Special Report──RIETI政策シンポジウム「日本企業のグローバル経営とイノベーション-グローバル経営の強みと今後の課題-」関連記事

世界に散在する知識を結集したメタナショナル・イノベーションの実現

イブ・ドーズ
INSEAD(欧州経営大学院)グローバルテクノロジー&イノベーション教授

経済のグローバル化、知識経済化の進展の中で、世界的な競争を勝ち抜くための日本企業のグローバル経営の在り方が問われています。RIETI政策シンポジウム「日本企業のグローバル経営とイノベーション-グローバル経営の強みと今後の課題-」では、グローバルにビジネスを展開する日本企業が、イノベーションチェーンと供給チェーンの最適地をどこに求め、最適資源を経営プロセス上どのように組み合わせることでグローバルな競争力を確保できるかについて、国内外の事例を取り上げ、諸課題について議論しました。RIETI編集部は、本シンポジウムで基調講演を行われたINSEAD(欧州経営大学院)のイブ・ドーズ教授にインタビューし、「メタナショナル」という用語をはじめ、新興企業のグローバルビジネス参入における優位性、知識経済における政府の役割について伺いました(このインタビューは2006年1月24日に行われました)。

RIETI編集部:
主要なグローバル企業の中には、ドーズ先生の著書"From Global to Metanational: How Companies Win in the Knowledge Economy(メタナショナル経営:知識経済に勝ち残る方法)"(Harvard Business School Press 2001年、Jose Santos、Peter Williamsonと共著、邦訳はPHP研究所より2006年4月刊行予定(矢作恒雄訳))において提示されている理論に基づいた経営を展開していると思われる会社がいくつかありますが、自らを「メタナショナル企業」として定義している会社は未だほとんどありません。理論そのものは広く取り入れられているにもかかわらず、それを表す用語が普及していないのは何故だとお考えになりますか。

ドーズ:
その点は驚くにあたりません。世界中の多くの地域間で知識の分散と差別化が進行しており、同時に、これまで別々の知識領域であったものが一体化しつつあります。こうした現実が組み合わさり、企業は特色ある知識の源泉を世界中に求め、それを結集して活用しなければならなくなっているのです。医薬品やエレクトロニクス、航空宇宙、情報通信技術、娯楽、化学など、ますます多くのセクターでこのような現象が起こっています。従来型の多国籍企業の中ではIBMやネスレ(Nestle)、グローバルな舞台に新たに台頭してきた企業の中ではSTマイクロエレクトロニクス(STMicroelectronics)やエシロール(Essilor)など、ほんのひと握りのメタナショナル企業を除き、ほとんどの企業が2、3年前までは見逃していた機会に注目する企業が、今では増えてきています。このようなトレンドを示す例を挙げてみましょう。200社に上るグローバル企業を対象に、ブーズ・アレン・ハミルトン(Booz Allen Hamilton)と共同で最近実施した調査から明らかになったことですが、調査対象企業が有する研究開発拠点の総数のうち、海外に設置した拠点は過去30年間で半分以下から3分の2を超える数にまで増加しています。また、これらの企業のグローバルなイノーベーション・プロジェクトへの参加も、著しく増加しています。つまり、メタナショナル化を予測した仮説は、現実のものとなりつつあるのです。

理論が現実化しても、用語はその後で、ゆっくりとしか普及しないものです。あるいは、ついに定着しないかもしれません。考えてみれば、「トランスナショナル:超国籍、国境を越えた」という用語が根付いたのも、1980年代にバートレット(Bartlett)とゴシャール(Ghoshal)が研究を行って、10年以上経ってからです。しかも「メタナショナル」よりも単純でわかりやすい言葉であったのに、それだけの時間がかかりました。「メタナショナル」という言葉を選んだのは、この言葉が私たちの言わんとする意味を正しく表しているからです。この「メタ」というギリシャ語源の接頭辞は、「~を超えて」という意味ですが、「~より上位の」というニュアンスはありません。すなわち、新たな知識を世界中に探し求める企業と、諸国家との関係を表しています。メタナショナル企業は、世界各国(より正確に言うなら、シリコン・バレーに代表されるように、世界中の都市や地域に形成された知識クラスター)に根づいている多様な知識の源泉をビジネスに活用し、さらに、これら知識ソースを水平に結び付けることによって、グローバルなイノベーション・プロセスを展開してゆくのです。私たちの著書、あるいはその後の論文が一助となって、イノベーションを生み出すために企業の経営者たちがメタナショナルな取り組みをはじめたのであれば、私たちの仕事はすでに完成したといえるのです。どのような用語が用いられようと、それは問題ではありません。

RIETI編集部:
著書の中で、グローバルな知識経済で勝ち抜くには3つの活動、すなわち、新しい知識を探し求めそれにアクセスすること(察知)、新知識を動員してイノベーションを創り出すこと、そして、それを事業化することが必要である、と指摘していらっしゃいます。新興企業で内部リソースが限られている場合、急速にメタナショナル企業として変貌を遂げるには、どのようにしてこれら3つの活動を開始すればいいのでしょうか。

ドーズ:
逆説的に聞こえるでしょうが、新興企業は、むしろ優位に立てる環境にあるのです。研究を通じて、私たちが観察してきたことなのですが、メタナショナルなイノベーションという理論を取り入れるのに最も苦労し、しかもその実践においてより一層の困難を経験しているのが、従来型の多国籍企業なのです。例外があるとすれば、さまざまな国の企業を買収し、合併した結果として生まれた多国籍企業です。この場合、買収された各企業はそれぞれの地域の市場を理解し、そこで研究開発活動を展開しており、これらを持ち寄ることになるのです。しかし、ほとんどの多国籍企業は、以下に挙げる2つのケースのどちらかに当てはまります。ひとつは、グローバルな統合が非常に進んで知識の流れが中心から周辺へ向かう一方通行に片寄っているケース、もう1つは、国別対応型、あるいはマルチ・ドメスティック(これもなかなか定着しない用語の1つです)とも呼べるもので、知識の流れがあまり活発ではないケースです。後者では、国ごとに独立の組織に分かれ、企業が分断されてしまっている状態が多く見られます。どちらのケースでも、メタナショナルなイノベーションへの道のりは非常に遠いといわざるを得ません。これに対し、新興企業には、過去から持ち越されてきた組織的あるいは認識上の制約がありません。また、リソースが不足しているからこそ共同研究を行うなど、取り組みに工夫を凝らす必要が出てきます。メタナショナルなイノベーションが成功するか否かは、企業の規模やリソースの豊富さよりも、むしろその考え方、新しい知識を学ぼうとする謙虚さと忍耐にかかっているということを、研究を通じて私たちは見てまいりました。企業の創立者自身や創立チームのメンバーの経験が浅く、視野が狭いよりも、それぞれが国際的な経験を持ち、ひとりひとりがコスモポリタンな感覚を有していれば、メタナショナル企業になることはずっと容易なはずです。

RIETI編集部:
インド、とりわけバンガロールは、グローバル企業の業務処理のアウトソーシング(BPO)先として、近年人気を集めています。バンガロールでは、コスト効率が良く、質の高いサービスが提供されているものの、ドーズ先生の著書を引用させていただくと「情報技術や情報ネットワークは、複雑な知識をグローバルに運用していくという問題を解決するものではありません」。このような状況を踏まえて、海外へのBPOに大きく依存する企業にとって最も差し迫ったニーズとは何だとお考えになりますか。

ドーズ:
最も重要な点は、本シンポジウムのために用意した原稿にも記したとおり、そのような方法の限界を理解することです。コストや効率性という理由から、融通のきかないやり方で、比較的標準化された中程度の技術を遠隔地に求めることと、知識の創造に投資し、これにアクセスすることを混同してはいけません。インドではソフトウェアやバックオフィス処理、コールセンターの運営といったサービスを提供していますが、これらのサービスにおける経験は、イノベーションとはあまり関係がありませんし、それほど複雑な知識を要するようなものではありません。

RIETI編集部:
知識経済における各国政府の役割はどのように変化してきているのでしょうか。メタナショナル企業が、まだ手がつけられていない未開発の知識を世界中に探し求めるのだとしたら、各国政府の取り組み(たとえばイノベーションを育む環境を整えるために研究開発への投資を増加させるなど)は、もはやメタナショナル企業の成功にとって大きな影響をおよぼさないのでしょうか。

ドーズ:
いいえ、実際のところ、これまで以上の影響があるのです。世界中の国々や都市の間で知識の創造をめぐる競争があり、付加価値の高い知識を生み出す多国籍企業の投資を引き付けるにはその競争に加わらなければならないことを、各国政府は十分承知しています。イスラエル、シンガポール、ヨーロッパではフィンランドやアイルランドなどの国々が、非常に賢明なやり方でこの競争に加わっている好例です。ここで、各国政府が気をつけなければならない点は、バイオテクノロジーやゲノミクスなど、魅力的ではあるが既に過密気味となってしまった科学セクターを呼び込むことに無為に力を費やさないことです。これらの分野では、既に勝敗は決まっています。勝者となる都市は、多くても12箇所くらいでしょう。そして、そのほとんどは米国の都市です。ですから、そのような方面に公的な資金をつぎ込むのは無駄というものです。言い換えるなら、集合的な知識として地域に既に根づいているものの、その可能性が十分に開拓されずにいる分野、たとえばシンガポールなら輸送分野ですが、そのような分野での強みを土台に選択・特化を推し進めることが、かつてないほど重要になってきているのです。科学への投資の結果として得られる知識は、多くの場合可動性が良すぎて、地元への下流効果を生むとは限りません。多国籍企業は、政府からの資金援助を利用しながらも、開発、商品化、製造をどこか他所で行うということになりかねません。地域に深く根ざした、可動性の低い(他所では利用の困難な)知識を生み出す可能性、これを指針として各国政府は投資を実施するべきなのです。

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取材・文/RIETIウェブ編集部 木村貴子 2006年1月26日

2006年1月26日掲載