資金が米国から流出した。そして米国にすぐに資金が戻ってくる可能性は小さい。米国は長い間豊かで主要な債権国だったが、今日では世界最大の債務国となった。このような国はほかにない。
資金を100年間ほど堅実に、かつ適切に維持し、さらに鉄壁の軍備を備え、経済面や文化面で活気のある大国であれば、国民は高い生活水準以上のもの-権力、影響力、高度な行使力-を得ることができる。たとえ資金が枯渇しても、海外が増大する債務を積極的に保有し、金利が積み上がることを受け入れれば、長期間高い生活水準を維持することができる。しかしそのような大国は-力-その中でも他国を無視することさえも可能にする力を急速に失う。もちろん、その力は静かに、対立を招かずに失われるのが望ましい。さらに、大国が有する希望、思想、習慣などを他国が喜んで受け入れ、それらを熱心に他国が模倣し、日常生活に吸収しようとする力-大国が持つ影響力-も失われる。現在、米国はもはや大国ではなく、普通の国となった。米国は、米国がかつてのような大国ではなく、普通の国として行動していることを認めなければならない。
これは米国にとってショックであると同時に、米国以外の国にとってもショックであろう。米国はかなり長い間、普通の国ではなかった。米国が資金を有していた時代には、米国は自らそうしたいときのみ他国に関心を寄せ、一方で他国が望んでいない場合でも米国に関心を向けさせようとしてきたが、資金なしでは米国はもはや唯一の多元的スーパーパワーとして行動することはできない。しかしこれが米国民やその他の国の国民から悔やまれるべきことなのか、それとも称賛されるべきことなのかは、議論の余地のあるところだ。過去に経験したことのないかたちで米国政府が制約を受けるという事実は、米国民以外の人々にとっても大きな変化である。リーダーとしての米国の支配は、他国にとって比較的楽なものであった。これまで日本や欧州主要国は、国富や潜在的な力に伴う通常負うべき責任を負うことなしに、また、成長に応じた悩みを持つことなしに、安心して豊かさを追求することができた。そして思春期の子供のように、他者に責任を課して不平と不満に浸っていた。しかし米国がすべてにおいてうまく対処できないことがわかると、不満が不安に変わる可能性が高い。米国は依然として世界的なパワーであり、最主要国であり続けるだろうが、支配者としての能力は失うであろう。つまるところ、米国には資金的余裕がないのである。
資金は、どこに行ったのだろうか。資金は年々米国からの輸出を上回る石油や、アジアからの製品-最近ではその多くが中国の米国多国籍企業からのもの-などの輸入代金の支払いに向かった。支払いの方法はどのようなものだったろうか。結局のところ、米国の輸入は輸出を上回り、生産する以上に消費してきた。債務を積み上げることにより支払ってきたのだが、すべてドル建てであることの意味は大きい。外国は積極的にドルを保有する強力な理由があり、これが少なくとも当分は続くと信じるに足る理由もあった。しかし米国政府が外貨建て国債を発行し始めれば、直ちに資金は逃げ出す。
経済は人口の移動や生産性の低い経済活動から高付加価値の経済活動への資本移動により発展するが、これには混乱がつきものだ。ここ数年、巨額の貿易を通じ、中国と米国は大規模にこうした移動を起こすことができた。中国では、数万もの農民が何も生産しないも同様の農村を離れ、機械を使用して大量生産を行う製造業部門に文字通り移ってきた。この種の移動のみが経済を急速に発展させる。しかし、ここには構造的な問題がある。中国は製造業が生産する大量の製品を買う余裕のない貧農からなる国家である。 輸出のみが大規模な産業化を可能にするだろう。中国は欧米の経済学の教えに従わず、日本の生み出したアジアの開発モデルに従ってきた。このモデルは少なくとも現在まで、経済の迅速な発展のための最も成功したアプローチである。輸出主導型のアジアモデルでは、輸出促進するにあたり最も強力で腐敗を招かない手段として、自国通貨安の重要性が強調される。これがうまくいけばドルが蓄積され、金融危機が突発的に生じても対処できるであろう。さらにもしこれが大成功すれば、巨額のドル準備が生まれる。現在、中国はGDPの2/3を超える約2.5兆ドルの外貨準備を保有している。中国のような貧しい国がドル紙幣のために同国の労働や商品を売り、それを保有するのは馬鹿げたことではないだろうか。中国のような貧しい国が米国にお金を貸しているのだろうか。もちろん、馬鹿げたことであるが、完全に馬鹿げているというわけでもない。中国は価値の疑わしいドルよりもはるかに大きなものを得ている。標準的な教科書が教える経済学に反して、国際価格を下回る価格、さらに生産費用も下回るような価格で売り続けながら、そのプロセスにおいて、より賢く働いて生産性を急速に向上させるために必要な知識と仕組みを発展させれば、勝ち進むことができるのだ。中国の場合、20年間でGDPは8倍増加し、産業化と社会の高度化に向けた真の意味での大躍進を遂げた。
その結果として、中国は2.5兆ドルを保有している。もちろん、経済的な非効率と、なぜ医療に使わないのかといった国内政治的な問題が生じる可能性もある。中国は、余剰分、かなりの余剰ドルを海外実物経済資産に対する請求権へ転化することはできるが、このドルを人民のための財貨・サービスに向けることはできない。中国はドルの一部を使用して鉱物資源を購入している。銅、リチウムでは支配的な買い手の立場を有し、希土類鉱物を独占的に購入し、石油についても大々的に植民主義者的手法で不安定な地域の石油権益を買っている。しかし、中国の巨額のドル準備と輸出は、親密ではあるが非常に不安定な米中関係を生み出している。
米国の思想と政策は、一世代に近い期間にわたって、自由な市場と小さな政府というネオリベラルのイデオロギーに支配されてきた。このイデオロギーが実際面において国際的な広がりを持つに至り、明らかになった比較優位に基づく再配分を単に「見えざる手」に委ねるだけではなくなった。そして、そのイデオロギーの展開は市場システム全体が崩壊するのを防ぎ、より高尚な目的(政治的なものであろうとイデオロギー的なものであろうと)あるいはもはや説得力をもたなくなってしまった目的のためにシステムを維持するのに必要な実質的なコストを吸収することを企図して、システムを保証する役割を果たす存在に依存するようになった。
実際に発展してきた米国主導の自由貿易システムは、初めは欧州、次いで日本やアジアの虎といわれるアジアの国々、そして現在では巨大な中国など、相当の規模を有する国々は消費を上回る生産、輸入を上回る輸出などにより発展を目指しているため、安定的なシステムではない。そのため、米国など一部諸国では輸出を上回る輸入をし、これを年々増やさなければならず、消費を下回る生産を強いられている。この過程で、付加価値の高まり続ける輸入品との競争を強いられた産業が犠牲となっている。そうでなければ、このシステムは機能しない。
戦後、米国が最初にこの役割を担った時期、政府の強い指導と介入により再工業化した欧州や日本と違い、米国には産業政策がほとんどなかった。産業政策はその中心である日本ではささやき、フランスでは通常語、アメリカでは両義的な侮蔑語である。しかし、米国も産業政策を持っていた。つまりそれは防衛である。米国は勝者を選別し育成した。これを利用して米国の資源を将来の重要かつ新たな高付加価値産業へとシフトさせた。米国が一世代以上に渡り世界をリードしてきた産業の例としては、すべてのテクノロジーを網羅する商業ジェット機産業と半導体産業がある。大型ジェット機はすべてのテクノロジーの結集であり、半導体はあらゆる製品の構成部品として組み込まれている。米国の政策はこの2つの主要産業の成功と、その他いくつかの有力産業の成功と大きな関係がある。
過去2世代の間、米国は最後の消費者、システムの調整役および保証人としての役割を果たしてきた。これまでのような規模でこれらの役をいつまで続けられるか少なくとも不明確であり、ほかの強大な経済大国がこの役割を引き受けるかどうかは、さらに不明確である。 しかし、この役割には魅力がある。アジア開発モデルが大きな成功を収めるためには、この役割が必要だ。
過去15年間、特に最近の10年間、米国はますます多くの単純な製品、そしてますます多くのそれほど単純ではない製品をアジアから輸入し、同種の国内産業を犠牲にした一方、政府の支援をほとんど受けず、過去と同様、未来の産業セクターとなったであろう分野に経済をシフトさせる機会が再びあった。今回は、ワシントンの政策当局の支援をほとんど受けずに、金融に驚くほど大きくシフトした。それに対応して米国製造業のGDPに占めるシェアは米国消費における比率ほどではないにせよ7%低下する一方、この低下を埋め合わせる形で金融産業のシェアが7%上昇した。結果として、総生産額と雇用は維持された(それらは専門的にはFIREと呼ばれる。Finance(金融)、Insurance(保険)、Real Estate(不動産売買))。効果的に、そして半ば意識的に米国は自国経済の再編を行った。しかし、金融が将来の産業であるとすれば、それは多くの望むものではない。そして米国は享受してきた行動の自由を散財したのだ。
本ショートエッセイはコーエン教授の下記近著を基としています。
Stephen S. Cohen and J. Bradford DeLong (2010) 著、The End of Influence: What Happens When Other Countries Have the Money (New York: Basic Books)