近年、貿易および貿易政策は難しい状況にある。第1に、世界貿易の伸びが鈍化しており、特に世界金融危機以降、その傾向は顕著になっている。第2に、一部の先進経済国において、貿易協定やひいては国際的な経済統合に否定的な立場をとってきた政党に票を投じる有権者の割合が増加している。本稿では、世界貿易の減速の決定要因と、世界貿易の発展を促す上で特恵貿易協定や多国間貿易協定が果たしてきた役割について、現時点で分かっていることを概説する。貿易協力は、四半世紀にわたり、市場アクセスの改善とグローバルバリューチェーン(GVC)の発展を後押しし、世界貿易の拡大を支える柱となってきた。統合の深化を目指す政策からの揺り戻しが現実のものとなれば、今後の世界貿易の拡大が損なわれることになるだろう。しかし、貿易悲観論は過度に強調されるべきではない。開かれた貿易を是とする理論的根拠や貿易協力を望む声は依然として強いからである。
貿易の減速
2012年から2015年における世界貿易の年平均伸び率は約3%で、金融危機前の1987年から2007年における年平均7%を大幅に下回り、国内総生産(GDP)成長率よりも低い水準にとどまった。2016年の第1〜第3四半期の速報値によると、世界貿易の伸び率はさらに鈍化し、通年ベースで1%近くまで低下する可能性がある。世界貿易の伸び率鈍化は、GDP成長率が低迷しているだけでなく、貿易とGDPの長期的関係が変化していることも要因になっていることがこれまでの研究で明らかになっている(GEP, 2015; Constantinescu et al. 2015)。世界貿易のGDPに対する弾力性を見てみると、1990年代は2を超える水準だった値が2000年代に入ると一貫して低下傾向を辿り、1に近づきつつある。世界貿易の減速については、その半分近くはGDPに対する感応度の変化が要因で、残りの半分は世界的需要の低迷とその他の循環的要因に帰することが分かった(図1)。
世界貿易の所得に対する弾力性の長期的な低下の背景には貿易体制の変化があると考えられる。1990年代から2000年代初頭にかけて、中国をはじめとする国々でWTO加盟に向けた改革やWTO加盟に伴う改革が推し進められ、これらの国々の世界貿易体制への統合が急速に進んだ。新興国や途上国の実行関税率は平均30%近くから15%未満に、先進国でも10%から5%未満に低下した。同様に、特恵貿易協定(PTA)も1990年代に50件程度だったのが、2000年代初頭には約200件に、2015年には279件に急増した。協定の対象分野も投資から競争政策へ、さらには知的所有権へと拡大した(Hofmann et al. 2016)。1994年の北米自由貿易協定(NAFTA)や2000年代初頭のEU拡大など、一部の協定は関係諸国に抜本的な変革をもたらすこととなった。
貿易弾力性の長期的な変化の関連要因として、垂直的国際分業の拡大ペースの変化がある。1990年代は、情報通信技術がもたらした衝撃と貿易協定の深化を背景にGVCが急拡大を遂げた。その結果、部品貿易が活発化し、国民所得より先に貿易の加速につながった。2000年代に見られる貿易の所得に対する感応度の長期的な低下は、1990年代に技術と政策の変革によってもたらされた衝撃が吸収され、生産工程の国際分業化の動きが減速したことの現れと捉えることができるかもしれない。
世界貿易の減速という今日の状況において、GVCと貿易制度改革がいかに重要かを示すために、Constantinescu et al.(2015)で行った回帰分析の結果を紹介する。この研究では、先行研究(Hoekman, 2015)で長期的な貿易弾力性の低下をもたらす主な要因として示された一連の説明変数について、世界の商品貿易の所得に対する弾力性(貿易伸び率をGDP成長率で除した数値)を回帰推定した。変数については、i)垂直的分業比率の変化(GVCへの参加度の変化を示す変数)、ii)関税率の変化(貿易の開放度を示す変数)、iii)反ダンピング措置のような緊急避難的な貿易保護措置の変化(一時的な保護措置の変化を示す変数)、iv)投資の対GDP比率の変化(需要構造の変化を示す変数)の4つに着目した。
この分析を行うことで、各説明変数が貿易の所得に対する弾力性の変化にどの程度寄与してきたかを評価できる(注1)。1991〜2000年における平均貿易弾力性が2.6だったのに対して、2001〜2014年(2009年を除く)には平均1.8に低下している。その最大の要因は垂直的分業で、垂直的分業比率の平均増加率の低下(1991〜2000年の3.1%から2001〜2014年の-1.0%へ)が貿易弾力性を0.4低下させる要因となっている。関税自由化の速度が鈍っていることも大きな要因となっている。関税自由化の速度の平均伸び率の低下(1991〜2000年の6.6%から2001〜2014年の2.3%へ)が貿易弾力性の低下要因として同程度の比率を占めている。その他の要因が占める比率はそれほど大きくない。
貿易促進における貿易協定の役割
次にこの問題を別の角度から見てみよう。ここ数十年間、貿易協定は世界貿易の拡大にどの程度寄与してきただろうか。これについては、世界銀行のAaditya Mattoo およびAlen Mulabdicとの共同研究(Mattoo et al. 2016)を引用する。まず、貿易協定が加盟国間の貿易拡大に寄与した度合いを調べる。世界産業連関表データベース(WIOD)の貿易データと特恵貿易協定に関する世界銀行のデータを用い、自由化の度合いを測る尺度を補って、1995〜2014年の重力方程式を推定する。WTO加盟年を特定するダミーを含めることで、WTO加盟の効果と区別して貿易協定の効果を定量化できる。最も自由化の度合いの高いPTAでは、長期的に見ると、加盟国間の貿易が2倍を超える規模に拡大するという効果が認められる。WTO加盟については、長期的に貿易を65%増加させる効果がある。
次にこれらの推定を用いて反実仮想シナリオを作成する。具体的には、1995〜2014年に新たな貿易協定が一切締結されず、WTOに加盟した国もなかったと仮定した場合に世界貿易にどのような影響があったかを考える。この間の世界貿易拡大の約40%は貿易協定(特恵貿易協定および多国間貿易協定)によるものであることがわかる(表1)。この数字は、WTO加盟と特恵貿易協定の締結という2つの要因別に分解できる。1995年から2014年にかけて世界貿易は年平均6.5%のペースで拡大した。仮に、この間、WTOへの新規加盟がなかったとしたら(2001年の中国のWTO加盟はなかったなど)、1995〜2014年の世界貿易の年平均増加率は実際よりも1ポイント低くなっていただろう。新たな特恵貿易協定も締結されなかったとしたら(2004年の東中欧諸国のEU加盟はなかったなど)、世界貿易の年平均拡大率はさらに0.8ポイント低い水準にとどまっていたと考えられる。つまり、特恵貿易協定が締結されず、WTOへの新規加盟もないという2つの要因が重なった場合、世界貿易の年平均増加率は実際の6.5%から4.7%に押し下げられていたと考えられる。
実績 | 貿易政策変更なし (特恵・多国間協定) |
特恵協定変更なし | WTO新規加盟国なし | |
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世界貿易増加率 (1995〜2014年) |
232% | 142% | 200% | 175% |
世界貿易増加率(年率) | 6.53% | 4.76% | 5.95% | 5.46% |
注:反実仮想シミュレーションは、ポワソン疑似最尤法(PPML)で推定した重力モデルに基づく。同モデルは、貿易国ペア固定効果、輸出国・年次固定効果、輸入国・年次固定効果のほか、貿易協定の自由化の度合いを示す変数とWTOダミーを構成要素とする。自由化変数とWTOダミーについては、動的効果を捉えるために最大10年分のラグ変数を含めている。 |
世界貿易の先行きは暗い?
世界貿易はこのところ拡大の勢いが衰え、2016年には頭打ちとなった模様だ。その背景には循環的要因と構造的要因の両方が存在する。たとえば、金融危機以降、世界経済は減速傾向にあり、GVCの拡大や貿易自由化もかつての勢いはない。特に、貿易協定については、これまで世界貿易の拡大に大きく寄与してきた。国際貿易協力関係の深化に向けた動きが膠着状態に陥った場合、あるいは、逆戻りするような事態に陥った場合、今後の世界貿易に間違いなく大きな打撃を与えることになるだろう。定量化するのは難しいが、主要先進経済諸国の今後の貿易政策における不確実性は、今日すでに、世界貿易を減速させる要因となっている可能性がある。
しかし、貿易の先行きに対する悲観論は誇張されるべきではない。第1に、貿易統合の余地は依然として大きい。貿易コスト削減に向けた改革は、特に過去に同様の機会を逃した国や地域において、市場アクセスの改善とGVCの拡大を促し、効率性の向上をもたらす可能性がある。第2に、環太平洋パートナシップ協定(TPP)のような主要な貿易協定の将来が危ぶまれているが、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)をはじめとするその他の構想は本格化する可能性がある。ほとんどの途上国や新興経済諸国は依然として経済統合を強く求めているからである。最後に、そしてより根本的なことであるが、貿易協定ひいては多国間経済協力の深化とは、進化する世界経済のニーズへの対応という長期的な現象である。一部の先進経済国における経済統合に対する国民世論の悪化は起こるべくして起きたことではなく、市場開放の恩恵をより多くの人々が享受できるような補完的な政策を政府が講じることで対処できる問題なのである。
*本稿は世界銀行のCristina Constantinescu氏、Aaditya Mattoo氏、Alen Mulabdic氏との共同研究に基づくものである。本稿で述べた見解は筆者個人のものであり、必ずしも世界銀行グループの見解を示すものではない。