国際経済協調は数々の経済問題の軽減に役立つ可能性がある。しかしながら、正当化しにくい場合も多く、達成するのはさらに難しい。本コラムは、グローバル・ガバナンスの強化を単純に訴えるだけではほとんど効果が期待できないと論じる。世界経済の将来は国際協調の成功に左右されるが、一方でその成功には、グローバル・レベルで協調がどこまで可能なのか、各国政府は現実的な期待にとどめることが求められる。
世界経済は1930年代以来、最大の試練に直面している。2007年に始まった金融危機は未だに進行形である。
- OECD諸国の大半では、景気回復はせいぜい足踏み状態で、ユーロ圏の多くは2度目の景気後退に陥っている。
- 景気低迷、高止まりしている失業率、困難な債務問題、銀行危機の脅威の存在が当面の世界経済活動を損なっている。
また、このような差し迫った脅威は、数々の経済大国がマクロ経済バランス、雇用創出、生産性向上といった長期的課題に直面しているという認識により、拍車がかかっている。
さらなる国際協調の促進は解決策なのか?
立ちはだかる試練を経て、多くの人が国際協調促進の必要性を強調するようになったが、ほとんどの場合、経済問題に関する「グローバル・ガバナンス」強化への願望と分類される。各国政府間の協調促進が、目下直面している短期的、長期的難題への対応に役立つかもしれないと期待されている。たとえば、2008年の金融危機を受け、世界金融システムの脆弱性に関する対応についてVoxEU.orgが主要エコノミストに意見を求めた際、国際破産裁判所、世界金融機構、国際銀行憲章、国際的な最後の貸し手といった、何らかのテクノクラシーによって管理された、より厳格な国際ルールという形の解決法が多く提案された(Eichengreen and Baldwin 2008)。
国際協調を大幅に強化したいという願望に共感はするが、その実現に関してはきわめて懐疑的である。The Geneva Report on the World Economy シリーズの最新版(Frieden et al. 2012)に、我々が懐疑的である理由を4つ挙げた。第1は、疑う余地のない...
...最悪な実績である。
国際経済協調の最近の実績はあまり希望が持てるものではない。確かに、危機発生当初は、主要中央銀行間で効果的な協調が行われ、G20活性化により当面は一致協力して共通課題に取り組むものと思われた。しかし、G20首脳会合は以前のサミットと同じ道を歩んでいるように見え、次々と登場する自己満足的な議題に関してあいまいな約束を交わすことに終始した。協調促進への妨げがそのうち衰えると考える理由はどこにもない。また、当初は金融政策がうまくいったにもかかわらず、その他の分野においては、協調への大きな障壁があるため、ほとんど進展しなかったのは当然だろう。1つの理由は、多くの人が考えるほど、国際協調に厳密な...
...規範的正当性を与えることは容易でないからである。
規範理論がグローバル・ガバナンスを強力に裏付ける領域は比較的、数が限られている。経済政策のほとんどの分野において、経済問題は国家レベルでかなり効果的に対処できる。国際協調が本当に必要とされるのは、国内経済、政治システムでは内部化できない相当な外部性が存在する場合のみである。
国際的な要素があっても、協調に関する規範的正当性が弱かったり、まったく欠けているような経済政策は多々見られる。つまり、国内の政策が望ましくないからといって、超国家的な管理を正当化するために多大なコストを外国に課そう、ということにはならない。国内の農業助成金は、ほとんどが国民の範囲内での移転であり、数々の国内の規制政策についても同様である。幅広い政策のうち、一部はグローバル・ガバナンスの候補の常連として言及されるが、これに関わる規範理論は、妥当な国内的取り組みを正当化する以外には何の根拠にもならない。
確かに、真にグローバルな問題に対して、グローバルな解決策しか存在しない、という分野もある。たとえば、世界の気候に与える温室効果ガスの影響が挙げられる。また、通貨戦争の回避等のように、双方が不利になる結果を協調によって防ぐことのできる分野もある。また、規範的な正当性が強い場合でも、政府がそうした協調を実際に実行できる能力は限られる場合があるが、それは特に...
...国内の政治的障壁による。
一般的に国際協調とは、関係各国による妥協を意味し、共同で問題に取り組むため、何かを断念することにほかならない。言い換えれば、協調には国内レベルでの何らかの犠牲が求められる。すなわち、国際協調のために国内の政治的支援を受けた政策を取り下げるのもいとわない、ということである。究極的には、国際協調の効果はおそらく一国にとって(また世界にとっても)有益なものとなるだろうが、こうした転換は有力な国内の利害関係者を大いに脅かす可能性がある。つまり、有意義な国際協調を行うためにはであれば、各国政府は、おそらく国内の強力な政治的理由によって採用された政策を断念せざるを得なくなる。
国際協調への国内障壁は、特に今日のような困難な時代に歴然となる。現在、主な経済圏はいずれも自国の経済・政治的難問で手一杯の状態である。米国、EU、日本、主要新興市場はいずれも深刻な国内ジレンマに直面している。各国(EUの場合は地域)の政治システムは目下の経済問題への対応に尽力しているが、あまりうまくいっていない例が多い。このように国内の対立や論争に明け暮れていると、国際的な問題を大きく進展させるのはきわめて困難になる。そして...
...選好の多様性によってさらに困難になるだろう。
有意義な国際協調を実現させるには、主要新興市場の一部を巻き込むべきだ、ということが過去10年の間に明らかになってきた。特に中国については明白だが、インドやブラジル、そしておそらく他の国にも当てはまるだろう。しかしながら、国際協調に関わる国の数が増加するということは、関心事項や姿勢がまったく異なる諸国を受け入れるということも意味する。G7やOECD諸国の間でも相当な意見の隔たりがあり、中国やブラジル等の諸国を参加させるということは、考慮すべき意見の範囲の幅が大きく拡がることを意味する。
広範囲における国際協調ではなければ、何が必要なのか?
以上の理由から、国際協調をさらに進展させるのは極めて困難だろう。このため、最も勝算の高い戦いを選ぶことが特に重要になる。各国政府がそれぞれ貴重な政治資本を使って協調の取り組みを拡大しようとするのであれば、必要性と成功の可能性が最も高い分野での協調が理にかなっていると言える。
協調の促進が難しいのであれば、一般に重点目標と呼ばれていても、協調の成果があまりないか、あるいは結果がまったく出ない可能性の高い領域において協調の拡大を目指すのは、見当違いかもしれない。
- G20諸国が持つ改革能力がどのようなものであったとしても、何よりまずはG20諸国間のマクロ経済政策協調の向上を目指すべきである。
多国的貿易体制の強化を前進させることは望ましいが、容易でないことは明らかである。それに加えて、貿易分野における進展は差し迫って必要とされていない可能性もある。昨今の危機では、保護主義的な圧力は特に高まっていない。金融改革に関する協調によって、規制の差異の悪用、もしくは矛盾する規制の「スパゲティ・ボウル」状態を軽減できれば望ましい。しかしながら、近い将来、金融規制分野での国際協調が進むとは考えにくい。金融規制の最適な形態については全く異なる意見があり(各国それぞれのニーズがある)、国際協調への政治的障壁はかなり高いようだ。
国際協調強化の必要性と可能性を併せ持つ領域は、マクロ経済政策一般、特に不均衡是正の分野である。経済大国間の協調を欠いたマクロ経済政策運営は極めて危険性が高く、またそのような協調の欠如が、昨今の危機を招いた緊張の根源であるという認識が一般的である。実際、この数年間、国際通貨基金(IMF)は大規模な世界的マクロ経済不均衡によってもたらされた金融等の脅威に重点的に取り組んできた。大きな波及効果が期待される領域で、少なくとも不均衡是正に取り組もうという何らかの関心を引き出す発端にはなり得るだろう。
結論
国際経済協調は数々の経済問題の軽減や回避に役立つかもしれない。しかしながら、正当化しにくい場合が多く、達成するのはさらに難しい。グローバル・ガバナンスの強化や、より高いレベルでの国際協調を単純に訴えるだけではほとんど効果が期待できない。ましてや、広範な領域における拡散的な協調への取り組みは、貴重な政治的エネルギーの浪費に終わってしまう可能性がある。世界経済の将来は国際協調の成功に大きく左右されるが、一方でこの成功のためには、グローバル・レベルでどこまでの協調が可能か、各国政府が現実的な期待にとどめることが求められる。
本稿は、2012年7月26日にwww.VoxEU.orgにて掲載されたものを、VoxEUの許可を得て、翻訳、転載したものです。