日本の出生率は、過去数十年間にわたり低いレベルに留まり、1人の女性が一生に産む子供の数(合計特殊出生率)は人口維持に必要な人口置換率である2.1人をはるかに下回っている(Atoh 2001; Jones et al. 2009)。このことは、多くの学者や政策立案者が指摘するように、今後の日本の社会・経済に深刻な問題を投げかけている。急速な高齢化はすでに、農村部の空洞化や介護要員不足を引き起こし、日本の逆ピラミッド型人口構成と働き盛りの労働者の不足によって年金の財政運営はいずれ立ち行かなくなるのではないかという懸念をもたらしている。
日本政府の政策立案者にとって出生率の低さが大きな懸念材料であることに変わりないが、男女平等ランキングで日本が非常に低い順位にとどまっているというもう1つの問題は、ここ数年、単に懸念材料であるだけでなく体面的にも悩ましい問題となっている。世界経済フォーラムの男女格差ランキングによると、2006年における日本の男女格差は調査対象となった111カ国の約3分の2より大きかった。その後、2014年までに調査対象国が30カ国以上増えたが、日本の相対的順位はほとんど変化していない。GDPベースの高所得国48カ国のみで見ると、2014年の日本の順位は下から6番目で、日本より下位にランクされたのは韓国と男女格差の激しい中東諸国のみだった。分野別に見ると、日本は、健康分野では男女格差が少なく上位にランクされているが、女性の政治への関与や経済活動への参加・機会といった分野における順位は際立って低い。上場企業の役員に占める女性の割合も高所得国中最下位だった(World Economic Forum 2014)。
安倍政権は、出生率の低さと女性就業率の低さという2つの現象を是正するための政策立案に取り組んできた(Macnaughton 2015)。出生率の引き上げは、長期的に経済に貢献できる若者の増加につながる。短期的には、既婚女性の就業を奨励することが現在の労働市場で大いに必要とされている人的資本をもたらし、その結果として、多くのアナリストが指摘するように、経済成長とGDPが押し上げられるだろう(Ono and Rebick 2003; Matsui 2014)。
しかし、出生数も働く既婚女性も増えるという成果が期待されてはいるものの、今のところ政策の効果はほとんど上がっていない。日本の既婚女性の約60%は第一子誕生までに離職しており、この数字は過去30年間、ほとんど変わっていない(National Institute of Population and Social Security Research 2011)。国際的な水準に照らしてみると、これは異常な高さである。さらに言えば、その結果、必ずしも出生数が増えているわけでもないようだ。日本では、多くの既婚カップルが子供は1人でいいと考えているのである。この問題はどうすれば解決できるのだろうか。なぜ、安倍政権が推し進める改革はほとんど効果を出せていないのだろうか。問題の多くは、日本の労働市場の根強い硬直性と、フルタイムの共働き夫婦が2人以上の子供を持つことをほとんど不可能にしている職場の慣習にある、というのが私の考えである。労働市場の硬直性と職場の慣習は、日本の若者が結婚して家庭を持つことに消極的になっているという問題の要因でもある。以下では、まず労働市場の構造を概観し、その上で、職場の慣習に関する諸問題について考察する。
労働市場の硬直性が作り出す障害
日本の高度経済成長期においては、若い男性新入社員を大量に正規採用し、社内教育でスキルを身につけさせ、互いに競わせることで生産性の高い労働力を作り出すことがきわめて効果的なメカニズムであったことは明らかである(Honda 2004; Yashiro 2011)。当時、新たな技術の導入や労働力需要の変動によって労働力調整が必要になった場合、企業は2つの方法で対応することができた。1つは、現有の「中核労働力」である男性社員のスキルを継続的に育成すること、もう1つは、雇用保障がなく、業績悪化で人員削減が必要になったときに肩たたきできる若年・中年の女性社員を「バッファー」とすることだった。各企業は、この2つのメカニズムを通して、数は少ないものの熟練した労働力とその補助業務に従事する周辺労働力を確保できたのである。日本の所得税法や社会保障制度もこうした雇用制度と相利共生的な仕組みになっており、大企業に就職し、一家の大黒柱としてその企業で働き続ける男性には手厚い福利厚生が保証されていた(Osawa 2002; Schoppa 2006; Yashiro 2011)。
1990年代に入り、さまざまな困難に直面するようになると、この制度のひずみが表面化する。安定した経済成長を期待できず、高学歴化に伴い若い女性の人的資本が高まった今日の時代にいかに適合できていないかが明らかになったのである。育児に専念するために仕事を辞めた若い母親が数年後に再就職しようとしても、教育で得た知識や結婚・出産前に何年もかけて形成した人的資本を十分生かせるようなフルタイムの仕事を見つけるのは至難の業である。その要因の1つとなっているのが、日本の労働市場における中途採用率の低さである。日本企業は相変わらず高度経済成長期を特徴づける新卒「大量採用」に固執する傾向があるが(Honda 2004)、それはとりもなおさず、人的資本の高い30代半ば以降の人材は男女関わりなく転職が難しいということである。それが女性にとって何を意味するかは明白である。すなわち、育児に専念するために離職すると、スキルや能力を伸ばす機会が著しく制約されるとういことである(Boling 2015)。男性にとって何を意味するかは、それほど明白ではないかもしれないが、問題は深刻である。学校を卒業して「良い」企業に正規採用されたら、その企業で決められた以外のキャリアパスを選択できる機会はほとんどない。自分の勤務時間や勤務地を選ぶ機会もあまりない。中途転職の機会がないということは、男性社員が働き方に関する社内の慣習に逆らったり、意見を差し挟んだりする余地がほとんどないことを意味している。彼らの経済的運命が現在の勤め先とあまりにも密接に結びついているために、雇用条件を交渉する力がほとんどないからである。これは21世紀の資本主義の特性であると言う人がいるかもしれない。しかし、あらゆる国の人的資本の高い労働者がそういう状況に置かれているわけではない。他の多くの国との比較で見られる日本の顕著な特徴は、高度なスキルを有する従業員に驚くほど交渉力がないことである。その原因は、外部労働市場の未発達に求めることができるかもしれない。
職場の慣習が作り出す障害
脱工業化を果たした他の先進諸国に比べて、日本の労働者の転職率(企業間移動)が一貫して低い水準にとどまっていることは、働く女性と出生率に負の影響を与えている日本の労働市場の2つめの側面、すなわち職場の慣習と関連付けられる。たとえば、長時間労働がそうであるが、時間の制限が設けられていない場合もある。大企業の場合は、国内の別の地域の支店への転勤を強いられる(断れば出世の道が閉ざされるので断れない)可能性もある。日本の労働者は他の国の労働者に比べて労働時間が長く、一般的に相当長い時間「職場にいる」ことが求められていることはよく知られている。日本の政策立案者は認めたくないようであるが、午後6時以降の残業が常態化すれば、家庭生活に影響が出るのは当然である。一日の終わりには保育所に子供を迎えに行き、家に連れ帰らねばならないが、日本では、気軽にベビーシッターに頼んで迎えに行ってもらうというわけにはいかない。両親とも勤務時間が長く、仕事が何時に終わるかわからないフルタイムの総合職の場合、どうすればいいのだろうか。近所に身内がいない場合は、両親のいずれかが子供を迎えに行かなければならない。フルタイムの仕事と育児を両立させるのはほぼ不可能なので、大抵の場合は母親が完全に仕事を辞めるかレベルの低いパート仕事に転職する。いずれにしても、企業は、「中核的」な職務に就いていた人的資本の高い女性を雇用し続けることで得られたであろう利益を失うことになる(Brinton and Mun 2015)。また、日本では労働者の勤務時間や仕事の内容は基本的に雇用主によって決められるが、女性の離職は、こうした日本の「理想的な労働者」のあり方をさらに定着させている。その結果、男性がもっと積極的に家庭生活に関わりたいと思っても、そうできない状況が続いている。
安倍政権は、質の高い保育施設を増やして待機児童を減らし、いずれはゼロにすると約束した。この目標は称賛に値するかもしれないが、親や家族と一緒に過ごしたいという子供たちのニーズと両親のいずれかまたは両親とも夜遅くまで働くのが当然という職場の慣習の矛盾はどうするのか。これは、公立保育所への補助金を増やすことで解決できる問題ではない。おそらく、柔軟性のない日本の職場の慣習を変えることが唯一の解決方法だろう。同様に、労働者がもっと自由に転職できるようになれば、自分の望むワーク・ライフ・バランスを実現できそうな職場を見つけられるようになるだろう。必要なのは、保育スペースの供給を増やしたり、育児休暇をさらに延ばしたり、女性登用について非現実的な女性管理職比率の目標を打ち立てるといった断片的な改革ではない。男女関わりなく高いスキルを持った人材の転職機会を増やすための一致団結した努力がなされ、旧来の職場の慣習が、男性の人的資本だけでなく女性の人的資本も十分活用できるような21世紀の慣習に取って代わられたときに初めて、「輝く」女性が増え、生まれてくる子供も増えることだろう。