日本は6年の長きにわたり、衆参両議院がそれぞれ対立する党によって過半数を占められるという手詰まり状態(いわゆる「ねじれ国会」)に加え、ほとんど1年も政権を維持できずに首相が次々に交代するという政権トップの不安定状態に苦しめられてきた。この間、2008年のグローバル金融危機による貿易ショックや2011年3月の震災による三重苦といった深刻な事態に直面したにもかかわらず、政治の機能不全により、日本は長期的な経済改革の遂行を阻まれてきた。7月の参院選で、自民・公明の連立与党が過半数を大きく上回る議席を獲得したことにより、効果的なガバナンスへの基本的制約は解消したようである。ねじれ状態に終止符が打たれ、今後3年間は国政選挙の予定がなく、安部晋三首相は経済競争力強化に向けた改革を遂行するため、まさに必要な時間を得たのである。いわゆる「第三の矢」は、アベノミクス戦略の成否を決める要素であり、今こそが勝負の時である。
とはいえ、難題が一挙に解決され、経済改革の新時代を迎える準備が整ったと結論を下すのは早計であろう。国民は構造改革という政策課題にはほとんど興味がなく、有権者への配慮の結果、6月に発表された成長戦略の一部の改革項目は骨抜きになったように見える。今後数カ月の間に、規制改革の重要項目(電力、農業、医療)をめぐって利益団体が影響力を増し、安倍政権の改革への意気込みのほどが試されるだろう。従って、改革課題への抵抗勢力(多くが自民党と深いつながりを持つ)と対決するにあたり、安倍首相は政治的資源を賢く利用しなければならない。そのためには、成長戦略の焦点をさらに絞り込み、中心的な優先課題を明確にし、具体的な工程表を示すことが重要である。加えて、交渉中の野心的な貿易協定(環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)、欧州との自由貿易協定(FTA))を巧みに活用することも、同時平行で進めている国内改革への追い風を生むカギになるだろう。
最近の研究
アベノミクスによる日本経済再生の長期的な影響については疑問視する声があるにせよ、短期的にはすでに、参院選での大勝利という大きな政治的成果を上げている。今回の選挙はデフレ対策と成長促進に取り組む安倍政権の計画の評価を有権者に問うという、アベノミクスに対する国民投票であり、他の政党は日本経済を苦境から脱却させられるような説得力ある代替案を示すことができなかった。しかしながら、選挙の結果、安倍首相はすべて思い通りにできるというわけではない。中途半端な投票率(投票率53%は戦後3番目に低い)は、国民の多くは実際に投票所に足を運ぶほど意欲的に支持しなかったことを意味し、暗い影を落としている。さらに、有権者が安倍首相に与えたのは「条件付き」の委任であって、つまり、結果を出すことが求められるのである。期待値は高い上に、雇用機会拡大または賃金上昇によって、平均的な国民生活を改善するような経済的成果が求められている。就任半年後の政権支持率は、約60%ときわめて安定しているが、成長が継続しなければ、もしくは成長に伴う恩恵が広く共有されなければ、支持率は確実に低下するだろう。
国民は構造改革ではなく、成長を求めているという点がさらに重要なポイントである。日本経済の生産力を十分に発揮させるには規制緩和対策は不可欠であり、成長と構造改革は一体である。実際のところ、「第三の矢」が基本的に何を意味しているかに関して、日本国内と海外で認識にずれがある。国内で「第三の矢」といえば成長戦略だが、海外では構造改革である。構造改革よりも景気刺激策を優先する傾向は、幅広い分野で見られる。たとえば、保育施設開設に関連した歳出は歓迎されるが(注1)、幼保一体化や民間の参入を推進する規制緩和は、保育の質の低下を招くと非難されたり、役所の縄張りを守るために抵抗にあう。同様に、農業分野の補助金や、製造業における新規雇用促進補助金は支持されるが、解雇や土地取引を容易にするための法制度改正は支持されない。実際のところ、自民党は構造改革に対応してきた。忘れてはいけないのが、以前、改革推進派の小泉純一郎氏が首相だった時代、「市場原理主義」を導入したとして、自民党の選挙地盤は手痛い打撃を受けたのである。
「抵抗勢力」は制圧されたのか
経済改革に対する従来の反対派勢力の持久力について、今回の選挙結果からわかることは何か。選挙結果に示唆されるメッセージに一貫性はなかった。まず、TPP参加という安倍首相の大胆な行動に対し、地方の有権者が自民党に反旗を翻さなかったことは、重要な前例となった。3月に安倍首相が日本のTPP参加の意向を発表したとき、過去の選挙で浮動票的な動きを見せてきた、全国に31ある1人区に直ちに注目が集まった。今回の選挙では31選挙区中29選挙区で自民党候補が当選し、落選は岩手県と沖縄県のみであった。過去には農産物市場自由化の試みがことごとく選挙での敗北につながっていたことを考えると、今回の選挙結果の重要性が際立ってみえる。たとえば、1989年に自民党が参議院で初の敗北を喫した一因は、牛肉と柑橘類の市場開放に対する反発(および消費税導入をめぐる騒動)であった。また、第1次安倍内閣では、オーストラリアとのFTA交渉の開始決定が年金納付記録紛失をめぐる国民の深刻な不信感と相まり、2007年の参院選における自民党敗退につながった。
これまでになく野心的な貿易協定に参加でき、しかも選挙での敗北を回避できるのは力強いメッセージであるが、特に農業協同組合(農協)の影響力の脆弱化を浮き彫りにしたという点で、大きな意味合いを持つ。反TPPを掲げる政党の中に、自民党と効果的に対抗できる全国規模の構想を持つ党はなく、農協には頼る先がなかったのである。「ニクソン訪中」のときと同じく、自民党だからこそTPPへの道を越えられたのである。しかしながら抵抗勢力は消滅したのではなく、情勢に適応したのであり、経済改革をめぐる戦いは自民党「内部」で繰り広げられている。自民党の比例代表選出議員の経歴を見ると、日本の利益団体(郵便局長会、農協、医師会、歯科医師会)の「名士録」さながらである(注2)。農協と強い結びつきのある候補者は、2007年と比較して得票数を25%減らしたが、なおも第2位の地位を維持している(注3)。さらに、自民党の一般党員のTPPに対する姿勢は実に曖昧である。すでに自民党指導部が日本のTPP参加を決めていたにもかかわらず、今回選挙の自民党候補者を対象とした調査では、半数がTPPの支持・不支持に関し、旗幟を鮮明にしなかった(注4)。雇用・賃金の改善戦略としてアベノミクスへの強い支持を示したのとは対照的である(注5)。
今回の選挙で農業票を失わないために安倍政権が選んだ戦略は、数多くの課題を今後に残すものだった。与党はTPP交渉での聖域を設け、米、砂糖、乳製品、牛肉・豚肉、小麦という農産物の5品目を関税撤廃対象から外すことを決定した。「第二の矢」のおかげで、今年になって公共事業が著しく増加し(第2四半期に4兆円)、政府は今後10年以内の農業所得倍増を約束した。さらに、発表された成長戦略の中で大規模な農業構造改革の欠如は顕著であった。要するに、今回の選挙の勝因は、中核的な産業の保護、補助金の増額、そして抜本的な変革を遅らせるという約束のおかげであった。
6月の成長戦略:参院選前の下書き
黒田東彦日銀総裁が発表したマネタリーベースの倍増と2%のインフレ目標(いわゆる「黒田砲」)に向けられた驚嘆のまなざしと比べ、選挙1カ月前に発表された待望の成長戦略は、あまりにもパンチを欠いていた。ただし、金融政策では、たった一手で、抜本的な政策転換を示す強力な信号を市場関係者に送ることができ、「第一の矢」と「第三の矢」を比較することは、ある意味で不公平である。経済競争力強化に向けた幅広い改革と金融政策とは全く別物である。成長戦略の三本柱でそれぞれ取り扱う数々の政策課題を見ても、その複雑さは明らかである。三本柱のうち「日本産業再興プラン」では、設備投資とベンチャーキャピタルの推進、合併・買収の促進による過当競争業界の再編成、電力業界の競争促進などの規制改革が挙げられている。また、「人的資本整備」を目標として、女性の労働力の活用、雇用維持型から労働移動支援型への助成金のシフト、日本の学生と大学の国際化が提案されている。最後に、「戦略市場創造プラン」の目標として挙げられているのが、米国の国立衛生研究所(NIH)に類似する機関の創設、経済特区の導入による海外からの直接投資の促進、FTAネットワークの範囲を日本の輸出総額の70%にまで拡大すること、高齢者医療と再生可能エネルギー分野において世界をリードし、日本の弱点(高齢化と天然資源の不足)を強さに変えることである。
競合する利益の調整と幅広い政策手段を要し、改革の実行には長期間にわたるスケジュールを要することから、「第三の矢」は大変な難事業である。それにもかかわらず、盛り上がりに欠けた「第三の矢」の立ち上がりは、重要な問題を反映している。一部で指摘されているように、戦略には野心的目標が多数掲げられている一方で(平均実質GDP成長率2%を今後10年間継続、2020年までに海外直接投資(FDI)の株倍増、今後10年以内の農産物輸出額倍増等)、目標達成のための具体的な工程表もない(Katz 2013)。農業分野では、生産者価格を高水準に維持する生産調整制度(減反政策)の廃止、および企業による農地所有を許可し、大規模な商業的農業を可能にする土地売買規制の緩和といった、効率改善と市場開放の実現に必要な改革が見送られた(山下 2013; George Mulgan 2013)。また、労働市場の柔軟化、社外取締役の役割を強化するコーポレート・ガバナンス改革、国民健康保険外の診療と医薬品の使用を拡大する混合治療の承認などの重要な問題に関しても、成果はなかった。
とはいえ、成長戦略を失敗と決めつけるのはまだ早い。発表された成長戦略はいわば初稿であり、政治的配慮が投影された選挙前の下書きのようなものである。党の経済政策によって大量解雇や国民健康保険制度が崩壊するという批判がたとえ見当外れであったとしても、政治家はそのような非難を受けて選挙を戦おうとはしない。参議院で過半数を確保できていなければ、経済改革法案が成立する可能性はかなり低く、妥協が必要だった(実際、参議院の会期終了前に、電力改革法案は廃案になった)。このような事情により、集中的かつ効果的な改革戦略を進める力仕事は、これからである。
参院選後の改革課題:焦点と方策
成長戦略が多数の政策課題に取り組もうとするあまり、対象が広範で気が遠くなるほどであるという批判もある。この点を改善するため、政府は改革の焦点となり、かつ広範囲にわたって経済的波及効果のある、いわば目玉となる政策を選択できるだろう。電力システム改革、農業の近代化、労働市場の柔軟化という3点が考えられる。発送電分離と送電網の全国一体化の実現により、9電力会社による地方独占を解消し、2011年3月の震災時に露呈した、地域間連携の欠如による深刻な脆弱性に対処し、電気料金の値下げによって競争を促進できるだろう。また、兼業農家の高齢化により、日本の食料供給を満たすことがこれまで以上に困難になることから、農業の近代化政策は喫緊の課題である。さらにこのような改革により、日本は国際社会での経済的地位に見合った、積極的な貿易外交を展開できるようになる。労働市場改革の反対派は、雇用を維持する強力な制度が崩壊すると予測するが、これはすでに日本の労働者全体の「3分の1」が、雇用保障のない状況や大きな賃金格差に直面し、訓練機会も限られ、雇用保険の利用も制限されている実態を無視している(OECD, 2013)。日本企業は解雇に関する法的に高いハードルに対応して、非正規労働者を増やしてきた。従って、柔軟な労働慣行(水平な人事異動、中途採用、柔軟な労働時間の受け入れ)により、労働市場の二重構造の根本的原因に取り組み、女性の就業促進の道を開くことができる。
安倍政権は今後数カ月の間に数々の重大な課題に直面する。消費税増税により、消費マインドがしぼみ、成長が鈍化し、雇用機会と賃金上昇が抑制され、その結果、首相の支持率が低下するかもしれない。しかしながら、財政状況改善に取り組まなければ、金利が上昇し、政府の債務返済能力に悪影響を及ぼすおそれがある。安倍首相が自民党内の手強い既得権勢力と対決すれば、党内の団結を弱める可能性もあるが(数々の前任の政権がこの現象に苦しんできた)、既得権勢力を押さえ込まずに真の改革は実現できない。安部政権が局面を有利にするには、交渉中の野心的なFTA(TPPおよび欧州連合(EU)とのFTA)を活用し、国内の変革のきっかけにすべきである。農産物の関税を引き下げるには、価格引き下げと生産性向上が不可欠である。生産調整制度の廃止と専業農家による商業的農業の推進という長年の懸案事項を、これ以上先延ばしすることはできない。また、日本が米国、EUとの間でそれぞれ予定している非関税交渉と、規制の透明化、合併・買収、国際標準の採用、コーポレート・ガバナンス改革、医薬品・医療機器の承認審査迅速化など、国内の経済改革課題のかなりの部分が重複している。そのため、日本の改革推進派は従来のように「国際公約」という手段を用いることで、新たな経済改革課題を解決する権限を得るだろう。