地政学的対立が先鋭化する中、多くの政府は同盟を結成し、特定の貿易関係を強化、あるいは時に他国を弱体化することで、数を頼りに安全を確保しようとしている。しかし友好国を求め、敵対国から距離を置こうとするだけでは、すべての政府にとっての戦略的選択肢―すなわち、地政学的な混乱に対応する自国企業の能力向上のため、自国のビジネス環境を改善すること―を見落としてしまう。近年のオーストラリアとリトアニアの経済的威圧への対応は、供給サイドの強靭性の重要性を浮き彫りにしている。
地政学的な対立が激化するにつれ、偏狭なゼロサム思考のサイレンが目立つようになってきた(Strain 2024)。これは、外国との取引によって生活水準を向上させてきた、過去数十年の経験とは相いれない(Irwin 2024)。輸出は国内の売り上げを増大させ、雇用をより安定させる。慢心した寡占企業は市民を搾取しがちだが、輸入競争は自国企業を刺激してくれる(Levinsohn 1993)。過去半世紀を振り返っても、企業が海外進出せずに経済大国になった国はない(Zakaria 2024)。
しかし、日本のような経済大国であっても、中国と米国が覇権を争う中、どのような対応が最適かという問題は引き続き残る。良くも悪くも、少なくとも世界金融危機以降、世界は通商政策の一国主義時代を迎えており、グローバル・トレード・アラートによる通商政策の入念な監視もこのことを示している(Global Trade Alert 2024)。残念ながら、先駆者的な多国間市場開放への意欲は依然として見られない。WTOのメニューにあるのは、にぎりずしサイズほどの改革で、地域貿易協定についても同様である。最近、世界銀行のアナリストは、今世紀が進むにつれて、新たに調印された地域協定の数が減少していると報告している(Kose and Mulabdic 2024)。通商改革に対する互恵的なアプローチは、悲しいことにもはや存在せず、一国主義が主流となっている。
しかしコレステロールと同様に、一国主義にも2つのタイプがある。愚かな一国主義では、輸入に対する貿易障壁を設けたり、商取引の土俵を自国企業に有利に傾けようとする。こうした策略のアイデアが自国企業から出されることが多いという事実から、そうした企業の競争力は推して知るべし、である。成功する経営者は、常に顧客により多くの価値を創造する新しい方法を考えており、商取引の方法には疎い役人に助けを求めて走るようなことはしない(Evenett 2024)。
すべての政府が建設的な効果を生み出せるのは、国内のビジネス環境においてである。交渉に何年もかかる通商協定とは異なり、政府は自国のビジネス環境をすぐさま評価し、ベンチマーキングすることができる。幸いなことに、スイスのローザンヌにあるInternational Institute for Management Development (IMD) が作成した「世界競争力ランキング」(2023年版)など、国家競争力の指標やランキングは高く評価されている。経済学者たちは、短期的なマクロ経済政策についてはかんかんがくがくやり合うが、こと長期的な経済成長の原動力に関しては、見事な意見の一致を見ることができる(Jones 2023)。賢明な政府はこのコンセンサスを活用すべきである。
国内のビジネス環境改善には、生産性向上が不可欠だが、これだけにはとどまらない (McKinsey Global Institute 2024)。地政学的な分断など、多くの要因が企業の分断への適応能力に影響を及ぼす。海外の新たな未開拓市場に関する情報だけでなく、チャンスが発生したときに活用できるだけの専門知識も必要である。国の教育制度や労働市場の制度は、新しい状況に適応できる可能性がある。信頼性と品質に対する評判は、時間をかけて育てていく必要がある。
スイスは、生活水準が最も高い国の1つだが、スイスの人口は、成功した多くの企業を支えるには少な過ぎる。スイスは輸出をしなければならず、何があっても競争力を維持しなければならないということを、スイス人は誰もが理解している。ドイツが(ウクライナ侵攻後のように)エネルギー集約型企業に巨額の補助金を出したとしても、スイスはそれほど潤沢な資金を持っていないため、異なる方法で国家運営をせざるを得ない。そのためスイスは、一流の輸送・デジタルインフラ、法人税や規制の負荷を適切に維持し、さらに現在の巨大企業だけでなく、未来の市場とも可能な限り強いつながりを持つ必要がある。IMDの「世界競争力ランキング」(2023年版)は、スイスが他の60以上の国と比較してどれほどうまくやっているかを明らかにしている。
確かに、現在のスイスの良好なビジネス環境は一朝一夕に生まれたものではないが、最近の通商交渉には時間がかかることを念頭に置いてほしい(公平な比較するという精神でのコメントである)。近年の地政学的対立の激化から考えれば、国家経済の供給サイドの改善という長年の提言が正しいことは分かるが、それには平穏な生活、あるいは非常に富める生活をもたらす特権にしがみつく既得権益層を相手にする必要がある。このため、供給サイドの改革は、「子供に新鮮な野菜を十分に食べさせるようなもので」、明らかに正しいことだが困難な戦いである。
政府は、企業が新しい状況に適応しやすいビジネス環境の側面に焦点を当てるべきである。貿易大国による「経済的威圧」、最悪の場合にはサプライチェーンが分断されるような紛争によって、既存の販売市場や調達先が封鎖されたと仮定する。その場合、自国企業は代替先を見つけ、それに基づいて行動する能力と資源を確保する必要がある。企業は自由化されている海外市場と、機会を活用するために遵守すべき規制について知っておかなければならない。
重要なのは、企業経営幹部や政府当局が地政学的な混乱に備え、どのように対応するかあらかじめ想定しておくことだ。オーストラリアとリトアニアは、多くの人が「経済的威圧」と見なす事態に直面したとき、自国企業が生み出す価値ある商品の新しい市場を見つけ出し、中小規模の経済が効果的に方向転換できることを示した(Beattie 2024, Cutler and Wester 2024)。もちろん当初は懸念もあった。だが現地の企業や政府は代替案があることを知っており、それを精力的に追求した。
地政学的な対立が激化するにつれ、供給サイドの改革に関連する政治的論理も変化した。改革に反対する勢力は、適応力が最も重視される時代に、なぜ自分たちの利益がより重要なのかを説明しなければならなくなっている。経済安全保障の議論は、改革に抵抗する人々にとっては形勢不利に働くだろう。自国の既得権益者が(改革に)協力してくれないがため、海外の経済的威圧の結果、本来失われるべきではない雇用が失われることになるのか、メディアも国民も理解に苦しむことだろう。
もちろん、改革によって損失を被る既得権益層への衝撃を和らげることは、一般的に賢明な政策だが、それにより改革が頓挫すれば、地政学的な敵に対して、攻撃のより大きなインセンティブを与えることになる。改革をめぐる議論が独裁国家からも追跡できるようなオープンな社会では、改革に対する既得権益層の反発は、外国政府に注目され計算に織り込まれることになる(英国議会2023年、欧州議会2024年)。現地企業やセクターの適応力が高まるにつれ、経済的威圧によるマイナス面は縮小する。供給サイドの改革は、政府が自国の社会を経済的威圧から守る方法のひとつである。
再び激化した地政学的な対立はすぐに収まる気配はなく、どのような混乱が起こっても適応できる機敏な企業を持つことが重要となる。その結果、政治的な計算が変わり、現状維持というボトルネックの擁護者は劣勢となるはずである。企業にも政府にも主体性がある。時代は、主体性を発揮する勇気を求めているのである。