現在、先進工業諸国はそれぞれ、金融部門、政府財政、成長見通しといった大きなリスクに直面している。本稿では、ひとたび支障が起きれば悲惨な結果をもたらすおそれがあるにもかかわらず、その規制と管理が困難な巨大かつ複雑な金融のしくみが、さまざまな金融システムを通じてどのように構築されてきたかを明らかにする。なぜこのような状態に陥ったのか、またなぜ今後、より深刻な危機が続くのか述べる。
欧州、日本、米国の経済不振の根底には共通の問題がある。つまり、限定的な利益集団に目を向けがちな政治家と、不透明な金融業態の拡大の共生関係である(Igan and Mishra, 2011)。銀行救済は金融部門の見境のない行動をあおり、リスクを増大させる。そしてショック、破たん、救済の繰り返しにつながる。
私たちはこれを「破滅の連鎖(doomsday cycle)」と呼んでいる(Boone and Johnson, 2010)。この連鎖は2007-2008年に表面化し、リーマンショック、アイスランドの銀行破たん、アイルランドの3大銀行「救済」失敗後、数週間から数カ月の間に最も顕著に現れた。
その結果は、ギリシャ政府の債務再編、ギリシャ、アイルランド、ポルトガルで現在も続いている混乱、国際通貨基金(IMF)と欧州連合(EU)による3国への融資計画などである。また、イタリア、スペインその他のユーロ圏諸国も依然、大きな圧力にさらされている。
ユーロ圏各国はすでに最悪な事態を乗り越えた、と判断する専門家もいる。欧州は一連の首脳会議を経て、将来的な財政統合の内容に裏付けられた金融システムの統合に向け、着実に前進しているという。
実際には破滅の連鎖は今でも続いており、明らかに問題は日本と米国に向かっている。日米の政策立案者があまり危機感を感じていない現状は憂慮すべきである。しかしながら、グローバルな連鎖は再び欧州で起こり、しかも前回以上に深刻な状況になる見込みである。欧州大陸の金融システムは苦境に陥っている。財政は持続不可能で、今後の成長も期待できない。救済コストは上昇しており、問題の深刻さが予想されるため、ユーロ圏そのものに対する政治的支持が失墜してしまう可能性がある。
破滅の連鎖の構造
80年代、90年代には、深刻な経済危機といえば、直接グローバルな影響力をほとんど持たない低中所得国で主に発生していた。しかし今日、警戒すべきなのは、比較的豊かな国で生じる、世界全体の成長を減速しかねない規模の危機である。
現代の金融インフラの問題は、一国の経済規模に見合わない、成長見通しからみて持続可能性を大幅に超えた、多額の借入が可能になっていることである。政府や中央銀行による支援という、救済への期待がシステムに組み込まれている。しかしながら、システムが抱える負債が、最終的に支払い可能な金額以上になることもあり、このような期待感は正しくない。
- 政治家にとってはビッグ・チャンスである。
救済への期待感によって政治家は支持を得て再選を勝ち取れる。問題が明らかになる頃には他人が責任者になっていると計算している。こうして、繰り返される救済は例外措置ではなく、期待されるようになる。
- 銀行と金融関係者にとって、救済は簡単に儲かる金であり、文字通り大きな幸運であり財産(フォーチュン)である。
現代の金融は複雑で巨大なため、簡単に現状を隠ぺいできる。規制される金融部門にとって当局に真実を伝えるメリットはほとんどない。ビジネスに支障が出るだけだ。「大きすぎて潰せない(too big to fail)」銀行は、きわめて危険な、巨額の隠れた政府補助金の恩恵を受けている。しかも、繰り返される破たんにもかかわらず、多数の政府高官は、「市場」や「賢明な規制当局」がこの問題を処理できると取り繕っている。
- 手遅れになるまで問題は国民には明らかにされない。
問題は抽象的であり、新聞の見出しを飾る個人的ドラマもない。政策関係者は問題を理解していない、政治家と大銀行の結託に共謀しているかのどちらかだ。救済の真のコストは隠ぺいされ、広く知られることはない。数百万人が失業し、生活が破壊され、財政構造は悪化する。いったい何のためなのか?
過去4世紀にわたり、金融の発展は経済発展を強力に支えてきた。市場原理に基づいた新しい制度と商品の誕生は、幅広い社会の層による貯蓄を促し、より生産的な用途への資本投下を可能にした。しかしここ数十年、金融業態の一部が大きく脱線し、無責任な公共政策の遂行が可能になり、政治家から支援を得る、「レント・シーキング (超過利潤の獲得)」のメカニズムと化してしまった。
- 問題は、この金融の仕組みによって次に損害を受けるのはどこか、である。
特に可能性が高いのは日本、米国、ユーロ圏である。
日本:破たんへの長い道のり
図1は、過去30年間の日本の対国内総生産(GDP)比の債務残高の変化と、IMFによる2016年までの予測値を含む。
これは憂慮すべき状況である。
- 日本は急速な高齢化社会である。
日本人女性が一生に産む子どもの平均数(合計特殊出生率)は現在、1.39であり、人口維持に必要な数をはるかに下回る。つまり、2050年までに総人口が26%減少することになる。1990年代半ばにピークを迎えた日本の生産年齢人口は、1995年から2050年の間に40%も減少する見込みである。もちろん高齢者の多くが定年後に備え、何十年も貯蓄している。こうした資金は銀行預金や国債購入、現金貯蓄や日本株の購入という形で保有される。
- 日本の成長は減速している。
高齢化と成長減速を考えると、責任ある政策の枠組みはおのずと見えてくる。日本は若年人口の多い国の大口投資家となり、成長を生み出すのに必要な資本投資を行うべきである。このような国は後々、日本の定年人口に貯蓄を返還できるはずだ。これはまさにシンガポール政府が世界最大級の投資ファンドを通じて行っていることである。
にもかかわらず、日本政府はこの20年で大幅な赤字に転落し、借金を重ね、若年層の貯蓄を食い潰してきた。いよいよ高齢者が年金の形で貯蓄の払い戻しを求めるときがくれば、政府は対GDP比8%の財政赤字を削減し、相当規模の財政黒字に転換させる必要がある。突然、恋愛が盛んになって出生率が急上昇しない限り、日本の債務を支払う納税者の数は今よりも減る一方だろう。
これまで日本政府は、歳出に見合うよう、適時に増税してこなかった。最近になってようやく、消費税率を小幅(5%)引き上げることが合意されたものの、完全実施は2015年である。残る労働人口の負担がさらに増大せざるを得ないというのになぜ先送りするのだろう。
日本国債の約95%は国内保有なので、差し迫った圧力を受けていない。日本国債の投資家がきわめて低い、あるいはマイナス状態の実質金利に甘んじている限り、この状況は続けられる。
しかしながら、遅かれ早かれ、深刻な財政状況は政府の足元を脅かすだろう。今のところ信頼が広く低下する兆しは見られないが、市場心理は何の兆しもなく急激に変化することが多い。
米国:見境のない民間金融
米国では症状が異なる。図2は米国版破滅の連鎖、すなわち対国民所得比で見た貸出残高の比率の上昇を示している。金融システムの主要プレーヤーは大きすぎて潰せなくなっており、その結果、多額の補助金を受けている。
最新の危機は、金融・財政による空前の救済措置につながった。米議会予算局の推計では、2007-2008年の危機による財政への影響は、最終的に債務を対GDP比約50ポイント押し上げる。債務の対GDP比率で比較すると、第二次世界大戦の戦費に次いで米国史上2番目に大きい債務ショックである。(詳細はJohnson and Kwak, 2012を参照)。
米国の持続不可能な融資を生み出す共謀の仕組みは単純である。米国の金融システムは、納税者が提供する暗黙の補助金から多額のレントを得ている。「救済支持派」の政治家を選挙で常に勝たせるロビイストと政治献金の巨大なシステムは、このレントによって支えられている。
米国では、危機に陥るたびに政治家と官僚が自らの誤りを認め、規制当局を強化し、再発防止を約束する。しかし、それでも危機は繰り返し起きている。現在、バーゼル銀行監督委員会による銀行の自己資本比率規制は第3段階に入っているが、新しい改革の立案者は毎回、前任の誤りを非難する。米国はいつかこのバーゼル3を修正し、バーゼル4、5、6・・・と修正が続いていくに違いない。
米国の問題は、危機のたびに金融リスクが拡大していることである。このままでは、最終的にシステム救済を負担しきれなくなるだろう。システム救済に必要な国債を購入してくれる預金者が払底したとき、米国は破たんする(詳細はSchularick and Taylor, 2012を参照)。
米国債の約半分は海外投資家によって保有されている。このため、米国の財政政策は、ドルが究極の安全な投資先と考えられている間は存続できる。それでは競争相手はどうだろうか。日本は現在、安全な投資先としての魅力に欠け、近い将来に魅力を増すとは考えにくい。そうなると、米国の財政と成長の見通しはユーロ圏の動向に左右される。
ユーロ圏:不完全な夢
近いうちにユーロ圏が危機を脱する兆しはない。
ユーロ圏のインセンティブ構造により、各国の金融部門はこぞって参加希望を表明した。最大の魅力は、欧州中央銀行(ECB)の流動性供与枠だった。
小国にとって、ECBは現代版「ルンペルシュティルツキン」(グリム童話)である。ECBは童話のように藁から金糸は紡げないが、魅力のない政府・銀行発行証券を、ECBの現金といつでも交換できる、流動性のきわめて高い「担保」に転換できる。これによってソブリン債・金融債は魅力的な債券に変身した。借り手が事実上ECBの流動性を無制限に使えると知った投資家は、ユーロ圏のすべての銀行に対し、積極的に低金利で貸し出すようになった。
このような特徴を考えると、17カ国において、ユーロ圏加盟派が政治論争を制したのも容易に理解できる。また、このシステムがいかに濫用され、その「安全化」がなぜ難しいのか容易に理解できる。日本が国家財政を管理できず、また、米国も大きすぎて潰せない国内銀行を管理できないのであれば、17の規制当局と17の政府を1つのシステムに統合し、頑固者の救済を押しつけあう状況を作り出すことは、金融・規制上の悪夢といえる。
こうしたシステムは危機に陥りやすい。米国では、問題が生じるとFRBと政府が救済に乗り出す。しかし欧州では、救済は部分的にとどまる。欧州各国にはFRBや日銀のような「最後の貸し手」がいないため、市場は、問題を抱える国のデフォルト・リスクを反映した高いリスク・プレミアムの必要性を学び始めている。
変動為替相場は、明らかに危機を管理し易い。通貨の切り下げによって即座に賃金を低下させ、国の競争力を高められる。ギリシャが大幅な切り下げを実施できていれば、今日のような失業と社会的混乱のほとんどは防げていただろう。実際には、問題を抱えた欧州各国は、経済調整局面で賃金と物価を下げざるを得なくなっている。
このECBのシステムは、世界金融の安定化にとって大きな脅威である。ユーロ圏は、不十分な銀行資本、民間・公共部門の抱える多額の債務、一部加盟国の慢性的な成長停滞など、数多くの課題に直面している。
政策立案者は、ユーロ圏が存続しなければ悲惨な結果になると国民を恐喝しているようだ。悲惨な結果になるというのは事実である。複雑なデリバティブの台頭と、ユーロ圏が解体された場合、デリバティブによってもたらされる危険を考えるだけで十分である(欧州の問題全般についてはBoone and Johnson, 2011、同2012を参照)。
図3は、ユーロ建て金利デリバティブの伸びを示している。その想定元本の合計額は現在、ユーロ圏GDPの10倍を超えている。規制当局は通常、銀行の最終リスクを検証する際、正味の数字を使っており、通常の破たんの状況では問題はない。しかし、通貨圏が解体してしまうと、契約の相殺決済(ネッティング)の方法を大幅に変更する必要が生じ、銀行は、規制当局やリスク管理責任者によって現在、報告されているよりはるかに大きなリスクに直面する。
たとえば、ドイツの銀行がフランスの銀行と契約する一方で、ドイツの年金基金と資金の流れが正反対になるような同額の取引をしている場合、ドイツの銀行は2つの取引を相殺し、最終的なリスクをゼロと報告できる(もちろん取引先リスクはあるが、標準的な契約では、デリバティブは清算時に即時清算され、取引先リスクを相殺できる)。
しかし、投資家が国ごとに新通貨が誕生すると考え始めれば、以上の例の2つの契約は相殺関係にないので、ネッティングできない。ユーロが崩壊した場合、契約の当事者がいずれもドイツの機関である場合の契約はドイツ・マルクに転換されるだろうが、海外取引先との契約の場合は当事者間で争われるか、ユーロの代替通貨で継続されることになるだろう。
このため、銀行のリスク管理責任者は、ユーロ圏が解体すれば、欧州のすべての銀行が巨大で算定不可能な通貨リスクに直面する、と理解すべきである。その場合、銀行はそれぞれの「ユーロ建て」資産と負債を細かく検証し、どの通貨に転換されるかを把握しなければならない(ユーロ崩壊に伴う資産価値の変動についてはNordvig and Firoozye, 2012を参照)。
将来の危機の脅威
ユーロ圏の悲劇は避けられないようにみえるが、その背後には日本や米国、その他の先進国に波及するであろう、より大きなリスクがある。金融システムを通じて構築された巨大で複雑な金融の仕組みは、ひとたび支障が起きると悲惨な結果をもたらすかもしれないが、本質的にその規制と管理は困難である。どうすれば政治家や金融部門が危険を生み出さないようにすることが出来るのか、その解決策が求められている。しかし、世界を見渡すと、政治家と金融システムは揃いも揃ってリスクを抑え込むどころか、高めている状況である。
ユーロ圏で継続中の危機は、日本と米国にとっては時間稼ぎにすぎない。市場は、ユーロ圏の危険が最も切迫しているという理由だけで日米に資金を避難させている。その間に日米は財政・金融問題を抜本的に是正できるのだろうか? その可能性は低い。
以上の問題の教訓は明白である。世界中で比較的最近になって増加している複雑な金融市場システムは、巨大で持続不可能なまでに融資を拡大させてしまった。政治の仕組みによる危険が阻止できるか否かは政治の仕組みにかかっている。しかし政治家はその性癖として、無責任な融資の拡大を助長するような共生関係を作り出してしまいがちである。
「無責任な拡大」の内容は国や地域によって異なるが、いずれにしても持続不可能であり、かつその拡大は続いている。今後もさらなる危機が起こるだろう。そしてその危機は今日よりも深刻なものかもしれない。
本稿は、CentrePiece magazine (Centre for Economic Performance, LSE) 誌2012年8月号に初出、その後2012年9月21日にwww.VoxEU.orgにて掲載されました。VoxEUの許可を得て、翻訳、転載しています。