グローバルな金融システムでは金融危機が頻発するようになった。2008~2010年の世界金融危機を受けて、米国や欧州連合(EU)を含む各国の金融当局が大規模な再規制を実施したため、危機のリスクもコストも低下しているかもしれないが、「熱狂、恐慌、崩壊」を作り出す材料は残っている。たとえば、好景気にはリスクを甘くみる人間の性向、複数存在する金融経路の連結性、投機バブルをリアルタイムに識別することの難しさ、財とサービスの価格が資産価格から乖離しているときに金融政策が「切れの悪いツール」であること(注1)などである。自国通貨で対外債務を返済できない途上国、中所得国では状況ははるかに深刻である。これらの国にとって通貨危機は依然、常に存在する脅威である(注2)。
東アジアはこの教訓を忘れていない。1997~98年のアジア金融危機の記憶はいまだ鮮明であり、ASEAN(東南アジア諸国連合)+3(日中韓)の政策に大きな影響を与え続けている。アジア金融危機以来、各国政府は、多額の外貨準備の積み増し、国内金融規制強化、国内金融市場の拡充、そして多くの場合、通貨規制の継続または一時的実施など、将来の危機に対する防衛策を講じてきた。さらに、ASEAN+3は地域として、危機の可能性を減らし、実際に生じる危機により効果的に対処できるよう、一連の地域メカニズムを構築している。その代表格が「チェンマイ・イニシアティブ(CMI)」、現在は「チェンマイ・イニシアティブのマルチ化(CMIM)」に改称された取り組みである。CMIMは地域の救済基金と表現されることが多い。国際通貨基金(IMF)を模して「アジア通貨基金」と呼ばれることもある。実態はもっと複雑である。CMIMは緩やかな仕組みを持つ制度であり、目的通り機能するかどうかは主要参加国の政治的取引と経済的利益にかかっている。CMIMは多くの点で優れた成果であり、参加各国で生じる通貨危機の管理に一役買うだろう。しかし結局のところ、貸し手と借り手、また主要参加国である日本と中国の間に基本的な政治的理解が存在しなければ、計画通りに機能することはないだろう。本稿で述べるように、これには現在、疑問符がついている。皮肉なことに少なくともその一因は、CMIMが参加国のニーズに対して経済的に見合う状態に維持するための制度的強化と関わる。
CMIMにおける権限移譲の政治学
CMIは今年で14年目を迎えている。中心的な意思決定やモニタリング組織がなく、一本化されていない二国間通貨スワップ取極(BSA)の比較的緩やかなネットワークとして資金規模400億ドルで発足したCMIは、発足以来、多くの点で増強されてきた。資金規模の1200億ドルへの増額、ASEAN新規加盟5カ国の参加、意思決定と支出プロセスの「マルチ化」、穏当なモニタリング機関の設置、新しい予防的ラインの導入と資金規模の2400億ドルへの追加増額の決定などである(注3)。制度上、多くの点でめざましい発展がみられた。現在のCMIMは、2000年5月のCMI発足当時の大方の予想以上に参加国の数も機能も拡大し、正式化が進み、より包括的となった。
これまで私が指摘してきたように、CMIとCMIMは一連の政治的な理解と取引に基づいている(注4)。その1つは、救済基金や保険スキーム一般にありがちな、モラルハザードの問題である。CMIMを利用する可能性のある参加国は、危機に直面した際に必要な資金を得られるという確信を得られなければならない。しかし、救済されることがわかっていると、危機の影響が限定的になることを見込み、マクロ経済政策と金融規制の管理の面で無責任になってしまう国がでてくるかもしれない。このため、貸し手候補(CMIMでは日本と中国、グローバルレベルではIMFとそのステークホルダー)は資金を失わないよう、借り手による慎重な経済政策運営、あるいは救済時に慎重な政策が借り手に課されることを保証する仕組みを作る必要がある。言い換えると、貸し手は救済融資に事前、もしくは事後の条件を課したいと考える。事後のコンディショナリティは、危機に陥った国がパフォーマンス基準を条件に資金を受け取るもので、従来のIMFスタンドバイ融資とリンクしているケースが多い。一方、事前のコンディショナリティは、ある国の経済政策の質に関する継続的評価を活用する。責任ある政策を取っているにもかかわらず危機に直面した政府は、パフォーマンス条件を限定的に付帯した緊急融資を受ける資格があるということである。2012年まで、CMIMは権限移譲された事後のコンディショナリティを利用していたが、現在は、以下の説明のように、特定の状況下では事前のコンディショナリティも使えるようになった。
CMIMの根底をなす2つ目の政治的理解は、共同行動の難しさである。特に、域内のライバルである日本と中国の間では困難である。理論上、モラルハザードの問題はコンディショナリティに関する明確なルールをもって対応できる。実際には、ルールの執行が必要となる。ASEAN+3の場合、執行責任は最終的に日本と中国にかかる。両国は、圧倒的な経済力を有し、近隣諸国を救済する能力は域内最大級で、CMIMの資金規模の64%を両国が占めている。問題は、両国が近隣諸国に面倒な条件を課す「悪役」になりたがらないことである。さらに、日中両国にとって危機管理とモラルハザードの最小化は共通の利益であるが、それ以上に対抗意識を持っているため、目先の利益になりそうになければ、実際に危機が起こっても相手が協力するという確信を持てないだろう。この問題に対応するため、CMIは「IMFリンク」を活用した。これは、危機に陥った国がIMFと交渉に入るまで資金枠の大半(当初は90%、現在は80%に低減し、近い将来60%になる可能性がある)を支出しないというものである。つまり、ASEAN+3は、政治的に評判の悪い条件を支援国がパートナー国に課す責任を負わなくて済むよう、IMFに執行権限を委譲したのである。
ただし、これまで述べたCMI/CMIM内部の駆け引きに関する私の解釈は万人に受け入れられているわけではない。実際のところ、CMIプロセスに参加する国は、モラルハザード問題の軽減のためにIMFのコンディショナリティに頼る以外の選択肢についても模索している(注5)。IMFリンクを通じた執行権限の移譲は、地域の経済状況についての判断をIMFに委ねることでもあるが、危機の原因に関するIMFの分析が日本、中国の分析と異なる可能性もあり、それほど意外なことではない。このため、CMIは発足以来、基本的なサーベイランス(監視)のメカニズム(域内の経済情勢に関する政策対話:ERPD)を構築し、さまざまな計画によって域内のサーベイランスが改善するにつれ、IMFへの依存が低下する可能性が示されてきた。しかしながら、政策対話は有益であったとしても、主要な資金供与国(日本と中国)は、融資とコンディショナリティに関する不人気な決定事項への非難から逃れられるようになるわけではない。そのため現状では、IMFリンクに代わるものとしてこのメカニズムは十分ではない。2009年以降、CMIMのサーベイランス・メカニズムについては大きな進展が見られたため、次項で改めて取り上げたい。
世界金融危機以降のCMIの強化
世界金融危機を受けて、ASEAN+3の各国政府はCMIMの日程を前倒し、危機に陥った国が利用できる資金規模を、前述のIMFデリンク部分を含め、大幅に拡大した(注6)。資金規模と支出の確実性を高めた理由は明らかである。いずれのASEAN+3諸国にもあてはまらないが、IMFや他のパートナー国から前例のない巨額の資金を借り入れる国が相次いだからである。
「マルチ化」はより複雑なテーマである。これは確かにあいまいな用語であり、公式発表や報道を見ても、実務レベルで何を意味するのかはわかりにくい(注7)。実際の影響は4点ある。まず、CMIMは正式には外貨準備プールの取り決めだが、準備枠は一元管理されているわけではない。2番目に、条件、通貨、互恵性の点で一本化されていなかった旧BSAの契約は、CMIM参加国が危機に直面し、支援を求めた場合の各参加国の責任を規定する一本の契約に置き換えられた。3番目に、各参加国は、CMIMが引き出せる一定の準備高を保証し、危機に直面した場合は特定の金額を引き出す資格を有している(注8)。4番目に、危機の際の資金支出は、準備枠への貢献度に基づく加重投票権率の手続きによって決定される。要するにマルチ化は、CMI参加国の責任を正式に定め、貸し手と借り手の関係を一本化し、意思決定プロセスに投票権率の新たな層を付け加えるものである。ただし、IMFリンクは排除されるわけではない(依然として、大部分の資金供与のケースで前提条件となっている)。
ASEAN+3財務大臣・中央銀行総裁会議ではマルチ化への合意と同時に、独立したモニタリング機関である「ASEAN+3マクロ経済リサーチオフィス(AMRO)」の設置についても合意にいたった。原則として、AMROは効果的なサーベイランス体制に貢献することが期待されている。AMROは最終的に、事前コンディショナリティの執行により、IMFリンクの正当性を弱めるか、あるいは排除すらできると、一部で主張されてきた。現在のところ、AMROは深刻な人手不足から野心的な役割を果たせていないが、もちろん拡充される可能性はある。しかしながら、AMROを監督しているCMIM各国政府から、AMROが効果的に自立性を保ちにくいという点がさらに大きな課題であると私は分析している。AMROが独立していなければ、参加国は、評価と意思決定の権限を委譲していると納得して言うことはできない。このため、AMROが近い将来、IMFリンクに取って代わるとは考えにくい。
CMIMとAMRO設置は鳴り物入りで登場したが、CMIMの機能と責任に関する最大の変化については広く議論されているとはいえない。それは、現行の資金供与メカニズム(CMIM安定ファシリティ、CMIM-SFに改称)と並行して運用される見通しのCMIM予防ライン(CMIM-PL)の導入である。CMIM-SFでは、危機に陥った国が国際収支上の支援を受けるため、付帯条件に関係なくIMFと交渉に入ることが引き続き求められているのに対し、CMIM-PLでは、事前のコンディショナリティ(すなわちモニタリング)に基づき、かつ厳格な事後条件なしに資金が提供されることになっている。ただし、事前のコンディショナリティの責任はASEAN+3自身が担うのか、それともIMFなのか、公式ステートメントでは明確にされていない。2008年秋、韓国とシンガポールが米連邦準備制度理事会(FRB)に対して緊急通貨スワップ・ラインを求めたことで明らかとなった、CMI制度の不備をCMIM-PLが埋めるのである。当時、韓国は、経済運営の失敗よりもむしろ世界市場の混乱から生じたドルの流動性問題に直面していた。CMIの活用にはIMFの関与が必要だが、経済を混乱させ、政治的にも受け入れがたいと判断されたため、韓国政府はCMIの活用を意識的に回避した。
IMFとの合意交渉を迫られた場合、資本逃避が生じ、市場の信頼を失いかねない韓国のように、先進的でグローバル経済に統合され、経済運営の良好なCMIMメンバー国にとって、CMIM-PLが実際のニーズに対応していることには疑いの余地はない。その意味では、明らかにCMIMの経済機能面を拡充するものであり、地域にも貢献する可能性がある。しかしながら、CMIとCMIMの核心部分における政治的駆け引きを再燃させることになる。ASEAN+3の各国政府は、危機に陥った国がCMIM-PL融資の軽い条件にふさわしいのか、それともIMFの事後のコンディショナリティへの関与を要するのかを決定しなければならない。AMROの機能と独立性の限界を考えると、事前のコンディショナリティの権限がIMFに完全に移譲されない限り(おそらくIMFのフレキシブル・クレジットラインの適格要件に基づいて資金供与を行うことにより)、必然的に、この決定は、承認のために投票する必要のある政府(すなわち主要資金拠出国である日本と中国)によって行われることになる。したがって、いずれかの時点で日中両国は、対象となる政府が信頼できるのか否かの線引き問題を避けて通れなくなるだろう。そして、予防ラインには不適格なため、IMFが課す事後のコンディショナリティによる救済策を交渉するように伝えられた国の市民と政府からは激しい反発を買うことになる。
結論
初期のCMIと当初のCMIMが成功した理由の1つは、支援国がIMFリンクの仕組みのおかげで政治的非難から免れることができた一方、貸し手と借り手双方にとって主要な経済的利益に対応していた点である。アジア金融危機に際したIMFの介入を批判する人や地域主義の提唱者はその仕組みに異議を唱えたが、実際には借り手と貸し手の間の基本的な政治的対立、そして日中間の相互不信に対する素晴らしい解決法であった。
CMIM-PLは、経済の機能面では重要な問題に取り組んでいるが、CMIMの政治的基盤を脅かしている。これは、深刻な危機に陥った国をどう評価するかという問題を蒸し返すものであり、リスクの高い賭けと言わざるを得ない。この矛盾を再びIMFに引き継ぐのでない限り、制度的手段を講じて克服できるのかは定かではない。AMROには執行機関の役割を果たすことはできず(今後も期待できそうにない)、日中間の相互不信により、危機が起こった際にCMIMの主要国が協力できるかどうかも疑わしい。次の危機のいかんによっては全く問題にならないかもしれないが、ASEAN+3内部で対立が生じる可能性は高まり、長期的に見たCMIMの政治的持続可能性について問題提起するものである。ASEAN+3のメンバー国は、予防ラインの活用方法の手順を策定するにあたり、手順にかかわらず、政治的な影響と持続可能性を考慮にいれることがきわめて重要である。