長期停滞説は低金利が今後の「ニューノーマル」となる可能性を示唆している。本稿では、このような見方は、各国それぞれの経済から見た政策の大幅な見直しのみならず、国際的に見た金融・財政政策や国際資本移動の役割、そして国境を越えた政策協調のあり方に関する大幅な見直しにつながると論じる。長期停滞期においては、英国のEU離脱や最近のトルコでの混乱といった出来事が平時よりもはるかに大きな波及効果を持つ。
米国をはじめとする先進国経済の回復が思わしくない中、Alvin Hansenの長期停滞論(Hansen 1939)が再び関心を集めている。長期停滞論とは、先進工業国は貯蓄性向の上昇と投資性向の低下に苦しむというものである。これらは実質均衡利子率の低下に帰結する。実質均衡利子率の低下のもとでは、中央銀行はマイナス金利を大幅に下げることはできないため、様々な問題を引き起こす可能性がある。従来型のKrugman(1998)やEggertsson and Woodford(2003)を引き継ぐ「流動性の罠」に関する分析とは異なり、長期停滞論を決定づける要素は実質金利がプラス圏の「ノーマルな水準」に戻ることが必ずしも仮定できない点である。
長期停滞の世界では、自然利子率が持続的または永久にマイナスであり得るため、実質金利が自動的に正常な水準に回帰する保障はない。ほんの数年前にはいささか強引な仮説と思えたが、いまや長期停滞の可能性は妥当と思われるようになっている。現在、先進諸国における平均的な長期金利は、今から5年前の世界金融危機直後の時期よりも低下している。本稿の執筆時点での各国の金融市場の状況を見ると、米国、ヨーロッパ、日本における物価上昇率は今後も10年以上にわたり、引き続き目標の2%をはるかに下回り、将来的にも実質金利が1%を大幅に下回る状態が続くと予測されている。先月、日本に続いてドイツの10年物金利がマイナスに転じた。米国も1度不況に見舞われれば、同じ状況に陥るだろう。さらに気がかりなことに、我々の研究は、米国、ドイツ、スイスなど「安全な逃避先」へ大量の資本が流入することにより、これらの国に重大な逆風がいずれ生じる可能性を示している。英国のEU離脱やトルコの政治的混乱のような出来事は、そうした展開の触媒となる可能性がある。
分析的アプローチ
我々の研究(Summers 2014, Eggertsson and Mehrotra 2014)を含め、多くの先行研究では、米国の長期停滞に焦点が当てられている。一方、Neil Mehrotra と共同執筆した最近の論文(Eggertsson et al. 2016a, 以下「EMS」)や、Neil Mehrotra およびSanjay Singh と共同執筆した最近の論文(Eggertsson et al. 2016b, 以下「EMSS」)では、広がりつつある長期停滞における実質為替レートや特に国際資本移動の重要性、そしてその結果生じる各国への政策波及効果に焦点を当てている。
1本目の論文では、IS-MPモデルの伝統に則った基本的な開放経済の教科書モデルを若干修正した変形モデルについて考察し(EMS参照)、さらに2本目の論文では、名目的な摩擦と不完全な金融統合を伴う、より現代的な開放経済の世代重複モデル(overlapping generations model)について考察した(EMSS参照)。したがって、1本目の論文では現在の教科書的な手法について直接的に論じており、他方、2本目の論文では、(多少扱いづらいが)現在、政策策定の大半のケースで用いられている動学的確率的一般均衡(DSGE)型のモデル類について直接的に論じている。一部の重要な含意はどちらの枠組みにおいても頑健性がみられ、どちらも長期停滞期には、国境を超えた政策の波及効果が通常よりもはるかに大きいことを示している。
重要な含意
一般的に、長期停滞は2つの補完的経路を通じて各国間に波及する。一般的に海外における需要低迷とゼロ金利制約下においては、国内の輸出需要低下により自国の実質為替レートの上昇につながるため、生産能力に見合った総需要を維持するべく、中央銀行に金利引き下げの圧力がかかる。この1つ目の経路は国際金融市場の影響は受けず、常に貿易収支が均衡し、したがって国境を超えた金融取引がない状態においても、有効だといえる。2つ目の経路は資本移動により生じる(たとえば、輸入と輸出が完全に代替可能である極端な場合など、実質為替レートが一定の場合でもこの経路は有効である)。金利がマイナス水準でなければ、望ましい貯蓄水準が望ましい投資水準を上回ってしまう場合、その国が長期停滞の状態にあり、国境を越えた貸借が可能であれば、通常、その国の貯蓄超過分は経常収支の黒字を通じて国外に流れる。これにより、資本流入を受ける国の実質金利に下方圧力がかかる。この経路の影響の強さは資本市場の統合の度合いに大きく左右される。2つの補完的な政策的枠組みから、3つの明確な結論が導かれる。
第1に、金融統合の進展に伴い、長期停滞が広まる可能性がある。特に、すでにゼロ金利制約下にある国にとって資本の流入は大きな負の外部性を持つ。新重商主義を彷彿とさせる結果である。ゼロ金利制約下にある国への資本の流入は実際、その国に経済的な損害を与える。つまりゼロ金利制約において経常収支の赤字は、当該国にとって害になる可能性がある。ゼロ金利では望ましい貯蓄と投資の間にミスマッチがおこり、資本流入はこの問題を悪化させる。米国の立場からみた直接的な影響には、産油国や新興市場のドル建て外貨準備高への悪影響の可能性などが含まれる。もう1つの重要な含意は、もし連邦準備制度理事会(FRB)が貿易相手国に先駆けて金融引き締め政策をとれば、大量の資本が米国に流入する可能性が高く、利上げによる縮小効果を増幅させる傾向がみられる。もしかなり大量の資本が流入すれば、深刻な不況を回避するため、FRBは再び金利を引き下げざるを得なくなるだろう。最後に、政策の不確実性が増している新興市場、あるいはEU離脱後の英国から大量の資本が米国に流入すれば逆風が生じるだろう。
第2に、開放経済においては自国でとられた経済刺激策が他国の経済や、長期停滞に陥っている他国の選択肢に通常とはまったく異なる影響を及ぼす可能性がある。一般的に、金融政策や競争政策は負の外部性が働くのに対し、財政政策や内需刺激政策には正の外部性が働く。こうした結果の背景にある重要なメカニズムは、金利は自由に調整可能なため、通常の場合は中心的とはいえない。考慮すべき重要な点は、ある政策が金利差に及ぼす影響と国家間の資本移動への影響であり、ある国における望ましい貯蓄と投資のミスマッチを悪化させる、あるいは改善する可能性がある。そしてこのミスマッチこそが長期停滞問題の核心なのである。たとえば、拡張的金融政策の場合、実施する国の金利低下を招き、資本流出につながる傾向にあり、貿易相手国の貯蓄・投資の不均衡を悪化させ、その結果、負の外部性が生じる。対照的に財政政策の場合、実施する国の実質金利を上昇させる傾向にあり、資本流入を招き、その結果、貿易相手国の望ましい貯蓄・投資バランスのミスマッチの軽減につながる。良い意味で、世界金融危機後、世界中で財政政策ではなく金融政策がとられた理由は、財政政策の恩恵が諸外国に波及するからだといえる。規範的な意味では、強力な国際的財政協調が望ましいということが我々の研究結果で示された。
第3に、長期停滞への対応としてとられる財政政策は政府の長期的な予算制約と矛盾しないが、考慮すべき重要な点が3つある。まず(DeLong and Summers 2012に示されているように)、財政政策は採算が取れる可能性があるということである。我々はEMSS論文において、実際、我々の枠組みでは財政拡大によって債務の対GDP比が低下したことを証明した。2つ目は、税方式の支出のような均衡予算政策、あるいは賦課方式の社会保障の拡大は、プラスの財政的影響を持つということである。3つ目は、単発で行われる債務増加は需要を拡大し、明らかに長期停滞の期間中は持続可能ということである。その結果、政策立案者の多くは公的債務削減を目的とした緊縮財政を進めることに二の足を踏むようになる。
今後の政策的含意
我々の分析の結果、今後の成長について気がかりな含意がみられた。多くの人が考えるように、今後、広範な新興市場への信頼の欠如が新興市場への資本流入の減少や新興市場からの資本流出の増加が加速した場合、先進諸国にとっては経済の縮小がもたらされるだろう。金利が下限に近いことを考えれば、貿易赤字の拡大を利下げによって大幅に縮小するのは無理だからである。さらに、新興市場からの資本逃避の増加は、新興国経済の弱体化とも関連している可能性があり、先進国の通貨上昇につながる可能性が高い。要するに、資本の移動は世界経済の全般的な弱体化と関連している可能性がある。
こうした状況は1980年代の中南米の債務危機や1990年代のアジア金融危機などの状況とは全く異なっている。当時は、新興市場からの資本流出と米国の利下げやその結果として資産価値の上昇が同時に起きていた。現在、米国ではこれ以上金利を下げる余地はなく、ゼロ金利制約に近い。それゆえ、過去の経験や従来の開放経済モデルに示されているよりも、米国の株式市場が中国の動きに敏感に見えるのは当然のことだろう。
我々は国際的な経済政策についての影響に関しても分析を行った。先進諸国では、金融政策では相殺できないレベルまで資本流入が縮小的になる可能性がある。構造改革の推進や公的資金の提供、債務救済を通じた新興市場への資本移動を維持するための政策が、長期停滞が問題ではない場合に比較して、「自国の」繁栄にとってより重要な意味を持つことを示唆している。当然ながら、皮肉にも自国が困難な状況にある場合、以上の政策への政治的支援を維持することはよりいっそう困難になる。
さらに我々の分析では、長期停滞期には各国が財政刺激策と比べて過度に金融刺激策に依存するという系統的傾向が示唆された。これを示すため、ある国にとって財政刺激策と金融刺激政策が限界的に無差別であり、すべての国内的要素が考慮に入れられているケースを考えてみたい。貿易相手国はどちらを選好するだろうか。当然のことながら、拡張的になる可能性のある財政刺激策を選好するであろう。それは、(i)一部、輸入される財に関連し、(ii)実質金利の上昇により外資を誘致し、貿易相手国の過剰貯蓄問題の軽減につながる可能性がある。一方、金融政策の場合、競争力の向上、あるいは資本流出を招く実質金利低下という2つの経路を通じて、金融政策を実施する国にとって拡張的になるだろう。いずれの経路も貿易相手国の負担によって成り立つ。
こうした見解は、過度に成長回復の責任を負うことに求められている先進諸国の中央銀行総裁の間で広がる見方や、「通貨戦争」への不安の広がりと共鳴している。こうした外部性を内生化し、より大規模な財政拡張を行う国際協調的な取り組みによって、生産拡大や各国の経済目標を達成できる可能性がある。
本稿は、2016年7月22日にwww.VoxEU.orgにて掲載されたものを、VoxEUの許可を得て、翻訳、転載したものです。