原油価格の変動が経済に及ぼす影響を評価する上で、期待は重要な役割を果たしている。本稿は、消費者、政策立案者、金融市場参加者、経済学者がそれぞれどのように原油価格に関する期待を形成するのか、4者の期待の違い、さらに原油の実際の価格がその期待と著しく乖離することが多いのはなぜなのかを検証する。また、原油価格の異なる期待は、オイルショックとその伝搬を定量化する上で重要であることを示した。
2016年1月末現在、WTI (West Text Intermediate)原油価格は2014年6月の106ドルから下落し、30ドルを目前にしている。2014年6月時点において、これほどまでの原油価格暴落を予測できた観測筋はほとんどなかった。たとえば、国際通貨基金 (IMF) は2014年10月時点において、「2015年の平均原油価格は1バレル99ドル...となり、中期的には実質ベースで横ばいが続く」と予想していた(IMF 2014)。このような評価をしていたのはIMFだけではない。また、原油価格の予測が大幅に外れたのも初めてのことではない。過去40年間の原油価格の推移を見ると、予想外の変化は何度も起きている(図1)。我々は最新の論文において、経済主体はどのようにして原油価格に関する期待を形成するのか、また、なぜ実際の原油価格とそれらの期待が異なる事例が多くみられるのか検証した(Baumeister and Kilian 2016)。
当然、原油価格についての期待を定量化するにはさまざまな方法がある。たとえば消費者は、期待インフレ率で原油価格が現行価格から上昇すると予想する傾向にあることが示されている(Anderson et al. 2011)。一方、多数の各国中央銀行と国際機関は、単純に原油価格の予想を石油先物契約価格と同一に扱っている(IMF 2005)。より精錬された予測としては、原油先物市場のリスクプレミアムを織り込み、先物価格を調整することによって得ることもできる。(Hamilton and Wu 2014)。最後に、経済学者は、過去の原油価格、世界的な景気循環、石油備蓄の変動、世界の原油生産のデータを組み込んだグローバルな原油市場モデルに基づいて原油価格を予測するケースが多い(Kilian and Murphy 2014)。
なぜ原油価格の予想は一致しないのか?
実際、原油価格の4つの予測値は、特に原油価格の大幅な変動時においては大きく異なりうる。その理由は、それぞれの予測値が異なる情報に基づいているからである。たとえば、原油市場モデルの推定値に基づいた予想は、グローバルな原油市場の状況を示す少数の慎重に選ばれた指標の予測内容が中心となっているが、これには石油備蓄の変動など、将来的な情報を含むことで知られる変数が入っている。
金融市場の予測は石油価格の経済的決定要因を考慮に入れているが、それ以外にも、いずれも従来の回帰分析手法では捉えることが難しい中東の政治的安定や新たな油田発見の見通し、新しい石油採掘技術の採算性に対する市場の評価などの決定要因についても考慮に入れている。しかし、必ずしも金融市場の予測がより正確であるということではない。金融市場の参加者もエビデンスを誤解したり、ニュースに過剰に反応したりする傾向があるからである。
一方、消費者は多くの金融市場参加者や経済学者が有益とみなす情報を要約して、期待形成しているケースがほとんどである。そのような情報の解釈と予測内容には疑問の余地がある場合が多いので、このような消費者代替戦略は利点がないわけではない。
最も正確な原油価格予測はどれなのか?
最もよい原油価格予測とは、平均して最も実際の原油価格に近かった予測であると考えられる。実際、4種類の予測の間には統計上の明確な順位づけがみられる。経済学者による原油価格予測は金融市場の予測より正確な場合が多く、金融市場の予測は原油の先物価格に基づいた政策立案者の予測より正確である。以上の3つより格段に精度の低いのは、消費者による原油価格予測である。この順位づけは、原油価格の経済的決定要因を理解することが原油価格の推移を正確に予測する上で役立つという見方と一致している。
なぜ原油価格は予想外の変動を続けるのか?
しかし、最も正確な予測方法でも、一般に「オイルショック」と呼ばれる、まれに起こる原油価格の予想外の大幅な変動を避けることはできない。理由はきわめて単純である。グローバルな石油市場の過去の推移をよく理解していたとしても、中国経済の今後の堅調さやサウジアラビアの政治的安定、米国のシェールガス生産者がどの程度外部資金へのアクセスを持っているのか、などの決定要因を予測できる程度にしか、石油価格を予測することはできない。このような決定要因の将来的な推移を正確に予測できない限り、石油需給の予想外の変化に左右され、原油価格が予想外に変化するのは避けられない。
原油市場のベクトル自己回帰(VAR)モデルのように原油価格の主要決定要因が明確にモデル化されている場合でも、金融市場参加者のように原油市場の理解が直感に基づいている場合でも、この問題は生じる。我々は論文で、原油市場への理解が金融市場参加者や経済学者の間で改善しているにもかかわらず、何故あいもかわらず石油需給の将来的な変化を予測するのは困難であるのか、過去の具体例について詳細な検証を行った。
原油価格予測を比較する上で予測精度は重要な基準なのか?
統計的精度は原油価格予測を選ぶ上で1つの基準に過ぎないが、この事実は見落とされがちである。オイルショックによる石油輸入国への影響を理解する上で重要なことは、どの予測方法が石油価格を最も正確に予測できるかではなく、どの予測が経済的な意思決定に重要であるのかという点である。つまり、検証した4つの原油価格予測はどれも経済分析に重要であり、ある国でおこったオイルショックを統計的手法によって計測できる唯一の尺度があるという考え方は誤解を与えるものである。
たとえば、消費者がどの車を買うか(あるいは、そもそも車を買おうとするか)を理解したければ、経済学者による最も正確な原油価格予測より、どんなに不正確でも、消費者本人の石油価格予測のほうがはるかに重要である。2014年6月以降の原油価格下落による自動車購入への影響、さらには経済への影響を理解する上で重要なのは、支出を調整する消費者自身の予測なのである。
消費者の原油価格予測が客観的に精度の高い他の予測値と異なっていても、消費者が不合理というわけではない。結局のところ、消費者自身が原油価格を予測する専門家になる時間も資源もないし、メディアで報道されたさまざまな原油価格の予測を理解できるとも考えにくい。
我々は、石油エコノミストの予測と比較して消費者の予測は実際に大きく外れるなどのエビデンスを示した。同様に、政策立案者と消費者の原油価格予測は合致しない場合が多く、適切な政策対応の設計を複雑化している。以上の例からみて、オイルショックの影響をマクロ経済学においてどのようにモデル化すべきかを考え直す必要があるようだ。
結論
オイルショック伝搬に関するこれまでのマクロ経済モデルでは、石油価格予測の異質性を考慮する余地はなかった。これまでの標準的モデルの手法では、経済主体はモデルと整合的な期待を形成するという前提に立っているため、たとえば消費者と金融市場の予測の違いは存在せず、また、モデルに含まれない情報の利用という点も考慮されていない。
どの予測方法が使われているかよって、オイルショックのタイミングや規模に違いが生じることを踏まえれば、オイルショックの影響をモデル化する際には異質な予測を取り入れることが本質的に重要である。そのような異質性は応用研究にとっても経済政策にとっても最重要だといえるだろう。
本稿は、2016年2月8日にwww.VoxEU.orgにて掲載されたものを、VoxEUの許可を得て、翻訳、転載したものです。