夏休み特別企画:フェローが薦めるこの1冊'02

"REINVENTING THE BAZAAR"

鶴 光太郎顔写真

鶴 光太郎(上席研究員)

John McMillan, Reinventing the bazaar: A natural history of markets, Norton, May 2002, $ 25.05

著者は、スタンフォード大学ビジネススクール教授のジョン・マクミラン氏である。マクミラン教授については、彼のゲーム論の教科書・啓蒙書が日本語訳されていることもあり(『経営戦略のゲーム理論』有斐閣)ご存知の方も多いかもしれない。オークション、契約理論などの分野の専門家ではあるが、現実経済との接点を重視し、たとえば、日米の自動車のサプライヤー・システム、アメリカの電波周波数割当て、市場経済移行国における市場と制度の問題について、応用ミクロ経済学の立場から刺激溢れる分析を提供してきた。
マクミラン教授の他の著作にもれず、本書においても、きちっとした理論に基づきながらも、誰にでも分かる平易な言葉でカレントな話題を切り込んでいく手法は健在である。本書の目的は、そのタイトルである「市場(いちば)の再発明」からも伺えるように、市場、または市場システムの表面上にはみえないが、その背後に存在し、市場の機能が発揮されるために重要な条件を再確認することである。具体的には、1)情報の流れ(スムースであるべき)、2)信頼関係(約束が守られる)、3)競争(促進される)、4)所有権(適度に保護される)、5)外部性の削減(第三者への影響除去)の5つを挙げている。しかし、多くの読者は、こうした基本的概念を説明するために世界中からよりすぐって選ばれた多彩な例に魅了されるに違いない。オランダの世界最大のフラワー・マーケットに始まり、ベトナム・ハノイの非合法の行商、ガーナの市場、ニューヨークのダイヤモンド取引、東京・築地の卸売市場などなど、読者は自国にいながらしてマクミラン教授と「空飛ぶじゅうたん」に乗って、市場システムの真理を探求すべく「世界不思議発見!」の旅に出るという仕掛けなのである。

市場システム、市場主義を巡る議論は、市場対政府、市場対制度(組織)などの二元論やグローバリゼーションと並び諸悪の根源とする見方まで偏った議論が行われることが多い。大抵のエコノミストも、「市場システムもメリット、デメリットがあります」とお茶を濁して終わりである。マクミラン教授は、そこから一歩進んで、コストとベネフィットを明確に比較することでシステムの評価、設計を行うべきであり、その相対的なベネフィットは時と場合により異なってくることを強調している。たとえば、エイズの治療薬も特許制度がなければ開発は進まないが、その制度が薬の価格を高くして途上国では利用できない問題やナップスターと音楽著作権侵害問題を取り上げて、特許や著作権保護を一部緩めても、開発者の利益にはそれほど影響しない一方、その恩恵を受ける利用者の利益は甚大であると説得的に主張している。また、シリコンバレーの隆盛に一役買った研究者の活発な企業間移動も他の地域や産業で同じようにメリットが出るかどうかは疑問視している。他にも、ロシアとインドネシアの腐敗構造の違い、日本の建設業の談合問題、カリフォルニアの電力自由化問題、ニュージーランド・ロシア・中国の改革の光と影など政策的なイシューも手際よく扱っている。市場とそれを巡る制度、政府のあり方に興味を持っている読者に是非一読を勧めたい。

マクミラン教授の本でも指摘されているように、財、サービス、知識などの特許権、著作権の保護期間が過ぎ、それらがパブリック・ドメインに入り、誰にでも利用できるようになれば利用者にとって計り知れない利益が生まれる。インターネットの登場でそれを身近に実感させてくれるものの1つが、作家の死後50年以上が経ち、著作権が消滅した作品をインターネット上で自由に見ることを可能にした「青空文庫」であろう(http://www.aozora.gr.jp)。梅雨の頃、しのぎにくい時期に仕事のスランプ(といっても怠惰の言い訳にしている場合がほとんどだが)が重なり悶々としていた時に、ふと学生時代に親しんだ作品を読み返してみたい衝動にかられた。普通なら書斎の本棚から埃をかぶった本を懐かしそうに手に取るところである。しかし、劣悪な住宅環境でそんな本はすべて霧散している身にとっては、「青空文庫」は自分の青春時代をプレイバックする貴重なタイムマシンである。学生時代、自信を失い、一人でもがいている時に励ましてもらった作品、「風の便り」、「乞食学生」、「黄金風景」(太宰治)を二十年ぶりで読んでみた(http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person35.html#sakuhin_list_1)。甘いと知りながら、それでも、涙が知らず知らずのうちに溜まった心のおりを隅々まできれいに洗い流していくような錯覚にとらわれた。やはり、「読むクスリ」はあるのだと思った。

鶴 光太郎(上席研究員)
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