理論的文献においては、人的資本は経済成長の基礎であると広く認識されている。だが、人的資本が成長に与えるマクロ経済的な影響を数値化する試みの成果はまちまちである。このコラムでは、経済成長との強力で堅調な正の相関を示す、人的資本に関する新たな指標を紹介する。この指標は、就学年数に対する限界利益がU字型の曲線を示すという近年の知見に基づいており、国や時期の違いにも対応している。経験的な分析によれば、この人的資本に関する指標には、就学前教育、教育資源、さらには学校自治が重要であることが分かっている。
国の人的資本に関する従来の指標の多くは、その国民の平均就学年数に基づいている。だが、複数国にまたがるマクロ経済成長の回帰分析を見ると、こうした人的資本の指標と経済的な成果の相関関係についてのエビデンスは明確ではない。例えば、1989年から2011年にかけて発表された60件の研究をメタ分析したところ、報告されている人的資本に関する係数推定の約20%は、誤った(負の)相関を示していた(Benos and Zotou 2014)。Robert J. Barroによる、比較可能な仕様、手法、データ群に基づく10数本の論文群に注目すると、教育に関する係数推定のほぼ半分は、負の相関を示す、および/あるいは10%の有意水準で見たときに統計的に有意でなかった。またベイズモデル平均化(BMA)でも、[経済]成長の回帰分析における人的資本の堅調さについてのエビデンスは明確ではない。
近年OECDがその加盟国を対象に実施した複数の調査では、人的資本が国民1人あたり所得や生産性水準に対して与える堅調な正の影響を見出すことが困難であることが確認されている。推定される影響は、人的資本の指標と推定手法に左右されている(Guillemette et al. 2017)。回帰分析に多数の制御変数を含める事は、統計的に優位な正の影響を減少ないし消滅させる傾向がある。これは、人的資本と他の指標、特に優れたガバナンスを示す指標との相関が、これらの変数を通じて間接的な影響を及ぼし、推定される人的資本による影響を弱めるためであろう(Fournier and Johansson 2016)。時期による共通の母数効果を用いると、OECD諸国のあいだでは類似した時系列トレンドが見られるため、推定される人的資本の影響はさらに弱くなるようである(Égert 2017)。
人的資本の指標をさらに注意深く見ていくと、平均就学年数を用いた多くの経験的研究においては、教育の限界利益逓減も想定されていた。つまり、限界利益は初等教育において最大となり、中等教育がこれに続き、高等教育では限界利益が最低になる、という意味である(Hall and Jones 1999, Caselli 2004, Feenstra et al. 2015)。さらに、[教育の限界]利益は国と時代にかかわらず一定であると見なされていた。だが、教育の利益に関する最も新しく信頼性の高いデータからは、異なる様相が見えてくる。それによると、初等、中等、高等教育による平均利益は、教育に費やされた時間に対して、これまで想定されていたように直線的ではなく、U字型を示すことが窺われる(Psacharopoulos and Patrinos 2004, Montenegro and Patrinos 2014)。また、その利益は国によって大きなバラツキが見られる。OECD諸国の間の差異は最大10パーセンテージ・ポイントにも達する可能性があり、BRICS諸国及びそれ以外の諸国における[教育による]利益は、OECD諸国におけるそれよりもかなり大きくなっている。またこのデータからは、OECD諸国においてもBRICS諸国においても、平均利益は時代とともに増大していることが分かる(図1を参照)。
生産性と正の相関がある人的資本に関する新たな指標
こうした欠陥を修正するため、筆者らはBotev et al. (2019)において、観察されたU字曲線、すなわち学校教育の年数追加による利益逓増に基づき、さらに国・時期にわたる差異を加味するような、人的資本に関する新たな指標を構築した。教育の利益に関するデータには、Goujon et al. (2016)がまとめた学校教育の平均年数に関する2018年の改訂版を統合した。筆者らの指標は、5つの国グループ(先進OECD諸国、後発加盟OECD諸国、東欧OECD諸国、新興市場諸国、その他)および3つの時期(1979~1989年、1990~2000年、2001~2012年)によって異なる利益率をベースとしている。筆者らの人的資本に関するマクロ経済指標は、時系列的で複数国にまたがるパネルデータ回帰分析における複数要素生産性と、統計的に有意な正の相関を示している。この回帰分析には、国・時期の固定効果が織り込まれており、分析に含まれる時期、推定手法、対照群に対して堅調な結果が得られている。
人的資本の新たな指標が持つ政策上の意味
実証的な分析によって、筆者らによる人的資本のマクロ経済的指標が持つ政策上の意味がいくつか確認されている。すなわち、就学前教育、進路振り分けの先送り、教育資源、学校自治が重要であることは、ミクロ経済学の文献(Égert et al. 2019, Smidova 2019)による従来の知見とも整合している。
就学前教育への参加が拡大すれば、人的資本には正の影響がある。ミクロ経済学の文献が示唆するように、その効果は、不利な条件に置かれた子どもの比率が平均より高い国の方が強く現われる。もうひとつ得られた知見は、教育資源の重要性である。教育の質に関する指標が存在しないため、Égert et al. (2019)は、教育の質に関するおおよその指標として、学生数・教師数の比率を用いている。子どもをその能力や学習到達度に基づいて職業訓練校やグラマースクールなど異なる教育進路に振り分ける年齢を遅らせることも、やはり正の影響を与える。学校自治に関する国際学力調査(PISA)指数で測定した学校自治[の高さ]は、人的資本にとって有益である。マクロ経済学の文献に照応する形で、学校が負う対外的な説明責任の指標となる外部統一試験が存在する国では、この正の影響は大きくなっている。さらに、大学が資源配分において発揮する自律性が高く、多くの人的資本を備え、大学教育のための独自の資金調達を容易に利用できる国では、国としての人的資本が増大しやすくなる。ただしこれらはさほど堅調ではない点に留意すべきである。
こうした政策効果は、Lorenzoni et al. (2018)によって提案された手法を用いて推定したものである。すなわち、国民1人あたりの教育支出は人的資本に直接的な影響を及ぼし、教育政策は、教育支出の効果にテコ入れする形で人的資本に影響をあたえる。この推定手法は、教育政策が相対的に時間に対して不変であるという想定により、教育政策の時系列的な利用可能性が(きわめて)限られていることを克服している。言い換えれば、教育支出が人的資本に与える影響は、教育政策によって増大・減少する。
こうした教育政策の一部、すなわち就学前教育への参加増大、大学自治の拡大、高等教育における学生の学費障壁の引き下げは、「高い費用対効果」を示している。というのも、人的資本を高めると同時に、支出への圧迫を弱めるという二重の配当を提供するからである。初等教育・中等教育における学校自治の拡大は教育の成果を向上させるものの、支出への圧迫を弱めるわけではない。一方、学生:教師比率の改善、最初の進路振り分けの高年齢化、進路振り分けの範囲の縮小は、人的資本を高めるものの、コストの上昇に繋がる。
本稿は、2021年1月6日にwww.VoxEU.orgにて掲載されたものを、VoxEUの許可を得て、翻訳、転載したものです。