アジアは皮肉な状況にある。1997年のアジア通貨危機以前の過剰投資の状態から、危機後は外貨準備高を増加させるなど、過剰貯蓄へと大転換を遂げた。それにもかかわらず、アジアは未だなお社会的、物的インフラが大きく不足している。
2008年秋のリーマン・ショック後の米国の危機と、その後のユーロ危機でも示されたように、アジアが外的ショックへの抵抗力を高めたのは良いことである。しかしながら、堅調な経済成長とマクロ環境の大幅な改善にもかかわらず、多くの国において社会経済面、環境面では未だ貧弱な状態、もしくは状況が悪化してしまったことは憂慮すべき点である。格差拡大と社会の二極化が進み、雇用弾力性は低下し、汚染や資源枯渇などの環境問題は悪化の一途をたどっている。アジアは、人間の福利面でのいわゆる「トリプルボトムライン」アプローチの採用では大きく出遅れているのが実情である。
先進諸国で実施されている低金利と量的緩和を組み合わせた政策もまた、非常に大きな問題となっている。この政策は効果がないばかりか、アジアなどの新興市場への資本移動に拍車をかける。特に、アジアでは着実な成長実績、安定した経済、より高い投資リターンを通じた強力なプル要因が見られる。アジア危機以降、短期対外債務以外の資本フローが大勢を占める。資本流入総額は大幅に上昇したが、資本流出も増加傾向にある。対外直接投資(FDI)と株式投資も増加しており、市場が不安定化した際には、アジアにとって、外国資産のバッファの役割を果たしてきた。これは世界金融危機の際の韓国の例に見られた。アジアへの純資本流入額は2008年と2011年、2012年を除いて増加した。新興国への純民間資本流入額は年間約1兆ドルだが、そのうちの約半分をアジアが占めている。
このため、アジア危機以前とは異なり、今回は過剰貯蓄を抱えるなかで資本フローが増加した。これが問題を複雑にし、大きな政策上の課題をもたらしている。純流入額と比べて流入総額を調査するほうがはるかに重要になるだけでなく、資本流入の規模と種類もきわめて重要である。
アジアへのFDIフローは引き続き堅調で、その大部分は中国に吸収されている。東アジアと東南アジアだけで世界全体のFDIフローの5分の1以上を占めている。サプライチェーン・モデルに沿った、回復力があり成長を続ける生産ネットワークは、最大のプル要因の1つである。また、アジアが内需型成長に向かう調整プロセスは投資家にとって、地域の内需拡大を活かすチャンスとなる。さらに、世界的な関心の高さと多くのアジア諸国で行われた改革を背景に、株式市場を通じたフローも伸びている。外国人による株式取得が拡大し、銀行以外の民間債権者を介した資本流入が増えた。低リターン、低成長という先進諸国の環境と比べ、アジアの債券市場の着実な成長は、外国人投資家にとって魅力的な投資機会となる。一部の国では、現地通貨建て債券市場の外国人保有比率が3分の1に達し、さらに上昇している。金利格差は解消するどころか拡大傾向にあるため、非居住者の銀行預金増加が資本流入を押し上げている。
資本流入拡大は受入国にとってはプラスとなりうるが、その不安定なパターンと景気循環増幅効果を持つことから、金融リスクと不均衡を積み上げる回路になってしまう可能性もある。1997年のアジア危機の事例と比べ、世界金融危機後の最近の資本流入は規模が大きく(図1参照)、また以下の詳細な分析が示すように、変動が激しい。
便宜上、資本総流入について流入が急劇に増加する時期を「急増」、急減する時期を「停止」、また総流出については流出の急増期を「逃避」、急減期を「抑制」とそれぞれ分類する。また資本移動を、(1)直接投資と株式投資で構成される「資本」、(2)デリバティブを含む債券等で構成される「債務」、(3)「銀行融資」フローの3種類に分類するのも有効である(注2)。フローの増加が主に資本、債務、銀行融資による増化であれば、それぞれ資本主導、債務主導、銀行融資主導と見なされる。
平均資本フローの増減における標準偏差1単位分の変動を上下限とし(図1の点線)、それを超える資本フローをその波動に基づいて分類していくと、ASEAN+3では以下の動きが観察される。
- 資本流入「急増」:2004年第2四半期(以下第1四半期はQ1、第2四半期はQ2、第3四半期はQ3、第4四半期はQ4と記す)、2009Q4~2010Q1の資本主導、2003Q1、2007Q3、2010Q2~同Q3の債務主導(銀行融資フローを除く)、2000Q1~同Q3、2002Q4、2004Q3の銀行融資フロー主導。
- 資本流入「停止」:2006Q3~同Q4、2008Q3の資本主導、1998Q3、2008Q4~2009Q1の債務主導(銀行融資フローを除く)、1996Q4、1998Q1~同Q2、2001Q4~2002Q1、2005Q1~同Q2の銀行融資主導。
- 資本流出における「逃避」:2003Q1、2009Q4の資本主導、1997Q2~同Q3、2000Q1~同Q3、2002Q4、2004Q3~同Q4、2007Q2~同Q3、2010Q1~同Q3の銀行融資主導。
- 資本流出「抑制」:資本主導はなかったが、1998Q2、2006Q2~同Q4、2008Q4、2011Q3~同Q4には債務主導が生じたほか、1998Q3、2001Q4~2002Q1、2003Q4~2004Q1、2008Q3、2009Q1には銀行融資主導が生じた。
つまり、アジアにおいて資本移動の変動性の高まりは一様でなく、銀行融資主導の資本移動が最も頻繁に生じていた。これにより、金融・マクロの安定性維持の観点でなにより難しい課題に直面することになった。
注目すべき重要な影響が3点ある。まず、マクロプルーデンス政策が重要になる一方で、より難しさを増す。たとえば銀行部門の場合、マクロプルーデンス政策は現在、資産面(たとえば、融資比率の引き下げ)と負債面(たとえば、銀行融資主導のフローを通じ、非中核負債(non-core liability)の増加傾向を緩和)の両方に重点を置いている。負債面は、銀行がリスク・テーキング行動と高レバレッジへの傾斜を強めることにより、資産面に影響を与える場合がある。最近のユーロ危機の事例が示すように、外的ショックが起こった場合、レバレッジ解消が生じ、金融システムが信用収縮に陥る可能性がある。しかしながら、ショックの衝撃はこれをはるかに上回る可能性もある。資本流入の結果、通貨価値が上昇すると、借り手の財務内容が改善し、銀行側のリスク・テーキング行動が強まり、銀行融資主導の国際資本移動を通じたさらなる資本流入が促進される(注3)。これについてはさまざまな取り組みが提案されており、非中核負債への課税等も頻繁に俎上にのぼってきた。
第2に、各国が「ファーストベスト」から「セカンドベスト」アプローチに移行すべきではとの認識が高まっている。資本勘定の自由化は、自由化後に金融危機の事例が増える傾向にあることから、なんら摩擦(friction)を起こさない資本勘定自由化は大いに疑問視されているのが現状である。必要な制度的要素(順調な金融・資本自由化の前提条件とされるもの)が整っている先進国でさえ、ファーストベストアプローチは期待を裏切っている。アジアの新興国のうち、自由化されたシステムを持つ国はある種の資本規制を導入し始めた(すなわち、既存の摩擦要因を相殺する新たな摩擦要因の導入)。導入の根拠はいくつかあるが、ホットマネーの奔流によって生じる不安定性を回避する、というのが最も重要な根拠である。また、輸出主導型の国では、為替レートの競争力維持も介入の根拠となっている。しかしながら、資本規制は多面的な影響を伴う負の外部性をもたらす可能性もある。規制を課す国にとってのプラス効果も、他の国にとってはコストになる。為替介入(通貨切下げ競争)によって世界的な金融の安定性に影響を与えるケースがその最たる例である。そのため、国際通貨基金(IMF)などの国際機関は、介入の種類と性質に関する最善の方向性を加盟国に示すべきである。
第3に、政策協調向上の必要性である。残念ながら、この面ではアジアはあまり実績がない。資本移動や関連するマクロ経済事案の管理について組織的な協調・協力体制はほとんどない。確かに貿易と金融の統合は進んでいるが、今のところ、組織的な協調や協力の結果ではなく、概ね一方的な政策に支えられた市場原理に基づいた動きに過ぎない。情報共有が唯一、意味のある形態であり、その代表例がASEAN+3の域内の経済情勢に関する政策対話(ERPD)のプロセスである。アジア債券市場育成イニシアティブ(ABMI)における現地通貨建て債券市場のケースのように、徐々に各国の規則と規制を一致させる動きも出てきている。しかしながら、共通の規則・規制を共同で施行するまでの道のりは遠く、まして連邦国家では一般的な損失共有の取り組み(たとえば、共通の預金保険スキーム)などは相当難しいだろう。国際的な金融規制はいつも議題に上るが、ほとんど進展は見られない。
以上3つはいずれも懸念すべき点である。アジア諸国の政策立案者は関心を持つべきで、少なくとも留意すべきだ。長引くユーロ危機と米国の回復の持続可能性をめぐる不透明感から、世界の金融市場では緊張感が増しているのは確かだろう。相互に依存し合うグローバルなシステムにおいては、金融危機の伝播力を甘く見るべきではない。ますます連動性と同時変動性が見られる。財市場と違って金融市場は、情報の非対称性と高度な非予測性との複雑な相互関係を特徴とし、取引主体によっては不合理とも思える判断を下しうる、別種の「生き物」なのである。
アジアが世界金融危機の影響を受けないという考えは、油断の表れである。危機伝播の回路は貿易のみで影響を受けるのは輸出主導型の国だけ、という見方も誤った認識に基づいている。世界銀行によって指摘されているが、世界金融危機がアジアの貿易金融と送金に与えた悪影響を認めるだけでは、金融危機の伝播力による、より深刻な影響を過小評価している。銀行がこれまでの債務フロー増加の姿勢を変えるリスクは実際のものであり、アジアの金融市場は、過去の金融・資本勘定自由化を背景に相対的に開かれているため、外的ショックにさらされやすくなっている。最近は金融自由化の負のリスクに対する認識が高まっているが、すでに実施されている政策を元に戻すのは、少なくともすぐには無理である。たとえ資本規制とみなされるとしても、一定の摩擦要因を設けることはアジア諸国がとりうる唯一の方策であり、実際に摩擦要因が設けられた。
アジア開発銀行地域経済統合局による最近の細詳な研究によると、2008年のリーマン・ショックとその後のユーロ危機はともに、アジアの金融市場に明らかな影響を及ぼした(注4)。調査対象となった多くの国で、金融投資の利益とその変動の規模に大きな影響をもたらした。さらに重要なことは、危機が他の金融市場にも広がり、ひとつの市場やひとつの資産クラスに絞って影響を封じ込めることが不可能になっている点である。
もちろん、ほとんどの国が国内金融セーフティネットの強化に努めている。効果の度合いには違いはあるが、どの国においてもマクロプルーデンス政策が実施されている(ただし、標準的なプルーデンス政策に比べ、マクロプルーデンスの構成要素については未だ曖昧な部分もある)。しかし、今回の資本移動はかつてない規模である。プッシュ要因は、欧州、米国という世界の2大経済圏から生じており、多大な影響力を持つ。アジアは明らかに未知の領域に足を踏み入れようとしている。国単位のセーフティネットの力は、この膨大な資本移動が発する破壊力には到底及ばない。このため、国毎のセーフティネットの能力を地域のセーフティネットに拡大させる必要がある。すでにASEAN+3ではチェンマイ・イニシアティブのマルチ化(CMIM)が導入されており、南アジアではインドが同様の地域金融セーフティネットを構築する取り組みを主導している。つまり、アジアには心配する理由はないということだろうか? その反対で、懸念すべき理由は大いにある。
何より、以上の取り組みはまだ準備段階にあるに過ぎない。枠組み内の不一致は消えず、金融危機の伝播力がもたらす潜在的な損失についても認識が不十分である。不一致は修正できるし、修正すべきだが、伝播による損失についての認識不足は容易には解消できない。ゆっくりではあるが進展が見られるという意見もある。しかしながら、資本移動と金融部門の変動の速度はきわめて速い。いったん始まると急激に強まり、影響が増幅される。だからこそ、金融危機は説明できても予測できないのである。アジアは、未知の領域に足を踏み入れることの危険性を認識すべきである。