かつて40年の長きにわたる高度成長を遂げた日本経済がここ四半世紀、ほとんど成長していない。経済規模を示す国内総生産(GDP)は、1997年から2015年にかけてわずか12%(物価変動調整後)しか拡大しておらず、年平均成長率は0.6%にとどまっている。こうした状況は「長期停滞(secular stagnation)」と呼ばれる。この表現は、1930年代後半にハーバード大学のアルヴィン・ハンセン教授が「長期停滞論」を唱えたことをきっかけに広く用いられるようになったが、近年、同じくハーバード大学のローレンス・サマーズ教授らが使い始めたことで再び注目されるようになった(Summers 2016)。サマーズ教授らが問いかけているのは、日本のみならず、欧州、さらには世界全体で長期停滞が起きているのではないかということである。
長期停滞は2つの全く異なる(しかし矛盾しない)要因によってもたらされる。1つは経済の「供給サイド」の問題である。たとえば、労働力人口の伸び率低下による負の影響を打ち消して余りある労働生産性の向上が得られないと、潜在的経済成長力が損なわれる。もう1つの要因は、その結果として、生産性の向上につながる投資が限界に達し、製品や生産プロセスにおける目に見える技術的進歩にも限界があることによって、起こりうるものである。この状況は、ここ何年か労働力人口が減少している日本にあてはまりそうである。
米国については、最近になってロバート・ゴードン教授が、長期停滞とまではいかないまでも成長鈍化局面に入ったとの議論を展開している(Gordon 2016)。労働力人口の伸び悩みが予想されるうえ、かつて陸上輸送革命や航空輸送革命をもたらした蒸気機関、電気、ガソリンエンジンのように、生産性を向上させる大規模投資をもたらすような技術革新の源泉が使い果たされたというのがその理由である。集積回路の発明によってもたらされたコンピュータ・情報通信分野を中心とする第三次産業革命は、多くの面で人々の生活を変えたかもしれないが、かつて見られたような劇的な生産性の上昇と経済成長をもたらしてはいない。
ゴードン教授の分析は、既存の計測手法と国民経済計算の枠組みの中でなされており、その限りにおいては正しいかもしれない。しかし、そこから導き出すべき結論は、既存の枠組みでは、今日、医療分野を中心に起こりつつある多くの、場合によっては革新的で社会的厚生の向上に役立つ、技術変化を把握できないということである。
単純な経済モデルでこの点を明らかにしてみよう。製造業と教育の2部門のみで構成される経済を想定する。この場合、製造業における生産性の向上は違和感なく計測できるが、教育についてはそういうわけにはいかない。ここ数十年で科学的知識が飛躍的に増大したにもかかわらず、米国の統計学者はインプットでアウトプットを計測しており、結果的に、教育における生産性の伸びはゼロと想定されている。この極端に単純化された経済では、製造業の生産性向上による経済成長が進むにつれ、労働力が製造業から教育部門に徐々にシフトし、消費者はより多くの製品と教育を享受できるようになる。その際、実質所得が増えた消費者がその増分とは不釣り合いな大きな額を教育に振り向けた場合、計測される経済成長率は徐々に低下し、ほぼゼロになる可能性すらある。しかし、それにもかかわらず、消費者の厚生は着実に向上しているのである。
一般論として言えば、サービスは農産物や工業製品に比べてその実質的価値を計測するのがはるかに難しく、そのことが、世界各国の消費支出構造がモノからサービスに移行しつつある今日、計測される経済成長率に重大な影響を及ぼしているということである。
長期停滞を引き起こしていると考えられるもう1つの要因は需要の伸び悩みである。現代経済においては、貯蓄と投資の意思決定は全く異なる主体によって行われるのが一般的である。閉鎖経済における貯蓄と投資は最終的に一致しなければならないが、当初意図される貯蓄水準と投資水準は必ずしも一致しない。どうすれば一致させられるのだろうか。主流派経済学は利子率(金利)に着目した。利子率が変動することによって貯蓄水準と投資水準が事後的に均衡するというのである。しかし、企業投資は利子率の変化に(信用状況に対するほど)敏感に反応しているとは思えず、平時においてすら、この説が成立するか疑問である。ましてや、先進国の金利が軒並みゼロ近辺にある今日の状況においてはなおさらである(マイナス金利はある程度の投資を呼び込むかもしれないが、現状、その影響は民間投資家まで及んでおらず、唯一影響を受けている政府においても、経済政策を決定するにあたってはさまざまな要因が考慮される)。
利子率の変化による貯蓄水準と投資水準の調整が行われない場合、貯蓄の投資の均衡は、実体経済の調整によって事後的にもたらされることになる。貯蓄水準が投資水準を上回る状況が長期にわたり継続すると、これを調整しようとする実体経済の動きが慢性的な需要不足を引き起こし、その結果、経済が長期停滞に陥る。
言うまでもなく、今日の各国の経済は閉ざされていない。開放経済においては、貯蓄と投資のギャップは貿易黒字(過剰貯蓄の場合)や貿易赤字(過剰投資の場合)によって解消することができる。もちろん、すべての国が内需不足を貿易黒字で補えるわけではない。世界経済全体としては閉鎖経済であるため、一部の国々が貿易黒字を抱えれば、それと同額(測定誤差を除く)の貿易赤字を別の国々が抱え込むことになる。
現在、ほとんどの経済大国と新興国の多くが経常黒字となっており、その額はGDP対比で相当な規模に達している。ドイツの経常黒字は対GDP比約8%で、オランダ、スイス、台湾はこれを上回っている。日本の経常黒字は、数年前のピーク時より下がりはしたものの、中国とほぼ同等の3%近い水準を維持している。
当然予想されるとおり、多くの貧しい途上国の経常収支は赤字となっており、外国からの資金援助や外国の金融機関からの借り入れによって資金不足を補っている。しかし、最大の経常赤字国は米国であり、その規模は、対GDP比では3%に満たないものの、2015年には4000億ドルを突破した。米国に続いて赤字額の多い英国、カナダ、オーストラリア、ブラジル、トルコの分を加えるとその額は倍増する。
米国の恒常的な経常赤字はどう賄われているのだろうか。一般に考えられているのとは異なり、外国の中央銀行によるドル資産の購入が主な資金源になっているわけではない。実際、2015年には、外国の中央銀行によるドル資産購入額は減少した。米国は、世界中の投資家が求める資産(債券・株式)を生み出しており、外国の投資家が自国の資産よりも米国の資産を優先して購入することもめずらしくない。流動性が高くリスクの低い米国財務省短期証券(TB)がその中に含まれることは言うまでもないが、将来有望な新興企業の株式も含まれている。別の言い方をすれば、米国は新たな金融資産の創出において比較優位を有しており、他の国々は、国内に雇用をもたらす財やサービスの輸出と引き替えに、米国の金融資産を進んで購入しているということである。
では、世界経済は長期停滞に突入したのだろうか。そのことを裏付ける多くの証拠がある。大陸欧州では、失業率が軒並み10%を超え、成長は脆弱である。多くの産業が過剰設備を抱えている。すべての先進国でインフレ率が2%をはるかに下回っている。名目賃金はほとんど増えていない。長期金利は過去最低水準で推移している。2008年以降、G7諸国では1%台を維持するのが精一杯の状況が続いており、最近、日本の長期金利が実際にマイナスになった。また、欧州と米国では過去8年間にわたり需給ギャップは広がったままだ(IMF 2015)。世界人口の増加率は低下しており、日本、ドイツ、ロシアを含む一部の経済大国の人口は減少に転じている。以上の要因はすべて経済が停滞していることを示している。
2008年の世界金融危機とそれに続く世界同時不況は、世界経済に大きな打撃を与えた。米国経済は概ね回復したが、欧州は2012〜13年に再び不況に陥り、その後の回復の足取りは鈍い。欧州がいずれ景気回復を果たすことになるのか、それとも日本のように長期停滞に陥ることになるのか、その答えは数年経ってみないとわからない。
仮に、停滞期に突入しつつあるとすれば、これに対処するために何ができるのだろうか。3つの可能性が思い浮かぶ。第1に、国内の富裕層から比較的貯蓄性向の低い貧困層へ所得再分配を行うことが考えられる。これは、直接行うこともできるし、富裕層からの税収を原資とする財政支出を貧困層対策(就学前教育など)に振り向けることによって間接的に行うこともできる。
第2に、世界的に大きなインフラ整備ニーズが存在する。特に途上国において顕著であるが、必ずしも途上国に限られるものではない。マッキンゼーグローバル研究所の推計によると、2014〜2030年に世界全体で必要となるインフラ投資は、計算方法次第で57兆ドルから67兆ドルまで大きく異なる(McKinsey Global Institute 2013)。同研究所の基準に照らすと、標準的なニーズを超えてインフラ投資を行っているのは日本と中国のみで、ブラジルやインドではインフラ投資がまるで足りていない。しかし、「ニーズ」は貨幣的支出の裏付けを要する有効需要とは異なる。そこに、世界銀行、各地域の開発銀行、そして先ごろ設立されたばかりのアジアインフラ投資銀行(AIIB)が重要な役割を果たせる余地が生まれる。これらの国際金融機関が発行する債券は、各機関の加盟国政府が最終的に保証するものであり、現在、米国が不均衡に大きな供給源となっている質の高い資産を求める世界中の貯蓄家の需要を部分的に満たすことができる。
第3に、温暖化対策のための資金需要がさらなる投資を要することになるだろう。適切なインセンティブ(二酸化炭素をはじめとする温暖化ガスの排出に対する十分な課税)が設定されれば、その大部分が民間資金によって賄われ、途上国における温暖化ガス排出量削減のための政府支援が補完することになるだろう。
このように、世界的に適切な政策協調を図ることによって、世界的な貯蓄と投資の不均衡を解消することができる。長期金利が異常に低い水準にある今こそ、世界的な政策協調に向けて行動を起こすべきである。