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『中国の経済発展』

関 志雄顔写真

関 志雄(上席研究員)

『中国の経済発展』 林毅夫、蔡昉、李周著(渡辺利夫監訳、杜進訳) 日本評論社 (1997年)

新制度学派による本格的中国経済論

『中国の経済発展』表紙 中国では、改革・開放が進むにつれて、多くの経済学者は目の当たりに展開している計画経済から市場経済への移行という壮大な実験に惹かれ、理論と実証の両面からその経験を総括し、今後採るべき方策についても大胆に提案している。これに当たって、マルクス経済学が退潮し、制度とその変化を正面から取り上げる「新制度派経済学」が脚光を浴びている。日本においても青木昌彦氏(経済産業研究所所長/スタンフォード大学教授)の一連の研究を始め、この新制度学派の手法に基づく日本的システムの研究が盛んになっているが、林毅夫らの『中国の経済発展』は同アプローチによる中国経済論の代表作の1つに数えられる。
本書は、経済発展の源を技術進歩よりも制度変化に求める点で、他の新制度学派の研究と共通している。しかし、カギとなる制度変化をもたらす誘因に関して、本書はこれまで主流であった「所有権の形成と変遷」(ノース)や「利益集団の形成と相互作用」(オルソン)に基づく分析によらず、「戦略の選択」を軸に議論を展開している。この新しい視点は、中国の経済改革という特定の分野に限らず、より一般的に、新古典派経済学で十分説明できない市場移行や経済発展のメカニズムなどを理解するためにも、我々に多くの示唆を与えている。これらの分野に興味のある方には本書は是非ともお勧めしたい一冊である。

中国経済に関しては、1)なぜ、改革以前の発展の歩みが緩慢であったのに、改革以降は高成長が実現できたのか、2)改革過程において、なぜ活性化と混乱の循環を繰り返すのか、3)経済改革と発展はこれまでの勢いを維持できるかどうか、4)中国の改革が大きな成果を収めたのに対して、なぜ旧ソ連や東欧諸国の改革が行き詰まったのか、といった問題が最大の関心事である。この一連の設問に対して、本書は一貫した枠組みの中で興味深い答えを示している。

まず、最初の設問に対して、著者らは、改革・開放以後の中国経済の成功の原因を、発展戦略の転換とそれに誘発された経済制度の変革によって、これまで抑えられてきた比較優位が発揮できるようになったことに求めている。

すなわち、50年代において、農業国から出発した中国は、短期間に先進工業国を追い上げるために、重工業優先の発展戦略をとっていた。発展段階が低く、資本と貯蓄が乏しいという厳しい状況からスタートし、比較劣位を持つ資本集約型の重工業を育成するために、政府の強い介入のもとで資源をできるだけ低価格で重工業部門に集中させざるを得なかった。具体的には金利、賃金、エネルギー・原材料・消費財の価格を人為的に低く抑え、市場の代わりに、政府の計画による資源の配分が一般的になった。しかし、計画経済において企業経営は自主性が認められず、利潤獲得のインセンティブと労働者の勤労意欲は失われた。一方、軽工業やサービス業が犠牲となり、重工業を含め産業全体の生産性が低く、歪んだ産業構造ができてしまった。その結果、中国は先進国への追い上げという目標を達成するどころか、低成長と国民生活の低迷が長引き、70年代後半にはついに新しい発展戦略への転換に迫られた。

これに対して、中国は78年以降の経済改革にあたって企業にインセンティブを与えるようなミクロ面の改革を開始した。国営企業では、自主権が拡大され利益の内部留保が認められるようになり、その枠も段階的に拡大してきた一方、農業部門においては人民公社も解体に向かった。これにより、経営者や労働者、農民の生産意欲が高まり、生産性が急上昇した。計画分を超えた投入(原材料、労働力、資金)の調達や産出の販売経路を価格メカニズムの働く市場に求めざるをえなくなり、企業自主権の拡大は必然的に市場経済の発展につながった。一方、外資企業や郷鎮企業など非国営企業も奨励され、市場経済の担い手として登場してきた。市場経済の拡大と深化により、重工業に偏る産業構造が是正され、比較優位に沿った形で、軽工業が産業発展と輸出を牽引する担い手として力を発揮してきた。

これをベースに、第二の設問に対して、中国の経済改革のプロセスにおいて現われた活性化と混乱の循環は一部の分野で改革を先行させた結果、併存する新旧体制に生じた不適合によって引き起こされたものであると説明する。この循環から脱出するためには、価格、金利、為替を含むマクロ政策環境の次元にまで改革を深化し、重化学優先発展戦略を根本的に放棄しなければならない。

また、第三の設問に対して、正しい方向に沿って改革を堅持さえすれば、前進の過程で困難を克服することができ、中国経済の高成長が持続できると予測する。したがって、新世紀の初頭に中国がアメリカと日本を追い越し、世界最大規模の経済になり、中華民族の衰退から再び隆盛への邁進は決して不可能ではない。

最後に、第四の設問に対して、中国経済改革を成功させた重要な条件の1つは、コストとリスクが小さく、また即時に利益をもたらすような漸進的な道を選んだことであると主張する。これに対して、東欧とロシアは急進的な改革方式を選択したため、大きな摩擦コストと社会的不安を起こし、いまだに成果をあげていない。もし各国の伝統的計画経済体制の間に共通項があるとすれば、改革の道についても共通性があるはずであり、中国の改革の経験も一般的な意味を持つ。このように、著者らは、中国と東欧・ロシアの経済パフォーマンスの差を初期条件の違いに求めるというジェフリー・サックスを始めとする欧米の経済学者と真っ向から対立している立場を採っており、「中国の奇跡」(本書の中国語の原題)に対して明快な説明を提示している。

関 志雄(上席研究員)
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