カーボンニュートラルの実現に向けたさまざまなアイデアのカタログを作る目的で、近畿地方の政府機関、自治体(府県・市)、公的機関、研究機関、産業界など、産学官から計22の機関・組織が参加している(参加機関名や議論の詳細は、フューチャー・デザイン実践事例集の「公共政策・参加型意思決定に関する応用事例」Case:15を参照いただきたい)。これら多様な機関の参加者が4グループに分かれ、仮想将来世代の立場から、「2050年時点での近畿圏の社会状況」や2024年現在から「取り組むべき具体的なアイデア」を3回のワークショップを通じて検討を進めた。着目すべきは、産学官の多様な主体が、それぞれの専門性や立場を生かしつつも、組織の枠組みや壁を越えて、共通の社会目標であるカーボンニュートラル実現のための「新たなイノベーションの方向性」を共にデザインした点である。多様なステークホルダーが長期的観点から協働と実践を進め、意思決定と合意形成をしていくことは、長期課題に対処する新たな方策やイノベーションの可能性や機会を見いだすことにつながるだろう。そして「仮想将来世代」はそれを支える有効な仕組みの1つである。
新たな産業イノベーションに向けて
持続性あるいは長期的観点から、産業イノベーションをデザインすることは、個社のみならず社会全体にとっても極めて重要な意味を持つ。本稿では、いくつかの事例を紹介し、フューチャー・デザインによって、持続可能性の観点からの意思決定や合意形成を促進し、新しいイノベーションの方向性をデザインし得ることを示した。これらの実践事例の結果が物語っているのは、通常われわれが未来を考察している状況においては(本稿で記載した「現世代視点」のことである)、あるフレームの中でしか思考できていない可能性が高い、ということだ。その限りにおいては未来に向けた変革のインセンティブや、組織の壁を越えた連携や協働のモチベーションも生まれにくい。既存の社会の仕組みを前提として議論や意思決定を目指すのではなく、将来世代に共感を生み出すための、新たな仕組みを取り入れることによって、長期的な観点から組織や社会の望ましいあり様やイノベーションの方向性を、むしろ、豊かに検討できる可能性がある。
持続可能な未来社会の実現を支える、新たな産業イノベーションのあり様を「組織や立場の壁を越えて協働的に」検討していくことは今後ますます重要となるだろう。そして、フューチャー・デザインは、その意思決定や実践を支える基盤の1つとなり得る。もちろん、フューチャー・デザインそのものに関わるさらなる科学的知見の蓄積と、それに基づいた実践が重要なのは言うまでもない。その過程においては、研究者と実践を行う関係者が相互に協力、役割分担してフューチャー・デザイン実践を支えるとともに、その有効性も検証し、方法論や条件の修正・改善も継続する。これらの一連の丁寧な作業を通じてフューチャー・デザインの研究と応用展開を図っていく必要がある。